踏み潰して進む
──シルヴァリオ・ゴールドは自分の胸を貫く刃を見下ろしていた。
口からこぼした血で純白の祭衣を赤く汚しながら、他人事のようにどうしてこんなことになったのか、一日の出来事を思い返すのだった──
「──貪欲に富を求めることは悪ではありません。真の罪とは富を溜め込むことです──」
シルヴァリオは白神教会の司教として、アウルム王国の王都であるアウラルムの大聖堂で信徒を前に説法を行っていた。白神教会の教義はともかくとして、シルヴァリオ自身は金を稼ぐことを悪いこととは欠片も思っておらず、それどころか司教の立場を利用し、富を求めることを奨励していた。
「──富を求めるのです。そして、それを使いなさい。富は消費によって分配され、分配された富は貧しき者の救いとなります。散財こそが美徳、世のため人のために金を使うのです。神はそれを求めています──」
宗教など欠片も興味の無いシルヴァリオは適当な台詞を吐いて説法終わらせる。興味のあるのは金の話だけ。
司教の地位は白神教会の教皇であるイザリアから貰っただけであり、白神教にもその信徒にも何の興味も関心もないシルヴァリオは足早に立ち去ろうとする。だが、その前に──
「司教様」
信徒の子供たちが立ちふさがる。
煩わしい。シルヴァリオは一刻も早く金の臭いで満ちた空間に行きたかったのだが、無垢な子ども達が信仰の臭いを纏ってシルヴァリオの行く手を塞ぐ。
「司教様のために作ったんです」
そう言いながら子供たちは手造りの花飾りをシルヴァリオに手渡す。
司教としてアウラルムの白神教徒の尊敬を集めなければいけないシルヴァリオは笑顔でその贈り物を受け取るが、そこで子供たちに質問をする。
「この花は何処のものだろう?」
花飾りを手渡した子供たちは身なりもよく、上流階級の出とシルヴァリオはあたりをつける。
きっと良い生活をしているし、親の教育も良いのだろう。品が良く、常識的な生き方をしている者たちだと。
「花畑で詰んで自分達で作ったんです」
子供たちが笑顔で答えると、それを受けてシルヴァリオは笑顔で受け取りながら御礼を言う。
そして子供たちは喜んで立ち去っていったが、その後に一人残された子供がいた。
「どうしましたか?」
その子供はみすぼらしい身なりをしていた。
しかし、その手には一輪の小さな花を持っており、それをシルヴァリオに差し出していた。
「……あの……お小遣いで買ったけど……その……」
雑草とも言えそうなみすぼらしい花だった。
シルヴァリオの手には先程の子供たちが手渡した立派な花飾りがあった。けれど、シルヴァリオは──
「ありがとう」
そう言ってみすぼらしい花を受け取り、その場を立ち去った。
そして、シルヴァリオは人の気配の無い場所まで来ると──
「タダの物を俺に渡すんじゃねーよ」
子ども達から貰った立派な花飾りを床に叩きつけて踏みにじると、みすぼらしい身なりの子供から貰ったみすぼらしい花を自分の服の胸元へと飾った。
小遣いの使い道など他にもあったろうに、こんな花に使った心意気が素晴らしい。というか──
「やっぱり、贈り物として受け取るなら金を使ったものでないとね」
身銭を切るという行為自体が尊い──それがシルヴァリオの信条だった。
──シルヴァリオは大聖堂の地下へと降りていく。
そこは高位の聖職者のみ踏み入ることが許される聖域──となっているが実際は──
「今日も大盛況やな」
大聖堂の地下は広大な遊技場となっていた。
シルヴァリオが陣頭に立って作り上げた空間は彼にとって理想郷。
金・銀・銅貨が舞い散り、美酒美食に溢れ、怪しげな薬の臭いが漂う。
客はアウルム王国の貴族に豪商、それ以外にも地位も名誉も持った人々が剝き出しの欲望を顔に浮かべ、賭けごとに興じている。
賭けの代価は金銭も人命もなんでもあり、片隅を見れば美男美女が首に値札を掛けて物のように競り落とされている。
金銀財宝、人の命も何もかもが価値を持ち取引されるこの空間。
