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6.撃退

 フリルを紫の蛇から救出してラストに託したサクは、そのままズカズカと前に進み出ると、赤い炎のようなオーラを発しているマリィへと歩み寄っていく。

 飢えた獣のように荒い息でネームレスを睨みつけるマリィ。だがサクは無造作に彼女の肩を掴む。


「おいマリィ、聞いてるか? その力はダメだ。使ってはいけない」

「……サ、サクライ! 貴様はっ」

「その力は命を削る・・・・。いい子だから下がってラストと見ておけ。あとは俺に任せろ」

「なっ⁉︎」


 そう言うとサクはマリィの前でパチンと指を鳴らした。途端にマリィの全身を包み込んでいた赤いオーラが消え、力尽きたかのようにその場にへたり込む。


「はぁっ、はあっ。ウソだ……力が、消されるなんて」

「マリィ、お前は若いんだからあんまり無茶しなさんなよ」

「貴様、この力のこと知ってるのか? なぜ……」

「ンなことは今はどうでもいいだろう。あっちで姫さんたちとおネンネしてな。……ねぇフリル、マリィのことをお願いしますわ!」


 サクは声色を変えてそう言い放つと、肩で息をするマリィを無造作にフリルのほうへと放り投げる。驚いたフリルが慌てて飛んできたマリィを抱きとめた。

 これで、サクとしては最低限の準備を整えた。あとは目の前の自称・・ネームレスをどう料理するかだけだ。


「おやおや、新しいお嬢さんの登場かな? これはまた可愛らしい守護者アステリアを連れた綺麗なお嬢さんだ」

「初めまして、ですわ。わたくしサクラと申します。かの有名な怪盗ネームレスにお会いできて光栄でございます」

「しゃしゃしゃ。きみ、なかなか良い娘だな。しかも可憐だ、我はとても気に入ったぞ」

「あら、お褒めいただき恐縮でございますわ」

「……しかしサクラとやら、きみはどうやって【漆黒の戦乙女】の不気味な赤いオーラを消した? それに先ほど、我の《永劫回帰の蛇ウロボロス》を打ち消したような気がしたのだが……」

「おっほっほ、気のせいですわ」


 サクの言い分はあまりにも適当なものであったが、根が素直なのか、もしくは己の魔術を過信するがゆえか、ネームレスはあっさりと受け入れた。


「気のせいか、なるほどそうかもな。我の魔術を打ち消すなど不可能であるしな……」

「ええ、ええ。そうでしょうね」

「まぁいい。それにしてもサクラ、きみは実に我の好みだ。本当は少し遊んであげたいところだが、残念ながら我にはきみをお相手する暇はあまりないのだよ」

「まぁ、そんなことおっしゃらずに、わたくしのお相手をしてくださいな。わたくしネームレス様に憧れてましてよ?」

「……ほう、我にか?」

「ええ。神出鬼没の怪盗、本物のネームレス・・・・・・・・にね」


 ピクリ、とネームレスの肩が揺れる。どうやらサクの言い方が気に入らなかったようだ。


「その言い方、気に入らんな。もしや我のことを偽物と疑っているのか?」

「そんなことありませんわ。ただ、神出鬼没のネームレスたる所以のお力をお目にかかりたいだけですの」

「しゃしゃしゃ! そうか、そこまで言うなら見せてやろう。我の守護者アステリアナーガラージャの実力と、我の持つ【秘術の門】の恐るべき力をな!」

『シャーッ! コノヤローッ!』


 ずずずっ。と言う不気味な音とともに、ネームレスの背中から、再び複数の頭を持つ蛇が鎌首をもたげてくる。恐らくはあれがネームレスの守護者アステリアであるナーガラージャなのだろう。チロチロと舌を出しながらサクたちを威嚇している。


「なぁイータ=カリーナ。あの変なセリフ吐いた蛇みたいなやつは名のある精霊なのか?」

『こーら。あたしはイッカよ、サクラちゃん? それに口調が男に戻ってるし』

「細かいやつだな、ったく……。ねぇイッカ、あの蛇は強敵なのかしら?」

『んー、どうかなぁ? 悪霊の類だと思うけど、邪神までの格は無いわよ。せいぜい妖霊ね』

「それでも並みの術者よりは遥かに上のレベルですわね。しかも【秘術の門】持ち」

『……もしかして、欲しい・・・の?』

「さっきチラッと見た感じでは、わたくしの目的・・には不要だわ。だから野次馬が集まる前にさっさと片付けてしまいましょう」

『りょうかーい。イッカちゃん気合い入れちゃいますよぉ!』


 二人が協議しているうちに、ネームレスは【秘術の門】の準備を整えていた。顔の部分にある扉がゆっくりと開いていく。


「さぁ、黒髪のお嬢さん。ご要望に応じて、我が力でそなたを束縛してみせよう! ″繋がりしは地底深き洞穴。その最奥に住まいし回帰の蛇よ、扉より出でて永劫に縛りたまえ″ 。……さぁ解き放てっ、《永劫回帰の蛇ウロボロス》」


