第102話 スケッチブック
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少し長めです。
栄は紅茶を入れると、美月いる席に運んだ。
「どうぞ」
美月はスケッチブックから顔を上げて栄を見上げる。
「え?今日は頼んでないけど?」
少々驚いた様子で言う美月に、栄は「サービスだよ」と言い、美月の前の席に座った。
美月は小さく微笑むと「サンキュー」と言って早速、紅茶を飲んだ。
「どんな絵を描いてるの?」
栄は顎でスケッチブックを指す。
美月は「ああ、これ?」と言って、栄にスケッチブックを差し出した。
栄はスケッチブックを受け取ると、まだ未完成の風景画を見た。
「この風景……」栄は絵を見たまま囁く。
「想像だけどね。私、ギリシャに行った事無いし。でもさ、ここの店の写真見てると、その奥の風景が見える気がして。頭の中に浮かんだんだよね。それで、あまりに綺麗な風景だなって思って……」
栄は黙ったままスケッチブックを見た。
ページをゆっくり捲る。その中には、栄と光が見た、日差しの眩しいギリシャの風景が描かれていた。
もう一枚ページを捲ると、里々衣を描いたスケッチ。
その辺で人物画を書いている画家よりも、上手く描かれている。
「すごいよ……」栄は正直な感想を口にした。
描かれた里々衣の顔は、笑った顔、拗ねた顔、眠そうな顔と、幾つか描かれていたが、どれも栄がよく知っている里々衣の顔だった。
「よく観察してるね。この顔なんて、良く描けてる」
そう言って、里々衣の惚けた顔を指さした。
美月はそれを見て笑うと、その絵を描いた時のエピソードを聞かせた。
「それ、先月の祭りの時だよ。たこ焼き買って二人で半分ずつって食べてたの。で、私がちょっとよそ見してたら、私の最後の一個食べちゃってさあ。で、食べたでしょうって言ったら、ううんって、その顔しながら首振ったの。それがあんまりにも可笑しくて、脳裏に残っててね。それで家に帰ってから描いたんだ」
栄は「しょうがない奴だな」と困った顔で笑った。
美月は栄の緊張が解れたような表情を見て、ほっとしたように笑った。
「美月ちゃんは、絵の関係の仕事に就こうとか、思わないの?」
栄はスケッチブックを返しながら訊ねる。
美月は「うん」と唸りながら、首を捻った。
「あんまり、考えた事無いな。描く事は好きなんだけど、プロになろうとか、なりたいとか、思ったこと無いな」
「どうして?」
「どうして?」
美月は栄の質問にオウム返しに答えると、腕を組み、眉間に皺を寄せた。
「どうして?そうだなあ……。絵描きってさ、世の中、ごまんと居るでしょう。上手い人も、下手な人も。でもさ、私からしてみれば、え!?どうしてこの絵が人気あるの?とか、どうしてこんなに良い絵が評価されないの?って感じで。前にね、テレビで、タレントが絵を出展して、入賞したっていうの見て、愕然とした」
「どうして?」
「だって、ものすっごく下手だったんだ。乱暴で、汚い色ばっかり使って。そんな絵、見てるだけで気持ち悪くなるっていうようなのが、賞に入ってるんだ。それで分かったのが、有名人だったからってことだった。それで話題性も上がるしね。つまり、人寄せパンダ」
美月は紅茶を一口飲んだ。
「……お金があれば、有名であれば、裏工作が出来る世界。しかも、日本で頑張っていた時は評価しなかったくせに、世界で有名になった途端、ちやほやする世界。そんな中に、入りたくないって思った」
栄は両手を組むと、組んでいた足の上に乗せた。
「随分と、詳しいね」
美月は栄を一瞥すると、小さく頷き、窓の外に目を向けた。
「高校の時の親友に、画家の娘がいたんだ。その子のおじさんの絵、私は大好きだった。それなりに名前は出てたけど、世間全般から見たらまだまだ有名な域には居なくて。知る人ぞ知る、みたいな感じでさ。……ねぇ、ハル」
「ん?」
「日本ではさ、画商とかがバックに居ないと、有名になれないんだ。絵の事を大して知らない人間までもが知るには、そういうところで売るしかないんだ……。でもさ、本当に売れるまで、自分が描きたい絵を、描けない。足元だって見られる。私は、そんな世界には入りたくないんだ……」
その言葉を聞いただけで、友人の父がどんな画家生活を送っているのか、なんとなく想像が付いた。美月は、夢に向かう前に、汚い世界を見過ぎたに違いない。
栄は「そうか」と言った以外、何も言わなかった。
「でもね、絵本には興味があるんだ」
「絵本?」
「うん」
美月は大きな瞳を輝かせ、栄を見た。栄はその瞳に吸い込まれるように、何故か目が離せなくなった。
「里々衣と遊んでたら、色んな話しが浮かんだんだ。今まで、話し付きの絵は描いた事がなかったんだけど。でも、不思議なぐらい、色んな話しが浮かぶんだ」
「どんな話しなの?」
「まだ、ちゃんと纏まっていないんだけど……」
そう言うと、美月は自分の頭の中に浮かんでいる絵本の内容を、栄に話して聞かせた。
栄は話しを聞きながら、美月の想像力の豊かさを感じた。
話しを聞き終わると、栄は「うん」と頷く。
「すごくいい話だと思うよ。いつか本が出来たら、是非読ませてくれないか?」
美月は照れたように微笑み「うん、いつかね」と返した。
「ただいまあ」
「あ、帰ってきた」
美月と栄は顔を見合わせて微笑む。
栄は椅子から立ち上がり「お帰り」と大きな声で返事をした。
里々衣は雪と手を繋いで店内に入ってきて素早く美月を見つけると「あ、みじゅちゃんだ」と言って、駆け寄った。
「すっかり懐いて。本当、仲良しよね、あの二人」
雪は買い物袋をカウンターの上に置きながら笑った。
栄は「そうですね」と答えると、穏やかな表情で二人の姿を見つめた。
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