第155話 走れアラモス
100メートル走というやつの面倒なところは、ある段階から急に失速し始めるということだ。
もちろん俺はガスンバの、ひいては世界の未来のために最大限努力はしていた。70メートルを過ぎた段階で脚の力は抜け始めたが、それでもあらん限りの力で走った。
俺の犯した最大のミスは、俺の位置からエンシェントドラゴンとパンジャンドラムたちのいる場所まで300メートルあることを考慮に入れなかったことだ。完全にペース配分を誤っていた。
膝は上がらないし、息は吸っても吸っても酸素が入ってくる気がしない。
「ロス、もっと速く走るのである!」
少佐の檄が飛んだ。パンジャンドラムンティウスはすでに十字架から降りていたが、それでもアラモスに立ち止まることは許されなかった。
顔を上げることすら億劫であるのを押してエンシェントドラゴンを見据える。
すでにウォッチタワーがドラゴンに到達していた。
勇敢なるオークの戦士長ウォッチタワーはそのプライドにものを言わせて全長200メートルの尺取虫に組みついて、ストップをかけようとしている様子だった。
もちろん俺の頭の中に、彼が《ザ・マッスル》スキルを発動した旨が知らされてはいた。
だが、だ。
ドラゴンに充分に近づいたウォッチタワーだったが、組みつこうとするたびに弾き飛ばされていた。
《ドラゴンウォール》だ。
あらゆる干渉を無効化する、エンシェントドラゴンに備わった魔法の壁。
ウォッチタワーはそれを知らないのだ。何度も突撃してはいるが、その都度ドラゴンの周りに光の波紋が浮かび、ウオッチタワーを退けていた。
ウォッチタワーとパンジャンドラムからだいぶ遅れて、ハルが斜面を駆け上がっているのが見える。手には誰かから借りたのだろうか、剣を握っている。
ハルはプロだ。冒険者学校卒のエリートであり、エンシェントドラゴン討伐の経験もある。彼が追いつきさえすれば、あの尺取虫の命脈は尽きたも同然だった。
だが……。
《不正な妨害が行なわれています。ウォッチタワーはスキルを発動できません》
《不正な妨害が行なわれています。パンジャンドラムはスキルを発動できません》
《不正な妨害が行なわれています。ハル・ノートはスキルを発動できません》
俺の前方を飛ぶ、蛾へと変態(もちろん性癖のことではない、体が変化する方だ)を果たしたアップルが、どんどん転生者たちに近づきつつあった。
すでに彼女の右腕から生えたヌルチートの視界に入ってしまったのだろう、遠目にも、転生者たちが周囲を慌てたように見回し、そしてアップルの姿を認めた様子だった。
ドラゴンに近づきすぎていたウォッチタワーは急いで逃げるためか、ドタバタと斜面を転げ落ちている。
スピットファイアが死んだ知らせがないところを看ると、またどこかに隠れているのだろうか?
「やメて〜ッ! 私ノ兄弟に触るナ〜ッ!」
宙に羽ばたくアップルから雷が放たれた。
空気中をジグザグに走る稲妻の狙いはけして正確ではない。転生者たちは転がっている岩などに隠れやり過ごそうとしていた。
《スピットファイアはマナ・キングのスキルを発動しています》
やはり妖精王はどこかに隠れているのだ。突然強風が、転生者たちのいる岩の辺りからこちら側に向けて吹き始めた。
風は砂埃を巻き上げ吹き荒れていた。それでも蛾の羽ばたきを乱すには不充分なのか、アップルは向かい風のなか飛び続ける。
さらに雷。
吹き荒れる砂嵐に金色の毒鱗粉の雲が混じり、落ちる稲妻の雷光が煙のような粒子の幕をストロボめいて照らす。
当初風は、アップルとその背後にいた俺の方へ吹いていた。だがアップルが転生者たちとエンシェントドラゴンの間に割って入ると、そちらの方へ吹き始める。
俺から見て右から左。山頂の方へ吹き上がっていた。
ホバリングするアップルをはたき落とすほどには風力はない。スピットファイアは何を目的に風を吹かせているのか。
