第179話 じいちゃんのライバル
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三時前になると、二人は家を出た。
外は、昨日と打って変わり良い天気で、暑いくらいだ。
十分ほど歩くと、光は裏口から店の中に入って行き、栄もそれに続き中に入ると、外に居た時よりも濃い、甘い香りが押し寄せてきた。
光は厨房に顔を出し、挨拶をする。後ろに立っている栄を手招きし、厨房の中を覗かせた。
栄がひょっこりと頭を覗かせると、製造にいたパティシエ達が口々に挨拶をしに集まって来た。栄は笑いかけながら、挨拶を返す。
『おお、あんたがハルか。いつも噂は聞いているよ』
『コウの自慢の兄さんか』
『五、六歳離れてるんだよな?日本人はやっぱり若いなあ』
などと、口々に言った。
「自慢の兄?」と思わず口元がにやける。昨日、光のいっていた言葉に嘘は無かったと、改めて実感する。そして「いつも噂は聞いている」という言葉に、自分ばかりが光に対して嫌悪していたことに、何で子供染みていたんだと、内心で苦笑した。
光は栄の服を引っ張ると、上の階に連れて行った。光の後ろから階段を上がる栄は、心なしか光の顔が赤いような気がした。
厨房でパティシエ達が言った「自慢の兄」という言葉が、光を赤くさせているのだろう。栄は、こっそり微笑んだ。
光はドアの前で立ち止まると、軽く三回ノックをする。中から『どうぞ』と声が聞こえ、ドアをそっと開ける。
『失礼します』
中に入る光に続き、栄も中に入ると、窓際の席に腰を掛けた老人が、ゆっくり立ち上がり、栄に近づいて「ハジメマシテ、ハル」と日本語で挨拶をした。
栄は差し出された手を握り替えし、「始めまして、コウがお世話になっております」と応えると、老人は柔らかな笑みを浮かべた。
老人は二人に座るよう促すと、自分も二人の目の前のソファにどっしりと腰を下ろした。
「こちらがオーナーのオーバン・カッセルさん。じいちゃんの恋敵だよ」と光が日本語で囁くように言った。
カッセル氏は、にこやかな温かい笑みを絶やさずに、栄に目を向けている。栄は、この人がライバルか、と思いながら笑みを絶やさずにカッセル氏を見返す。
笑い皺が深く刻まれた顔に、高く大きな鷲鼻、窪んだ目。まるで映画に出てくる俳優のようで、全身から気品が漂っていた。
『ルイーズは、元気かい?』
ゆっくり、栄に分かりやすくフランス語を話した。栄は頷くと、祖母の顔を思い出しながら、『元気です』と答えた。
『フーゴが亡くなったと聞いたとき、ルイーズは帰ってくる物だとばかり思っていたよ』
まるで、今でもまだ祖母を愛しているかのように、カッセル氏は言った。
『彼女は、泣いていないかい?』
『ええ。笑顔で、毎日を過ごしていますよ』
『そうかい。フーゴが亡くなり、エリサも亡くなり。毎日泣いては居ないか、気になっていたんだよ。そうか。大丈夫か。良かった』
カッセル氏は、本当に安心したように微笑んだ。
『私もフーゴも、ルイーズの笑顔が好きだったんだ。彼女を泣かせるよう事があったら、私はフーゴを許さないと、言っていたんだ』
カッセル氏は光に顔を向ける。
『コウの笑顔は、ルイーズの笑顔によく似ている。ルイーズが笑うと、みんな幸せな気持ちになった。その場が、ぱっと明るくなるんだ』
光は少しはにかみながら、カッセル氏の話しを静かに聞いていた。
『ハル。君の弟は、とても素晴らしいパティシエだよ。手先が器用で、仕事の覚えも良い。機転も利くから、良い仕事をしてくれる。私は時々、フーゴが居るような気になることがある。コウは彼によく似ている』
カッセル氏は光を見て、優しく微笑んだ。光は顔を赤くして俯いていたが、嬉しそうに微笑んでいた。栄はそんな光を見て、こういう所は子供の頃と変わらないな、と思った。
『君は、いつ帰国を?』
カッセル氏は栄に顔を向けていった。
『明日の朝一に空港へ向かいます』
そう答えると、カッセル氏は徐に立ち上がり、デスクの引き出しから薄い水色の封筒を取り出した。再び二人の前に座り、栄に封筒を差し出す。
『これを、ルイーズに渡してくれないか?』
栄は封筒を手に取り、『わかりました。必ず渡します』と言い、背広の内ポケットに仕舞った。カッセル氏は満足そうに微笑み、『帰りに、うちの菓子を持って帰りなさい。コウが作った焼き菓子を、持って行ってあげてくれ』と言い、ソファを立ち上がった。
栄と光も立ち上がり、カッセル氏と握手をすると、二人は部屋を出た。
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