第167話 こんにちはスピットファイアです
ウォッチタワーは案内役のオークをよこさなかった。
1度は行ったことがあるからと、ロス・アラモスの記憶力を信頼して、何の目印も存在しない森の中を歩いてオーク村へたどり着けると考えていたのだろうか。
……というわけでもない。
俺、左腕のラリア、パンジャンドラム、そしてハルは、巨大樹木の茂る大森林を歩いていた。
進む方向には要所要所の葉っぱの上、垂れた蔓、木の幹などに妖精たちがいて、看板を持って待っていた。
看板には鱗粉だろうか、光る塗料で矢印が書いてある。案内役なのだ。我々はネオンサインめいた矢印の方向へ進むだけでよかった。
「なんかサイバーパンク映画に出てくる繁華街の客引きみたいだよね。足組んでる奴とかいるよ」
「ロスさん、さっきの手紙、何だったんです?」
歩きながらハルに言われ、手紙のことを思い出した。
ローレルから受け取った手紙だ。
オーク村へは徒歩で移動しなければならず、早めに出立しないと日が暮れるかと思ったので、受け取ったまま読まずにここまできたのだった。
足を止めずにコートの内ポケットから手紙を取り出し、蝋のスタンプで閉じられた封を開ける。
封筒の中には手紙が1通。
「なんて書いてんの? 誰から?」
興味津々のパンジャンドラムのために、俺は文面を読み上げた。
「時間がないので要点だけ書き記す。スピットファイアについていけ」
「……うん?」
「それだけしか書かれていない」
俺の左側を歩いていたパンジャンドラムに渡す。
「……なんだこりゃ」
「でも……誰が送ってきた手紙なんでしょうね? スピットファイアの知り合いかな。名前とか書いてないです?」
「ないね」
左腕にしがみついているラリアも、その位置からパンジャンドラムの手にある手紙を覗き込んでいた。
その時、「あっ!」と声をあげた。
「どうしたラリア」
「その絵!」
ラリアが手紙を指差していたので、俺はパンジャンドラムからもらい受ける。ラリアの前に差し出すと、
「マスター、これ!」
と、文末を指差した。
文末には簡素な絵が、落書きのように書かれていた。
木の枝と葉っぱの絵のように見える。
「ツドニイの木です!」
ツドニイ……たしかラリアの主食だったか。と言うよりラリアのようなコアラ族はそのツドニイしか食べられないと聞いた。
今は俺の、何でも調理してしまう《ザ・サバイバー》というスキルでラリアの食事に影響はないが、もともとラリアはタイバーンにおいて、そのツドニイの葉が手に入らず空腹に苦しんでいたっけか。
「マスター、きっとこれ、商人さんからですよ!」
俺たちは足を止め、全員で手紙の絵柄を覗き込んだ。
「うーん……ただの木の枝の絵じゃないの? なんか、絵文字的な?」
「……いや、ラリアの言うとおりかも知れない。俺とラリアの関係性を知ったうえで送られた手紙……自分がそのことを知っている人物だとアピールする意味では……」
「差出人の名前書いた方が早くない?」
「俺は商人の名を知らない。ラリアはどうだ?」
コアラっ子は首を横に振った。
やはり、手紙の送り主はあの時の奴隷商人であると知って欲しいからこその書き方だと考えられる。
「でも何で? 何で急に手紙なんか」
「あっ……それにその商人、タイバーンにいたんですよね? 何でガスンバを挟んでペリノアドなんかに……」
ペリノアド。
この手紙はペリノアド共和国から送られたとローレルが言っていた。
俺はパンジャンドラムの顔を見下ろした。彼もまた俺を見上げている。
彼は1度ペリノアドへいったことがあるはずだった。
そこで大統領をやっている転生者が、ヌルチートを持った女に捕まっているのを目撃したと。
2人は押し黙っていた。俺は手紙を元のとおり封筒に入れてから胸ポケットにしまう。
「とりあえず先にウォッチタワーに会おう。もう少しでオーク村だ」
俺は前方を指差した。
木々の合間に、夕焼けを映しオレンジに輝く湖が見えている。岸沿いにいけばオーク村はすぐだ。
オーク村で俺たちは歓待を受けた。
湖にせり出した水上コテージ。その宴会場でご馳走を振舞われた。
魔女の企みに立ち向かい、双子山の呪いを解いたこと。その勇気と奮闘を讃えて、とのことだった。
宴会の席にはウォッチタワーもいた。
ご馳走と共に、オーク部族に伝わる客人を歓迎するダンスを披露してもらったり、パンジャンドラムやハルがオークたちと相撲を取ったり、ディフォルメを解除したラリアもそれに参加したり、たいそう騒がしい会だった。
日が暮れても宴会は続いたが、俺はラリアを置き席を外して釣殿へ移動した。
オークたちに出された酒を呑んでいたら酔いが回ったということもある。仕事終わりの飲み会が苦手なのもある。釣殿には照明はなかったが、満月が湖面に反射してほの青く、暗すぎるということもない。
床の縁に立って空を見上げた。
ブラックエッグは見えなかった。
あの子はあそこへ飛んでいったのだろうか?
