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5.侵入者

「ねぇねぇマリィ、サクラってステキだと思わないかい?」

「……」

「ぼく、彼女こそが大人の女性だと思うんだよねぇ。お姉様はなんだかちょっと怖いけど、サクラからはなんというか、大人の余裕を感じるんだよ。あー、ぼくはああいう女性に……」

「お部屋に着きました、スピリアトス様」


 顔をわずかに赤らめながらサクラのことを必死に語るスピリアトスを完全に無視して、マリィは無情にも部屋への到着を告げた。

 スピリアトスは若干語り足りなそうな表情を浮かべたものの、すぐに笑顔を取り戻して「ありがとう。それじゃあまたね、マリィ」と告げて部屋へと入る。


 スピリアトスを部屋まで送り届けたあと、廊下を歩くマリィは、思わず舌打ちをした。

 敬愛するラスティネイアの弟であるスピリアトスに、ついそっけない態度を取ってしまった。それもこれも、あの男--サクライ・ヤマトのせいだ。


「クソッ。あの男……」


 千々に乱されるマリィの心。

 その激情ゆえ、思わずはしたない言葉が口から漏れ出る。彼女の心を占めるのは怒り? それとも嫉妬? あるいは……。


「サクライ・ヤマト。貴様は、貴様だけは……」

「あれ、マリィ? どうしたの?」


 不穏な空気を放ち始めるマリィの前にふいに現れ、親しげに声をかけたのは、メイドのフリルだった。

 彼女の姿を認め、マリィはふっと肩の力を抜く。


「フリルか、別になんでもない。少し疲れているだけだ」

「あははっ、マリィってば真面目さんだもんね。適度に気を抜かなきゃ」

「ああ、そうだな」


 マリィとフリルは、共に″ラスティネイア姫に拾われた存在″として仲が良かった。こうして互いがある程度素を出しながら語り合うほどに。

 年上であるはずのフリルのほうが背も低く妹のように見えてしまうため、いつも背伸びしてお姉さんのように振る舞う様子を、マリィは柔らかい視線で眺めていた。

 --彼女の口から、あいつ・・・の名が出るまでは。


「ねぇマリィ。あなたサクラさんとは親しいの?」

「……別に」

「そうなんだ。ほら、あたしたちと同じ″拾い物″だし、いつも一緒にラスティネイア姫のお側にいるから、そこそこ話すのかなーって思ってたんだけど」

「そんなことはない。なにせ私は姫を護衛するのが任務だから」

「ふふっ、やっぱりマリィは堅物だね。でもさー、サクラさんって大人っぽくて素敵だと思わない? あたし、あんな感じの大人の女になりたいなぁ」

「っだ、ダメだっ!」


 思いの外強い口調の否定を受け、フリルが驚きの眼差しでマリィを見返す。マリィは自らの失言に気づき、サッと視線を逸らす。


「どうしたの、マリィ? あなたがそんな反応するなんて」

「い、いや違う。これは……」

「もしかして、サクラさんにヤキモチ妬いてる?」

「な、なんで私が!」


 マリィが必死になって否定しようとした、そのとき。

 がしゃーんという激しい音が二人の耳に飛び込んできた。


 それは、ガラスが割れる音だった。瞬時に異変を察したマリィが素早く音がした方に視線を向ける。

 割れたのは、すぐ近くの窓に嵌っていた綺麗なステンドグラスだった。

 しかも、魔導光の明かりに照らされた破片がキラキラと光る中、なにやら黒い物体--いや黒いマントに身を包んだ不審人物が、宮中に飛び込んでくる。


 降り注ぐステンドグラスに驚いたフリルが「きゃーっ!」と悲鳴をあげた。

 その声ですぐに我を取り戻したマリィが、侵入してきた不審人物に気づき、フリルを後ろに庇いながら素早く大剣を構える。


「何者かっ! ここが″白楼宮″と知っての狼藉かっ⁉︎」

「……しゃしゃしゃ。これはこれは、闇夜に浮かぶ星のように綺麗な黒髪の美少女と、波立つ水面に映る月のように可憐な水色の髪の御嬢さん。こんなにも可愛らしい二人に見つかってしまうとは、我としたことが油断大敵」


 マリィの鋭い問いかけに、黒マントに身を包んだ不審人物が不敵に笑いながら答える。

 目深にフードを被り、その顔は闇夜に紛れてよく見えないが、声からすると男性のようだ。いずれにせよ、この時間にこの場所に飛び込んでくる時点で、まともな相手でないことは確かだった。


