第168話 ドントウェイクミーアップ
「みなさん初めまして……僕、吐院火奈太といいます。日本人です……」
オババの口から少年の声でそう語られるのは、控えめに言って気味が悪かった。
「吐院火奈太……⁉︎ その名前、覚えてるぜ、おれ! あの火事の日、見舞いにいった男の子! やっぱりおまえさんが……」
「観音寺選手、聞いてください」
吐院火奈太。スピットファイアの肉体が死んだ時、たしかに俺の脳内にもそんな名前が聞こえはしていた。どうやらそれがスピットファイアの本体(?)のようだ。
そしてウォッチタワーは前世で観音寺塔義という名のプロレスラーだった。
観音寺塔義はとある大火災が発生した時、火事場に取り残された少年を救おうとして命を落とし、異世界へ転生したと俺は聞いていた。
どうもスピットファイアがその、火に巻かれた少年のようだった。
「ああなんてこった、命がけで助けたのに死んじまうなんて……」
「聞いて! こないだも言ったけど僕は死んでません!」
「えっ死んでないなら何で転生して……」
「聞いてったら! 時間がないんです、こうやって話していられるのもたぶんあともうちょっとだけ……スピットファイアは色んなマナが混ざり合ってものを考えるのが難しいから、シャーマンの能力を使って僕の魂を降ろしてるんですから!」
怒ったように喋るスピットファイアだったが、声はオババ氏から。体の方は、座ったまま人形のように動かない。
「大事なことだけ言います。みなさんはこの偽物のあの世から出なきゃいけません。詳 いことはシャーマンのオババから聞いてください、この ババは予知の力があっ ヴァルハライザーの仕組みを感知することができるみたいで、だから今何が起こってるの 少しだけわかぅみたいです。
「あとでスピットファイアに案内させましゅ……案内された場所へ行っ 偽物のあの世が何なのか書いておいたメモを手に入れてください。上手く伝わればいいけど……。
「それから転生者を全員集めて。そして偽物のあの世から逃げてください。でないとみんなここに閉 閉じ込められて、地球に帰れなくなっちゃう。魔女はヴァルハライザーを乗っ取って、みんな に閉じ込める気なんだ」
オババは早口で喋っていた。その急いた調子は、あたかも誰も聞いていない空間へ向かって話すことで自分の記憶をたしかなものにするような話し方にも聞こえた。
そして、その声は時々、くぐもったり、途切れたりて、聞き取りづらいところもあったが……。
「な、なあスピットファイア、そのヴァルなんとかってのぁ……」
「メモ……メモを受け取っ ダメだ途絶える……」
「お、おい」
「ごーすらんと……むにゃむにゃごーすらんろにいって……あの世の出口……もうダメだ……しゃべれない……」
ウォッチタワーはオババ氏に駆け寄り、肩を掴もうとした。だが思いなおしたのかスピットファイアの方へいき、しかしどっちに向かって喋ればいいのかわからないようで2人の姿を見比べながら、
「オイスピットファイアオェ、どうしたっ! しっかりしろっ!」
「もうダメ……意識が……」
「し、死ぬなースピットファイアーッ!!!」
「ち、違う、逆です、目が覚めそう……火事の怪我の……僕、今、病院……意識不明だった……目が覚める……ああママやめて、揺らさないで、起きちゃう、まだ……話さなきゃ……うーんあと5分……ママ、やめてってば……」
突然、肉体の方のスピットファイアがばったりと仰向けに倒れた。
オババ氏もまた肩がびくんと跳ね、そしてガックリとうなだれた。
ウォッチタワーが俺を振り返った。パンジャンドラムもハルも。俺を見られても困るのだ。
やがてオババ氏が顔を上げた。辺りをキョロキョロ見回していたが、ウォッチタワーの姿を認めたのか居住まいを正した。
