その頃のフェルム
少しずつペースを戻していきます
アッシュがダンジョンの探索中、フェルムに留まっていたゼルティウスは相変わらず、悠々自適の暮らしをしていた。
「はい、それじゃあ今日はここまで」
フェルム滞在中のゼルティウスの生活パターンは、ほぼ決まっており、午前中はフェルムに住む子供に対して剣の稽古をつけている。もっとも稽古と言っても、体力づくりの一環としてのチャンバラ遊びに過ぎないものであったが。
実践的な剣術を幼少期から教えたところで将来使うかどうかも分からないので必要はない。しかし、様々な身体運動を行うことは感覚の発達などに影響を与えるため、ゼルティウスは剣の振り方自体よりも体の動かし方を学ぶことや体力づくりを重視し、子供たちの発達に良い影響を与えられるように努めていた。
「ありがとうございました!」
子供たちが礼をして稽古は終わりとなる。
ゼルティウス自身は礼儀はそこまで重視するものでもないと思っていたが、将来的には役に立つので礼儀作法なども剣術を通して子供たちに教えている。
もっとも、ゼルティウスの指導は剣術の楽しさを教えることを最優先としているので、礼儀作法にあまり厳しくして剣術の楽しさを見失ってしまわないようには気を遣っていたが。
「気をつけて帰りなさい」
子供たちの見送りもそこそこにゼルティウスはすぐさま午後の準備に取り掛かる。
午後からは大人のための稽古となるのだが、その際の指導は中々に手間がかかる。
大人に向けてもゼルティウスは子供に対するものと同じように厳しく指導するということはない。ゼルティウス自身の剣の流儀というものもあるが、それにこだわったり、それだけを教えるようなことはせずに必要なことを柔軟に教えるのがゼルティウスのスタンスだった。
剣を学ぶ誰もが剣の道を極めようという志を持っているわけではないし、持つ必要もない。
剣の在り方は人それぞれ。それがゼルティウスの持論であり、人それぞれであるのだから、どのような目的で剣を振ろうがゼルティウスはそれを否定せず、人それぞれの剣の在り方を尊重するように努めている。
そういったスタンスのせいもあってゼルティウスの剣術道場は極めて緩い雰囲気であった。
最初はフェルムの街の外で剣を教えているという物珍しさから、ゼルティウスに対して試しに剣を習う者もいたが、段々とその緩い雰囲気がフェルムの人々にも周知され始め、何かしらの武芸を学びたいものの、厳しい道場は嫌だという人々が集まり始め、その内に段々とゼルティウスの教え方も評判となっていた。
ゼルティウスは基本的に相手にとって必要と考えられること教える。
それは道場に通う者のニーズに合わせた指導であり、コースやメニューを設定して可能な限り道場に通う者のニーズに応えられるように努めていた。
そして、その中には運動不足の解消を目的としたエクササイズコースさえあった。
剣を振るうことを通して、運動不足を解消し健康な生活を送れるようにする。
ありとあらゆる世界を旅して多くの剣を学び、様々な剣の在り方を見てきたゼルティウスはにとってはそれもまたアリだった。
もっとも、そういった運動不足の解消のためだけに剣を学びに来るものばかりではない。
例えば、騎士の家系の子息が騎士になるための試験に必要とされる剣術の技能を学びにゼルティウスに教えを請いに来ることもある。そういった場合、ゼルティウスは貴族的な宮廷剣技を教えるし、それに付随する礼儀作法も教える。また、実戦的な剣術の教えを請いに来るものがいたならば、当然、実戦的な剣術を教える。
剣術に関してであれば、ゼルティウスは実戦剣術も道場剣術も形式ばった儀礼的な剣術だろうが何だろうが教えることは出来るし、腕の立つ武芸者にありがちな勿体ぶった態度も無く、教え方も丁寧。
そういった評判が伝わり、フェルムの街ではゼルティウスに教えを請う者はますます増えていき、それは強さを求める冒険者に留まらず、貴族の子弟の剣術指南役を依頼されるほどであった。
「──はい、それでは今日はここまで」
日が傾き出した頃、ゼルティウスは今日の稽古の終わりを告げる。
この日は運動不足の解消に来た商人が数人と、純粋に剣を習いに来た冒険者が数名だった。
「皆さん、体力もついてきましたし、そろそろ負荷をかけていくのもいいかもしれませんね。健康のために体重を落としたいという方もいらっしゃるようですし、そのためのトレーニングもしていきましょう」
アスラカーズと違って、まともな人付き合いのできるゼルティウスは丁寧な言葉遣いもできる。
「冒険者の皆さんは、次回からは戦う相手を想定しての稽古をしていきましょう。人間相手と魔物相手は当然違いますし、魔物にしても様々な種類がいて、それぞれに有効な戦い方は違うので予習をしておくことも必要です。次回までに自分たちが戦う可能性の高い相手について考えてきてくるようにしてください」
このようにゼルティウスは丁寧な指導をもって自分の道場を盛況に導いていた。
日が沈みかけ夕方になってもゼルティウスの仕事は終わらない。
ゼルティウスに剣術の指導を依頼するのは平民だけではなく、フェルムに暮らす少なくない貴族もまたゼルティウス剣術の指導を依頼していた。
それはゼルティウスの評判を聞きつけた貴族が物珍しさに雇ったことがきっかけであったが、思いもがけずにゼルティウスの教えはマトモであったことから、ゼルティウスに剣を習おうとする貴族も段々と増えていた。
貴族が氏素性も知れぬ輩に教わるなどと言われそうな物だが、武芸者などは考えようによっては一般社会から隔絶した世界に生きている人々であるので、世俗の身分でとらえる必要もないと考える貴族もいる。
