第十六話 みすぼらしい眠り
焦燥とともに俺は目を覚ました。
正確には、覚醒した瞬間焦燥感に襲われた。
まずい。今何時だ? 目覚ましのアラームは鳴ったのか? それともセットしないまま寝たのだろうか? 今日はたしか休日ではなかったはず。連絡もなかったのだろうか? スマホはどこだろう、テーブルの上に……。
手を伸ばして叩いた先は石畳だった。
目が痛い。眩しくて目を開けられない。
暖かさを感じるが、布団ではない。日差しの熱だ。
俺は強烈な光を手で遮りなんとか瞼を薄く開く。
俺がいたのは安アパートの一室ではない。寝慣れたベッドでもない。
そこは異世界の、アルバランの町の細い路地だった。
3メートルほどの幅の路地。建物の間だった。そこへ朝日が差し込んでいる。
思い出した。
俺は昨晩エンシェントドラゴンを退治したあと、夜の町をさまよって宿屋を探したのだった。
だが相変わらず通行人たちはタイバーンと魔王軍の関係がどうのここはアルバランの町です云々と要領を得ず、仕方なくここで野宿したのだ。
俺はもぞもぞと情けなく起き上がりあぐらをかいた。下を向いて目をしばたかせる。
「……何だ。焦って損した……」
会社に遅刻したかと思った。
だがそうではないと知って安堵する。
いや違う。
安堵したのは会社に行かなくていいという事実にか。
俺は立ち上がった。伸びをして硬い石畳でこわばった体をほぐすと、冒険者ギルドへ向かった。
「……結局は出勤するんだな」
そう独りごちながら。
冒険者ギルドの食堂で朝マクドーナルならぬ朝ギルドをキメようと考えていたが、カウンターには誰もいなかった。
受付嬢もいない。無人だった。
壁の掲示板をしばらく眺めていると、入り口から3人の人物が入ってきた。
パシャールと、受付嬢。そして見知らぬ女が一人。
女は長い髪を後ろでまとめ、眼鏡をかけていた。ジャケットにタイトスカート。デニールの薄い黒のストッキングが扇情的な美女だった。
中世ヨーロッパ風のこの世界の中で、彼女の姿は近代的なオフィス街の社長秘書を連想させた。
「ロス! ここにいたのか」
「探したんですよロスさん!」
パシャールと受付嬢が俺に駆け寄りそう言う。
俺は彼らを振り返った。
何か気の利いた朝の挨拶をしようと思ったが特に何も思いつかなかったので無言を貫く。
すると社長秘書めいた美女が話しかけてきた。
「はじめまして、ロス・アラモス様。私は王宮秘書官、アナスタシア・サンボーンと言います。昨晩は大変なご活躍だったそうですね」
王宮秘書官とはいったいいかなる職業なのか想像もつかなかったが、俺はそこに言及しない。彼女がしたいのはそんな話ではないだろうからだ。俺ほどの男ともなると会話しないということを会話へつなげることができるのだ。
「航空兵団のコシード隊長と、魔砲部隊ジュサメッペロン隊長からうかがっております。アラモス様は昨晩、エンシェントドラゴンを討伐してから王宮へ戻るよう言われながらも、夜の町へと姿を消したと」
しかしそれはテレパシーのようなオカルトの話ではない。経験と洞察からくる未来予測だ。相手が話す言葉よりも、彼我の関係から話されるであろう内容を推察し、その流れを汲み取る。言葉より饒舌な男、ロス・アラモス。俺はほくそ笑んだ。
「……っ! な、なるほど。殿方たるもの、夜の町へ繰り出し、その……お愉しみと呼ばれることを行なうのは、自然なことかも知れませんね」
「エンシェントドラゴンをぶっ殺したあと娼館へ直行してもうひと暴れか。さすがはロス・アラモスだ、俺にはとても真似できねえ」
「男性って危険に直面するほど性欲強くなるって言いますもんね」
アナスタシアはしばし顔を赤らめていたが、眼鏡をくいと上げて話し始めた。
