第88話 ホットケーキ
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里々衣と共にリビングへ行くと、美夜と美月が同時に振り向き、同じ笑顔を見せた。
栄と里々衣は顔を見合わせ、二人に笑いかける。その顔はとても晴れ晴れとして、爽やかな笑顔だ。
「ハルさん、里々衣ちゃん」と美夜が言うと、美月が「じゃーん」と効果音を付けてデコレーションされたホットケーキを見せる。
「わあ!」
「おお!」
栄と里々衣は同時に驚きの声を上げた。
ホットケーキには、チョコレートで栄と里々衣の似顔絵が描かれており、その下には「なかなおり、おめでとう」と書かれている。
「さあ、こっちに来て、みんなで食べましょう」
美夜はテーブルの上に色々なソースやクリーム、カットフルーツを並べる。
「どうぞお好きなように召し上がって下さい」
「凄いな……ありがとう。美夜ちゃん、美月ちゃん」
四人はテーブルを囲んで「いただきます」と声を揃えると、それぞれ好きなようにホットケーキを頬ばった。何てことのない、普通のホットケーキなのに、とても美味しかった。
栄は、隣に座って喜んでホットケーキを頬張る愛娘を見つめる。
美夜の言った「まだ五歳と思っていても、もう五歳なんですよ。口では上手く説明できなくても、大人の話をちゃんと分かっている」という言葉が、よくよく分かった気がした。
最近までの里々衣の様子と、今、ここでホットケーキを食べている里々衣は、明らかに違う。里々衣が心から嬉しそうにしているのが伝わってくる。栄は改めて美夜と美月の存在が、里々衣にとって、どれだけ心強いかを感じた。
「パパ、これ、たべて?」と里々衣が自分のフォークに刺したホットケーキを、栄の口元へ持ってくる。
「里々衣も一緒に作ったんだ。ぼんやりしてないで、ちゃんと食べてよ」
栄は、里々衣の差し出したホットケーキをパクリと食べた。
「うまい!すごく旨いな!パパ、こんなに旨いホットケーキは初めて食べた!」
栄がそう言うと、里々衣はパッと輝く笑顔を見せ、声を上げて笑った。
美月が「大袈裟だよ」と笑ったが、栄には本当に、今までで一番旨いホットケーキだと感じたのだ。愛娘を誰よりも知っていると思っていた。だが、こんなにも新しい発見があるとは。まだ数ヶ月しか一緒に居ない双子の方が、愛娘を知っている事に、少し妬ける気もしたが、この双子だからこそなんだと思った。
「なんだよ、俺も行けば良かった」
翌日、休憩室で美夜の話しを聞いた光は、ふてくされたように言った。
美夜はそんな光を初めて見たので、何だか新鮮で、可笑しくてたまらない。
「今度は是非、コウさんも」
と笑いながら言うと、光はちらりと美夜を見て、柔らかな笑みを浮かべ頷く。その笑みが、あまりにも神々しく美夜は思わず目を細めた。
「そう言うことですから、もう、今後一切お断りします」
栄は断言するように雪に言った。
雪は、本当に反省したように「悪かったわ、本当に」と謝った。
「まさか、そこまで凄い子とは知らなかったのよ……。まあ、里々衣が嫌って言うなら仕方ないわよね。私も、里々衣が嫌がってるのに、無理矢理勧めるつもりはないのよ?だいたい、里々衣の為を思って、企画した話しなんだし」
「分かっていただければ、それで十分です」
栄が何度も深く頷くと、雪は苦笑した。
栄は、やっと平穏な日々に戻るのかと思うと、心底ほっとした。
栄は店内にあるカレンダーを捲る。
長く、憂鬱な一ヶ月が終わるかと思うと、今度は悲しみの月が始まることに、栄は息をついた。六月と書かれた文字をなぞり、その下にある日にちを指でなぞった。
六月五日。百合の五回目の命日がやってくる。
火曜日の朝、栄は朝礼時に連絡事項を伝えた。いつものように屈託のない笑顔で、何事も無いように。
だが、美夜には何か違和感を覚えていた。
気が付けば、毎日、目の端で栄の姿を追っては、笑顔を見て嬉しくなり、真剣な表情を見れば胸が締め付けられ、光に声をかけられているのにも拘わらず、喫茶から聞こえる栄の声に耳を澄ませ、光に注意されるという日々が続いていた。そうして、毎日表情を見ていたからこそ、些細な変化にも敏感に気が付いたのだ。
朝礼が終わり、厨房へ戻ると、美夜は無意識に小さく溜め息をついた。
「どうした?溜め息なんかついて」
光は焼き菓子の生地を型に流しながら訊いた。
美夜が「え?」と顔を上げると、光は美夜を一瞥した。
「別に、何も……」
光は次の型に生地を流し込むと、オーブンを開け、生地を流し込んだプレートを次々と中に入れた。
オーブンのドアを閉め、温度と時間を確認し、くるりと振り向くと、美夜を一瞥する。
「中西。最近、集中力が切れてるね。今のところ、大きなミスはないけど。何があった?」
光は腕を組んで美夜を真っ直ぐに見つめた。
美夜は光のガラス玉のように光る瞳を見返したが、すぐに目を逸らす。
「本当に、何でもないんです……。ごめんなさい」
光は深く息を吐き出すと、「別に、謝る事はないんだけど……」と言い、組んでいた腕を放した。壁に掛けられたカレンダーに歩み寄り、小さく何事か呟くと「中西」と呼んだ。
美夜は「はい」と緊張気味の声で返事をする。
光は後ろを振り向き「十二日の水曜、空いてる?」と訊いた。
美夜は瞬きを数回すると、「はい」と首を縦に振る。
光は「よし」と頷き、美夜に向かって優しく微笑んだ。
「じゃあ、ケーキの食べ歩き、連れてってやるよ」
その言葉に、美夜は大きく目を見開くと「本当ですか?」と笑顔を見せる。
「本当。その代わり、仕事にちゃんと集中しろ。少しでも話しを聞いてなかったり、ぼんやりしていたら連れて行かないからな」
光は真剣な顔で言った。
美夜は嬉しさで頬の緩みを押さえきれずに、「はい」と返事をし、満面な笑みを見せる。
光は顎を引くと、小さく笑みを返した。
現金なのか何なのか、美夜は以前通りの集中力で仕事をこなした。その様子を見て、光は安心したように、小さく息を吐き出すのだった。
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