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第162話 雪


 ウォッチタワーの顔の高さで止まったスピットファイア。


 少しぽかんとした表情で止まっていたが、みるみるうちに憤怒の形相となり、


「いかーーーーンッ!!!!! そンなことすれば、森が焼かれてしまうッ! 森に生きる動物も植物も死ンでしまうーッ!!!」

「わかっているスピットファイア。だが何もしなければ、君の友だちのウォッチタワーも死ぬ。君は1人で飛んで逃げられるからいいだろう。君が生きていれば結界も維持できる。だがウォッチタワーは死ぬ」


 スピットファイアを見つめる俺の視界に、こちらを見上げるパンジャンドラムの顔が入っていた。

 ひょっとしたら彼は、俺が卑劣だと言いたいのかも知れない。小さな妖精相手に人質の存在をほのめかして困らせるロス・アラモスのことを。


 俺は言った。


「とにかくまずこの状況を脱するんだ。そのあとで何とか装置を空に飛ばす方法を考えよう。雨を降らせれば消化の助けになる。だがここではどうしようもない」


 スピットファイアは唸っていた。

 空中で、ウォッチタワーの顔を見たり、はたまた手元の装置を見たり。そうして唸っていた。


 俺の右腕でホッグスが迫る溶岩をチラチラと見ているようだった。たしかに迷っている余裕は残されていない。


 ふと。

 背中が軽くなった。


 俺の脇をすり抜け、アップルがスピットファイアに近づいた。


 止める暇もなかった。アップルは気候変動装置を引ったくり、左脇に抱えると山の上へ駆け出した。


「こらッ、ガキンコ何をする!」

「アップル、やめろ!」

「くるならきてみろ〜ッ! 私にはまだヌルチートがあるんだぞ〜ッ!」


 アップルは立ち止まって俺たちを睨んだ。

 彼女は半身で立ち、装置を抱えた左手側をこちらに向け、右腕のヌルチートはローブの向こうに隠してはいたが、それをいつでもこちらに向けられるという意思を見せていた。


「スピットファイア〜……他の人はまだしも、あなたはヌルチートを向けられるだけで死ぬんでしょ〜? あなたが死ねば、結界は崩壊する〜……そうすれば、ガスンバは火の海になる〜……!」