全てに値がつき、金でやり取りできる。人の命も尊厳も数枚の金貨で買えるのだ。
あぁ、なんと素晴らしき悪徳。
あぁ、なんと素晴らしき混沌。
シルヴァリオは自分が作り上げたものに満足を感じ、同時に渇きを覚える。
この世の全てがこうなれば良い。この空間だけではなく、世界全てを同じ色に染めたい。
これが自分の願いなのだと、シルヴァリオは自身の理想の似姿である空間を訪れる度に実感する。
「……司教閣下」
カジノのスタッフが怯えた様子でシルヴァリオに声をかける。
「ここにいる時は支配人と呼んでほしいんやけど?」
この世界に自分を召喚したイザリアへの義理で司教をやっているだけなので、その肩書きで呼ばれるのは気持ちの良いものではない。
「ま、ええわ。それで? 何の用や?」
「ブバリアス様がお呼びしておりまして」
「あのアホか。どうせ、なんかやらかしたんやろ?」
ブバリアス・ブローデンブルトは白神教会の聖騎士。それもいくつかある聖騎士団の団長の一人。人間性はともかく手駒として役に立つのでシルヴァリオは使っている輩だが、問題も多い。
「俺も忙しいんやけどな」
吐き捨てるように言うと、シルヴァリオはスタッフを押しのけ、ブバリアスがいるVIPルームに向かう。
そして辿り着いた先のVIPルームの扉の前に立つと、扉の向こうから乱痴気騒ぎが聞こえてきた。
「邪魔するでー」
ウンザリした気持ちでシルヴァリオが部屋の中に入ると、ちょうど──
「ブフぅ」
ブバリアスが戯れに女の首をへし折っている場面に出くわした。
シルヴァリオはその光景にさして興味を持たず、近くにあった椅子に腰かける。
部屋の中を眺めるとあちこちに裸の女の死体が転がっているが、この世界では人間の死体にはさして金銭的価値が無いのでシルヴァリオは興味の埒外に置くことにしてブバリアスを見る。
「俺を呼びつけるとは随分と偉くなったもんやなぁ」
シルヴァリオはブバリアスを睨みつける。
ブバリアスの周りにはその部下もいるが、シルヴァリオは何も気にしない。
「気に障ったか?」
同様にブバリアスも何も気にしていない様子でシルヴァリオに話しかけながら、女の首をへし折った手でテーブルに置いてあった食事を手づかみして口に運んで、貪り食う。
「別にー、大事な用件やったらかまわんでー」
「ブヒ、なら良いんだが。アンタにイラつかれると俺様も寿命が縮むんでな」
「それならさっさと用件を言った方が良いと思うんやけど?」
ブバリアスは肩を竦めると悪びれもせず──
「ブフフ、ちょっと厄介な奴にあってな。アンタに始末して欲しい」
対してシルヴァリオは呆れた顔で──
「俺の方が用心棒としてアンタらを雇ってるはずなんやけど?」
「ブヒヒヒ、そうは言ってもアンタの方が俺様たちより強いんだからしょうがないだろう?」
下卑た笑いを浮かべるブバリアス。
ブバリアスはどんな態度を取ろうが自分が切り捨てられることなど無いと確信しているようだった。
実際、シルヴァリオはまだブバリアスを利用しなければならない。人間性や勤勉さはともかくとして、ブバリアスとその手下はシルヴァリオにとっては汚れ仕事も行える貴重な実行部隊だ。
「はぁ、しゃあないな。今回だけや。──で、どんなツラの奴や」
「ツラと言われても説明が難しいな。とにかく世の中舐めくさってるような顔の男だ。自分がこの世で一番スゲェって顔に書いて生きているようなツラ」
「なんやそれ、顔もよう分からん奴を探してこいって俺に言っとるんか? アホくさ、せめてお前らが俺の前に連れてこなけりゃ、俺もどうもできんわ」
話にならないといった感じでシルヴァリオは席を立ちながら──
「始末して欲しい奴がいるなら、俺の前に連れて来い。そしたら、俺がやっつけたるわ」
ウンザリするが貴重な手駒だ。不要になるまでは面倒を見なければならない。
シルヴァリオはブバリアスとその部下をVIPルームに置いたまま、カジノのフロアへと向かう。
金が舞う至高の空間。