「……ウォッチタワーよ」
「な、何だいオババ。大丈夫なのかい」
「うんむ。聞いたぢゃろう、今の話、スピットファイアの。ウォッチタワーよ、抱える必要はないスピットファイアを。いずれ目覚めるぢゃろう」
ウォッチタワーは倒れているスピットファイアを持ち上げようと、片膝立ちの姿勢だった。そっと寝かせると、焚き火のそばに座りなおす。
「オババ、今のは……」
「うんむ。ババの降霊により、スピットファイアの魂をババの体に降ろした。オメーさんに話をするのになぜ必要かわからなんだ、ババの術が。ぢゃが今わかった。遠く遠くの世から、心だけをここに降ろしていたのぢゃ、スピットファイアは」
オババ氏は身につけていた小さな袋から何か灰のようなものをひと摘まみ取り出すと、焚き火に投げ入れる。
それから言った。
「よく聞くがいいウォッチタワー。今スピットファイアの心と一体となることで知り得たことを話す。彼の者も焦っておったので上手く話せなんだが、ババにも感じ取れた彼の者の意思を伝えよう」
ウォッチタワーの、ごくりと喉の鳴る音が聞こえた。
オババは言った。
「この世。ババたちの生きるこの世。創りしはどうやらスピットファイアのようじゃ」
「な、なに⁉︎」
「黙って聞くがいいウォッチタワー。これはあくまで感じ取ったことであり、スピットファイアの心、意思ぢゃ。視えたと言った方が近い。どういうことか尋ねられてもわからぬ、ババには。ぢゃから黙って、話すことだけを受け取りんしゃい。
「スピットファイアは命弱き者。オークはおろか同じヒューマンと比べてすらか弱き子。友と共に駆け回ることもならず、家にとどまり、ただ外を見とった。
「スピットファイアは心の中に庭を作った。紙に書かれた文字を読んだ。たくさん読んだ。そうやって世界の形を頭に入れたスピットファイアは、それを元として心に世界を作った。
「スピットファイアは賢き童。紙の文字で得た知をさらに大きく膨らませ、つなげた。その知恵により魔法のごとき道具を作った。
「その道具を使って、心の中の箱庭を目にも見える形にしおった。スピットファイアは夜眠る時にだけ、箱庭に遊びにゆくことができる。スピットファイアは心の中の庭で、心の中の友と遊ぶ。妖精王スピットファイアとして」
オババ氏はそこで1度溜息をついた。
そしてウォッチタワーの顔を見やった。
「……かつてヒューマンぢゃったんぢゃな、オメーさんは。ヒューマンの中でもより強き体を持ち、さらに強さを求めしヒューマン。スピットファイアは四角い板でいつも観とった、オメーさんが、偽りの闘いを魅せるところを」
ウォッチタワーはぐうと唸った。わずかに小さく、「い、偽りじゃねえし、エンタメだよ、エンタメ……」と呟いたのが俺の耳に聞こえた。
オババ氏の方はと言えば、倒れたままのスピットファイアに目をやり、
「わかったのぢゃ、ババには。我らオーク種族は、強さへの憧れによって生み出され、この世に置かれた。強き体を求めるスピットファイアによって。スピットファイアの友として創られた。ぢゃが……」
声と体を震わせ、
「火ぢゃ。火が迫った。ウォッチタワー、オメーさんが炎を突き破り、スピットファイアを抱え上げ……」
そこで話は途切れた。
それから少しの間、沈黙が流れた。
パンジャンドラムやハルは、その場にいる人々の顔をそれとなくという具合に見回している。
オババ氏が感じ取ったものとは、スピットファイア……いや、吐院火奈太という少年の前世の記憶だろう。火事が起こり、ウォッチタワーこと観音寺塔義に助けられるまでの。
しかし……この偽りのあの世とやらを、吐院火奈太が創った?
心の中の箱庭を、目に見える形に……魔法めいた道具を使って……?