「窓を打ち破って侵入しておいて、見つかるも何もあるか!このマールレント・ヴィジャスが、貴様のような不審者を成敗してくれる!」

「ほほぅ、きみが【漆黒の戦乙女】か。だがきみのような小娘に、この″怪盗ネームレス″を屠ることが出来るかな? しゃしゃしゃ!」

「なっ⁉︎ ネームレスだと⁉︎」


 怪盗ネームレス。

 その名を聞いてマリィは戦慄する。なぜなら″怪盗ネームレス″とは、いま世間を最も騒がす超有名な盗賊の名だからだ。


 怪盗ネームレスは、世界中で指名手配されながら未だにその尻尾すら掴ませぬ大盗賊だ。基本的に一人で行動し、ぜったいに潜入不可能な場所でさえも忍び込んだ挙句、その場にある最も貴重な財宝を奪い去っていく。

 どこから侵入したかも不明。どこから出て行ったのかも不明。性別や年齢すら不詳。しかも、盗まれたものについては、なぜか被害者が口を濁らせ、多くを語らない。


 おそらくはかなりの魔術の使い手なのだろう。普通に考えればただの犯罪者であるのだが、被害者の多くが悪徳と言われる商人や貴族であることから、世間では″義賊″と言われることもあった。正体不明ゆえ、真偽の確かめようは無いのだが。


 そんな、生ける伝説のような存在が目の前にいる。

 マリィは黒マントの不審者″ネームレス″を前に、僅かに身震いする。だがそれは恐怖ではない、武者震いであった。


「曲者めっ、死ねっ!」赤黒いオーラを放ちながら、マリィは不審者に問答無用で斬りかかる。その動きはまさに、赤い閃光そのもの。


 一方、黒マントの不審者″ネームレス″は、マリィの斬撃に対して無造作に左手を差し出した。

 ″戦騎状態ガルドモード″の戦士の剣を素手で受けるなど正気の沙汰ではない。ましてやマリィには【怪力】のギフトもある。

 このまま切りつければ、間違いなく上下が真っ二つにされるはずである。凄惨な結果を予測して、聖宮を血で汚すことに心の中で舌打ちをするマリィ。


 だが、彼女の描いた情景は実現することはなかった。

 重い、とてつもなく重いマリィの一撃は、なぜか細身のように見えるネームレスによってあっさりと受け止められたのだ。しかも、片手で。


 衝撃すら感じず、まるで柔らかいものに打ち込んだかのような感覚に、マリィは自身の斬撃の勢い全てが相手に吸収されたことを悟る。


「バカなっ⁉︎ 私の一撃を素手で受け止めるなどっ!」

「まったく、ずいぶんと活きのいい御嬢さんだ。こんなにも暴れ回るなら、少しおいたをしないといけないな。しゃしゃしゃ」

『シャーッ!』


 不気味な笑い声をあげるネームレス。その背後に、ゆらりと何かが蠢いた。

 徐々に実体化し、奇声を上げながら具現化したのは、蛇--しかも、複数の鎌首を持つ蛇だった。不気味なその姿に、マリィは伝説の魔獣″ヒドラ″を思い浮かべる。

 恐らくはこのヒドラが、ネームレスの守護者アステリアなのだろう。ということは、相手は高度な魔術師であるとマリィは判断する。


 しかも、剣を受け止められるほど近距離に接近したことで気づいたことがある。よく見ると、ネームレスの顔の部分に、本来人間にあるべき顔が存在していなかったのだ。

 顔の代わりに存在していたのは、なんと鱗のようなもので覆われた小さな扉であった。


 顔が扉という不気味な姿は、ネームレスならぬフェイスレス。しかも扉はすでに開かれ、中から紫色の鈍い光を放っている。

 目の前にある異様な光景に、マリィは一つの真実に至る。


「くっ……貴様、それは【秘術の門】かっ⁉︎」

「しゃしゃしゃ、気づいたかね。だがもう遅い」

『シャーッ!』


 ふいに、″顔面扉男″ネームレスが軽く指先を動かした。するり、気がつくとマリィの両手に紐状のものが巻きついてくる。よく見るとそれは、薄暗い紫色に輝く蛇だった。


 魔術による存在だとすぐに気付いたマリィは、両手を広げ巻きつく蛇を力づくで千切ろうとする。だが思いのほか強い力で縛られ、千切ることはおろか、逆に体の自由が奪われていく始末。