誰も彼もが欲に溺れているが、それがシルヴァリオは愛おしい。
「どうです、楽しんでいますか?」
シルヴァリオは両脇に美女を侍らせた壮年の男に声をかける。
「これはこれは司教殿。いやはや、ここは素晴らしいですなぁ」
アウルム王国の伯爵だっただろうかと、シルヴァリオは男の肩書きを思い出す。
最初にここを訪れた時は真面目くさった顔をしていたが、今では立派な俗物。両脇に侍らせた女の体をまさぐりながら、ギャンブルに興じている姿はろくでなしのそれだ。
「ここに来れば何でも手に入る。美食、美酒、美女。司教殿のおかげで楽しませてもらっていますよ」
それは良かったとシルヴァリオは笑顔を浮かべる。
浪費し、散財する。その行いが素晴らしいことだとシルヴァリオは心から思っており、その行為に耽る者たちをシルヴァリオは好ましく思っている。
「支配人、お客様に御挨拶をお願いします」
伯爵と話していると、シルヴァリオにカジノのスタッフが耳打ちをする。
客の前で一言何か言ってほしいということだ。
「ここは神の目も届かぬ聖域、俗世の事など忘れ、思う存分お楽しみください」──とでも言えば良いだろうといつものように思い、シルヴァリオはカジノの中央へと向かい、そして客が見渡せる場に立ち、口を開いた。
「ここは神の目も届かぬ聖域──」
その言葉を発した瞬間だった。
不意に背後に気配を感じ、それと同時にシルヴァリオの背を刃が貫いた。
「残念ながら、俺の目は届いたぜ」
シルヴァリオは呆然と自分の胸から生えた刀を見下ろしていた。
しかし、背後から聞こえてきた声で意識が覚醒する。
「──おまえ」
シルヴァリオは自分を貫いた刃の主が誰なのか気付いた。
そして、その顔を確認しようと振り向こうとしたが、それよりも背中を蹴り飛ばされる。そして、その衝撃で刀が引き抜かれ、シルヴァリオは床を転がる羽目になる。
突然の凶行。
カジノの客全員がシルヴァリオが刺されたのを見ており、場は騒然となる。
悲鳴をあげ真っ先に逃げる者、動けずにその場に立ち尽くす者、身を守るために護衛を呼ぶ者。
そんな中で、刃で貫かれた当人であるシルヴァリオはカジノの床に突っ伏しながらも自分を刺した相手を見て叫んだ。
「──アスラカァァァズ!」
ここで自分を殺しにくるか? ここは自分の本拠地だぞ?
正気ではないと思いながら、シルヴァリオは更に信じられないものを見た。
自分を刺したアスラカーズ──アッシュ・カラーズは顔を隠すようなことをせず、その場に立っていた。
「……おまえ、ここにどんだけの人がいるか分かっとんのか?」
口から血をこぼしながらシルヴァリオはアッシュを見据えて言う。
シルヴァリオは傷を治しながら立ち上がる。
「ここには、この国の貴族や商人、お偉いさんが山ほどおるんやぞ。その人らに俺を刺した所を見られりゃ、この国ではやってけへんようになるとわかるやろうが!」
ここで自分に手を出すほどのアホとは思っていなかった。
だから、油断していた。衆人環視のもと、地位も名誉もある自分を問答無用で殺しに来るほど馬鹿ではないと、シルヴァリオは自分がアッシュを過大評価していたことに気づかされた。
「もう、アンタは終わりや。この国では二度と表舞台に立つことは不可能や」
シルヴァリオはアッシュを指さし、勝ち誇ったように言う。
対してアッシュはわざとらしく肩を竦め、何を言っているか分からないという様子で──
「俺とキミが殺し合うことに国とか関係あるのかい?」
アッシュはそう言うと悠然とした歩みでシルヴァリオのもとへと向かう。
その眼差しはシルヴァリオだけを見ており、シルヴァリオは気付いた。この国でお尋ね者になろうが、そんなことはどうでもいい。とにかく自分と決着をつけることしかアッシュは考えていないことに。
「イカレ野郎が、後先考えないにもほどがあるやろ」
シルヴァリオは貫かれた胸を押さえながらアッシュに背を向けて逃走を図った。
