第161話 傀儡、あるいは代理人
瓦礫を登り、アップルに近づいた。
彼女は俺が歩いてくるのに気づいているはずだが、こちらを見ようとはしなかった。
アップルの右腕と化したヌルチートもだ。彼女はただ黙って、瓦礫の縁を見ている。
そこには建造物の残骸を積み上げ続ける何匹かの大蟻たちがいた。
蟻たちはまるで、ヌルチートの卵産み機である柱と、アップルが溶岩から逃れられる足場を作ろうとしているように俺には思えた。
そうして、1匹、また1匹と、溶岩に呑まれ燃え尽きていく。
「アップル。いこう。ここは危険だ」
隣に立って、俺は彼女にそう言った。
彼女は1度は俺をぼんやりとしたまなこで見上げたが、次にその視線を、ドラゴンへと移した。
当初ウォッチタワー&スピットファイアというガスンバコンビの残虐ファイトからのたうち回って逃れようとしていたドラゴンだったが、今はその動きも弱まっている。
ハルがすでに《ドラゴンウォール》の中に入って魔力を吸い上げているせいもあるだろう。
エンシェントドラゴンは力尽きつつあった。
「……仕方ありませんよね〜……」
アップルが言った。
「目覚めたばかりで、食べるものもないのに……あれだけマナを暴走させれば〜……それに……私たち〜、合成魔獣だから〜……」
ドラゴンの、炎の体のことを言っているのだろうか。それに合成魔獣。もともと耐久力が低いという噂を聞いたことがある。
彼女は続けた。
「ロスさん〜……知ってますか〜? 尺取虫が……大人になったら何になるのか……」
「……蛾だ」
「……そうです〜……私と同じ〜……」
アップルはエンシェントドラゴンを見つめ続けていた。
ハルが砂嵐となって《ドラゴンウォール》の外側に出たようだ。エルフに駆け寄り、装置を手渡されているのが見えた。
「……私〜……私たち、ひょっとして上手にできませんでしたか〜……? 上手くやれてた……つもりだったんですけど〜……でもダメだったから……燃えてるんですよね……みんな……」
パキリパキリと、蟻の体が軋む音が絶え間なく聞こえる。
俺にはわからなかった。
あの尺取虫は、噴火口で何かをやっていた。
噴火の力を用い、盛大に屁をこくことで、何かを成し遂げたのだと思う。
その何かが何かも俺にはわからない。
だが。アップルが問うていることはその成否のことではないのだろう。
これが、今起こっていることが、成功だと仮定すればなおのこと。
アップルは言った。
それは囁くような、かすれるような声で、辺りは溶岩がゴボつき爆ぜる音と、山の鳴動が支配していたが、それが何だろう? 俺には聞こえた。
「……お母さんはもうここへは帰ってきませんか?」
…………………………。
《怒髪天衝が解放されました》
「マスター、マスター!」
「ロス、まずいのである、溶岩が……!」
周囲を見やれば、溶岩はすでに瓦礫の周りを埋め尽くしていた。
「退路がないのである!」
「……だったらどうした」
「はあ⁉︎」
「少佐。悪いが右腕に移ってくれ。アップルを背負う」
ホッグスが素直に移動してくれたので、俺はアップルに背を向けてしゃがんだ。
アップルは逡巡していた様子だったが、ラリアが厳しく促したので、やがて背におぶさってきた。
「マスター、どうするですか……?」
「エルフが水を欲しがっていた。だからこれから水を作る」
立ち上がった俺は、エンシェントドラゴンたちがいる方へ歩き出した。
『あなたのステータスの精神力値がオーバードライブしています。ハードボイルの出力が320%向上』
「マママスター、危ないです、そこ溶岩……」
「知ってるか、ラリア。大火事のあとには雨が降るんだ」
「雨……」
「火で温められた空気が空に昇って、雲を作るんだ。上で冷えたら、水になる」
《ハードボイルが発動しました》
俺は両手からマイクロウェーブを放射した。
まずは前方。
溶岩の流れが青い光に切り裂かれていく。
「すごいです、道ができてるですよ!」
「な……まさか、溶岩を蒸発させとるのであるか⁉︎」
溶岩の消え失せた地面に、瓦礫から降り立った。
両サイドから流れ込む溶岩も、両手からの《ハードボイル》で蒸発させていく。
俺はその中を歩いた。
「こんなことは奇跡である!」
「こっちが全然熱くないのがまた不思議ですね!」
背中のアップルは何も言わなかった。
ただ黙って、俺の背におぶさっていた。
俺が父親の背中におぶさったのはいつぐらいまでだったろうか。
