敵をつくることにおいては右に出る者がいない男
ラスティーナとミルフィーレはイストヴァン辺境伯の屋敷に着くなり、旅塵を払う暇も与えられず、イストヴァン辺境伯のもてなしを受けることになった。もっとも、もてなしとは言葉だけのもので実際は尋問と同じだ。
来客をもてなすための貴賓室は上等な内装ではあったが、王族をもてなすためには物足りない印象だった。
実際、屋敷の中にはもっと上等な部屋があったが、イストヴァン辺境伯はあえてその部屋を使わず、格の落ちる部屋を目の前の王女二人のために用意したのだった。
そのうえ、もてなすと言いながらも部屋の中にはラスティーナとミルフィーレ、そしてイストヴァン辺境伯の他にはラスティーナ側の護衛としてメイドのナターシャが一人と、辺境伯の護衛の騎士が数名いるだけの、華やかさの欠片もない状況だった。
「さて、これはどういうことなのかお話いただけますかな?」
辺境伯の目の前にはカップも何もない。
対して、ラスティーナとミルフィーレの前にはぬるくなった茶の入ったカップが置いてある。
ラスティーナは茶のぬるさなど気にせずカップに口をつけ、茶を口に含むと、微笑を浮かべながら、質問をしてきた辺境伯に質問を返す。
「何の話なのか、私には皆目見当もつかない」
「妹気味が私の許可も無く、私兵を街に入れたことについてです」
辺境伯は食い気味に言った。
ラスティーナはその様子から、辺境伯が自分と会話をしたいと思っていないことを察する。
会話というのはやりとりであり、言葉の応酬である。それを求めていないということは、辺境伯はこちらの落ち度をあげつらい、何かしらの要求を通そうとしているのだとラスティーナは考える。
「私はミルフィーレ様がラスティーナ殿下のお迎えをすること自体は許しましたが、それはミルフィーレ様がお一人で迎えるに限っての話であり、兵を伴ってなどは聞いていない。これは王家による辺境伯領侵略ではないのですか?」
「妹の短慮による失態は謝罪しよう。しかし、妹は兵を引き連れてはいたが、貴領への害意がないことは明らかであったはず」
ラスティーナは辺境伯を睨みつける。
謝罪はしつつも、その眼差しに申し訳なさなど欠片も無い。
「わ、わたくしは辺境伯閣下には何も言われていません。『好きにお出迎えをすればいい』とおっしゃったではないですか」
ミルフィーレが二人のやり取りに口を挟む。
すると、辺境伯は小馬鹿にしたような顔をミルフィーレに向けると──
「私は貴方だけがラスティーナ殿下を迎えるならば、何をしても良いと言ったつもりなのですが? そもそも常識的に考えて、何の断りも無しに兵を街中に入れるなど、正気とは思えませんな」
そんなことなど改めて言うまでもないだろうと辺境伯は言いたげだ。
「しかしながら、誤解が生じることもあると考え、確認を怠ったことは卿の落ち度ではないだろうか? 卿はミルフィーレの軽挙を非難しているが、そちらに問題がなかったとは言えないだろう」
ラスティーナは速やかに落としどころを探すことにした。
これ以上長引くと、先程のようにミルフィーレが口を挟み、状況を悪化させかねない。
こちらの損が多くなるとしても、長引いてこれ以上、悪い結果になるよりはマシ。そんな判断のもと、ラスティーナはこの場を終わりにしようと動く。
「こちらの理解に問題があったことは認めよう。しかし、そちらが確認を怠ったのも事実。相手の理解に任せて、行うべきことをしなかったのはそちらの問題。まぁ、それはいい。とにかく我々は我々の落ち度を認めて、償いをするつもりはある」
ラスティーナは何でもいいから、さっさとこのやり取りを終わらせたかった。
簡単に自分達の非を認めるのに抵抗がないわけではないが、長くなればなるほど、辺境伯側は条件を上乗せしてくることが読めていた。
早いうちに手を打っておけば、傷が浅くて済む。ラスティーナはそう考え、この場は折れることにした。
償いと言っても常識的に考えて賠償金を払えば済むだけの話なのだから、惜しいこともない。