 やがてマリィの全身は、一匹の紫色にテカる蛇によって巻きつかれていた。


「マ、マリィ⁉︎」

「【怪力】の神才ギフトでも切れないとは……逃げろフリル! 私にかまうなっ!」


 すでに大蛇と呼べる大きさまで変化した蛇に体の大部分の自由を奪われ、それでもマリィは目に強い光を宿したまま不審者ネームレスを睨みつけた。

 それまで呆然と立ち尽くしていたフリルが、マリィに強い口調で促されて気を取り直すと、慌てて逃亡を図ろうとする。


 だがフリルが何かにつまづいて転んだ。彼女の足にも、ぬめりと紫に光る蛇が巻きついていたのだ。


「きゃっ⁉︎ なにこれきもーい!」

「フリル!」

「しゃしゃしゃ。これ以上邪魔されても迷惑だからな、二人とも大人しくしてもらおうか」

「貴様……何が目的だっ⁉︎」

「我の目的? それはな、この聖宮に在る至宝--【ウルの聖女】だよ。なにせ彼女はこの国の生ける至宝なのだならな。この″ネームレス″が盗み出すに相応しいものだろう? しゃしゃしゃ!」

『キシャー!』


 ネームレスの目的は、ラスティネイアだった。

 その事実を告げられ、マリィの頭の中に灼熱の炎が宿る。


 マリィにとって、ラスティネイアは恩人以上の存在であった。彼女が助けてくれたからこそ、マリィは幼い命を散らすことなく、これまで生きることが出来たと言っても過言では無い。

 なぜなら、唯一の肉親である父が亡くなったあと、路頭に迷っていたマリィを保護してくれたのが、身一つで下町まで繰り出してきたラスティネイアだったのだから。



 今から数年前。暗く湿った裏路地の奥で、今にも息絶えそうだった幼いマリィを探し出し、微笑みながら手を差し伸べてきたラスティネイア。あの頃の彼女は、今よりももう少しだけ大きかった・・・・・


 もはや今のマリィにとっては、ラスティネイアが全てであった。彼女に害が及ぶなど、たとえ我が身がどうなろうと受け容れられるものではない。

 相手が顔面扉男だろうがネームレスだろうが、もはや関係なかった。マリィの心の奥になにか強い力が湧き上がって来る。


「ふざ……けるなっ! 姫に、指一本触れさせんっ!」

「しゃしゃしゃ、懲りずにまたガルドモードか? 無駄なことを、我が【秘術の門】--《永劫回帰の蛇ウロボロス》の前では、あらゆる事象が無かったことにされる……むっ?」


