第141話 あの日の出来事
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翌日、光は栄に訊いた道順を辿り、美夜の家の玄関前に来ていた。
栄が行くと言ったが、それを制してやってきた。昨日の美月の様子からして、栄では話も出来ないであろうと思ったからだ。
インターフォンを一度押す。
暫くして、美月の声が聞こえた。
光は「L i s沖田です」と一言。美月からは何の返事もなかった。もう一度、インターフォンを押そう指を伸ばすと、ドアが開いた。
「ちょっと、待ってて」
美月は低い声でそれだけ言うと、ドアを閉めた。
暫くして、パーカーを羽織った美月が出てきた。
玄関のドアに鍵を閉めると、「来て」と短く言う。
光は黙って美月の後に続く。暫く歩くと、美月が口を開いた。
「栄と里々衣、どうなの?」
光は何も答えず美月の横顔を見た。
「美夜がさ、何度も言うんだよ……。でも、何のことか意味が分からないんだ。栄に何があったのか、あの日のことを聞こうとすると、一番最初に事件のことを思い出すらしくて、パニックを起こすんだ……」
光は地面に視線を降ろすと、静かな声で答えた。
「あの日、里々衣が保育園の階段から落ちて、怪我をしたんだ。保育園の先生もパニック起こしてて、電話口では大事になっていて……。頭から血を流しててって言われて、俺は急いで保育士さんに言われた病院へ向かおうとして……ハルに電話したけど、繋がらないから、雪さんに連絡してハルに電話するように言って……。それでハルは彼女を送ることが出来なかったんだ……。ごめん」
美月は立ち止まり、光の顔を見上げた。
「里々衣は?大丈夫なの?」
「うん。出血が多かった割に、小さな傷でね。今は元気に走り回ってるよ」
それを聞いた美月は、心底ほっとしたように「そう」と息と共に吐き出す。
二人は再び歩き出すと、住宅街の中にある小さな公園に来た。昼のせいか、誰も居ない静かな公園だ。
二人は並んでベンチに座った。
紅葉しかけている木の葉の間から、秋の日差しが降り注いでいる。
「里々衣はね」
光はぽつりと話し始めた。その声は、耳を澄ましていないと、聞き逃すのではと言うほど、静かで、ゆったりしている。
「栄にとって、亡くなった奥さんの残した、唯一の宝物なんだ……。どんなことがあっても、守らなきゃいけなくてね……。それは、俺も同じ……」
美月は正面にあるブランコを見つめたまま、光の声に耳を傾けていた。
「昨日、栄が言った『よかった』って言う言葉はね、中西が生きていた事を指した言葉なんだ……。決して、お姉さんが思ってる意味では無いんだよ」
光の声は、諭すように優しく響いた。美月はブランコから視線をずらし、瞬きを繰り返した。
「栄の奥さんはね……。通り魔に殺されたんだ」
美月はピクリと身体を動かしたきり、言葉の意味を理解出来ないかの様に、硬直したまま動かなかった。
「それには……俺にも原因があるんだ……。俺が留学してなければ、俺が一度でも帰ってきていたら……俺が少しでも早く気が付いていたら……」
光は独り言のように、うつろな表情で口の中で呟いた。
美月は光の言っている意味が分からず、ゆっくりと光に顔を向けた。
光の長い前髪が、表情を隠しよく見えない。真っ直ぐ顔を上げた横顔は、口を閉じ、白い肌は少し赤みを差している。すると、すっと一筋の涙がこぼれ落ち、光のジーンズの上に落ちた。
美月は微かに目を見開き、顔を背けた。
光は手の甲で涙を拭うと、少し詰まった声で美月に美夜の様子を訊いた。美月は顔を正面に向けたまま、美夜の様子を話し始めた。
あの晩、美月が駆けつけたとき、男が美夜の上に覆い被さろうとしていた。美月は手に持っていたスマホを、男目掛けて投げつけた。スマホは見事、男の頭に当たったが、男は美月を見るなり、美夜から離れ駆けだした。
美月は全速力で男を追ったが、角に止めていたらしいバイクで男は逃走した。せめてナンバーだけでも記憶をしようと、必死に追いかけたが、バイクは美月を嘲笑うかのようにスピードを上げ、美月は追いつく事ができなかった。
バイクを諦め、美月は急いで美夜の元へ戻った。
美夜は起き上がり、震え蹲っていた。髪も着ていた服もボロボロになり、見るに堪えなかった。
美月が近寄り、肩に触れた途端、大声で泣き叫び、美月であることも気が付かないのか、何度名前を呼んでも暴れ、美月の頬を引っ掻いた。
美月は必死に美夜をの名前を呼び、落ち着かせた。
ようやく落ち着いた美夜は、恐怖におののいた様に強張った顔で美月を見た。
美月の顔が、ようやく目の中に入った途端、顔を崩し泣きじゃくる。美月は美夜に自分が来ていてパーカーを羽織らせ、肩を抱いて家に連れ帰った。その間、誰も通るどころか、家から出てくる者さえいなかった。
美月は唇を強く噛み、怒りで震える足を、一歩ずつ踏みしめるように前に進んだ。
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