そもそも、それ以上を辺境伯は要求できない。常識に照らし合わせれば、辺境伯は自領の街に姫の私兵が押し入っただけで、それ以上の事は何も無いのだから、周りの目も考えて、賠償金以上は要求できない。
それを分かっていたから、ラスティーナはあえて問う。
「どのような形で賠償をすればいいだろうか? 卿の精神的苦痛に対して」
精神的な苦痛。結局の所、実害は何も無い。
だから、辺境伯が受けた被害は街の中に無断で姫の兵士が入ってきたという精神的苦痛だけなのだ。
精神的苦痛に対して、どこまでの賠償を求めるのか。
人権意識の発達した21世紀の地球であれば、精神的苦痛だけでも無制限の賠償金は貰うことも不可能ではないが、ラスティーナの生きる世界はそういう世界では無い。
ラスティーナはとりあえずこの場はさっさと金を払って終わらせようと思った。
それで済むと思ったのだ。それがラスティーナの知る常識。しかし、この日、この瞬間において、ラスティーナの常識は通じなかった。
「償いですか? であるならば、私が欲しいのはただ一つです」
イストヴァン辺境伯は自分の護衛に目配せする。そして、その口から放たれた要求は──
「ラスティーナ殿下。貴女だ」
言葉と同時に辺境伯の護衛の騎士が腰の長剣を抜き放つ。
その動きに合わせて、ナターシャが戦闘態勢を取るが、相手の数の方が多い。
「どういうつもりだ」
これは暴挙以外のなにものでもない。
王族に対して刃を向けるなど正気の沙汰ではない。
「命を奪うつもりはない。貴方の身柄を確保しておきたいだけだ」
そんなことを言われても安心できるはずがない。しかし、ラスティーナは刃を向けられても平然として、目の前に座るイストヴァン辺境伯を見据えいた
「私を捕らえてどうするつもりだ?」
「答える必要が?」
質問で質問を返されてもラスティーナは変わらず辺境伯を見つめる。
その眼差しを受けて、自らの行いに対する罪悪感を今更ながら感じたのか、辺境伯は視線を逸らし、答える。
「貴女を欲している方がいる。……誤解が無いように言っておくが、貴女に懸想しているわけではない。ただ、その方は事が済むまで、貴女の身柄を確保していたいだけだ」
「私を捕らえておきたいということか? 何のため?」
「そこまでは教えられない。ただ、この先、殿下に自由に動かれては困るということだ」
ラスティーナは辺境伯の言葉を受けて、何か思う所があったのか、確認するように辺境伯に問いかける。
「兄上たちの差し金か?」
「……そこまで分かっているのなら充分だろう」
辺境伯はこれ以上、話すことは無いと、ラスティーナとミルフィーレを連れていくように騎士たちに目配せをする。その行動を受けて主を守るように動き出そうとするナターシャ。
だが、その時だった。その場にいた全て者たちの行動を制止するように貴賓室の入り口が蹴破られた。
「おいおい、俺抜きで随分と楽しそうなことをやってるじゃないか」
そんな言葉と共に部屋の中に悠然とした動作で入ってくるのはアッシュ・カラーズ。
その姿はラスティーナを助けに来たように見えるが、助けられる対象の筈のラスティーナはアッシュの声が聞こえた瞬間に、眉間に皺をよせ、姿を見た瞬間に頭を抱えた。
「なんか大事な話をしてる? だったら、俺も混ぜてくれよ」
アッシュは両手に中身が詰まった壺を抱えながら、部屋の中の状況など全く気にする様子も無くずかずかと入っていく。
「……道化に用は無い」
辺境伯は吐き捨てるように言うと、騎士たちにアッシュを排除するように命令する。
騎士達はラスティーナ達からアッシュの方へと向き直ると、長剣を構え突進した。
「勘弁してよ。俺が荷物を持ってるって分かんない?」
アッシュは刃を持った相手が襲い掛かっても慌てず、抱えていた壺を床に置く。
そして、真っ先に斬りかかってきた騎士の顎先を掌底で撃ち抜き、続けて突進してきた騎士の足を払って転倒させると、倒れた騎士の顎先を爪先で蹴飛ばして意識を刈り取る。最後に残った騎士は先に倒された二人を見てアッシュを警戒して足を止めるが、その躊躇の隙を突いて逆に距離を詰めたアッシュが、顔面を殴りつけて倒す。
