第百四話 オークとの遭遇
落下の中、アップルを見やる。
距離が離れている。このまま川まで落下すれば衝撃は計り知れない。
だが彼女は……、
《アップルはライター・ザン・エアーのスキルを発動しています》
ローブの長い裾、ロングスカートと言ってもいい部分を膨らませた。それが風船のような形となり、そのままふわふわとゆっくり落下していく。
俺とホッグスの方が落下するのは速かった。
川面が凄まじい速さで接近する。
《ゼロ・イナーティアのスキルが発動しました》
水しぶきを上げるでもなく、俺とホッグスはぬるりと水に入り込んだ。
そして水面に顔を出す。
「あっぷあっぷ、私は泳げんのである!」
少佐、堂々宣言す。バシャバシャと暴れるホッグス。
上を見上げると、アップルがメリーポピンズよろしく優雅に降りてきて、チャポンと着水。ローブの膨らみの分だけやはり水面に浮いていた。おそらく膝から下までしか水に浸かっていないんじゃないだろうか。
「あ……あっ⁉︎ 私の帽子はっ⁉︎」
ホッグスが何か言っていた。騒々しい女だ。振り返ってみれば彼女がかぶっていた古いドイツ軍風の帽子はその頭にはなく、銀髪を振り乱している。
あたりを見回してみると、俺たちとアップルの間に落ちていて、川に流されている。
「あっあっ、帽子、帽子ーっ!」
ホッグスはなかば半狂乱の体で帽子の方へ泳いでいこうとする。アップルは俺たちの方へ向かっているのか帽子を拾ってやろうとしているのか、たぶんアヒルのように水面で水をかいているのだろう、徐々にこちらへ近づいてくる。
しかしアップルが川下を見た。そして言った。
「ロ、ロ、ロスさん〜、あれ〜っ!」
ローブの風船の上でぐらぐらしながら川下を指した。俺もそちらを見やると……ああそうだろうな。そうじゃないかと思っていたのだ。こういう時はたいていそうなる。あまり例外はない。
「滝です〜〜〜〜っ!」
両側が崖となった川。その先はすっぽりと川が途切れたように、空が見えている。
《オールドスクール・スイミングのスキルが解放されました》
何のスキルか知らないが遅かった。俺、ホッグス、アップルはあまりにあっさりと、滝に落ち込んでいった。
「わ〜っ!」
「帽子ーっ!」
「やれやれ」
かなり高かった。
2、30メートルはあるだろうか。スキルで測る気にもなれない。なんにせよ俺たちはそこへ落ち込んでいった。
《ゼロ・イナーティアのスキルが発動しました》
滝壺にぬるりと飲み込まれる。
水に押されてどんどん底の方へ流される。
ひょっとして、このまま上がれないんじゃないのか? 先ほど解放されたスキルを使ってみる。
なんとなく、足の裏で水を踏めばいいじゃないかという発想が浮かんだ。
俺は交互に両足を動かした。足の裏が水流を捉え、体はぐんぐん上へ上がっていく。
古式泳法というやつか。
単純に踏み足と呼ばれる技法。古の武士たちはこの技法によって鎧兜を着込んだまま水場を泳ぎ、なんとなれば薙刀を振り回して戦いもしたと聞いたことがある。あるいは、殿様を背負って川を渡ったと。
俺の殿様、ホッグスは体をこわばらせ俺にしがみついていた。ラリアと違い体のサイズが大きいので面倒極まりない。そのまま水面に浮上した。
左右を見回すとアップルが無事着水しているのが見えた。ただちょっと滝壺の波間に翻弄されているのか、水面の上でオルゴール人形のようにくるくると回っていた。
俺は川の右手に、陸に上がられそうな砂利場が見えるのに気づいた。
よく見るとそこに橋から落ちた兵士たちがいて、こちらに手を振り声をかけてきている。
俺は踏み足を続けてそちらへ向かった。体はどんどん浮き上がっていく。この立ち泳ぎに使われる技法、何も着ていなくて1人であれば、ヘソのあたりまで水面の上に出すことができるという。以前テレビで実演している人がいたがかなり奇怪な光景だったことを思い出す。今の俺も、そういう状態なのだろうか。
「……貴様、ロスという名だったか」
「なんだろう?」
「なんで貴様、水面の上を歩けるのだ」
俺の体は今や完全に水を脱し、ホッグスを抱き抱えたまま水面を足で踏んで……水に立って歩いていた。
やりすぎだった。むしろ水の浮力を得られずホッグスの重量が直にかかっているので逆に疲れる。
「……貴様、人間なのであるか? どうやってるのこれ」
「……企業秘密だ」
思い直して振り返り、アップルに近づいた。目をまん丸にして俺を見上げる彼女の手を掴むと、砂利場まで引っ張っていく。岸まで到達しホッグスを下ろすと、兵たちが駆け寄ってきた。
「少佐、ご無事で!」
「う、うむ。誰か、足りない者は⁉︎」
「は! 橋から落ちた者は全員ここにおります! 約2名、骨折の怪我を負っているだけで、命に別状はありません!」
「む、よかった……」
「しかし、魔力供給獣が1体……」
「やむを得ぬ犠牲である。祈ろう」
岸に流れ着いた兵士は5名いた。そのうち、怪我した箇所をおさえてうずくまる兵士が2名。それぞれ足と腕を怪我しているようだ。
ホッグスはまわりをキョロキョロと見回した。
アップルがやってきて、帽子を手渡す。