 ずるりっ。何かが這いずるような音とともに、紫色の大蛇がサクの周りに突然具現化した。まるで獲物を捕らえるかのように、大蛇は一気にサクに絡みついてくる。

 大蛇のとぐろの中心に置かれたサクは、逃げるいとまもなく問答無用で締め上げられてしまう。


 ギリギリ。鈍い音が響く中、サクは頭を除いた全身を大蛇に巻きつかれていた。しかも大蛇は大口を開けた、いまにもサクの頭に食いつきそうに狙っている。

 サクの身に突如降りかかった絶体絶命な状況に、戦況を見ていたフリルが思わず「きゃあ!」と悲鳴をあげる。


「しゃしゃしゃ! どうだねお嬢さん、我が【秘術の門】は。力が出まい? 魔力が伝わるまい? 手も足もでないだろう?」

『シャーッ!』

「そうでもございませんわ」

「……へっ?」


 突如、予期していなかった方角--真後ろから声をかけられ、ネームレスは間抜けな声を上げた。

 慌てて振り返ると、そこにはメイド服のホコリをはたくサクと、ニヤニヤといやらしい笑いを浮かべるイッカの姿があった。


『シャシャッ⁉︎』

「な、なんで君はそこにいる⁉︎ 我が《永劫回帰の蛇ウロボロス》に縛られたはずではっ⁉︎」

「はて、なにか見間違えたのではございませんか?」

「そ、そんなバカなっ!」


 慌てて秘術で具現化した大蛇の様子を確認するネームレス。だが彼が確認できたのは、捉えていたはずのサクを見失い、無情にも一匹でとぐろを巻く紫色の大蛇の姿であった。


「こ、これはどういうことだ? 我が《永劫回帰の蛇ウロボロス》は、一度捉えられるとあらゆる力を吸い取るというのに、どうやって逃げたというのだ?」

『シャー……』

「わたくしは逃げてなどおりませんわ。もしや、目測を誤ったのではありませんか? あるいはわたくしを捉えたと錯覚してしまったとか」

「きみきみ! きみは我の魔術をバカにしてるのか? そんなわけあるわけないだろう!」

「別にバカになどしていませんわ。あ、でもあなたの術はあらゆる力を吸い取るという割には、先ほどマリィにあっさりと打ち破られたましたよね?」

「ぐっ……小娘っ! 貴様っ!」


 顔が扉となったままのネームレスが、サクの挑発に乗ってあっさりと激昂する。「この程度で切れるとは、ほんっと三下さんしたですわね」サクの皮肉にイッカがウンウンと頷く。