《ハル・ノートはプロジェクト・フィラデルフィアを発動しています》
理由はすぐにわかった。
砂埃が厚い。すでに吹きさらしに合うアップルの姿は埃の向こうに隠れ始めていた。
アップルの背後まで埃をいき渡らせることで複眼のヌルチートの視界を遮りたいのだ。
俺の予想したとおり、アップルのすぐ後ろの砂埃に人型のシルエットが出現。間違いなくワープしたハルだが、ハルとわからないほど砂埃は厚い。
《ハル・ノートは無詠唱のスキルを……》
シルエットが右手を振り上げた。光の爪だ。
しかしシルエットは急にバランスを崩し、地に落ちた。
砂埃が晴れる。
ホバリングするアップルの下に、血を吐いてもがくハルの姿があった。
走る俺にしがみついている獣人2人が言った。
「やや⁉︎ 痩せた人が……」
「マスター、ハルの野郎どうしたですか⁉︎」
毒鱗粉だ。
スピットファイアの風が裏目に出た。アップルの後ろへと吹いている以上、背後から現れれば風に流された毒鱗粉をモロに浴びてしまう。
というような名推理を披露し2人にマンスプレイニングしたかったが、走りすぎて呼吸がままならない。
やっとのことでパンジャンドラムたちまで残り50メートルほどになった時。
「転生者メ〜……お母さんの邪魔はサせない……それ以上近づイたらこノ人を殺してヤる〜ッ!」
ハルの頭上で毒鱗粉の雲から、威嚇のように放電させたアップル。
俺はアップルに叫ぼうとした。だが声が出ないもので、
「やいアップルちゃん! そいつだって転生者なんだぞ! 魔女は転生者を女とくっつけたがってるんじゃないのか!」
パンジャンドラムに代弁してもらった。
「……1人2人なンて誤差です〜……お母サんの言ったこトが正しいなら……こレから転生者はもっと増える……! もっトたくさんの異世界人を、お母さんハ呼ぶんだ〜ッ!」
……もっと増える?
お母さんが……魔女が呼ぶ? 異世界人……転生者……つまり……?
質問しようにも声が出ない。口内はほとんど粘膜を失い喉の壁同士がへばりついていた。
俺はついに立ち止まった。
山頂を見上げれば、尺取虫は噴火口までもう指呼の間。
「ぬオーーーーッ!!! なンとかするンだーッ! あの尺取虫に何かをさせてはならーーーン!!!」
スピットファイアの声は、どうもウォッチタワーが履いている腰蓑の中からするようだ。股間の辺りに隠れているらしい。
なンとかと言われてもいかんともしがたかった。
尻尾の魔力供給獣を赤く光らせ、放電を強め威嚇するアップル。
右腕にはヌルチート。両目は複眼。死角はない。
「マスター、ボクが……」
ラリアはそう言ってくれたがいいアイディアではない。
アップルの足下に転がっているハル、死んではいないようだが血を吐いている。
アップルの周囲に展開する毒鱗粉の雲のためだ。あの中に小さなラリアを投げ込むわけにはいかない。
息を止めさせるか? ラリアは高速で飛ぶ、突き抜けるだけなら。いや毒の雲は帯電している。無傷ではすまない。
まったくやれやれだった。
せっかく奴隷商人がこんな時のために無料で寄越してくれたラリア。
だがそれも今は効果を発揮できない。
手詰まりだった。
うぬぼれ屋のロス・アラモスはヌルチートには無敵のラリアがいるのをいいことに、エルフを後に残してきてしまった。
今から呼びにいっても間に合わない。完全な油断だった。
「くそッ、いちかばちか、おれが……!」
無謀な突撃に踏み切ろうとしているウォッチタワー。
「よしなよ! ヌルチートがいる!」
押しとどめようとするパンジャンドラム。
まったく厄介なヌルチート、ラリアがいてすらこの有様。
背中のホッグスが何かゴソゴソしていた。だがすぐにやめて、
「おのれ、魔法銃をなくしたのである……!」
狙撃でもしたかったのだろう、そう呟いた……。
…………いや待て。
そう言えば、なぜそもそもあの奴隷商人はラリアを俺に預けたのだろう?
それは今考えるべきことだろうか?
