第109話 失恋
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電車に乗り込むと、夕方のためか、帰りの通勤客で混み合っていた。
栄は吊革に捕まりながら、不意に思い出したように美夜に話しを始めた。
「そういえば、この間、柳原さんに会ったんだって?」
その言葉に、美夜は苦笑いをして「ええ、まあ」と頷く。
「コウから聞いたよ。すごい剣幕で彼女に怒鳴ってたって」
栄は微かに頬を緩めながら言った。
美夜は穴があったら入りたい気分で「ええ」と困ったような表情で苦笑いを返す。
「俺も嬉しかったよ」
「え?」
「里々衣のこと、庇ってくれたって聞いて」
美夜は小さく頷いた。
「里々衣は、唯一、百合が俺に残してくれた、大事な宝なんだ……。どんな事があっても、守らなくちゃいけないんだ……」
まるで、自分に言い聞かせるかのように、栄は呟くように言う。
美夜は顔を前に向け、黙ったまま沈んでいく夕日をじっと見つめた。
駅に着くと、外はすっかり暗くなっていた。丁度バスが来ていて、栄と美夜はバスに乗り込んだ。
「暗くなってきたね。家まで送るよ」
栄は外を眺めながら言った。
「いいえ、大丈夫です。これ以上遅くなったら、里々衣ちゃんが可哀想です。それでなくても、本来なら今日は里々衣ちゃんと過ごす日だったのに」
「はは……。でも、里々衣も、そろそろ小学校に行くんだし、人見知り脱却訓練をしないとね」
「脱却訓練?」
「そう。里々衣を通わせてる保育園は、二十四時間態勢の所でね。毎週水曜は、里々衣の好きな先生が居ないんだ。他の先生じゃ手が付けられなくてね。水曜は休ませて、うちに居るんだよ。土日は祖父母に見てもらってるけど」
栄は「本当、困った奴だ」と笑った。
「そうだったんですか……。あ、だから水曜がお休みなんですか?」
「いや、そう言う訳じゃないんだ。ケーキ屋って、小さい個人店は、水曜休みが多いんだ。それを真似てみただけ。たまたまだよ」
「そうなんですか」
「今頃、コウと夕飯の支度でもしてると思うから、里々衣の心配は大丈夫。送るよ」
その申し出を、「いえいえ」と美夜は手を振って断る。
「本当に大丈夫です。お気遣い、ありがとうございます」
美夜がそう言うと、栄は「そう?」と、少し困った笑みを浮かべた。
「ごめんね。ありがとう。じゃあ、気をつけて帰ってね」
「はい。また明日、よろしくお願いします」
笑顔で返すと、栄もいつも通りの笑みで「うん」と頷く。その顔を見て、美夜はどこかホッとした。
栄は商店街前でボタンをすと、先にバスを降りる。走り去るバスに、栄が小さく手を振っている。美夜は微笑みながら手を振りかえした。栄が見えなくなると、美夜はゆっくり手を下ろした。
美夜の目の前に座っていたサラリーマン風の男が、ぎょっとした顔で美夜を見上げた。
美夜の頬には、幾筋もの涙が流れていた。
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