「ウォッチタワーよ。伝えんけりゃあならんことがある、オメーさんに」
「な、何だい」
「これより旅に出んけりゃあならん、オメーさんは。双子山に仕掛けられた呪いが目覚めた、魔女の。それを止めるためにゆくのぢゃ。双子山で目覚めた巨虫をも倒した、勇敢なる戦士長として」
「呪い? 呪いってのは、あのエンシェントドラゴンとかいう尺取虫のことじゃ……」
「違う。呪いを真にまったきものにするために現れた、あの魔獣は。ババの耳にも届いた、あのおぞましき吠え声」
「吠え声……オナラだっつってたぜ」
「呼んだのぢゃ、あれは。魔女の呪いを。目覚めよ、と」
「いったいどういう……」
「目覚めし者を倒せ。そして帰るのぢゃオメーさんは。この箱庭から、元の、オメーさんの世界へ」
ウォッチタワーは何かを言おうと息を吸い込んだ。
だがそれよりも早く腰を浮かせた者があった。
パンジャンドラムだ。
「ちょ、ちょ、ちょ、ちょい待ち! ちょっ、ちょっと待って! マジ、あの……スピットファイアもそうだけどさ! 今、元の世界に帰んなきゃって言ったよね⁉︎ あのっ……何? あんの? 元の、地球に帰る方法が⁉︎」
パンジャンドラムは今にもオババ氏へと掴みかからんばかりの勢いだった。
いやむしろ、横たわったスピットファイアに躍りかかり、掴み上げた。
「おいっ! スピット起きろよっ! 何だ、言え! どーやるんだ! 元の世界に帰るって! ねえ!」
ぐったりしたスピットファイアを顔の前まで持ち上げたパンジャンドラムは噛みつかんばかりだった。
気持ちはわからないでもない。
彼は今まで元の世界に戻るための方法を見つけたい気持ちを、ずっと心に隠して生きてきたのだ。
少しばかり手荒な扱いに走ったとしても責める気持ちにはなれなかった。たとえ成人近いゴブリンがミカちゃん人形と会話する女児のように妖精人形に話しかけるサマに近寄りがたい風情があったとしてもだ。
俺はラリアを膝に乗せていたので立ち上がりこそはしなかった。だがぐったりした妖精の顔を電話の受話器のように耳に当てているパンジャンドラムに言った。
「落ち着こう。スピットファイアは寝かせておいてやれ」
「ロス君たまには慌てようよ」
「俺はいつだって慌ててる。ただスピットファイア……と言うより火奈太少年が言っていたろう。スピットファイアが案内するところへいって、何かを受け取れと。変に振り回して妖精にまた死なれても困る」
パンジャンドラムは手の中の妖精を眺めた。
「うーん……これがその吐院火奈太君じゃないの……?」
「たぶん入れ物だろう」
「入れ物……?」
「それについて説明してくれるのが、さっき言っていたメモじゃないかと思うが……」
そっと、スピットファイアは地面に置かれた。
ウォッチタワーもしばらくそれに目をやっていたが、オババ氏に向き直る。
「それで、オババよ。村を出て何をすりゃいいんだい、おれは? 魔女の呪いをどうにかしなきゃならねえんだろ?」
「うんむ……ババの占いによれば、どうも壊れ始めとる。この世が」
「壊れ、何?」
「正しくは、止まり始めとると言った方がいい。それが魔女の呪いぢゃ。ババにはわからぬ。ただ感じるのぢゃ。スピットファイアはもっと詳しくわかるかも知れんがこの有様……。戦士長よ。オメーさんはすぐにここを発ち、打ち砕くのぢゃ、魔女の企みを」
オババ氏はその白く濁った瞳で、戦士長ウォッチタワーをじっと見ていた。神妙に、無言にて見返すウォッチタワー。
すると、その神妙な空気を破る笑い声が聞こえた。
「ガハハハハあーよく寝たわい」
スピットファイアだ。
地面から起き上がり、伸びをした。
「うおスピットファイア……いや、火奈太……?」
「あン、なンだと?」
首を傾け骨を鳴らしたスピットファイア。
「おまえさん、あの火事で助けた子供なんだろ……?」
「なンだか珍妙な夢を見てたような気がするな。白い布のベッドに寝て、動けないンだ。別の誰かだ。別の誰かになったのに、自分がスピットファイアだとわかっている。だが別の誰かだともわかっていて、みンなが僕を助けようとしているのもわかる。わかるはずのないことがわかっている。それが夢の不思議なところ」
スピットファイアはラジオ体操をしながら曖昧なことを言うと、腰に手を当て仁王立ちした。
「さあいくぞ。なンだか唐突に貴様らをどこかへ連れていかなきゃならン気がしてきた。そこがどこか知らないのに、わかる。わかっているということだけがわかっている」
そしてふわりと浮き上がった。
俺はウォッチタワーの顔を見た。その視線を受けた彼は、オババ氏を見やる。
オババ氏はうなずいて、言った。
「かつて言ったな、オメーさんに。いつかこの村を出て2度と戻らぬ日がくると。今日がその日よ」




