第82話 悪夢であれ
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翌朝、栄は魘されながら目を覚ました。
汗に濡れた額を手の甲で拭うと、汗でまとわりついたTシャツを脱ぎ捨てる。
子供用のベッドで寝ている里々衣に視線を向けると、静かに寝息を立てて、ぐっすり寝ていた。スマホの画面を見ると、四時ぴったりだった。どんな夢を見ていたのか記憶はないが、とても嫌な夢だ。栄は再び寝る気になれず、起きる事にした。
箪笥から着替えを取り出し、バスルームへ向かう。
蛇口を思い切り回し、冷たい水を頭から浴びると、気怠い身体が引き締まるような気がした。
頭の中には、無意識に宏美のことが浮かんだ。それと同時に全身鳥肌が立ち、頭を横に振る。
ここまで嫌悪感を覚える人物は、今まで居ただろうか、そんな風にまで思った。
「いかん。よく知りもしない人を悪く思っては!」
シャンプーのポンプを二度回押すと、痛いぐらいに爪を立て、頭を掻きむしった。
バスルームを出ると、リビングから人の気配を感じた。中へ入ると、香ばしい匂いが部屋を満たしている。光がコーヒーを淹れていたのだ。
「早いな」
栄が声を掛けると、光は振り向いて「おはよう」と言い、すぐに栄の分のカップも用意し「いま淹れたて。飲む?」と訊ねる。その誘いに栄は「ああ」と短く返事をすると、ダイニングテーブルの椅子に座った。
「何だか、嫌な夢を見たんだ。どんなのか、覚えてないけど」
そう言いながら、光は栄にコーヒーを手渡す。
栄はカップを受け取り、驚いた顔で「俺も見た」と言った。
「本当に?どんな?」
と、光が驚いた口調で訊く。しかし、栄が自分も覚えていないと伝えると、そうか、と答え、コーヒーを啜り、たぶんだけど、と言葉を続ける。
「俺は、今日が水曜だから、かな。なんて、思ったんだけどね」
「え?」
「先々週の事を思うと、今日あたり奇襲攻撃が来そうかなって」
目を伏せ、冷静な口調で光は言う。
栄はあからさまに嫌な顔をして、「勘弁してくれよ」と嘆くように天を仰ぐ。
「でも、二人で見たって事は、案外そうかも知れないよ?」
目を上げた光は、意地悪く微笑んでみせた。
栄はクッションを抱きかかえ、武者震いをし、やめてくれ、と声を振るわせる。
「明日にでも、雪さんに言わなきゃ」
光はすかさず「自分で言わなきゃ」と口を尖らせ言う。
「ハル兄が言わなきゃ無理だよ。このままエスカレートしてストーカーに成長する前に、はっきりしておかなきゃ」
「……半ば、ストーカー化してると、俺は思うがな……」
「精神的苦痛を与えているって?」
「そう」
「確かにねえ。でもまあ、言わなきゃ何にも解決できないよ。頑張って」
光は立ち上がり、栄の肩をぽんぽんと叩くと、リビングを出ていった。
栄は恨めしい顔で弟の後ろ姿を見送り、コーヒーを一気に飲み込んだが、熱さが食道を焼き付けるように通っていき、一人身悶えた。
昼を過ぎると、今日は宏美は来ないと、栄は妙な確信を持った。安心して食事の片付けをしていると、玄関のチャイムが鳴り響いたが、栄は余裕ある気持ちであった。
光がインターフォンに出る。低い声で「少々お待ち下さい」と言い受話器を置くと、キッチンに立つ栄に顔を向ける。
「ハル兄」
茶碗を持っていた栄は、びくりと身体を動かし光に顔を向ける。
「悪夢が正夢になったよ」
「へ?」ぞわりと背中を何が這う。
「奇襲攻撃」
その言葉に、持っていた茶碗を手から滑り落とした。
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