いやそんな気がする。今そうすべきだ。
ホッグスの声で思い出したが、ホッグスはヌルチートに取り憑かれていた間、時折何かのスキルを発動させていた。
思い出せロス・アラモス、その何やらいうスキルの発動したタイミングは……そうだ。ヌルチート自身が何かのスキルを発動しようとしたタイミングだ。
ヌルチートは所有者を、転生者に欲情するようしむける。ツェモイ団長はそれがために自分の職務を放棄した。
ホッグスもたしかにヌルチートの影響を受けていた。だが彼女は俺に対してそういう感情を向けそうになった時に限って、何かしらのスキルを発動させ、当初の任務であるジェミナイトへと執着を移していた。
それはヌルチートがスキルを使うタイミング。
奴隷商人はなぜラリアを俺におしつけた?
なぜラリアがヌルチートのスキルを無効化することを知っていた?
なぜラリアだけを店に置き、なぜ明らかに金を持っていなさそうだった俺を呼び込んだ?
ヌルチートの無効。
共通点は、獣人。
エンシェントドラゴンは噴火口にたどり着かんとしている。
俺は言った。声を絞り出した。
「少佐……」
「何であるかロス!」
「…………俺と契約して奴隷少女になってくれ」
「わけがわからないのである」
「いちかばちかだ。どうなるのかはわからない。だが状況を打開できるかも知れないんだ!」
「い、いやである! 私が獣人だからって、貴様までバカにするのかっ!」
「今だけだ! 気に食わなければあとでクーリングオフでも何でもすればいい! とにかく契約に同意してくれ!」
アップルを見据えたまま言った俺。背中からはしばらくの間返事はなかった。
だがついに声があがった。
「……い……今だけであるぞっ! あとでちゃんと契約解除してもらうからなっ!」
「オーケー。契約成立だな!」
互いにそう言った時。
《コンパニオンとの契約が成立しました》
《ホッグス少佐のフォックスファイアウォールがグレードアップ‼︎》
《ホッグス少佐のアンノウン・ロードが正式に解放されました》
《ホッグス少佐のフォックスファイアウォールとアンノウン・ロードが最上級スキルへグレードアップ‼︎》
《ホッグス少佐は色即是空を覚えた‼︎》
《色即是空が発動した場合、対象は思考障害を受け、標的を誤認します》
《ホッグス少佐との契約が解除されるまでは、アンノウン・ロードは色即是空にアップグレードされた状態が続きます》
「なな、何であるか、どうなったのであるか、私どうすれば……」
「いくぞー少佐ーッ!」
「お? おー……」
肩に飛び乗ったホッグス腋を両手で挟み、アップルへ向け投擲。
射出されたホッグスはアップルより手前の空中で静止。そのまま高速でくるくると前方宙返りを始めた。
「な、ナんですか〜! 虚仮威しヲ〜ッ!」
アップルを取り巻く毒の雲が放電を見せた。それは急速に強まり、ホッグスへ向け一気に解放されようとしていた。
だが回転するホッグスが唐突に発火した。
その周囲を囲むように9つの火球が出現。アップルと向かい合うホッグスは縦回転に。火球はホッグスの周りを時計回りに回転し始める。
炎のジャイロ。
それはアップルの前で前後左右に移動することもなく回転している。発射に充分な帯電を終えたはずのアップルにとってはいい的だったはずだ。
だがアップルは動かなかった。まるで熱に浮かされたように炎のジャイロを見つめていた。
俺は叫んだ。
「今だ、みんな!」
岩陰に隠れていたパンジャンドラムもウォッチタワーも一斉に飛び出した。アップルへめがけ殺到する。
「……ハッ⁉︎ あっ、そんナまやかしガ〜ッ!」
アップルは我に返った。すぐさま稲妻を放つ。
《 Wrong hard road out of BODHI ‼︎ 》
だがそれは上だとか右だとか、とにかく俺たちのいない方向。と言うより、そこいらに落ちている大岩だとか、細い枯れ木に向けて放たれていた。
「ううう何デスかこれ〜ッ⁉︎」
