第71話 想いに蓋をすること
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美夜は昼休憩を取ると着替えをし、本屋にいる雪と替わった。
店には一人の客が居るだけで、静かだ。その客も、暫くして買い物をせずに出て行った。
美夜はレジカウンターの中にある椅子に座り、今日売れた書籍のスリップ整理を始めた。どの本も、栄と光が海外へ自ら行き、仕入れてきた本や、栄の知り合いの洋書卸会社を通して入ってきた本。そのどれも、二人のこだわりがチラリと分かる。最初こそ、そんな事はちっとも気が付かなかった。しかし、栄への想いを募らせると共に、趣味や好みが気になり、ふとした時にそれを知ると、胸が高鳴った。今の時点で売れた本は、栄が好きそうな書籍ばかりで、美夜は小さく微笑んだ。
暫くすると、郵便局員が中に入ってきて「すいません、書留なのでサイン下さい」と、言って封筒と紙切れを差し出した。
美夜は指定された場所にサインを書くと、郵便物を受け取る。郵便物は、栄当ての物だ。
美夜はレジの鍵を閉め、手紙を持って事務所へ向かった。ノックをしてドアを開ける。誰も居ない事務所内に入ると、栄がいつも座っている席に手紙を置いた。
手紙を置くと同時に、ふとデスクの上に伏せられたフォトスタンドが目に入った。美夜は小首を傾げ、フォトスタンドを立てようと手にし、動きを止めた。にっこりと優しい笑みを浮かべ、赤ん坊を抱いた女性の写真が目に入ったのだ。
写真の中の人物が誰なのか、美夜はすぐに分かった。
五年前になくなったという、栄の妻だ。
写真の中の女性は、美夜よりも髪が長く、少しほっそりとした印象があったが、可愛らしい、綺麗な女性だ。笑った顔が、里々衣に似ていたが、他の誰かに似ているようにも感じた。
里々衣の目元や顔の輪郭は、母親似なのだと思った。
そう思った途端、本人不在の事務所で許可も無くまじまじと写真を見ている自分を恥ずかしく感じた。普段なら、こんな軽率な行動はしないのに、なぜ手に取ってしまったのだと。美夜はフォトスタンドを置いてあった場所にそっと戻した。
少し胸が軋む。見てしまった罪悪感からなのか、または栄を想う気持ちからなのか。栄は、この写真をどんな想いで見ているのだろう。そう思った途端、胸の痛みはさらに強くなった。
美夜は事務所を出て、本屋へ戻った。
椅子に座り、目を強く瞑る。膝の上で両手を祈るように組んだが、その手は僅かに震えている。
自分の想いは、仕舞っておこう。
そう思った。
これ以上、溢れない様に、蓋をしよう。そうすれば、こんな風に胸が痛くなる事はない。こんな風に、泣きそうになる事もない。
生まれたばかりの気持ちなら、今ならまだ間に合う。
美夜の鼓動はゆっくりリズムを刻みはじめた。目を開けると、周りが少しだけ明るく見えた気がした。
「中西」
不意に呼ばれ、美夜はびくりと体を動かし、素早く振り向く。
後ろには光が立っていた。光は美夜の顔を見下ろすと、微かに眉を顰めた。
「どうした?目が赤い……」
美夜は慌てて両目を擦った。
「いや、何でもないです。今、ちょうど欠伸をしたから……」と、笑いながら返す。
光は「そう」と頷くと、連絡事項を伝えた。
「今から着替えて、出てくるけど、夕方には帰るから。ケーキの在庫について栄に何か訊かれたら、冷蔵庫に在庫表がついてるから、それ確認しろって言って」
光が栄と言う度に、美夜の胸は小さく、しかし僅かな痛みを伴いながら鼓動を打つ。
「一応、栄にも伝えてはあるけど、見方が分からないとか言いそうだから」
「分かりました」
美夜は引き攣る頬を無理に引き上げ、笑顔を作る。
光は顎を引くと、「じゃあ、行ってきます」と言って暖簾の奥へ消えた。その後を追いかけるように、「いってらっしゃい」と美夜の声が廊下に響いた。
美夜は正面を向くと、「さあ」と気合いを入れるように声を出した。
仕事に集中しよう。そうすれば、栄への想いも薄らいでいく。大丈夫、しっかり蓋は閉めるから。そう、自分に言い聞かせた。
光は男子更衣室のドアノブに手を当て、本屋の方へ顔を向けた。
青と水色の格子状の暖簾越しに、薄っすらと透けて見える美夜の後ろ姿を、じっと見つめた。
「また、なんかあったか……?」
小さく息を吐くと、更衣室のドアを開けて中に入っていった。
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