また、平民出身の芸術家などを食客として囲っている貴族もいるのだから、剣を教わることも問題ないと判断する貴族もおり、そういった貴族たちがゼルティウスに剣を教わっていた。
夕方に剣術の指南を依頼されたのはフェルムの旧市街にある、とある貴族の家。
貴族といっても領地を持つような貴族ではなく、フェルムを治める代官の補佐を務める法衣貴族いわゆる文官の家だった。
「だいぶ上達しましたね」
それなりに大きな屋敷の庭でゼルティウスが剣を教えるのは、その家の令息だった。
小太りの少年は顔を上気させ、息を僅かに荒くしながらも充分な手応えを感じているようだった。
多少は自分にも才能があるのでは? ゼルティウスは少年がそう思えるように剣を教える。
実際に才能があるわけではないが、わざわざ才能がないという必要もないし、体力づくりの一環のつもりで教えているのだから厳しくするつもりもなかった。楽しく剣を振るって、ほどほどに体力がつけば良し、そういうつもりで教えているのだからハードワークはもってのほかだというのがゼルティウスの考えだった。
「これなら騎士になる試験は通るだろうか?」
少年の質問に対してはゼルティウスは何とも言えない。
この世界の騎士が試験で選抜されるというのも最近、聞いた話であるし、平民や下級貴族がより高い社会的地位に成り上がる手段はそれくらいだと聞いたのも最近である。当然、試験の合格基準も分からないのだから、ゼルティウスが言えることは無い。
ゼルティウスが出来ることは知る限りの騎士としての武芸や礼儀作法を教えることくらいだ。
それでもまぁ、何もないよりはマシだろうとゼルティウスは思っていたし、少年の両親もゼルティウスの教えに満足していたのだから特に問題は無かった。
「それはなんとも言えませんが、上達しているのは確かですし、このまま頑張っていきましょう」
当たり障りのない言葉を言うゼルティウス。
そもそもゼルティウスの考えでは騎士になるにあたって、剣の腕はそこまで必要ないと考えている。
この世界の常識は知らないものの、ゼルティウスの感覚では貴族出身の騎士ともなればエリートコースにはなるだろうし、自分で剣を振るうことは少ないはず。そして、そのうちに部下を率いる立場になるだろうということを考えれば、剣だけではなく兵法についても教えておくべきだろうし、むしろそちらの方が重要であるようにゼルティウスは感じていた。
「とりあえず今日はここまでにしておきましょう」
そう言うとゼルティウスは屋敷の庭にあったベンチに腰を下ろし、少年に隣に座るように促す。
剣術指南を始めた当初は反抗的で平民に剣を教わりたくないと言っていた少年は気付けば、ゼルティウスに敬意をもって、その言葉に従うようになっていた。
「昨日の話の続きでも話しましょうか」
優れた実力を持つ人間に対する敬意というのもあったのかもしれないが、少年にとってゼルティウスが稽古の終わりにしてくれる話は極めて興味と関心を惹かれるものであり、それによって少年はゼルティウスに心を開いていた。
ゼルティウスがする話は自分の冒険譚を脚色した物だったり、様々な異世界で見聞きした物語であった。
ゼルティウスとしては、少年と良い関係を築くというためだけに、そういった話をしているわけではなく、少年に必要な兵法の基礎を物語を通して伝えているつもりであり、これも指導の一環であった。
過去の自分の冒険を話していると日も暮れ、ゼルティウスは自分の寝床に帰る。
それがここ最近のパターンであるのだが、この日は違っており、ゼルティウスが帰ろうとすると屋敷の主人がゼルティウスを呼び止めた。
何事かと思って屋敷の主人の顔を見ると、代官の補佐官を務める屋敷の主人は申し訳なさそうな顔でもってゼルティウスに言うのだった。
「一つ頼みがあるのだが良いだろうか?」
一芸を極めたものは平民であろうと敬意をもって遇するべきだという風潮があるせいで、剣の達人であるゼルティウスに対する言葉は丁寧なものだった。
ゼルティウスが嫌がるそぶりも見せないでいると、屋敷の主人はホッとした様子でゼルティウスに対して、その頼みを口にする。
「ピュレー商会の冒険者を護衛して欲しいんだが……」
何事かと思って聞いてみれば、護衛依頼であった。といっても、それは貴族ではなく冒険者。
話を詳しく聞くと、冒険の最中の護衛ではなく、祝賀パーティーの際に冒険者を護衛して欲しいという依頼であった。
「護衛対象はフェルム周辺のダンジョンを全制覇した冒険者達なのだが、ギュネス商会の冒険者達が暗殺されたこともあって警備体制を強化するという話になって……」
それで自分を護衛を頼みたいということかとゼルティウスは納得する。
アッシュから冒険者が暗殺されたという話は聞いていたので、この展開自体に関しては疑問は抱かない。
ダンジョンを制覇した冒険者パーティーが殺害されるということが、もう一度起こらないとも限らないので、護衛は多いにこしたことはないし、少しでも腕の立つ者を集めたいという気持ちも分かる。
「ピュレー商会の支店長とは懇意にしていて、酒の席でキミのことを話したら是非とも護衛を頼みたいと言われてしまって……」
そういった理由があるというならば、なおさら断るのも躊躇われた。この屋敷の主人には色々と世話にもなっているからだ。
何処の馬の骨とも分からない自分を息子の剣術指南役として雇ってくれているのだから、そういった恩を返すと思えば、頼みごとの一つくらい聞くことはなんでもないというのがゼルティウスの考えであった。
「構いませんよ。それで祝賀会はいつになるんですか?」
アッシュがダンジョンにて戦闘を繰り広げている頃、フェルムにいたゼルティウスの戦いもまた始まろうとしていた──