「おのれ、小娘!我をバカにしたことを後悔させてやるっ! 《永劫回帰の蛇ウロボロス》の毒を受けて、醜く腐り果てるが良い!」


 完全にブチ切れたネームレスが、怒鳴り散らしながら再び秘術を使用した。今度は己の右手に紫色の大蛇、しかも頭部だけを具現化させる。

 そのまま大蛇の頭部と一体化した右腕を、サクに向かって突き出してきた。


「あらあら、今度は肉弾戦みたいですわね。魔術師もへったくれもありませんわ」

『あんまり面白くない【秘術の門】ね。マリィの【闘神覇気クリムゾンオーラ】にすら破られるくらいだし、サクが要らないっていうのもわかるわ』

「そうと決まればさっさと片付けましょうか。イッカ、いつものでお願いね?」

『はーい。ほんとはあんなのに【七門】を使うなんて勿体無いんだけどね』


 サクとイッカが言葉を交わしている間にも、牙を剥いた巨大な蛇頭が、牙から紫色の液体を滴らせながらサクへと襲いかかってくる。

 だがネームレスの右腕が目前に迫っていても、サクの態度が変わることはない。逃げる代わりに胸に手を当てると、目を瞑りなにかを呟き始める。


「……″東の地の果て、最果ての迷宮の最奥に在りし七つの原罪の門がうちの一つ。開け、飢えし飢餓の獣よ。″ 解放--《暴食の牙グゥラ・ベルゼブル》」


 パチン。

 目を開けたサクが指を鳴らした。それは、今にも大蛇の牙が届こうかという瞬間に行うには、あまりにも異質な行動であった。


 ネームレスは、サクのこの行動を「恐怖のあまり錯乱した」と解釈した。とはいえ、それが理由で魔術の開放を緩めるつもりなど毛頭ない。

 己を小馬鹿にした相手を許すつもりのないネームレスは、生意気な小娘を秘術で蹂躙することを夢想し「しゃしゃしゃ!」と愉悦の笑みをこぼす。


 だが、確かにあるはずの手応えが、彼の右腕に感じられることはなかった。

 まるで何もない空間を通過したかのように、ネームレスの右腕は空を切ってしまい、バランスを崩してそのまま転んでしまう。


 ばかな。ネームレスの頭の中は混乱を極めていた。なぜバランスを崩してしまったのかはわからない。

 だが今は、そんなことを言っている場合ではない。彼は違和感を拭えぬまま、それでも己の失態を誤魔化すためにすぐに立ち上がろうとする。


 床につこうとした右腕の感覚が無いことに気づいたのはそのときだった。

 右腕が動かない。いや、そもそも右腕が存在していない。


 気がつくとネームレスの右腕は、なんと肘から先が完全に消滅・・・・・していた・・・・のだ。


「うがぁぁぁぁあぁぁぁあっ⁉︎」

『キシャーッ⁉︎』


 遅れて襲いかかってきた激痛に、ネームレスは絶叫した。このときになってようやく彼は、自分の右腕が失われたことを認識したのだ。


「ぐぅあぁぁぁっ。なぜだ、なぜこうなったぁぁあっ」

「もしやそれは【秘術の門】の暴走ではありませんか?」

『ぶぷっ!』

「なっ、ぼ、暴走だとっ⁉︎」


 あまりにも意味不明なサクの説明であったので、周りを飛んでいたイッカが口を覆いながら忍び笑いを漏らす。だがネームレスの反応はやはり違っていた。


「な、なるほど、暴走か……。強大な力を持つ【秘術の門】ゆえ、そのようなこともあるのやもしれんな」


 そう。ネームレスは、サクの荒唐無稽な説明をあっさりと信じたのだ。

 理由はいくつかあるだろう。その中でも最大の要因は、ネームレスがとても素直・・・・・だったということにあった。「おいおい信じるのかよ」というサクの呟きは、残念ながら彼の耳には届かない。


「しゃしゃしゃ、こうなっては仕方あるまい。このまま無理に推し進めるには支障がありすぎる。我は一度撤退するとしよう」

「ええ、そうしていただけると助かりますわ」

「サクラよ、そしてマールレント、奥のお嬢さん方も、またお会いしよう! さらばだ!」

『ばいばーい、変人さん』

『キシャーッ!』


 ふりふりと手を振るイッカに見送られ、ネームレスと名乗った顔が扉の男は、侵入してきたときと同様に割れた窓から外に飛び出すと、失われた右腕を抑えながら″白楼宮″をから逃亡したのだった。



 ◆◆◆



 ラストは一人、自室の窓から外の情景を眺めていた。眼下には、多くのものたちが忙しく走り回っている光景が広がっている。


 昨夜のネームレスの襲撃は、ここ″白楼宮″に関係するものたちに大変な衝撃を与えた。なにせ″白楼宮″は、王族のために用意された場所であり、魔術による障壁や妨害、兵士や騎士の厳重な警備による警戒態勢が敷かれていたのだから。

 国家でも王宮に匹敵するほどの場所に、ネームレスはあっさりと侵入してきた。しかも、自爆気味とはいえラスティネイア姫に危害を加える寸前にまで至っていたのだ。

 敬愛する【ウルの聖女】を危険な目に遭わせたこと。この失点を取り返すためもあり、関係するものたちは目の色を変えて犯人ネームレスの行方を捜したり、必死に警備体制の再整備を行っていた。


