第62話 おまじない
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火曜日の朝。美夜は着替えを済ませると、タイムカードを押しにキャビネットの前に立ち、耳を澄ませ、事務所の様子を窺った。
事務所内は誰もいないようで、静かだ。
通常、栄は九時半頃に来るのだが、時々早く来ている事がある。今日は出来ればまだ顔を合わせたくなかった。どんな風に接したら良いのか、今までどうやって話しをしていたのかが、思い出せないのだ。
美夜はタイムカードを押すと、二階に上がり厨房に入った。
「おはようございます」
いつものように、大きな声で挨拶をすると、「おはよ」と光の短い返事が返ってきた。
手を洗い、光に指示を煽り、仕事に取りかかると、不思議と心が落ち着いて来る。いつの間にか仕事に集中して、朝からのもやもやは消え去っていた。
いつも通りショーケースにケーキを入れると、カウンターを周りショーケース前に立つ。
色の配置や、バランスを見るためにそうしているのだが、美夜の場合それだけではなく、毎回、ショーケースの前で手を合わせるのが日課になっていた。
自分の作ったイチゴのタルトが初めてショーケースに並んだあの日以来、そうしなくては落ち着かなかったのだ。
美夜はいつもの様に手を合わせ「今日も沢山のお客様に喜んでもらえます様に。沢山売れます様に」と、声に出して言った。
「なるほどねえ。最近、ケーキが良く売れるのは、美夜ちゃんのおまじないの効果だったのかな?」
美夜は素早く顔を上げ、声の主を見た。
「おはよう」
栄は、カウンター越しに美夜に笑顔を向け挨拶をすると、ショーケースの前に周り美夜の隣に立つ。そして、手を合わせ目をぐっと瞑った。
「目指せ、完売!どうか大量注文が入ります様に!」
と言うと、柏手を打つ。
美夜は目を見開いて栄を見上げ、硬直してしまった。栄は目を開くと、にっこり微笑み、美夜を見下ろす。
「毎朝、おまじないしてくれてるの?」
美夜は顔を赤くして、戸惑った顔で栄を見上げたまま、何も言えなかった。声が出ないのだ。瞬きを数回すると、栄から目を逸らし、困った様に眉を顰めた。
「ああ、ごめん。おまじないは人に見られたら効果なくなっちゃうのかな?」
栄は慌てて言うと「ええっと」と困った様にこめかみを掻く。
「す、すみません。大丈夫です、きっと。……ちょっと、恥ずかしい所を見られた気がして……すみません」
美夜は素早く頭を下げ、小走りで厨房に入って行った。
厨房に入るなり、「洗い物入ります」と大きな声で言い、洗い場に溜まった道具や焼き菓子用の型を、一心不乱に洗い始めた。その勢いの良さに、光は不思議そうに首を傾げ、美夜の後ろ姿を見つめた。
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