第106話 良い奴だよ
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最後の一口を口に運ぶと、栄はパンくずを払うように軽く手を叩き、満足そうに鼻から息を吐き出した。
「お腹いっぱいですね。こんなに食べられるとは思いませんでした」
「旨いと、止まらないよね。腹一杯でも、つい手が出ちゃうでしょ」
「そうですね」
美夜は笑いながら頷く。いつの間にか緊張が解れていたのか、食事がとても美味しかったと思えた。始めに口にしたサラダも、スープも、とても美味しかったと。
お茶を飲んでいると、徳山が厨房から出てきた。
「どうだった?うちのパスタとピッツァは」
「とっても美味しかったです。こんなに美味しいイタリアンは初めて食べました」
美夜は頬を赤らめ、興奮したように感想を述べると、徳山は「それはよかった」と照れたようにこめかみを掻き笑った。
「まだ、お腹に余裕ある?」
「もう腹一杯だよ」
栄がお腹をさすりながら応える。
栄の腹を見た徳山は「お前、腹出てきたんじゃねえか?」と、からかうように言った。
「ジェラート、入らない?」徳山は美夜を見て言った。
美夜は自分のお腹を見て「どうしよう」と呟く。すると徳山は「お、と言うことは?」と、いたずらっ子のような表情をして美夜に顔を寄せる。
「別腹が出動するってことかな?」
美夜は徳山の顔を見て「へへ」と照れ笑いをした。
「そう来なくちゃ。折角来たんだ、お前も食ってけよ。俺の奢りだ」
徳山は栄の背中を軽く叩くと、栄は「じゃあお願い。とびきり旨いので」と注文した。
徳山は「了解」と満面な笑みを見せ、厨房へ戻っていった。
「トクはね、本当はパティシエを目指していたんだよ」
栄は穏やかな表情で話しを始めた。
「でも、オヤジさんが倒れて、お兄さんがここを切り盛りしていたんだけど、そのお兄さんも事故にあって右手を負傷してね。あいつは、この店が大好きだったから、俺がここを守るって言って、パティシエ修行から一転、ピザ修行をしたんだ。そしたら、パティシエより、こっちの方が才能があったのか、見る見るうちに上手くなってね。気が付けば、オヤジさんと同じ味を作れるようにまで成長したんだ」
「まだまだ、修行の身だけどね」
いつの間にかテーブルの前に来ていた徳山が、栄と美夜の前にグラスに入ったジェラートを置いた。
「どうぞ、召し上がってください」
「これ、なに味?」
「ハルのはパッションフルーツ。お嬢さんのはミックスベリーだよ」
二人はほぼ同時にジェラートを口にした。
少し油の残った口の中が、一気に爽やかになる。
「旨いよ」栄は徳山に微笑みかけた。
「そう?おまえの所の弟には敵わないけどな」
徳山は爽やかに笑う。厭味ではなく、パティシエを目指していた者として、尊敬の意味が含まれている様だった。
「まあな。コウは何て言っても、天才パティシエだから」と、栄はふざけながらも、自慢げに本心を言う。
徳山は笑いながら「言ってろよ」と言い、厨房へ戻っていった。
「いい方ですね」
美夜は徳山の後ろ姿を見送りながら言った。
「うん、すごく良い奴だよ。美夜ちゃん、どう?あいつ。独身だよ」
栄はにっこりと微笑んだ。美夜は「え」と何度か瞬きをすると、視線を落とした。
栄の笑顔が、何か違って見えた。急に、とても遠くに感じたのだ。
美夜は黙ってジェラートを食べた。再び、味を感じなくなってしまった。冷たさ故、または戸惑いからなのか分からないまま、美夜は次々と口に運んだ。
店を出ると、二人はどこへ行くと決めずに、のんびりと並んで歩いた。
美夜は終始黙ったまま、栄の隣りを俯き加減で歩いている。栄は横目で美夜を見た。
栄が徳山を薦めるような言葉を言ってから、美夜は黙りっきりだ。店の会計で「ありがとうございます。ごちそうさまです」と言った以外、何も話していない。だが、栄自身も、何も話していなかった。どう話しをすればいいのか、何を話したらいいのか、考えていた。
「美夜ちゃん」
「はい」美夜は顔を上げ、栄の横顔を見た。
栄は美夜に顔を向けると「水族館、行こうか」と小さく微笑んだ。
美夜は「はい」と微笑み返すと、二人は電車に乗って場所を移動した。
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