第111話 嵐の予感
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栄はいつもと変わらない笑顔で店に来たので、美夜は少しほっとした。昨日の栄の横顔が、脳裏から離れない。悲しげに遠くを見つめる栄の顔は、自分が全く知らない人物だった。今朝の栄が、あの悲しげな顔ではない事が、美夜には救いとなった。
昼休憩に入ると、美夜は光に頭を下げた。
「今朝は、すみませんでした」
光は持っていた丼を降ろす。
「……もう、落ち着いたか?」
美夜の瞳はまだ赤みが残っていたが、腫れは落ち着いている。
「はい。もう、大丈夫です……。本当に、ご迷惑おかけしました」
「俺は別に……」そう言うと、光は丼を持って親子丼を再び食べはじめた。
美夜も丼を手に持つと、少しずつ食べ進める。今週は光が賄い担当だったが、まだクリームシチューは出ていない。
「おいしい……」
「うん」
「コウさん」
「なに?」
「明日、シチューを作ってくれませんか?」
光は顔を上げて美夜を見た。
美夜は少し俯き加減ではあったが、小さく微笑んで、じっと丼を見つめている。
「私、コウさんの作ったシチューが食べたいです。すごく美味しい。あれを食べたら、きっと心も元気になれる気がするんです。お願い出来ませんか?」
その願いに、光は小さく微笑むと「わかった」と言い、丼の中身をかき込んだ。
翌日、光の作ったシチューを食べた美夜は、本人が言っていた通り心が元気になったのか、以前と変わらず明るい笑顔を見せた。その笑顔は、決して無理した笑顔ではなかった。その姿を、光は満足そうに見ていた。
七月に入ると、中元用や帰省の土産物として、焼き菓子の詰め合わせが、どんどん売れていく。店内にもコンスタントに数名の客が入って、お茶の時間を楽しんでいた。
厨房では通常よりも多めに焼き菓子を焼いていったが、それでも足りなくなる菓子も出てきた。
「なんだか、今年はやたらと売れるな……。客が増えたのかな」
光は喫茶に補充分の焼き菓子を持って行くと、独り言でもいうように栄に話しかけた。
「確かに、お客は増えたよ。下の本屋もそこそこ来てるし。美夜ちゃんが上にお客回してくれてるのも関係あるかもな。あの子、誰かさんと違って接客が上手いんだな」
光は目を細くして栄を横目で見た。栄は見て見ぬ振りをして、コーヒーカップを拭く。
店のドアが開き、ドアに付いた呼び鈴がなった。
二人は「いらっしゃいませ」と声を揃えて言うと、入ってきた女性客は、不機嫌そうに栄と光を一瞥し、顔を逸らした。
女性客は五十代前後に見えた。神経質そうに眼鏡を何度も触り、ケーキのショーケースを食い入るように見た。
「こちらでお召し上がりですか?」
栄はいつもの営業スマイルで女性客に声を掛けたが、女性客は栄をぎろりと睨み付けただけで、何も答えなかった。
「お決まりになりましたら、お声掛けください」
栄は顔を引き攣らせながら言い、一歩奥へ下がった。
光は焼き菓子を並べながら不機嫌な顔をしている。その顔を見た栄は、光の脇腹を突き、心の中で「笑え!」と呟きながら、光に、にっこり笑って見せた。
光は益々眉間の皺を深くし、栄を見る。
これは駄目だと思った栄は、光に厨房に戻るように足で促したが、光は何故か戻ろうとしなかった。そんな所に、女性客が「すいません」と不機嫌な口調で声を掛けてきた。
「はい。お決まりですか?」
「これ、何時間持つのかしら?」
「こちらにあるケーキは全て、保冷剤を入れても二時間程度が限度になります」
「五時間持たせられないの?ここのケーキが美味しいって聞いてここまで来たんだけど」
女性客は横柄な態度で言ってきた。まるで自分がわざわざ足を運んでやったのよ、私の言うとおりにしなさいよ、と言わんばかりの態度であった。
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