第92話 ケーキ巡業 一軒目
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電車に乗ると、光はドアに寄りかかり、腕を組んで外を眺めていた。
美夜は黙って光の隣りに立つと、ちらりと光を盗み見る。
上から二段目までボタンを開けたシャツの下には、くっきりと出た喉仏と、その上に、シルバーのネックレスが見える。
組んだ腕は、袖を少し捲り、手首にもシルバーアクセサリーが付いていた。
普段は製造の仕事であることから、アクセサリー類は一切付けていなかったが、普段着ではお洒落が好きなようだ。
いつもはバンダナをかぶり、取るとボサボサになっている髪は、無造作にセットされ、いつものボサボサ感とは印象が異なる。ふと、襟足を見ると、普段より短く見えた。どうやら髪の毛を切ったようだ。よく見ると、前髪も普段よりも若干短かく、くっきりとした二重瞼が見て取れた。
「今日行くところだけどさ……」
光は窓の外を眺めながら、ぽつりと言った。
美夜は我に返り「はい」と返事をする。
「四、五件回るけど、平気?」と、顔を美夜に向けた。
「俺一人の時は、いつも三件くらいで終わらせるんだけど。一軒で二、三個ずつ食ったりする事があるからさ。でも今回、中西居るし、そんなに個数は食べないから、ちょっと多めに回ろうかなって思ってさ。大丈夫?」
「あ、はい。大丈夫です」
「お昼もケーキになるけど」
「はい」
「高カロリーだよ」
「大丈夫です」
「ならいいや」
そう言うと、光は再び窓の外に顔向けて黙った。
目的地に着くと、光は一軒目に向かった。地図が既に頭の中に入っているのか、立ち止まる事なく、すたすたと歩く。美夜は置いて行かれないように、必死に着いて歩いた。
「今から行くところはね」と、光は隣を見た。
しかし、美夜が居ないことに気が付き、後ろを振り向く。美夜は必死に光に着いてきていた。光は、しまった、と心の中で呟くと、歩く速度を緩めた。
今までも、付き合っていた女性をこうやって置いてけぼりにした事があり、何度も怒られた経験がある。気を付けてはいても、女性に合わせて歩くのは、時々焦ったくなる。でも、それではダメだと、何度も栄や百合に言われて来た。そう言えば、朝、栄に「歩く速度に気を付けろよ」と言われたな、と光はひとり心の中で反省をする。
美夜が軽く息を弾ませ、光の隣りに並んだ。光は美夜が隣りに並んだことを確認すると、美夜の歩調に合わせ、話しを始めた。
「もうすぐ着くんだけど、今から行くところはタルトが評判なんだ」
「コウさんは、ケーキ屋さんに入るとき、ここのケーキ屋ではこれを食べるって決めていくんですか?」
「いや、特別決めないけど。そこに行って、ショーケース見て、旨そうだなと思ったものを、いくつか食べる。もし、ショーケースが無かったら、メニュー見て、その時に食べたいなと思ったものを選ぶ」
美夜は「そうなんですか」と相槌を打った。
二人は店に入ると、お互い自分が食べたいと思ったものを二つずつ選んだ。
飲み物は頼まず、運ばれた水を飲み、黙ってケーキを食べる。
光は、一見、いつもと変わらない無表情で食べているようだったが、瞳が鋭いことに美夜は気が付いていた。
美夜も自分の前にあるケーキを食べ進めたが、何か物足りなさを感じていた。きっと、光もそうなのかも知れない、いや、あの鋭い目つきは、ケーキ自体が気に入らないのかも知れないと、美夜は勝手に分析をしていた。
食べ終わると、さっさと店を出る。店を出て暫く歩くと、光は立ち止まりメモ帳を取り出した。光はメモを取りながら、「中西はどう思った?さっきのタルト」と訊ねる。
美夜は先ほど口にしたイチゴタルトとブルーベリータルトを思い出した。
「ブルーベリーの味が分からなかったです。名前はブルーベリータルトなのに、ブラックベリーとかカシスも入っていて。カシスの味が濃いので、なんだか騙された感じ。全体的に薄味で、淡泊な印象がありました。カスタードも甘さ控えめすぎだし、量も少なくて、かえって中途半端な感じでした。イチゴタルトは、うちの店の方が断然、美味しいです」
そう言い切ると、光は小さく、ふっと笑った。
「そうか。ブルーベリーは元々味が薄くて繊細だから、なかなか難しいんだよ。確かに、名前がブルーベリータルトなのに、違うベリーが入っているなら、ブルーベリー好きにはがっかりかもな。カスタードは、素材の味を大事にするという意味で、甘さ控えめなのかも知れないけど、だったら同じブルーベリーのジャムを薄く塗るとか、対処法はいくらでもある」
「コウさんが食べたモンブランとフロマージュは、どうでしたか?」
「モンブラン、あれは駄目だね。酒が効きすぎてる。パルフュメの域を超えてるよ。大人が食べるために作ったんだとしても、あれはやり過ぎ。フロマージュは、あの値段にしては、ちょっとなぁ。よく言えば家庭的な味ってとこかな」
光はメモを仕舞い、次の目的地に向かった。
「次は、どんなお店なんですか?」
「次行くところは、何ヶ月か前に出来た所なんだけど……」と、光は店の説明をはじめた。
ふと、美夜は光が歩く速度を遅くしていることに気が付いた。
そういえば、一軒目に向かう途中から、光は自分の隣を歩いていた、と気が付くと、美夜はそっと微笑み、光の優しさに感謝した。
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