第70話 嫌な予感
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「おはよう、ハル君」
デスク仕事をしていた栄は書類から顔を上げ、微笑む。
「おはようございます。雪さん」
そう返し、再び書類に顔を向ける。
「ハル君」
雪は事務所のドアに寄りかかり、自分の両手の爪を見ながら栄の名前を呼んだ。
「はい?」
栄は顔を上げずに返事をする。普段なら、相手の顔を見て話をするが、この時は何となく、嫌な予感がしたからだ。
「今度の六日。振り替え休日の日さ、空いてる?」
「六日ですか?」
視線だけ卓上カレンダーに向ける。
「特別、用はないですけど。何でです?」
栄は顔を上げて雪を見た。
雪は栄に目を向けず、窓の外に顔を向け「うん」と言い、窓に近づく。雪が何かしら、栄が嫌がるだろう話をする時の癖だ。栄は、雪にばれないように、小さく息を吐く。
「前に話したさ、いい人が居たら紹介するって言ったじゃない?覚えてる?」
栄は心の中で「やっぱり。ついに来たか」と舌打ちをした。
「ああ、そんな話し、してましたねえ」
栄は少し声のトーンを落とし、気のない言い方をした。
「六日にね、どうかなって。先方には、もう了解取ってあるんだって。だから、あとはハル君次第なんだけど……」
栄は再び小さく息を吐き出すと、持っていたペンを置き、雪に顔を向けた。
雪は幾分、不安そうな表情で栄の様子を窺っている。栄と目が合うと、すぐに作り笑顔で「どうかな?」と首を傾げる。
栄は両腕を上げ、両手を頭の後ろ持って行き、回転椅子を回転させ、後ろを向いた。
窓の外は、雲がゆっくり流れ、気持ちの良い天気だ。
今回断っても、また来るだろう。一度行くだけ行けば、雪も満足するかも知れない、そう思い、息を深く吐き出すと、再び椅子を回転させた。
「分かりました。里々衣も一緒でいいんですよね?」
その返事に、雪はあからさまに安心したような表情を見せた。
「ええ、もちろん。じゃあ、時間や場所は明日か明後日に言うから。じゃあ、よろしくね」
そう言い残し、雪は事務所を出て行った。
栄は、朝から何度目かの深い溜め息をつくと、デスクの引き出しからフォトスタンドを取り出した。
満面の笑みを浮かべ、産まれたばかりの里々衣を抱えた百合の写真。
栄は写真の中の百合の頬を、指先でそっと撫でるように触れる。
「百合……」
声に出して名前を呼んでも、返事はない。それは、何年繰り返しても、同じ事だ。
フォトスタンドをデスクの上に伏せて置くと、両肘をデスクの上に付き、両手で顔を覆った。
ゆっくり深く息を吐き出し、ゆっくり深く息を吸い込む。
微かに震えていた身体が、息と共に吹き飛んだのか、震えは止まり、落ち着いた。
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