親の期待に応えようと頑張って、最後には魂を失くしたアップル。
床が軋む音がしたので振り返ると、ウォッチタワーだった。
「ここにいたのかい」
俺の隣に並ぶと同じように空を眺める。
「すまねえな。騒がしい奴らで」
「悪いことじゃないさ。いいところだな、ここは」
背後のどんちゃん騒ぎとコントラストをなすように、湖面はどこまでも静謐だった。
「ああ。でも今夜が最後かも知れねえ、この湖を見るのも」
俺はウォッチタワーを見上げた。
「おまえさんたちに連絡をよこさなかったことには理由があってな。オババが占いをやってて」
「占い?」
「ああ……あのバカでけえ尺取虫。なんかでけえ声で吠えたの、覚えてるかい?」
火山の噴火口を咥えこみ、噴火の勢いを借り大音声を発したあのことか。
「吠えたんじゃなく放屁だが」
「うん。それについて、オババが何かあるって言い出したんだ。魔女の呪いは終わりじゃない。なんか、ヤベーことが起こり始めてるってよ。占いの結果が出たら、おまえさんたちにも伝えなきゃならないから、その時呼ぼうってなったんだ」
俺は釣殿の柱に肩をもたれさせた。
「では占いの結果は出たわけだ。どんな内容か聞いても?」
「明日の朝話すってよ」
「それが、君が湖を見るのが最後になることと関係が?」
「おれに言った、オババは。この村を出て、魔女の呪いを打ち砕くのだって。そんで、その戦いが終われば……おれはこの村へは戻ってこられないだろうって」
ウォッチタワーは真っ直ぐに湖を見つめていた。
その横顔を見ている時、俺の脳裏に思い出されたものがあった。
あれはウォッチタワーを魔女の館から救い出した晩のこと。
彼が異世界に転生してからこれまでの話をしてくれたことがあった。その時、彼がある日村の祈祷師からこう言われたことも知った。
おまえは特別な存在だ。
それがためにいつかこの村を旅立つ日がくるだろう……。
「あの宴会なあ。おれの送別会もかねてるのよ」
背後を振り返る。オークたちの豪快な笑い声がここにも届いていた。
「なぜ帰れなくなるか聞いたか?」
「いや」
「どこへいくんだろう」
「それも明日のことさ。ロッさんたちは? どうするんだい、これから」
「オルタネティカ帝国へいく予定になっている。魔女の研究院があるそうで、そこで魔女の情報をもらえることになった」
「魔女、か……」
「それで、スピットファイアは?」
ちょうど、その時だった。
ふたたび背後から床を軋ませる音が聞こえ、グレイクラウドが姿を現した。
「ウォッチタワー。きたぜ、スピットファイア」
「おう! ロスさん、実はもう例の砂糖を焼いて呼び出してたんだ」
ウォッチタワーはグレイクラウドの方へ歩み寄り、俺は柱から肩を離した。
「グレイクラウド、悪い、ちょっとスピットファイアと話してくるよ、おれたち」
「それが、ウォッチタワー……すぐ帰っちまったんだ、あいつ」
「ああ⁉︎」
「なんか、またくるっつってた、明日の朝。今日はダメだ、日が悪いって。それに、ちゃんと伝えられないっつってたんだ、オババと一緒じゃないとって」
「オババと一緒? 何でよ」
「さあ……それだけ言って、モモンガに乗って走ってっちまった……」
ウォッチタワーは俺を振り返った。眉をハの字にしている。俺は鼻をさすって、言った。
「こちらも別に急いでいるわけじゃない。明日の朝くるというのなら……村で待たせてもらっても?」
「もちろんだ、ぜひ泊まってってくれよ!」
「では席に戻るといい。送別会なんだ、君が主役だぞ」
「ロッさんも……」
「俺はもう少し夜風に当たるよ。すぐ戻る」
ウォッチタワーは、「すまねえな、スピットファイア、気まぐれな奴で……」と詫びて、グレイクラウドと共に戻っていった。
釣殿は再び宴会場からの騒ぎ声と、波が起こすほんの少しの水音だけに支配された。
俺は湖に映り込んだ月に目をやった。
