第192話 父親の思い(2)
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政近の視線は、栄を通り越して遠くを見つめている様だった。その視線が、ふと何かを諦めた様な色に変わる。
「その時に気がついた。自分が信じて、美味しいと思う菓子と、客が美味しいと思う菓子は、まったく別物なのだ、と。当然の事だが、それを納得するまで、時間がかかった。……客が好きな味は、いわゆる、【懐かしい味】だ。【新しい味】では無いんだよ」
政近は、窓に顔を向けると、暫く窓の外に流れる雲を眺めていた。そして、再び話しを始めた。
「私は、なんだ、こんなもんで、このレベルの味でいいのかと、幾分投げやりになった……。皮肉にも、味を変えたことで、売り上げは上がり、経営の立て直しが出来た。支店で店長をしていた私は、半分の商品の味を変えた。新規の客が随分ついたよ。しかし、それを快く思わない職人はいる。先代に就く者、私に就く者に分かれた。その結果、私が担当したブロックの支店が売り上げを伸ばしていった。エリサがその事実を知ったとき、大激怒だった。しかし、今更止めるわけにはいかなかった。両手で収まる数の従業員ならまだ良い。その何倍もの数の従業員を抱えた今となっては、彼等の生活を守るためにも、こうする事が一番良いんだと、思っていたんだ」
栄は瞬きも忘れて話に聞き入る。政近は、そんな栄に向かって「人を雇うということは、そういうことなんだ」と独り言のように言う。
「……気が付けば、本店だけがオリジナルを貫き通していた。そんな最中、先代が倒れた。私が本店を引き継ごうとすると、先代は、本店を撤退すると言った。その代わり、私が好きな場所に、本店を作れと言った。お前が思うように、お前の味で売れと。しかし、私は本店を撤退しなかった。先代と一緒に菓子を作っていた職人に頼み込んで、今まで通りの味で、しばらく頑張って欲しいと。……店を残しておけば……帰れる場所があれば、きっと病なんか吹っ飛ぶと思った。だが……。その後のことは、お前達も大きくなっていたから知っているだろう」
政近は栄を一瞥すると、栄は小さく顎を引いた。
祖父は三年間、闘病生活を続け、そのまま戻ることなく、栄が入社して直ぐに他界した。それまで、商店街の小さな店で、祖父の帰りを信じ、頑張っていた職人達も、一人、また一人と去っていった。そして、祖父の希望通り、商店街にあった小さな本店は、撤退した。
「母さんは、その事実を知っていたんですか?」
擦れる声で訊いた。最後まで、政近の仕事を悲しんでいた母を思い出しながら、訊くだけ野暮か、とも思ったが、訊かずにはいられなかった。
政近は小さく頭を横に振った。
「悪者のままで、よかったのかよ!?」
その質問に、政近は弱々し笑みを浮かべ、目を伏せた。
「本店を撤退しなかったのは、沖田家への、せめてもの償いだった。そして、先代への敬意のつもりでもあった。だが結局、私は、先代が亡くなり、全てを変えた。恨まれても当然なんだ。……光が怒鳴り込んできた時は、本当に驚いた。あいつは、ずっと先代の菓子だけを食べ続けていたからな。ちょっとの変化でもすぐに分かったんだ。社内でも気づいた者は一握りだったのに、あいつはすぐに気がついた。あいつには、先代の血がお前より色濃く入っているらしい。お前は、残念だろうが、私似だ」
そう言うと、栄に顔を向け、困ったように微笑んだ。栄は戸惑いながら政近から目を逸らすと、小さく自嘲する。
「光がフランスへ行ったとき、エリサは勝ち誇ったような顔をしたよ……。本人はそのつもりが無くても、私にはそう見えたんだ。いや、そう見えなくてはいけなかったんだ。それでいいと、思った。そうでなくてはいけないんだ……」
政近は、独り言のように呟いた。
栄はそんな父親を見て、この人は、この先もずっと自分を責め続けながら生きていくのだろか、それを、あの母親が本当に望むだろうか、真実を知れば、きっとルイーズや光の様な、優しい笑顔を見せるはずだ、そう思い、口を開こうとした、その時だった。
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