第127話 弟のこと
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会社に勤め始めてすぐの頃だった。祖父の大事にしていた店の味が、変わっていることを知った。
その年、前社長である祖父が亡くなった。
婿養子だった父は、祖父が亡くなった途端、あらゆる物を変えていった。そして会社は益々拡大し、「美味しい味を優先」ではなく、「会社の利益を優先」に完全移行したのだ。
菓子に使用する小麦からバター、砂糖、全ての材料をワンランク下げたものを混合して菓子を作り始めたのだ。
その事に、始めに気がついたのは、光だった。
入社してすぐの頃、栄が持ち帰った賞味期限が切れる焼き菓子を、光が食べた。食べてすぐ、光は眉を顰め「あれ?」と言ったのだ。
「どうした?」と訊いた栄に光は訝しげな表情で栄を見た。
「これ、粉とか変えた?じゃなかったら、材料の分量変えたのかな?味が違う気がする」
「賞味期限が近いから、風味が薄れたんだろ」 と答えると、光は囁くように「いや、違うよ」と言った。
が、すぐに笑顔で「そうだよね、きっと俺の勘違いだ」と栄に言った。
しかし光は、それ以上、食べようとはしなかった。
その夜、光は父親と何やら大声で怒鳴りあっていた。いつもの事だと、栄は気にも止めてなかったが、その日は嫌に長く喧嘩をしていた。
翌朝、光が家出をしたことに気がついたが、それについても、さして気にする事はなかった。
その日の朝、栄も菓子を食べてみたが、以前と変わらない気がした。しかし、光の言葉がどういうわけか、妙に引っかかり、レシピを確認することにした。
レシピを見ると、基本材料が二つに分かれていることに気が付いた。
手が震えた。
小麦粉や砂糖、クリームと書かれた所に、暗号のような物が書かれている。経理担当に「材料の一部が、仕入れた個数と違うようだ。確認させてくれ」と言い、仕入れ伝票を確認した。
経理担当者は、一瞬訝しんだが、すぐに栄に伝票を見せた。聞いてもいないのに「これは、小麦粉の仕入れ伝票です。こちらがR社、で、こちらが最近仕入れているT社の伝票です」と、当然のように言った。
栄は愕然とした。
光の言う通り、基礎となる物が、全て変わっていたのだ。
経理担当にクリームなどの伝票も全て見せるように言い、一つ一つ確認をする。
大好きだったはずの祖父の味を、自分は気付く事が出来なかった苛立ちと、光への嫉妬、そして、大事な物を壊されていく事への怒りが、栄を動かした。
父を問い詰めると、父は「毎年、少しずつ分量を変えていけば、客なんて分からないものだ。客はみんな、うちの名前を買いに来てるんだ。材料が少し変わろうが何だろうが、誰も分かりゃしない。ブランドとは、そういう物だ」と言い切ったのだ。
それに対し、栄が抗議をすると、「お前は黙って俺の仕事を見ていればいい。いずれお前がこの会社を支えていくんだ。ビジネスとは、どういうものか、しっかり学べ」と、怒鳴りつけた。
栄の怒りの固まりは、あっと言う間に勢いを失った。
子どもの頃から、父親が苦手だった。
何があっても、全て「言う通りにしていればいいんだ」で片付けられた。その度に、「この人には、何を言っても無駄なんだ」と諦めた。
そして、この時も、栄は父親に意見することを、諦めた。
もしかすると、父の意見は正しいかも知れないとさえ、思った。
自分は全く気がつかなかった。光だって、偶然だったかも知れない。この先、どんどん分量は変わり、味は全く変わってしまうのだろう。それでも、自分の居場所はここしかない。子供のように、好き嫌いで辞めるわけにはいかない。大好きだった祖父の味は、もうここにはない。それでも、ここが自分の居場所なんだ。ここは、【ハイエスト・レリッシュ】という、別会社なんだ、そう自分に言い聞かせ、自分を押し殺した。
「光君、言っていたわ。兄さんは会社の人形になりつつあるって。それが悔しいんだって。なんでいつも苦しそうな顔して、納得のいかないものを無理矢理売るんだろう。兄さんが何も言わないのなら、俺が何度だって言ってやる。兄さんが、完全に自分を失ってしまっても、いつか必ず自分が叩き起こしてやるんだって。その為には、まず、自分がお菓子を作れるようになって、それを兄さんに食べさせるんだって。……なんとも、健気じゃない?」
「じゃあ、なんでいつも俺には憎まれ口ばっか……」
「あなたが、光君を『憎い』と思った瞬間。覚えてる?」
百合の目が、妙に光った。栄はその瞳を直視できなかった。そして、光を初めて憎いと思った日のことを思い出す。そもそも、なぜ、百合がそれを知っているのか。百合がそう言うということは、光にも気付かれていたのかと思うと、額に薄っすら汗が浮かんだ。
最後まで読んで頂き、ありがとうございます!
年末ひとり更新リレーをしておりましたが、この回のサブタイトルが決まらずに、1時間1本更新が途切れました……涙
このタイトルも、なんか違うのよねぇ……ふむ。
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