記憶にない。
俺は言った。
「アップル。君は成功した。きっとそうだ」
それは何の慰めにもならないことはわかっていた。
成功したから、アップルは、魔女の子供たちは、溶岩に巻かれているのだ。
「……家を出る時がきたんだ。何か新しいことを始めよう。君は大人になったのさ」
川の中の空白の道を歩ききり、俺は《ハードボイル》をやめた。
向こうでは、力尽きたエンシェントドラゴンが完全に動きを止めていた。
俺たちがウォッチタワーたちのところへ戻った時、エルフが円筒形の気候変動装置を地面に立てようとしながら、何か唸っていた。
「エルフ、どうした? お膳立ては済んだぞ」
上を見上げると、分厚い積乱雲ができつつあった。
ただでさえ高温の溶岩が、《ハードボイル》で蒸発までしたのだ。温められて上昇した空気は上で冷やされ、局所的に垂れ込めた暗雲が双子山を覆っていた。
見上げた雲はすでに放電すらしていた。
「うう、ダメだわこりゃ……」
「どうした?」
「この装置、下からエネルギーを噴射して雲まで飛んでいく仕組みなのよ……でもその噴射装置が動かないわ。壊れてるみたい……」
周囲を見渡すと、溶岩のプールは下からせり上がり、俺たちまで目と鼻の先といった具合。
「よっしゃ! 1発ブン投げてみるか、おれが!」
言うが早いか装置を鷲掴みしたウォッチタワー。上空へ向け投擲の構えを取り、
《ウォッチタワーはザ・マッスル・テストステロンマッドネスのスキルを発動しています》
投げ上げた。
装置は空に吸い込まれるように高度を上げ、雲に迫る……かに思われた。
だが途中で運動エネルギーを失い、落下してきた。
ウォッチタワーは装置を難なくキャッチしたが、
「くそ、思った以上に高えぞ、雲……」
「ガハハ僕に任せろ」
今度は妖精のスピットファイアが装置の上部の細いパイプを掴み、羽根の羽ばたきによって持ち上げた。
そして上空へ向かって運び……。
10秒ほど経っても、スピットファイアはまだ我々の目の前にいた。
浮いてはいるし、スピットファイアは顔を真っ赤にし羽根を高速で動かし、上昇もしているのだが、とにかく遅かった。
「オ、オイ、スピットファイア、気合入れろよ! 根性見せろ!」
「おご、重い……」
「ちょ、ちょい待ちスピットファイア。《ザ・マッスル》使おうよ。何で自力で上げようとしてんの……」
そう言ったパンジャンドラムの方を、スピットファイアは真顔で振り向いた。
「ザ……なに? なンだそれは……」
「えっ何って……パワーのスキルだよ。転生者に備わってる……」
「ガハハハハハ」
顔を真っ赤にしたままなぜか笑うスピットファイア。
「ああ、あれか! パワーのスキルね! そういう設定のアレねそうそう作った作ったそンなンガハハハハハ……僕は転生者ではない」
微妙に上昇していくスピットファイアを中心に、転生者はそろって訝しげな顔になった。たぶん俺もそうだろう。
「や、転生者じゃないって……」
「おうスピットファイアよ。おめえさん、あの時火事で死んだ男の子なんじゃ……」
「僕は死ンでない。死ンでないということは転生はできないわけでね」
「い、生きてんのか⁉︎」
「じゃ、じゃあ何でここに……転生者じゃないなら何なわけ⁉︎」
「僕は、スピットファイアは化身さ。もう1人の自分さ。たしかにヴァルハライザーの世界は死者の魂を保管する場所。けど魂をヴァルハライザーに移すのなンか死ンでなくてもできるわけでね。魂とはしょせン情報にすぎないわけだからしてね」
独りよがりな話し方をしながら、スピットファイアはやっと、ウォッチタワーの顔辺りの高さまで浮揚した。
「な何言ってんの、ヴァルハライザーって何……」
「待てパンジャンドラム」俺は言った。「スピットファイア、要は君はそれ以上の力を出せないということか?」
「まあね。でも一応努力はしてるわけでね。そこを評価してもらいたいわけでね」
「だがこのままでは君が雲まで上がるより、溶岩が上がってくる方が早い」
一同は下からせり上がってくる溶岩を振り返った。
もうすぐそこだった。あと5分もすれば、俺たち全員骨も残らず焼却されるだろう。
「ど、どーすんだよこれオェ! 何とか装置を上げる方法は……」
「諦めよう、ウォッチタワー」
「何⁉︎」
弾かれたように振り向いたウォッチタワー。
俺は言った。
「スピットファイア、結界を解除しよう。風呂の栓を抜いて溶岩を解放するしかない」




