第97話 採用理由
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美夜は、その言葉に驚き光を見つめ返す。
「え?」
光は美夜から視線を逸らすと、頭上の枝葉を見上げながら話を続けた。
「中西は、前の会社の不正が嫌だっただけじゃなく、大量生産みたいな菓子ばっかりでうんざりしてたって言ったろ?」
美夜は自分が面接時に言った言葉を思いなしながら頷いた。
「俺たちも、大量生産は嫌なんだ。俺はね、と言うより、俺の師匠やじいさんがね、そう言う考えだったんだけど。菓子を作るには、美味しく作れる量と言うのがあって、それを超えると、少しずつ何かが変わるんだ。同じ材料を使ってもね。それでなくても、毎日完璧に、同じ味を作るのは難しい事だろ。その日の気温や湿度とかでも全部変わる。それを読むのが難しいんだ。でも、大量生産はそういう事は殆どの職員は気にする事なく、どんどん作るわけだろ。気にするのは、その現場を仕切ってる人だけ。その他の職員は、言われた事を言われた通りに動かしていく。作ってて、食べる人の顔や、喜んでくれている顔とか、想像できた?」
光はちらりと美夜を一瞥した。美夜は頭を横に振り「いいえ」と小さな声で答えた。
「別に、俺は大量生産の全てが悪いと言ってる訳ではないんだ。チョコレートだってスナック菓子だって、手頃な価格で美味しいと思える菓子は、たくさんある。ただ、それは価格に見合った物なんだよ。高級なイメージが付いたブランド名の商品が【妥協】しては駄目なんだよ……。それでは、【ハイレリ】の味を好きだと言って買ってくれている人達を裏切らないかって……俺は、そう思ってる」
光は一旦、言葉を区切ると。小さく息を吐き出し、苦しそうな、辛そうな顔をした。何か、もっと思うことがあるのだろう。美夜は黙って話の続きを待つ。
「俺はね、今の店を大きくしようとは思わないんだ。確かに、有名になって沢山の人に食べてもらえるなら、それはそれで良い事なんだけど。でもね、俺が一人で作れる分量にも限界がある。まぁ、今は、その日に売り切れるだけの分しか作ってないから、まだ余裕なんだけど……。自分が納得できる、安全で、旨い菓子しか売りたくないんだ」
美夜は光の気持ちが分かる気がした。そう言う店を求めて、東京に出てきた。プライドを持って、真摯に菓子を作る、そんな店で働きたいと思って東京に出てきたからだ。
美夜は光の言葉を聞いて、自分が今ここにいられる事を、光に、Lisに出会えたことを、心から感謝した。
「だからさ、中西の言葉には、俺たちと同じ所を見てるんだって感じたんだ」
「そうだったんですか……」
美夜は光の横顔を見ながら、「ありがとうございます」と礼を言い、頭を下げた。その様子を、光は横目で見た。
「私、Lisで働けてる事、本当に毎日嬉しいなって思ってて。雇ってもらえた事、コウさんが厨房に私を入れてくれた事を、本当に感謝してるんです。私、頑張ります。少しでも、コウさんのお手伝いが出来るように、これからもっと頑張ります。これからも、よろしくお願いします」
再び頭を下げた美夜を見て、光はそっと微笑み、「こちらこそ」と返す。そして、背筋を伸ばし、腕を上に伸ばすと、大きな欠伸をした。
顔を上げた美夜は「次は、どこへ行くんですか?」と明るい声で訊ねる。
「次……?うん……。なんか、どうでも良くなってきた」
「ええ!?」
光はだらけるように身体を滑らせ、足を投げ出すように座る。
ここまでやる気のない光を見るのは初めてだった。先ほどの宏美の毒が回り始めたのか、ここまでのダメージを与える宏美という女の存在は、沖田一家には鬼門だと、美夜は思った。
「じゃあ、しばらくここでまったりしてますか。気持ち良い天気だし、風も心地良いし」
美夜はベンチの背もたれに寄りかかり、木の葉を見上げた。
光は横目で美夜を見つめた。
誕生日に栄が贈ったピアスがきらりと光る。
光はそっと目を閉じた。
ちくりと棘が刺さったような胸の痛さに、小さく息を吐く。
光は「そうだね」と呟くように言うと、美夜と同じように、頭上で日陰を作ってくれている木を見上げた。
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