「む、か、感謝する」
受け取ると、雑巾のように絞ってから、大事そうに頭にかぶった。
「し、支給品であるからな! おいそれと失くしてはいけないから、うん」
なにか自分に言い訳するようにそう言った。
………………実はハゲているんだろうか? そうは見えないが。
「少佐、いかがしましょう……」
「む、本隊から離れてしまったな……上に戻れる、戻られる箇所を探すぞ」
まさか。転生者か。俺と同じタイプの。トランスセクシャルとかいうやつか。前世に置き去った暗闇の歴史を頭に抱えているのか。
「何をジロジロ見ているのであるか。ゆくぞ!」
ふんぞり返って、森へ歩いていくホッグス。
俺はアップルと顔を見合わせ、それから足を骨折した兵士に肩を貸し歩き出した。
「むう……登れそうな所がないのである……」
ホッグスが崖の上を見上げながら呟いた。
滝から落ちた以上、俺たちは一刻も早く上へ戻らなければならなかった。
しかし行けども行けども森の中には切り立つ崖があるだけで、そこに沿って歩いてみても上へ戻られそうな傾斜はない。
そうつまり、登・ら・れそうな所だ。
ホッグスがジト目で俺を振り向き、
「……いいご身分であるな。こんな時にタバコなどふかして……」
嫌味を言った。
俺が兵士に肩を貸しながらもくわえタバコなのが気に入らないらしい。
「まあまあ〜。運撃草がないと妖精に惑わされてしまいますし〜」
とりなすアップル。
幸いなことにアップルにもらったタバコのケースは防水になっていて、滝で水遊びしても中のタバコは無事だった。
崖の上を見上げた。
茶色い岩肌に、ほんの少し植物が生えている。
俺1人ならスキルを使えば登って登られないことはない。上にはラリアとパンジャンドラムを残してきた。しかもあの騒々しい妖精の攻撃がどうなったか。パンジャンドラムも無事なのか。
早く確認する必要がある。
どうしようか。俺が1人ずつ彼らを背負い、上まで登り下りを繰り返せば……。
ホッグスにそう伝えようと思った時だった。
ガサリと、草の擦れる音がした。
音のした茂みに全員が振り返る。
するとそこから複数の巨漢が現れた。
手に斧や槍を持つ、固太りの男たち。かすんだ緑色の肌。5人。
「オ……オーク!」
兵士たちが叫びざま、腰の剣を抜いた。ホッグスもだ。
俺は肩を貸していた兵士をそっと地面に座らせる。
こちらをねめつけるオーク。真ん中の奴は5人の中で、少し手前に立っていた。
それは見覚えのあるオークだった。
長いドレッドヘアー。これは昨日アップルに襲いかかっていた、2人のうちの1人だ。
俺も含めてその場にいる誰もが、戦闘が始まる予感を感じていたはずだ。
しかし先頭のオークは少しかがんで、手にした斧を地面に突き刺した。そして体を起こし言った。
「帝国の戦士だな、おまえたちは。争うつもりはない、おれたちは。
グレイクラウドという名だ、おれは。話をしたい、おれたちはおまえたちと」
こちらの兵士たちは顔を見合わせた。
相手はいかにも強そうで、野蛮な風体。それが争う気はないと言う。兵士たちは、ちょっと何言ってるかわかんないですといった顔をしていた。
「人間とは争うなと言われている、戦士長から。聞かせて欲しいんだ、話を、帝国の戦士から」
「な、何を言っているのであるか! ガスンバのオーク族は以前帝国騎士団と戦争状態にあったはず。我らを帝国軍と知ったうえなら、我らを攻撃するつもりで姿を見せたのであろう!」
「違う、おれたちは……」
「総員、戦闘かい……」
「少佐・ホッグス」俺は言った。「少し待ってくれ」
兵士たちとオークたちの前に進み出る。
「な、なんだ冒険者、危ないぞ下がれ!」
「グレイクラウドと言ったな。昨日お目にかかったはずだ」
グレイクラウドと名乗ったオークは、俺と後ろのアップルを見比べ、
「一緒にいた、強いゴブリンの戦士と」
「あの時は後ろの女の子を襲っていたな。今日になって人間と争う気はないと言われても、信じる気にはなれないが」
「すまなかった、あの時は。でも襲うつもりじゃなかったんだ。燃やしてた、匂い草を、その人間が。
攻撃されると思って、スピットファイアに。消させようとしたら大声を出したので、口をおさえようと……見つかるとまずかった、スピットファイアに」
俺は少しホッグスとアップルを振り返った。運撃草を嫌い攻撃してくる透明の妖精の話は聞いていた。さっき遭遇した、あの騒々しい奴か。
視線を戻して、
「スピットファイアというのは、透明の妖精? 光をやたら飛ばしてくる?」
「そうだ。妖精王だ。正義と怒りに燃える、森の守り人」
俺はオークを眺めやった。
斧を置いたグレイクラウドを筆頭に、後ろのオークたちも武器を構える気配はない。こちらを油断なくうかがいながらも、あくまで友好的であると見せようとしているのが感じられた。
俺は振り返った。
「武器をしまってくれ」
「お、おい! なんで貴様が判断を……」
「ミスタ・グレイクラウド。話を聞いてもいい。ただし条件がある」
グレイクラウドは、「できることなら何でも、おれに」と答える。
俺は言った。
「上へ戻る道を教えてくれ」