 とんとんとん。扉をノックする音が聞こえ、ラストは「入るがいい」と答える。すると、メイド服に身を包んだ背の高い美女--サクラと、小さな妖精イッカが入ってきた。


「姫様、仰せに従いこちらに参りました」

『やっほー、ラスト! みんな忙しそうだね!』

「サク、イッカ、よく来てくれたな。そこに座ってくれ、少し話がしたい」


 ラストの指示に従い、サクラことサクはソファーにどっかりと腰掛ける。どうやら上品な演技をすることに疲れてしまったようだ。


「なあイータ=カリーナ。いいかげん普通に話させてもらってもいいか? ずっと女口調はさすがに疲れるぞ」

『もー、ヤマトってばつまんないんだからぁ。ま、ラストだけしかいない時くらいは大目に見てあげるわ』

「ははっ、感謝するよ」


 どうやら男口調に戻る許可を貰ったらしいサクの正面に、ラストは優雅に腰を下ろす。


「サク、イータ=カリーナ。昨夜は対応してくれて感謝する」

『どういたしまして〜』

「ま、あれも仕事のうちだからな。構わないさ」

「あの不審者の腕を奪ったのは、やはり【七門】か?」

「さてね。術に失敗して自爆したんじゃないのか?」

「……まぁおぬしがそう言うならそうなのであろう。ところでマリィなのだが、あのあと昏睡状態に陥っている。あの子は大丈夫なのか?」


 ラストの語る通り、赤い炎のようなオーラを出していたマリィは、ネームレスが去ったあと意識を失い、そのまま寝込んでいた。ただ、寝息は規則正しいことから、ラストもさほど心配していたわけではない。それよりも問題なのは、あの″赤いオーラ″の正体と、その解除方法をサクが知っていたことだ。


『マリィはね、【闘神覇気クリムゾンオーラ】の後遺症で寝込んでるだけよ』

「クリムゾン、オーラ? 聞いたことがない名だが……」

「あぁ、古の闘神ガルドの血を色濃く引く選ばれたものだけが使える能力さ。ただ、神に至る力だから、不用意に使うとああなっちまうんだけどな」


 ガルドといえば、戦騎状態ガルドモードの名の元になった古の神の名前である。その血を引くものがマリィであり、かつ神の力を使えるということに、さすがのラストも驚きを隠せずにいた。


「その……クリムゾンオーラというのは【戦騎状態ガルドモード】とは違うのか?」

「全然違うな。【戦騎状態ガルドモード】は戦士が無意識に使っている身体能力向上の魔術に過ぎない。あんな程度のもんだったら俺でも使えるさ。ほらよ」


 そういうサクの全身に、赤黒いオーラがぼんやりと滲み出はじめる。マリィが発していたものと同じオーラだ。


「……魔術師が【戦騎状態ガルドモード】を使うのを初めて見たぞ。なるほどマリィと互角に肉弾戦が出来るわけだ」

「だけどな、【闘神覇気クリムゾンオーラ】は違う。あれは闘神の血族にしか使えない。強度も能力も桁違いだ。そのぶん肉体に跳ね返るリスクも増大するがな」

「しかし、そのようなものをなぜサクが知っている?」

「なぁに、かつての知り合いにそいつを使い熟す奴がいてな。たまたま解除方法も聞いてたから、マリィを鎮める・・・ことができたんだよ」


 サクの知り合いで、神の力をも操る戦士。その者についてラストは心当たりがあった。さらにその者が、すでにこの世にいない・・・・・・・・・・ことも。

 だからラストはあえて深入りせずに別の話を聞くことにする。


「サク、もう一つ尋ねたい。おぬしはあの不審者がネームレスの偽物だと確信していたようだが、なぜだ?」

「なーに、そいつは簡単だ。ネームレスは神出鬼没の怪盗で、おそらくは【秘術の門】を使いこなす魔術師と言われている。なのに、あんな風にガラスを割って侵入したり、秘術の門をミスったりはしないさ」

「ふーむ、なるほど。妾はてっきりそなたが本物のネームレスを知っている・・・・・からだと思ったのだかな」

「いやいや、ネームレスは神出鬼没なんだろ? 俺なんかが知るわけないさ」

「……なぁサク、おぬしが本物の怪盗ネームレスなのではないか?」

「おやおや、姫様ともあろうものが、なにを血迷ったことを。俺はただのしがない中級冒険者シルバープレートさ」


 あまりにも適当なサクの対応に、ラストは苦笑いを浮かべる。

 とはいえ、これ以上追求したところで彼が本当のことを言うとはラストには思えなかった。


「ところで姫さん、こちらからも聞いてもいいか?」

「ん、なんだ?」

「あんたが【秘術の門】で見たという、未来の光景についてだよ。なにせ俺はまだあんたから何も聞いてないんだからな。ここに来て一週間も経つんだ。あんなヤツの襲撃もあったんだから、そろそろ詳しいことを話してくれてもいいんじゃないか」


 するりと伸びた長い足を組み直しながら、サクはラストに問いかける。

 彼--いや彼女の優美な仕草を姿をその目に刻みつけながら、ラストは何か覚悟を決めたかのように、ふぅと大きく息を吐いたのだった。


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