 次の瞬間、マリィの全身から再び赤黒いオーラが染み出してきた。だがそのオーラは、徐々にその色を透明な赤に近い色へと変化していく。

 ビシッという音ともに、マリィの全身を包む蛇に亀裂が入った。勢いづく彼女の全身から、さらに赤く透明な炎が吹き出していく。


「うぅぅうあぁぁぁあっ!」

「マ、マリィ⁉︎」


 雄叫びを上げるマリィに、尋常ではない気配を感じたフリルが驚き声をかける。だがマリィの耳にその声は届いていないようだった。

 そのままマリィは、これまで拘束されていたのが嘘のように、己の全身を拘束していた蛇を一気に引きちぎった。千切られた蛇は風化して大気の中に霧散していく。


 自慢の蛇が消滅させられる様を目の当たりにして、ネームレスから余裕が消える。目の前で起こった出来事がにわかに信じられない様子だった。


「なんと、我が《永劫回帰の蛇ウロボロス》を打ち破るとは⁉︎ きみ、マールレント、その力はいったい何なんだっ⁉︎」

「ううぅるるるぅぅ……」


 まるで燃え盛る炎のように、マリィの全身から吹き出す赤いオーラ。それだけでなく、マリィの瞳も赤く輝き始める。

 誰が見ても、明らかに異常だ。戦騎状態ガルドモードよりもはるかに危険な状態であることを察したネームレスが、マリィから素早く距離を置く。


 赤いオーラを発しながら、肩で息をしているマリィ。尋常ではない彼女の様子に、友であるフリルは嫌な予感を感じる。

 フリルには、マリィがまるで己の命を削って力を出しているように見えたのだ。


 止めたい、だけどあんな恐ろしげな様子のマリィを止められる気がしない。それに、なによりこの足には紫色の蛇が巻きついたままである。

 いったいどうすればいいのか。葛藤が、フリルの心を過ぎる。


 それでも彼女は、最終的に友人の身を案じることを選んだ。足に蛇を巻きつかせたまま、マリィを止めるために這うようにして前に出ようとする。


 そんなフリルの肩に、そっと--誰かの手が乗せられた。

 驚いたフリルが慌てて後ろを振り返ろうとするも、その前に耳元に優しげな女性のささやきが飛び込んでくる。


「フリル、危ないから少し下がってて」

『怪我しちゃうからね、あとはあたしたちに任せといて〜』

「……えっ?」


 ぐいと力を入れられ、フリルは無理やり後ろに下げさせられた。勢い余ってそのままぺたんと尻もちをついてしまう。

 慌てて起き上がろうとしてフリルは気づく。自身の足に巻きついていた黒い蛇が、いつのまにか消滅していたのだ。


 驚くフリルの視線の先には、つかつかと不審者ネームレスに歩み寄っていく二人……いや一人と一匹の姿があった。

 一人は、フリルと同じメイド服に身を包んだ背の高い女性。もう一人、いや一匹は、背中に半透明の羽を生やした妖精である。


「あ、あれ? もしかしてあの二人は……」

「フリル、大丈夫だ。サク……ラたちに任せよ」

「えっ⁉︎ ラスティネイア姫っ⁉︎」


 気がつくとフリルの横には、いつの間にかやってきたラストが立っていた。敬愛する姫の顔を見て、心に一気に安堵感が広がっていく。

 だが安心などしてはいられない。なぜなら侵入者は恐ろしい術を使う魔術師であり、なにより彼女の友人であるマリィが尋常ではない状態になっていたのだから。


「姫っ! マリィが、マリィがっ……」

「安心しろフリル、マリィはサクラとイッカがなんとかしてくれるだろう」

「サクラさんとイッカちゃんが、ですか?」

「あぁ、そうだ。なにせサクラは、【世界最強の魔術師】サクライ・ヤマトの妹なのだからな」



 --サクライ・ヤマト。

 その名に、フリルは聞き覚えがあった。『七門の支配者』や『最強の魔術師』などと呼ばれる超有名人物である。


 彼とその守護者アステリアである『精霊王』イータ=カリーナは、生ける伝説として語られる有名なコンビだ。

 フリルの知る伝説はこうだ。

 サクライ・ヤマトことサクは、どこで生まれてどこから来たかは一切不明。だが彼は、有史以来決して誰の守護者アステリアにもなることが無かった『精霊王』イータ=カリーナと″契約″したことで一躍有名となる。


 その後、サクは最年少の十八歳で、伝説の迷宮ラビリンス″最果ての迷宮″に挑戦する【二十一英雄】の一人としてエントリーされる。

 ″最果ての迷宮″とは、僻地の山奥でその存在が確認されて以降、数多くの英雄たちがチャレンジしては散っていった超一級難易度の迷宮だ。もちろん未踏破であることから、最奥にあるであろう秘宝を求めて、挑戦したがる者は後を絶たない。だがあまりにも高い難易度と低い生存率ゆえに、挑戦する権利を持つものは冒険者ギルドによって厳選され、かつ年に一度しか開放されなかった。

 ″最果ての迷宮″。それは、選び抜かれた英雄しか挑むことが許されない場所なのである。


 そんな恐るべき迷宮に、果敢にも挑戦することが許された二十一人の勇者たち。それが【二十一英雄】だ。

 サクたち【二十一英雄】は、ケガにより途中離脱した数名を除いて、苦難の末ついに最深部に到達する。

 だが、結局″最果ての迷宮″の最深部から生きて帰還したのは、たった一人……サクだけであった。


 しかしながら、サクは素晴らしいものを持ち帰った。″最果ての迷宮″の最深部で長年眠りについていた″七門″と呼ばれる【秘術の門】を、彼は史上初めて手に入れたのだ。

 その結果、名実ともに世界最強の魔術師として、世界中に彼の名は知られることとなる。



 そんな--伝説的な人物のが目の前にいる。

 妹とはいえ、ラストがあれだけ信頼しているのだから、やはりかなりの実力なのだろう。しかもサクラは、フリルが憧れの目線で見つめていた女性だ。


 フリルは何度も目を瞬かせ、両手をしっかりと握りしめながら、改めて背の高い美女と半透明の羽を持つ精霊の姿に見入ったのだった。


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