「抜くまでもないぜ」
アッシュは腰に差した刀の鞘を叩いて見せる。
得物を使うほどの相手じゃないというアピールだ。
「貴様、何者だ」
辺境伯は自分の護衛に部下の中でも精鋭を用意したつもりだった。
しかし、その精鋭は一瞬しか持たずに目の前の訳の分からない男に倒された。
辺境伯は脅威を感じて、思わず席を立つ。
「自分が何者か。俺が思うに、その答えは己の生を全うした瞬間にしか分かんないんじゃないかな。だからまぁ、何者かには答えらんないんだけど──」
そこで一旦、言葉を区切るとアッシュは辺境伯のそばへと駆け出し、その胸倉を掴む。
「とりあえずはラスティーナの味方で良いのかな?」
どう思うとアッシュがラスティーナを見るとラスティーナは不承不承といった様子で頷く。
「──だそうです。まぁラスティーナの味方だからってキミの敵ではないと思うよ」
「ならば、離せ!」
辺境伯は胸倉を掴まれ、アッシュに持ちあげられていた。
「いや、なんで? キミは敵じゃないけど。俺は敵にしか暴力を振るわないってキャラじゃないし。敵じゃなくても、攻撃するぜ?」
味方と敵って基準で攻撃の可否を判断するような不平等主義じゃないとアッシュは部屋の中にいる者たちに宣言する。しかしながら、それを歓迎できないものは当然いて、それはアッシュに胸倉を掴まれている辺境伯だけではなく──
「放してやれ」
ラスティーナがアッシュに言う。するとアッシュは素直に手を放し、体を押すようにして辺境伯を先程まで座っていた椅子へと座らせる。
「貴様……私にこんなことをしてタダで済むと思うな!」
解放された辺境伯は息を整えると、アッシュに向かって怒りを込めて叫んだ。
「ちょっと締め上げただけで大袈裟だなぁ」
しかし、当のアッシュはどこ吹く風といった様子で、怒りを受けても何も感じていない様子だった。
「貴様が何処の誰かは知らんが、私に手をあげた以上、辺境伯家の総力をもって、貴様に自身の愚かな行いの報いを味合わせてやる!」
その言葉は明確な脅しである。辺境伯はそれによって目の前の愚か者が自らのしでかしたことに恐怖すると思っていたのだが、しかし──
「むしろ、望む所なんだが?」
アッシュは顔に笑みを浮かべていた。期待に胸を膨らませ、心から楽しそうに辺境伯の脅迫を聞いていたのだった。
「キミを痛めつけると、その分だけ俺の敵が増えるのかな? だったら、半殺しにするのもありなんじゃなかろうか? 辺境伯だっけ? キミの所の兵士って何人くらい? 強い奴はいるかい? そんでもってどんな方法で俺に追い込みをかけてくれるんだい? どんだけ俺を苦しめてくれるんだろう? それもキミへの痛めつけ具合で変わるんだろうか? だったら、拷問でもかけるべき?」
「やめろ」
ラスティーナがこめかみを押さえながらアッシュの言動を止める。
「やめろと言われてもなぁ。俺はキミの命令を聞く立場じゃないんだけど? まぁ、命令は嫌だけど、知り合いとして、お願いするなら考えてやってもいいけど──はいはい、失礼しました。そんなに睨まないでくれよ。怖すぎておしっこ漏らしちまいそうだぜ」
アッシュは辺境伯から距離を取る。
それを見て、ラスティーナはホッと息を吐くが、問題は何も解決していない。
「ラスティーナ殿下! こんなことをしてどうするつもりだ! このまま逃げられるとでも思っているのか!」
辺境伯はラスティーナに向けて叫ぶ。
その声にラスティーナの隣にいたミルフィーレがビクリと震える。
「私が声をあげれば、屋敷の者達が集まってくる。いや、聞こえているだろう。この騒ぎを聞きつけ、既に屋敷の兵達がこの部屋に向かってきているぞ」
部屋の外から足音が近づいてくる。
「数は多くなさそうだし、戦っても切り抜けられるけど?」
アッシュはノンビリとした様子でラスティーナに話しかける。
「つーか、状況が分かんないんだけど、逃げようとしてんの? なんで?」
「後で説明する」
「逃げたいんだったら、逃がしてやるけど? 殺される感じはなさそうだし、捕まるだけっぽいけど、それもマズいのかい?」