空中でやや後退しながらヌルチートを突き出した。
だがそれも。
《 Wrong hard road out of BODHI ‼︎ 》
「エッ⁉︎」
右腕のヌルチートは素早い動きで体を折り曲げアップルを向いた。
なぜかアップルの顔を見続けている。
「こっチじャない〜! あっち〜ッ!」
アップルが右腕を振り回しても、ヤモリの顔面の向きは常に宿主の顔への方向から変わらなかった。
《パンジャンドラムはウルトラスプリントのスキルを発動しています》
《パンジャンドラムは剣聖のスキルを発動しています》
アップルのヌルチートの瞳は複眼のはずだったが、すでに充分に近づいているはずの転生者がなぜか見えていない。
パンジャンドラムは浮遊するアップルの足下を駆け抜けた。そして上を振り向きざま、大型ナイフで尻尾の魔力供給獣を切断。
痛覚がないのかアップルは悲鳴もあげない。
だが下手な鉄砲狙いか稲妻を四方へ乱射した。
「コのォ〜、もう死ネぇ〜〜〜〜ッ‼︎」
狙って当たらないなら狙わなければ当たると考えたわけだ。だが、
《パウンドフォーパウンド・マスター・オブ・ディフェンス》
《アドレナリン・スローヴィジョン》
無数に落ち来る雷光を俺(他の転生者もそうだったが)は紙一重で避ける。
周囲一帯焦げ跡に染めながら落ち続ける雷。魔力供給獣を失ったというのにペースの落ちない放電量。俺は雷鳴が轟くなかなぜか、蟻は死の直前まで労働量が落ちないという話を思い出していた。
なんにせよ毒の雲と稲妻。
近寄りがたいのは変わらない。パンジャンドラムも倒れたハルを引きずってアップルから離れた。
どうしてくれようかと考えていた時だった。
「ガキンコめがーーーッ!!! 引導を渡してくれるーーーッ!!!!!」
突如ウォッチタワーの股間からドピュッと飛び出したスピットファイア。
アップルと同じ高度まで瞬間的に飛ぶと、
「くったばれーーーーーッ!!!!!!!!!」
《スピットファイアはかんしゃく玉のスキルを発動しています》
光弾。3つ。
俺は言った。
「やれやれ」
ラリアを地面に置き、俺は跳んだ。
アップルを襲う光弾の1つを拳でブン殴って弾き、1つは踵落としで叩き落とし、その反動でさらに跳ぶ。
最後の1発をボレーシュートで軌道を逸らした。
狙いはアップルの、右の羽根。
「あ〜ッ!」
光弾はアップルの体に触れることもなく羽根だけを吹き飛ばした。
俺はそのまま後方宙返りしながら、バランスを崩したアップルの背後を取る。
「……ア……ロスさ……」
空を舞う俺をぼんやりと見上げるアップルの顔が見えた。俺は言った。
「……許せよ」
《剣聖・ジュージュツのスキルが発動しました》
バックを取ると同時にうなじに当身。
そして体を抱えながら着地した。
アップルは俺の腕の中で力なくしおれていた。
気絶したのだ。毒の雲は晴れていく。
《パンジャンドラムはザ・サバイバーのスキルを発動しています》
「おらっ、ハルこれ食え! 解毒できるぞ!」
「むがむが」
パンジャンドラムは魔力供給獣の肉をナイフで切り分け、ハルの口に詰め込んでいた。
空中で回転していたホッグスもその炎を収め、地に降り立った。そのそばに駆け寄るラリア。
「むう……何で私が奴隷なんぞに……というか私あんなことできたのか」
「おねーさん! これだけは言っとくですけど、ボクの方が先輩ですからね! りすぺくとするように!」
「む、ここでも序列は下なのか⁉︎ おいロス、早く契約を解除しろ! 約束であろう!」
俺はアップルの体を地に横たえつつ、ホッグスたちの方を振り向いた。
後にしてくれと言おうとしたのだ。
だがスピットファイアがあげた大声で、山頂を振り向くことになった。
「何やっとンじゃーッあいつはーーーーッ⁉︎」
山頂の噴火口。
エンシェントドラゴンはすでにたどり着いていた。
巨大な尺取虫はそのやはり巨大な口を大きく、大きく広げ。
噴火口を咥えようとしていた。