戦って勝つことは今は不可能だとシルヴァリオは理解している。とにかく準備が足りていないのだ。必要な物も、戦場の用意もしていない。この状況では良い勝負はできても勝利までは得られない。
だからシルヴァリオは逃走を選んだ。
カジノに残っていた客を盾にするようにしながらシルヴァリオは出口に向かって走る。
「逃げんなよ」
アッシュは逃げるシルヴァリオを真っ直ぐ追う。
その間にはカジノの客が壁になっていた。
「貴様、何者だ!」
カジノの客は貴族であり、護衛を引き連れている。
当然アッシュが近づけば、剣を抜き、撃退しようとするのだが──
「抜くまでもねぇ」
刀を鞘に収めたアッシュは自分の歩みを妨げようとする護衛を問答無用で殴り倒し、果ては貴族を顔面に拳を叩きこんでどかし、シルヴァリオを追う。
「アンタ、今ぶん殴ったのこの国の伯爵やぞ!」
逃げるシルヴァリオは後ろを振り返りながらアッシュに向けて叫ぶ。
「知らねぇなぁ!」
貴族を一人殴り倒したことで、その場に残っていたカジノの客と護衛はアッシュを危険な存在と判断し、身を守るためにアッシュに自分から仕掛けた。
「邪魔すんなよ」
問答無用。アッシュは立ちふさがる全てを踏みつぶし、シルヴァリオを追う。
──本当にイカレている。カジノの客は皆アウルム王国の有力者だ。それを殺しはしていないが殴り倒しているアッシュ。おそらく自分が殴っている相手がどういう素性かは察しがついているだろう。けれど、そんなことは関係ないと、自分を追うことだけしか考えていないアッシュの狂気にシルヴァリオは恐怖を抱く。
「ブバリアス! 仕事をしろ!」
シルヴァリオは叫ぶがブバリアスは姿を見せない。
おそらく騒ぎを聞いた瞬間に部下と共に逃げたのだろう。
戦闘能力は高いが、ブバリアスは面倒事には関わらない。
「役立たずが!」
「おいおい、どこまで逃げるんだよ」
背中にアッシュの声が投げかけられる。
シルヴァリオは地下から地上へと向かう階段に足をかける。
「司教殿? どうされた?」
ちょうど、そのタイミングで階段を下りてきたのは──
「王子殿下!」
最高のタイミングだとシルヴァリオはほくそ笑む。
腕の立つ護衛もかなりの数を引き連れている。これで多少の足止めをするのが良いだろう。
そう判断したシルヴァリオは──
「殿下、暗殺者です!」
シルヴァリオは振り返り、自分を追ってくるアッシュを指差した。
ちょうど、アッシュは自分に斬りかかってきた騎士の頭を掴み、床に叩きつけているところで──
「なるほど、私を狙ってきたか」
王子は剣を抜き、護衛の騎士達は王子を守るように陣形を組む。
その背後でシルヴァリオは階段を駆け上がっていった。
「一分も保てば良い方やろ」
王子が負けるのは確実だが、一分あれば逃げ切る自信がある。
カジノが潰れるのは惜しいが、他にも王都での拠点はある。
とにかく今は逃げ切り、準備を整えアッシュを倒す。それしかシルヴァリオは考えていなかった。
階段を全速力で駆け上がったシルヴァリオはすぐに地上へと出た。
このまま街の中に逃げ込み、人混みに紛れ込めばアッシュを撒けるだろう。
そう考え、足を止めずに走り出す。だが──走り出したシルヴァリオの真横を人が水平に吹っ飛んでいった。
「シルヴァリオく~ん、あ~そ~び~ま~しょ~」
振り向くとそこには王子の襟首を掴んだまま引きずっているアッシュの姿があった。
「アンタの引きずってるのって、この国の王子やぞ?」
シルヴァリオはついでに自分の真横を吹っ飛んでいった人物を見る。
「そんでもってアイツはこの国の公爵や」
シルヴァリオの言葉を聞いてもアッシュはどうでも良さそうに、自分が引きずっていた王子を放り捨てた。王子と知ったから放したのではなくシルヴァリオと戦うのに邪魔になるから捨てただけなのは明らかだった。
「どうでもいいから、そういうの。そんなことより、戦ろうぜ? 今すぐにさぁ!」
アッシュは刀を抜き放つ。
シルヴァリオは逃げ切れないことを悟り、覚悟を決め、戦闘の構えを取った──