アッシュに問いかけられてラスティーナは考える。
自身が囚われの身になるということに危機感を覚えるのは当然だが、同時に逃げてもいいかどうかは分からない。
そもそも、ラスティーナ自身、辺境伯がなぜ自分の身柄を確保しようと躍起になっているか分からないのだ。
それを思うと、ここは大人しく囚われの身となり、情報収集するべきではないだろうかともラスティーナは考える。
それに辺境伯はラスティーナの身柄を引き渡すと言っていた。その言葉を信じれば、すぐさま危害を加えられるおそれはないと──
「逃がしてください!」
思考の途中で隣から声が聞こえ、ラスティーナは現実に引き戻される。
その言葉はミルフィーレから発せられたもの。
ラスティーナは安易に逃げるべきではないと、ミルフィーレの言葉を否定しようとしたのだが──
「了解、了解、お姫様のお言葉には従わないとね」
アッシュはミルフィーレの言葉に従うことを決めたようだった。
ラスティーナとミルフィーレを逃がすことを決めたアッシュは床に置いていた壺を掴むと、再び辺境伯に詰め寄った。
「やっぱり、か弱い女の子を捕まえようとする奴は一発殴っとかないとね。俺としてもこっちの方が展開的には好きだね」
「何をするつもりだ! 私を人質にしてこの場を切り抜けるつもりか!」
「あぁ、そういうのも悪くないかもね。でも、俺の好みじゃないんだよね。それはそうと、こんだけ俺の会話を聞いてても、俺がヤバそうな奴だって気付かないのはどうなんだろうね? 雑魚が相手だと脅しで刀を抜くのにも制限かかるから、ハッタリが弱くて、こうするしかなくなっちゃうんだよなぁ」
アッシュはそう言うと椅子に座った辺境伯の顔面に足の裏を叩きこみ、そのタイミングで辺境伯の兵が部屋の中に突入してきた。
「おっと、こりゃあ言い逃れできないなぁ。辺境伯の顔面に蹴りを入れたのがみんなに見られちゃったぜ。これで俺はお尋ね者かな」
わざとらしいセリフを吐くアッシュ。
蹴りを入れたタイミングは狙いすましたかのようであり兵に見られるのを狙っていた可能性がある。
それに気づいたラスティーナはどうするつもりだとアッシュを睨む。
「閣下!?」
「こいつを殺せぇ!」
蹴られた衝撃で椅子から転げ落ちた辺境伯は兵に命を下す。
鼻血を流しながら叫ぶ、表情は鬼気迫るものだった。それを受けて兵士達はアッシュに向けて殺到する。だが、アッシュは今にも鼻歌を歌いかねない陽気な様子で──
「そういえば、どうやって逃げるか俺に聞いてたね? 俺はこうするつもりだったんだけど、こういうのは如何かな?」
そう言うとアッシュは持っていた壺を放り投げた。
壺は放物線を描いて床に落ちて割れ、その中身が辺りにぶちまけられた。
壺の中身は液体だった。その臭いが部屋の中に漂い、そして兵士の誰かがその臭いを嗅いだと同時に叫ぶ。
「──っ油だ!」
その言葉に誰もがハッとする。だが、気付いた瞬間には既にアッシュは動き出していた。
アッシュはテーブルの上にあった燭台を掴むと、それを油のぶちまけられ床の上に放り投げた。
油に火がつき、瞬く間に炎となって部屋の中に燃え広がる。
「いやぁ、良い油使ってるねぇ。ここに来るまでにちょっと借りたんだけど、後で返すね」
アッシュは辺境伯にシレっとした表情で話しかける。
対して辺境伯の表情には驚愕しかなく。あまりの出来事に顔を青ざめさせていた。
「き、き、貴様、なんということを……」
追い詰められているとはいえ、こんなに躊躇なく屋敷に放火するなど辺境伯は思っていなかった。
全く想定していなかった出来事。それでも辺境伯は決断し、すぐさま兵に命を下す。
「何をしている早く火を消せ!」
兵士達が慌てて火を消そうと動く。すると、兵士達の視線がラスティーナから外れる。
ラスティーナの方など見ている余裕は無い。兵士達は炎を瞬く間に広がり、その消火活動に動くしかなかったからだ。
「どうやって逃げるって聞いたよね? 俺はこうやって逃げるぜ」
アッシュは辺境伯にそう言うと、この場から逃げるために動き出した──