水に映った月は、月に見えるが月ではないという話を何となく思い出した。新陰流とかいう剣法の哲学だったか。
スピットファイアは以前、この異世界を“偽物のあの世”と呼称していた。
では何だろうか? 妖精王にとってこの世界は、凪の水面に映し出された映画なのだろうか。
時には風に揺れぼやけ、はっきり見えなくなる。そう考えてみれば、あの妖精王の破綻した、はっきりとしない精神は、波に砕ける月のようでもある。
そんなことをつらつらと考えていて、ふと背後を振り返った。
そこにはもうウォッチタワーもグレイクラウドもいない。
「……モモンガに乗って走っていった……? モモンガは北海道にしか棲息していないんじゃなかったかな……」
独り言を呟いて、ポケットから最後のタバコと、アップルにもらったライターがわりの煙吹きを取り出した。
翌朝、俺たち転生者はオーク村の祭壇へ集まった。
石積みの柱が囲む祭壇内に立つウォッチタワー。足元は、酔い潰れて寝てしまった他のオークと違いしっかりしている。
ラリアは左腕から下りてディフォルメを解除し、葉っぱに乗せられたプリン状のお菓子を食べている。
作ったのはオークのシャーマン。オババ氏だ。オババ氏は今祭壇の中央で、燃える焚き火を前に座っている。
朝靄がかかっていた。
その靄が森の方から突き破られ、スピットファイアが姿を現した。
「ガハハ待たせたなゴメンチャイね」
祭壇内に飛び込んでくると、オババ氏のそばに降り立つ。
「ハハハハハハウォッチタワーこないだは大変だったなハハハハ」
地面に立つスピットファイアの目線からは、ウォッチタワーは巨人のように見えているだろう。そうやって見上げながら何が面白いのか笑っていた。
「なあスピットファイア。今日はロッさんたちが、おまえさんと話してえっていうことで集まってもらったんだ。てんせ……」
ウォッチタワーはチラリとオババ氏を見てから、
「……この世界のこととか、魔女のこととか、いろいろ聞きてえことがある」
「魔女かッ! まったくこないだはヒデー戦いだったなッ! わけもなく次から次へと美女が現れては何の理由もなく、いやないなら理由をこじつけてでもセックスしようとする。隙あらばセックスだッ! まるで他にやることがないからセックス。他にやることがあってもセックス。とにかくセックス、セックス、セックスだ。そういうことを強要する。おそろしいことだ」
「スピットファイア」俺は言った。「子供が聞いてるんだ」
「ハハハ僕だって子供さそしていつかは大人になるのさ。時間の問題さ」
スピットファイアは腰に手を当てひとしきり笑うと、
「それで、なンだったかな。そう、転生、異世界だ。今日はそれについてクチャクチャとレクチャーしようと思ってね。それでオババちゃンにきてもらったわけだけどね」
オババちゃんは座ったまま、頭部が上がったり下がったりしている。眠そうだった。
「おうスピットファイアよ。どうしてオババを……?」
「占いさ」
「占い?」
「残念ながら僕の口から話すことはできない。なぜなら僕は頭が残念だからだ。というわけでオババちゃン始めようよ」
声をかけられたオババ氏はハッとしたように顔を上げると、何事かムニャムニャと唱え始めた。
それは時間にして、1分ほどだったろうか。少し長いと感じるほどだった。
だがやがてスピットファイアが痙攣を始めた。あげく白目を剥き、我々が見守るなかブッ倒れてしまった。
「お、おいスピットファイア……!」
ウォッチタワーが駆け寄ろうとした……が、それより早くスピットファイアはむくりと上体を起こした。
そして……。
「みなさん……聞いてください……僕です……スピットファイアです……」
スピットファイアは目を見開き、口は引き結ばれていた。
口を開けていないのだ。口を閉じたまま喋っている……わけではない。
喋ったのはオババだった。
オババがスピットファイアの声で喋っているのだ。