 固まったスピットファイアとウォッチタワー。

 パンジャンドラムとハルは俺をチラ見している。正確にはラリアかホッグスのどちらかだろう。


 エルフが一歩、前に進み出た。手にはすでにレイピアが握られていた。


「……転生者ならね。でも私は違うわよ。スピットファイアはどこかに隠れればいいし、そのヤモリも切り刻んでみせる。装置を返しなさい」


《ミステリアス・エルフは剣鬼(ソードパラノイア)のスキルを発動しています》


 だがアップルはそんなエルフを見てニヤリと笑うと、駆け出した。


「待ちなさい……ッ!」

「マスター、ボクいきますッ!」

「ああ……!」


 走り出したエルフ。俺はラリアを投擲する構えを取った。


 だがアップルが向かったのは山頂方向でもなく、俺たちの方に走ってくるわけでもない。


 アップルは俺から見て左に走っていた。

 そこにあるのは、溶岩の川。


「まさか、投げ込む気かッ⁉︎」


 パンジャンドラムの声が聞こえた。一瞬俺はラリアの投擲を躊躇した。

 アップルが川に接近しすぎていたのだ。あんなところへ投げ込んで、まかり間違ってラリアが川へ落ちたら……。


 アップルはジャンプした。

 溶岩の川の上へ。


 そして背中の、蛾の羽根を羽ばたかせようとした。

 だが無理だ。アップルの右の羽根は損傷しているのだ。

 飛べるわけが…………。


《アップルはライター・ザン・エアーのスキルを発動しています》


 アップルのローブの裾が風船を作り出した。

 アップルは笑っていた。

 俺を見て笑っていた。


「このスキルも〜……お母さんにもらったんですよ〜……」


 そして、彼女は上昇を始めた。


 溶岩の熱だ。

 アップルは溶岩の熱の作り出す上昇気流を捉え、羽根の羽ばたきも加えて熱気球のように空へ飛んでいく。


「うう、どうしよう、逃げられちゃうわ!」

「あっ、あの、魔法で撃ち落とせば……」

「慌てるなーッ! 結界があるッ! 遠くへは逃げられン、僕が追う……」

「待て、みんな」


 浮遊するアップルは溶岩の川を挟んで、俺たちから距離を取ろうとする動きはしていなかった。


 ただ真っ直ぐ、空へ上がっていく。

 その先には積雲。


「まさかあの子……装置を運ぶ気……⁉︎」


 アップルは、稲妻の走る雲に飲み込まれ見えなくなった。


 やがて。


「いてっ」


 パンジャンドラムが小さく声をあげた。

 そちらを見ると、彼は片手で頭を押さえつつ、しゃがんで何かを拾った。


 立ち上がった彼の手のひらの上には、小さな白い粒。


「……雹だ」


 バラバラと音を立て、辺りに雹が落ち始めた。


「うわっ危なっ!」


 これはハルの声。何かが地面に直撃した音と共に慌てたように飛びのいて、


「でかっ! 今の、サッカーボールぐらいありましたよ⁉︎」


 他にも幾つかの雹が、ガツンガツンと音を立て、周囲の岩にぶつかり跳ね飛んでいる。


 空を見上げた。

 雲は、無数の白い粒の向こうに見える。


 落ちてきているのだ。大きな氷の塊が、数え切れないほどの数で。


「あっこれヤバくないですか……?」


 ハルがぼそりと呟いた。


《パンジャンドラムはレギオンを発動しています》


 大量のゴブリンズが出現した。互いに肩を組み合い、さらにその肩に他の者が乗り、また肩を組み、壁のようなものを形成していく。


「みんな、中入って!」


 ゴブリンズはかまくらのようなドームを作ろうとしているのだ。すでに天井部分はできあがり、パンジャンドラムは俺たちをそこへ誘導する。


 俺たちが収納されると同時に、ゴブリンズは入り口にも密集するようにしてふさいだ。

 間を置かずして、天井部から何かがぶつかり続ける重い音が聞こえ始めた。


 パンジャンドラムはドームの中で絶えずゴブリンズを出現させ続けた。

 おそらく天井の、表層のゴブリンズが死んでいるのだ。天井部の隙間から血が滴り落ちていた。ゴブリンズは死ぬと姿が消える。だから随時ゴブリンを補給することで、天井が消滅するのを防いでいた。


 ゴブリンドームは自然と移動もしていた。

 スクラムを組んだゴブリンズは斜面の上方向へ向かい歩き続けているので、中の俺たちもそれに合わせて登る。たぶん、斜面の下から溶岩がせり上がっているためだろう。


 どのぐらいそうしていただろう。

 やがてゴブリンドームに叩きつける雹の音がやんだ。


 天井に隙間が空き、そこから1匹のゴブリンが顔を出して、パンジャンドラムにグワグワと鳴いている。

 それを受けて、《レギオン》が解除。ドームは消滅した。


 最初に目に飛び込んだ景色は、火口の淵だった。

 我々はそこまで歩いたのだろう。次に斜面の下へ目をやると、山肌を覆っている黒い塊。


 溶岩の川が冷えて固まっていた。

 結界の辺りの蓄積した溶岩はまだ完全には冷え切っていないためか、少し亀裂が入って赤いものが中から覗いている。それでも、動きは止まっていた。


「やったぜ! 上手くいったぞ!」

「一時はどうなることかと……」


 俺は火口へ目をやった。

 新しい溶岩が流れ出てくる気配もない。

 エルフも、俺の隣にやってきて火口を覗き込んでいる。


「止まったな……噴火」

「…………たぶん、最後のヌルチートが死んだからよ」


 そう言えばエルフは、ヌルチートの体を構成するジェミナイトが、火山の鉱石を刺激して火山活動を活発化させていると主張していたっけか。


 それで思い出した。俺は空を見上げた。


 分厚い雷雲は散り散りとなり、晴れ間が広がりつつあった。それでもチラホラと雪が降っている。


 その雪にまじり、落下してくる者がある。


《ウルトラスプリントのスキルを発動しました》


 俺はその落下地点へ走った。

 冷えた溶岩の上へ乗る。まだ熱は残り、靴の裏には熱さを感じるし、足場はブヨブヨとへこみもした。


 それでも俺は落下地点に間に合った。

 落下してくるのはアップル。俺は大きくジャンプして、アップルをキャッチ。


《ゼロ・イナーティアのスキルが発動しました》


 アップルの落下慣性を殺しながら、冷えた溶岩の上に着地。


 腕の中のアップルは目を閉じていた。

 青色の髪にもまつげにも霜が降りている。


 右腕のヌルチートはダラリと下げられていたが、ヤモリ自体は凍りついて固まっていた。


 そしてその姿は消えていき、あとにはアップルと、氷の破片が日の光を反射する煌めきだけが残された。


 晴れ間の雪は、もう少しだけ双子山に降り続いた。



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― 新着の感想 ―
[良い点] アップルさん。その行いと添えられる言葉の引き裂かれるような食い違い。あべこべな現実が反響するそのわずかな間、アップルさんは誰よりも自由だった。
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