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【完結】光の或る方へ  作者: 星野木 佐ノ
9 百合と沖田兄弟の過去

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第186話 百合

いつも読んで頂き、ありがとうございます。





 栄は傘も差さず、アパルトマンを飛び出した。


 不思議と通りには人ひとり居なかった。車も一、二台通っただけで、大通りにも人がいない。まるで別世界へ迷い込んだような錯覚にさえなる。

 胸の中に渦巻く得体の知れない不安が、雨の音と共に、栄の背後から近づいてくる気がした。


 栄はニルスの言葉を思い出した。


「ジュリエッタの話しだと、車で横付けされて、乗せられるって。それで、その……」


 海外で日本人が狙われるケースは、少ないわけではない。東洋人は金もある、言葉も通じない、笑顔を向ければ分からないでついて行ってしまう。そして、運が悪ければ、襲われる。

 女性が一人で居れば、それは格好の獲物だ。

 しかし、百合は違う。言葉も通じるし、笑顔を向けられ、声を掛けられても危険なことは分かっているはずだ。そして、この町をよく知っている。


 栄は後悔した。


 一緒にスーパーへ戻れば良かった、いや、胡椒なんて要らないと言って、行かせなければ良かったんだ、と。

 栄は悪い方向へ思考が向き始めていることに、ぞっとした。それを振り払うように、頭を左右に振り、土砂降りの雨の中を走った。 


「ハル兄!」


 光の声が聞こえた気がした。雨の音で殆どがかき消され、幻聴かと思ったが、再び「ハル兄!」と光の叫ぶ声が聞こえた。

 栄は振り向くと、光が走って栄に近づいてくるのが見えた。

 光は栄に追いつくと、両膝に手を当て、荒れた息を整える。


「何か連絡とかあったか?」


 栄が大声で言うと、光は前屈みになったまま、片手を軽く上げた。そして、身体を起こすと「ニルスの友達が、スーパーで働いてたんだ。閉店間際に、東洋人の女性が来たって」と、息を切らしながら言った。


 百合が買い物をしたのは確かだと言うことが分かった。問題は、その帰り道に何かあったのだ、と栄は思った。


「もう一度、スーパーへ行こう」


 そう言うと、スーパーのある方向へ走り出した。光もその後に続いた。

 スーパーの前に来ると、栄は光に、この道以外にアパルトマンに行ける道はあるかと、訊ねた。光は首を横に振る。栄は頷き、ゆっくりアパルトマンに向かう道を歩き始めた。


 本屋の前を通り、雑貨屋の前を通る。公園の前を通ろうして、ふと足を止めた。


 栄は公園へ向かって、ゆっくり歩き出した。光は黙って兄の後を追った。

 昼間、光と共に座ったベンチを通り過ぎ、そのまま足を進めた。自然と足が向かう方向へ、栄は逆らわずに向かった。


 その足が、急に止まった。


「……ハル兄?」


 光は栄の横顔を見やる。


 栄は目を見開き、微かに口を開け震えている。


 光は栄の只ならぬ表情を見て、栄の視線の先を追った。


 木の陰に、足らしき物が投げ出されているのが見える。光は目を見開き、一歩ずつ近づくと、栄が光を追い越し、木の陰に走り寄った。


 光は足を止め、栄の様子を覗った。


 栄は、ゆっくりしゃがみ込み、何かを抱えた。


 大きな声で、何度も百合の名を呼ぶ。その声は、怒り、哀しみ、疑い、全ての感情が入り混じった叫び。


 光は数歩足を進めたが、すぐに止まった。

 視界に映る全てが震えだし、歪む。


「……そんな……うそ、だ……」


 頭を抱え、呼吸が荒くなる。震える足は引き摺りながら後ろへと下がり、遂には力尽きたように膝から崩れ落ちた。



 百合が着ていたはずの白いブラウスは真っ赤に染まり、鞄の中身がそこら中に散乱している。

 雨の粒は、まるで眠るように目を瞑った百合の頬を容赦なく叩きつけていた。



 悲痛な叫び声が、雨に紛れ消え去った。





最後まで読んで頂き、ありがとうございます!


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