「しかしアラモス様。国王陛下はドラゴン討伐の報告を、アラモス様自ら行なうことを所望されております。一度王宮へお戻りに……」
「どうしてその必要が?」
俺は掲示板に目をやって言った。シャイニング・マツタケのクエストがまだ貼られていた。
「アラモス様……?」
「ドラゴンは死んだ。レイチェルもDJもそれを見ていた。脅威は去って、それは伝えられた。ならもう俺の出る幕はない」
「しかし報酬もお渡ししなければなりませんし……」
「それはこのギルドにでも振り込んでおいてくれ」
「アラモス様。陛下はこのたびのドラゴン討伐成功にたいへんお喜びになられています。アラモス様に深い感謝の意を示すためにも、王宮において宴を催したいと……それに、報告によればアラモス様は昨夜、何やらたいへん激怒されていたとか。何か私どもに非礼があったのであれば、それについても正式謝罪をさせていいただきたく……」
「プライベートなことだ。忘れてくれ」
マツタケの隣の、ゴブリン討伐の紙を剥ぎ取った。そうしてギルドの出口へ向かう。
「パシャール。西へ行ってくる」
「ロス、宴は……」
「アラモス様、国王陛下のみならず、王女殿下もあなたにお会いしたいと……」
扉を押し開いて外へ出る。開いた瞳孔に朝の光が飛び込み俺は目を細めた。扉の向こうから、
「なんて男だ、魔獣に苦しめられる人々を全て救うまで奴には安息の時などないんだ。さすがはロス・アラモ……」
何か聞こえていたが、やがて俺の歩みに合わせ遠ざかっていった。
港の手前に市場がたっていた。
そうじゃないかと思っていたのだ。何せ貿易のための港なのだろうから。
立てられた柱に天幕を張ったテント。それらが広い通りに無数に並ぶ。テレビで見たイタリアみたいだと思った。
周囲の建物にはエンシェントドラゴンによる火災の爪痕がみられた。
しかしそれでもアルバランの人々は活気を忘れない。エプロンをつけた太ったおばさんとか、エプロンをつけた痩せたおばさんとかが、市場を歩く通行人に威勢よく呼びかける声が響く。
タフな街だ。
その出店を回り、リンゴを一つ。魚を一匹。そして俺は市場を突っ切り港へ向かった。
港のあちらこちらでは半裸の男たちが散見された。
彼らは丸太を担いだり、板を担いだり、はたまた何も担いでいなかったり、各々そうして荒れ果てた港をせわしなく動いていた。
手に金槌やらノコギリやら持っている者もある。建設労働者だろう。早くも復興作業を開始しているというわけだ。
俺はエラに紐を通した魚を右手でぶら下げ、左手にリンゴを掴んだ格好で辺りを見回す。
意味のないことだと思いつつ港の一角に目をやる。焼け落ちて柱だけとなった建物がある。
リベレイトエンジェルの事業所だ。
そこにはいないのはわかりきっていた。
「ロス!」
背後から声がかかった。
振り向くと、労働者たちの隙間をすり抜けながらレイニーが走ってくるのが見えた。
「君、こんなところで何してるの?」
彼女は俺の前までやってくるとそう尋ねた。険のある目つきと、咎めるような声音で。
俺は答えた。
「朝港さ。ラリアを見かけなかったか?」
「どうしてそんなことが気になるの? 置いていったくせに」
俺は右手に持った魚を見下ろす。
何かを言おうとしたのだが、何を言おうとしたかを忘れた。
たとえそれが何であれ、言葉を話すにはタイミングが必要だ。
レイニーの瞳を見ていると、そのタイミングを掴むタイミングが掴めない気がした。
するとレイニーの向こうからモヒカンのゴンザレスが、ラリアを連れてこちらへやってきた。
ラリアは俺を見上げながら小さな声で、
「マスター……」
そんなラリアは手にボールを抱えていた。
おそらく昨晩事業所から焼け出されたラリアに、レイニーとゴンザレスは付き添っていたのだろう。そしてこの3人は、ボールで遊んだりなんかしていたんだろう。
