第164話 いま、聞きたい声
いつも読んで頂き、ありがとうございます。
事件の内容を書いているため、血の描写があります。
苦手な方は回避してください。
美月は何者かに腕を掴まれ、路地の中に引きずり込まれた。咄嗟に「しまった!」と頭に浮かんだが、その時には遅かった。
男は美月を乱暴に地面に押し倒し、上から覆い被さった。美月が声を上げると、男は美月の口に手を当てた。必死に抵抗をする。抵抗しながらも、どこか冷静な自分が居た。美月は相手の顔を引っ掻き、足で男を蹴り飛ばす。しかし、男もしぶとかった。なかなか美月の上から退こうとはしない。
美月は男の服を掴んだ。何か小さな手帳のような物がジャケットに入っていた。美月は相手に気づかれないよう、抵抗しつつそれを抜き取ると、地面を滑らせ、遠くへ飛ばした。飛んだ位置を確認してから、力一杯男を突き飛ばし、自分の上から退かした。
美月は必死にその場から逃げようとしつつ、手帳に手を伸ばそうとした。
男は美月の足を引っ張った。美月はその場で転び、ファスナーの開いたデイバッグの中から、荷物が散らばる。
バッグから飛び出した美月のスマホが鳴った。美月はスマホを取ろうと、腹這いで手を伸ばしたが、男はスマホを蹴り、遠くへ飛ばした。
男は美月を起こそうとしたが、美月は怒りと恐怖で暴れ、男に蹴りを入れた。
男はその蹴りが入ったらしく、一瞬怯む。美月はまだ鳴りやまないスマホを取りに行こうと立ち上がった瞬間、背中に冷めたさと熱さが同時に押し寄せてきた。
じりじりと熱い、自分の背中に手を伸ばすと、男の手と、固い何かが触れた。
美月は口を開け、目を見開き、息遣いの荒い呼吸をした。
男はゆっくりナイフを抜くと、ナイフから手を放し、後ずさりをした。美月はその場に膝を突き、自分の手を見た。
薄暗い路地だからよく見えないのか、それとも目が霞んでよく見えないのか分からなかったが、自分の手は何かに濡れていたことだけは、分かった。
美月が倒れ込むと、男は「きぇぇ」と奇声とも笑い声ともつかない声を上げ、その場を走り去った。
美月は薄れる意識の中、気力を振り絞ってスマホを掴み取った。スマホはもう鳴っていなかった。
「はる……」
なぜか栄の名前を口にしていた。
電話をかけなくてはいけない相手は美夜なのに、どうしても栄の声が聞きたかった。
霞む視線の先に、男のジャケットから抜き取った手帳が転がっているのが見えた。。美月はスマホを離し、手帳を掴み取った。自分の元へ引き寄せると、再びスマホの着信が鳴り出した。美月はスマホを掴み、画面をタップする。
『もしもし』
低く、心地の良い優しい響きが耳に届いた。
『美月か?栄だ。美夜ちゃんから電話をもらったんだ。今、どこにいる?』
久しぶり聞く栄の声。もう随分聞いていなかったと感じた。美月は今一番聞きたいと思っていた声に、微笑んだ。
『美月?』
返事が返ってこない事を不審に思ったのか、声が鋭くなった。
美月は声を出そうと、腹に力を入れようとしたが、痛みで短く叫んだ。
スマホから、玄関を飛び出したような音が聞こえた。『ハル兄!』と、叫ぶ光の声が聞こえる。
『美月!美月!今どこだ!?』
栄は大声を出し、何度も呼びかけた。走っているのだろう、声が揺れてる。美月は再び声を出そうと力を入れた。栄に応えたい、その一心で、痛みを堪え声を出した。
「いま……みどり……こう、えんの、ちかく……。ろじに、いる」
『緑が丘公園だな!?』
「……う、ん……」
『路地って……そこから何か見えるか!?』
美月は頭をゆっくり動かし、翳んでよく見えない視界を懸命に懲らしながら、電気が点滅した街灯を見つめた。
「てん、めつ……した……がい……と……」
『すぐ行くから!電話切るなよ!あ、でも、う、でもいいから、俺が行くまで声を聞かせてくれ』
「……う、ん……」
美月はスマホから聞こえる栄の声に意識を集中した。気を失いかけても、栄の声が聞こえると、美月は無意識に反応をした。
クラクションの音が聞こえる。
『ハル兄』と叫ぶ光の声。
栄が車に乗り込む音。
『コウ、緑が丘公園だ!急げ』
光に指示する声を、黙って聞いていた。
『美月、もうすぐだ!しっかりしろよ!』
返事と言うよりも、呻き声のような音しか出せなくなっていた。それでも、美月は栄に応え続けた。
栄は何度も美月の名を呼んだ。何回目かの呼びかけで、美月の声が聞こえなくなった。応えたいのに意識が遠のいて応えられなかった。
「美月!!」
スマホから聞こえる機械音の栄の声と、リアルな栄の声に、美月は微かに反応をした。
「コウ、救急車だ!急げ!」
「わかった!」
栄は美月の傍に転がるナイフを見て顔を歪めた。出血が酷い。栄は、自分の服を脱ぐと、シャツを引き裂き、美月の細い腹回りを縛り付ける。美月が目を薄く開いた。
「美月、しっかりしろよ!すぐ救急車、来るからな!」
栄の腕に抱かれた美月は、微かに顎を引いた。美月が何かを伝えようと、口を微かに動かした。
栄は「何だ?」と耳を美月の口元近づけた。
「て、ちょ、う」
「手帳?」
栄は辺りを見回した。美月が倒れていた場所を見下ろすと、黒い、手の平に収まるほどの手帳らしき物を見つけた。
「コウ!ちょっと、これ取ってくれ!」
救急車が来るのを大通りに立って待ってる光に声をかけた。
光は駆け足で栄の脇に来ると、黒い手帳を手に取った。手帳はパスケースだった。中を開いた光は目を見開いた。
「ハル兄、これ、もしかしたら犯人のじゃない?」
光は栄にパスケースを広げて見せた。パスケースには運転免許証が入っていた。
救急車とパトカーの音が聞こえ、光は急いで走って大通りに出た。
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