第131話 二人だけの会話
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その日の夜、栄は光が泊まっているホテルに来ていた。
二人は最上階にある、バーのカウンター席で並んで座る。
ずっと黙っている光に、栄は何から話そうかと頭の中を目まぐるしく回転させた。しかし、何も浮かんでは来なかった。なぜか、このまま黙っていても良いような気になったのだ。そう思ったが早いか、不意に光が口を開いた。
「……向こうでは、葬儀の時の服装って、決まっていないんだ……。日本では黒って決まってるけど……。一応、黒っぽい服装ではあるけど、グレーとか茶色とか……人によっては、真っ赤だったり、アクセサリーじゃらじゃら付けてたり……大体の人がサングラス掛けてさ……」
急に何の話しをしだしているんだ、と、栄は驚いたが、何も言わず黙って光の話しに耳を澄ます。
静かに、ゆっくり話す光の声は、栄の耳の奥に、深く浸透するように響いていく。
「……故人が好きだった色とか、そういうのを大事にするんだ……敬意を払うって、感じかな。……献花とか式場で流す音楽とかも、故人が好きだった物で送り出すんだ……」
グラスの中で氷がカタリと音を立てた。
「……今日、お前が参列してくれたこと、母さん、何よりも喜んだろうな」
光が顔を僅かに向けたのが分かった。
栄は正面を向いたまま、「故人が好きだった物で送り出す……。お前が居たから、きっと母さんは真っ直ぐ天国へ行けたさ」そう言ってブランデーを一口、口に含むと、渇いた口の中を潤した。
「……ありがとう」
「……」
「あの時、兄さんが居なかったら……いや、電話をくれなかったら、参列出来なかったし。ありがとう」
「……良い葬儀だったよ、な」
「……うん」
二人は小さく微笑むと、酒を飲んだ。
どちらからともなく、他愛のない話しを始める。それは、まるで腫れ物に触らないようにするかのように、どうでもいい話ばかり。気がついたら閉店の時間まで話しをしていた。
店を出て、栄は光に「いつ帰るんだ?」と訊ねた。
「明日の朝には発つよ。まだ、下っ端なのに、無理言って帰らせてもらったから……」
「……そうか」
光はエレベーターの前に立ち、階数を示す光をじっと見つめていた。その横顔は、栄の知る少年の姿はもうそこには無く、写真の中で見た、栄の知らない青年の姿があった。
ちゃんと飯は食べているのだろうか、ちゃんと睡眠はとっているのだろうか、そんなことが頭を過ぎる。
そのぐらい、光の身体は細く、しなやかで、美しい透き通るような白い肌は、喪服のせいか微かに青白く、少し痩けた頬が余計に儚げに見せた。
母親に似た色素の薄い茶色い髪が顔を隠し、表情がよく見えない。
ふと、不安になった。声が聞きたい、そう思い、咄嗟に思いついたことを口にした。
「ビザは、大丈夫なのか?随分、長くいるようだけど……」
光は振り向き栄を見ると、小さく頷くと、再び正面を向いた。
フランスは海外からの労働者規制をしていることもあり、労働ビザを取得するには、厳しい条件が多くあった。近年では、観光ビザや学生ビザで入国し、規定の時間以上に働く若者も少なくなかった。下手すると、ビザが切れてでも、居座り、働く者までいる。正規に雇えない者を、闇で雇い、安い給料で働かせる。日本人はどんなに安い給料だろうが、勉強したい一心で来る者が多い。「バカンスのために働く」と言う意識の方が強い現地の人間に比べ、日本人は安く雇える上「意欲的で、真面目で器用」とされ、有名店以外の小さな店でも、製造に関わっている日本人は少なくない。
「……ビザは、母さんが十年カード持ってたから……今、お世話になってる所からも、長期間滞在します、みたいな証明書。必要な書類を書いてくれたりして……それで、俺も十年カード取れたから……」
光は、製菓の勉強をしていることは、一切口にしなかった。栄は光の横顔を悲しげに見つめた。言葉を交わしても、遠く感じた。
エレベーターが到着し、光は一歩足を進めた。
栄は慌てたように、今にも消え入りそうな弟の腕を掴んだ。掴んだその腕は、見た目とは遥かに違う、筋肉質な腕だった。
エレベーターのドアがゆっくり閉まる。
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※10年カード……フランスに長期滞在する際に発行されるビザで、実質永住権と同等といわれています。条件には、フランス語A2以上の語学力が必須。その他、フランス国籍のある者が配偶者または家族にいるなど。沖田兄弟の祖母はフランス人で、2人の母はハーフであることからビザを持っている。という設定です。
また、フランスの労働ビザについては、おそよ10年前くらいを想定して書いてますので、ご了承下さい。
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