第191話 父親の思い(1)
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朝、会議が終わると、社長である父親に声を掛けた。政近は、栄を社長室に通すと、向かい合わせにソファに座った。
栄はスーツの内ポケットから辞表を出し、テーブルの上に置く。
「すみません」
栄は心の中で、父親の怒鳴り声を浴びる構えをした。しかし、政近からは、なんの怒鳴り声も返ってこない。栄はそっと政近の顔を見た。政近は腕を組み、目を瞑っていた。
「社長……?」
栄が声を掛けると、政近は目をゆっくり開け深く息を吐き出した。
「思っていたより、早かったな……」
独り言のように呟き、栄の顔をじっと見つめる。
「お前が、私のやり方が気に入らないと思っていたことは、重々承知していた。光が、先代の味にこだわり、留学していることも」
「え?」
栄の驚いた顔を見て、政近は苦笑した。
「私は、エリサの夫だぞ。エリサから聞いて、知っていたよ」
「じゃあ、なんで……」
「葬式の時、冷たく当たったのか、か?あいつは、私を憎んでる。それでいい。そうでなくては、続かないよ」
栄は理解しがたい父の言葉に、不可解そうな表情をした。政近は、栄を一瞥し「いいか、栄」と、低い声で言った。
「この先、お前達が進む道は、そう簡単じゃない。今、日本は海外から来たスイーツ店がごまんとある。日本国内でも毎日多くの店ができ、その反面、毎日多くの店が潰れていく。成功できるのは、その中のほんの一握りだ」
栄は黙って父の話しに耳を傾ける。
「お前がまだ五歳か六歳の頃だ。【ハイエスト・レリッシュ】が、デパートの物産展に初めて出展した。その時のことを、覚えているか?」
突然の質問に、栄は「いえ……」と、戸惑い気味に返す。政近は一つ頷くと、「店の味を変えた理由は、そこにもあるんだ」と目を伏せた。
栄は、その言葉に声も出ないくらいの驚きがあった。目を見開き、父の言葉を待った。一体どういう事なのだ、と。
政近は、自分の両手を見つめ、何かを考え込むように黙り込んだ。暫くして、深く息を吐き出し、話しを始めた。
「私も、先代の味が好きだった。先代は、義母さんが喜ぶ顔の為に、義母さんを想いながら作っていた。自分が作りたい、自分が食べたい、自分が美味しいと思える物を、作り続けていた。その味が、義母さんの好きな味でもあったから。その味が、周囲にも馴染みはじめ、もっと多くの人に食べて貰いたい、そう思って、頑張ってきた。ある時、先代の弟が和菓子屋を畳んでうちで働き始めた。彼は、支店を出すべきだと言って、先代の言葉を聞かず、支店を何店舗と作った。当然、店の経営は怪しい方向へ流れ初めてね」
政近は、昔を思い出したのか、微かに険しい表情をすると、怒りをぐっと抑えるように目を瞑った。
「そんな時、デパートの物産展の話しが来た。しかし、先代は出店を断った。その頃、うちは光が産まれ、私はチーフとして製造を引っ張っていたこともあり、全てに張り切っていた。私と数人の職人が必死で説得をしたよ。もっと多くの人に食べて貰いたいのであれば、参加した方が良い。デパートで売れれば、いい宣伝になる。そう言うと……では、若い衆だけで出て見ろと言われ、私たちは出店をした」
初めて聞く話に、栄は固唾を呑んで耳を澄ます。一言一句、聞き逃すものかと。
「大盛況だったよ。デパートが広告で勧めた商品は間違いなく売れた。出店したことで、店の方も売り上げが伸びはじめた。そうなると、自然と作る量も多くなる。しかし、先代はそれを良くは思わなかった。菓子には、美味しく作る為の量がある。その量を超えれば、自然と不味くなる。そう言ってな。私たちは、本店は先代がいるから出来ないが、支店では量を多くして販売しようと言うことになった。売れたよ。次から次へと。でも、ある日突然、ぱったりと止まったんだ」
「え……」父親の言葉に、思わず声が漏れる。心臓が妙に早く動きをはじめ、膝の上に置いていた拳に力が入る。
「物産展に出て数ヶ月後には、人は忘れる。日本人は、新し物好きだ。最初は珍しくて来ているだけだった。本当のファンはずっと来るが、野次馬は一度きりだ。こんなに旨い菓子が、どうして一度きりしか客が来ないのか、不思議だった。どういう事だろうかと、考えたよ。それから私は、物産展で目玉として来ていた有名店に食べに行ったんだ。そこに行って驚いたよ。その店は、物産展でも行列だったが、店自体も行列が出来ていたんだ。そんなに旨いのかと、並んで食べてみた。愕然とした」
政近は、その時を思い出したのか、苦々しい顔をし、話しを続けた。
「……自分が信じて作っている菓子は、一体何なのか。自分が美味しいと思って作っているうちの菓子よりも、何倍も不味いと感じた菓子の方が、行列をなしていた。私は、実験的に、支店で材料を変えた商品を数点販売してみた。まあ、それもそれなりに旨い菓子だ。あんな私からしたら、とんでもなく不味いと感じた菓子とは違う。だが、私にとっては、不完全な味だった……。だが、売れたんだよ。やたらと」
政近は鼻で笑った。
しかし、その目は悲しく、沈んだ瞳だった。その瞳が、遠い過去を、今目の前に見ているかのように見開かれた。
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