第144話 トンネルの向こう側
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ここでこうして美夜に話しかけるようになって、三週間が経過した。
毎日、今日こそは、美夜の顔を見たい、と思いながら、この場に座る。
美夜が惹かれる話題はないか、口下手な光が必死に考えている。
「中西。中西が考えたハロウィンのケーキ、売れてるよ。カボチャのモンブラン。栗より売れ行きが良い」
光は低く響く声で話しかけた。
「本屋の方も、臨時バイトを雇ったから、心配はいらないよ。栄の友達の弟なんだけど、すごく変なやつなんだ……。アメリカに短期留学してて、帰ってきたばっかりなんだ。英語かぶれしてて、言葉にいちいち英語が入る。しかも使い方間違ってたりして、時々雪さんがうんざりした顔で小言言ってる」
美夜はベッドの上で膝を抱えていた。
光の優しく響く声に、じっと耳を澄ましていると、不思議と心が落ち着き、不安や恐怖は消えていった。
雪の名前を聞き、うんざりしている顔を思い出す。美夜はそっと微笑んだ。
「そうだ。今日持ってきたケーキは、中西が知らないやつだよ。うちでは冬の定番だけど。イチジクのタルト。タケさんが良いイチジクを入れてくれたんだ。今日から売り出してる」
光はケーキの入った箱を開けた。イチジクのタルトが二個入っている。美夜と美月の分のつもりで持ってきた。しかし……。
光はじっとケーキを見つめると、顔を上げて「中西」と呼びかけた。
「俺、今日昼飯食ってないんだ。これ、俺が今から食べてもいい?」
耳を澄ましたが、美夜の部屋からは、何の音も聞こえない。
光は立ち上がりキッチンへ行き、フォークを探した。引き出しを開け、フォークを二本手に取ると、再び美夜の部屋の前に行き、胡座をかいて座る。
「じゃあ、いただきます」と少し大きめの声で言う。ケーキの一つにフォークを刺し、一口口に運んだ。
「旨い」
我ながら良くできた、イチジクも旨いと、本気で思った。
光が再びフォークで食べようとすると、寄りかかっていたドアが後ろに下がった気がした。
光は身を捩り振り返る。ドアが少し空いているのを見て、光は少し腰を浮かせた。
ドアの隙間から、美夜が顔を出した。
少し痩せたのか、化粧をしていないからか、光が知っている美夜よりも、ほっそりとして見えた。
光はそっと微笑むと、ケーキの箱を持って立ち上がった。
美夜はドアを半分ほど開けて、目の前に立つ光を、恐る恐る見上げている。
光はそんな美夜に優しく微笑みかけた。美夜はきちんと服を着て、肩に掛かる髪は、両サイドを後ろで纏めている。
「食べる?」
光は優しく訊ねた。
美夜は光の手元にあるケーキを見て、小さく頷いた。光は再びその場に座ると、美夜も同様にその場に座った。美夜は、光が差し出したフォークを手に取り、一口口に運んだ。
光はその様子を黙って見つめる。美夜の口角がそっと上がった。
「……おいし……」
消えそうな小さな声を、光の耳はしっかり捉えていた。
光は「うん」と頷くと、ケーキを口に運んだ。
「明日はシチュー作ってきてやるよ」
光の言葉に、美夜は顔を少し上げた。
光がにっこりと微笑むと、その場が明るく見えた。美夜はその笑顔に釣られるようにして、ぎこちなく小さく微笑んだ。
光は久しぶりに見る美夜の顔を、愛おしそうに見つめる。たった数週間が、何年もかかったように思えた。何年も掛けて、やっと美夜の笑顔が見られた気がした。
ああ、そうか、暗闇にいたのは、自分も同じだったんだ、と光は感じた。自分の暗闇は、栄程ではないが、自分もトンネルの入り口で立ち止まっていると思っていた。だが、いつの間にか、トンネルの中を歩いていたのだと、自覚する。
久しぶりに見た世界は、温かい光で溢れているように見えて、眩しかった。
この光の中を歩くなら、自分一人じゃなくて、美夜と一緒がいい。そう、思った。
美月の言う、明るい場所へ、二人で足を踏み入れよう。
その為なら、自分はいくらでも時間を掛けて、美夜の手を取り、引き上げよう。だから、暗闇から抜け出せた時は、あの満面な笑みを、自分に見せて欲しい、と心から思った。
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