ゴンザレスが言った。
「参ったよロス。リベレイトエンジェルの移送船が、昨日のあれで燃えちまったんだ。しばらく船はだせねーってさ」
ゴンザレスは親指で、焼け落ちた事業所を指した。
焼け跡の前にインドのターバンめいた帽子を被った男が座り込んでいるのが見えた。
見覚えがあった。昨晩、燃える船の前で泣きわめいていた男だ。その悄然と座して地面に視線を落とす姿は、不思議と競馬場の前の光景を連想させた。
「あの人がリベレイトエンジェルの、アルバラン支部長さ。移送船の所有者。大枚はたいて手に入れた船が灰になって、ずっとあの調子さ」
「じゃあラリアはどうなる?」
俺はラリアに目をやった。ラリアはうつむいてボールをいじっていた。レイニーが口を挟む。
「どうもなりはしないよ。新しい船が手に入るまでどこにも行けない。移送事業は民間の団体が善意でやってる。活動資金はほとんど寄付なんだよ。ゴースラントまで行ける大きな船を建造するにはお金がかかるけど、そんな費用、今のリベレイトエンジェルに出せるかどうか……」
レイニーはラリアの髪を優しく撫でた。
「それは大変だな」
俺はそう言ってリンゴにかじりついた。
朝の光の中、港でリンゴを丸かじり。もっとワイルドでタフな姿になるかと思ったが、実際には果汁が漏れてつま先にかかりそうだったので、慌てて首を突き出しアホみたいな姿勢になった。手首から果汁が肘まで伝わりそうだったので手を振って払う。指から滑ってリンゴが飛んでいった。
「他人事みたいに言うんだね」
「寄付すればいいのか? するだけならできる。ドラゴン退治の報酬をくれると王の使いが言っていた。それだけじゃない。王は俺の功績を讃え娘を嫁にくれるそうだ。娘をくれるんなら船もくれるかも知れないぞ」
レイニーとゴンザレスは口をあんぐり開けて、それから互いに顔を見合わせた。
「ロ、ロス、今のマジか? 姫様をお嫁さんにもらえるって……」
「ちょ、ちょっと待って! 仮にそうだとしてもさ、船を建造するには時間もかかるんだよ! ラリアちゃんはツドニイの葉しか食べられない。その間はどうするって言うのよ!」
《ハードボイルが発動しました》
《ザ・サバイバーのスキルが発動しました》
俺は魚をラリアの前に突き出す。どういう原理なのかはさっぱりわからないが、魚は焼き魚になって湯気をたてていた。
ラリアはしばらく魚と俺の顔を見比べていたが、ゴンザレスがボールを受け取ったので魚に手を伸ばす。
「お、おいしー! コクがあってまろやか、口の中でふわっと広がり、かつ優しい味がするです!」
ラリアは往来の真ん中で魚を喰らい尽くすと、
「マスター、ありがとうです! お腹いっぱいになったです!」
と笑った。
「問題は」俺は視線を逸らした。「解決したな。船ができるまで俺がここへ食べ物を運べばいい。金はギルドに振り込むように言っておいた。そこからリベレイトエンジェルに寄付すればいい。それじゃあな」
俺は彼らに背を向けた。
「ロス、どこ行くの?」
「クエストだ。ゴブリンを殺る」
「えっどうして?」
振り返るとレイニーとゴンザレスがぽかんとした顔をしていた。
「君、報奨金をもらえるんでしょ? なんでゴブリンの討伐なんか……それに、その……姫様。セシリア様と婚約したんじゃ……?」
「そうだぜ。セシリア様と結婚するっつーことは、何て言うの? 何かしらいい身分になって、上流階級になるってことじゃねーのか?」
二人は困惑しきりといった顔だった。その横でラリアが事態を飲み込めていないのか、我々の顔を見比べている。
「ゴブリンなんか、いや、冒険者なんかやらなくていいんじゃねーのか。なあロス。セシリア様と結婚するんだろ?」
俺は言った。
「いいや」
そして港を後にした。




