決勝戦
アッシュとイザリアがイグナシスの地下深くで戦いを繰り広げる少し前、地上では剣神祭の決勝戦が始まろうとしていた。
戦うのはゼルティウスとガレウス。
ガレウスは剣術の名門流派の当主としての実力を遺憾なく発揮し、対戦相手を全く寄せ付けず、余裕で決勝まで勝ち上がっていた。対して、ゼルティウスはアッシュとの試合をアッシュの反則負けによって勝利し、それに加えて初戦では一対二の試合。
どちらもマトモな試合とは言い難い──というよりは異常な試合。しかし、そんな試合を経て決勝戦へと勝ち上がったゼルティウスだが、そうして辿り着いた舞台の上で浴びるのは歓声だった。
それは、イグナシス一の嫌われ者となったアッシュ・カラーズを降したことを讃える声だけではない。異常な試合といえども、その中で見せたゼルティウスの技量は誰の目にも明らかであり、闘技場に集まった観客はその力量を認め、ゼルティウスを讃えていた。
その結果、たった数度の試合を経て、ゼルティウスはイグナシスの地において英雄も同然となっていた。
「いやはや、凄まじい人気だな」
ゼルティウスと対峙するガレウスは苦笑を浮かべ、リラックスした様子で話しかける。
ほんの少し前まではガレウスこそがイグナシスにおいて最強の剣士と誰もが認めていたはずなのだが、今は誰もそんな話はしない。代わりにガレウスの耳に聞こえてくるのはゼルティウスの話だけ。
今、イグナシスで最強の剣士として噂されるのはゼルティウスだけであり、ガレウスもそういった噂は度々、耳にしていた。だが、それに腹を立てるような気も起きない。実際、ガレウス自身もゼルティウスこそが最強の剣士であると認めていたからだ。
たった数度の試合。しかし、その数度の試合を見れば充分。
剣士を見る目に肥えたイグナシスの住人も、剣聖とまで言われるガレウスも、ゼルティウスの太刀筋を見ただけで、その技量が遥か高みにあることを理解していた。
「平時であったならば、貴殿には一手指南を頼む所なのだがな」
ガレウスは長剣を正眼に構え、対してゼルティウスは長剣を持つ手をだらりと下ろしている。
イグナシス一の剣士を前にして、あまりにも無警戒──などと思う者は闘技場には一人としておらず、無礼などとゼルティウスを非難する気配も微塵もない。
対峙している二人を見ただけで格の違いは明らかだった。
観客はゼルティウスの立ち姿を見ただけでガレウスに勝ち目がないことを悟り、それは相対するガレウスも同じだった。
ゼルティウスは何気なく立っているようにしか見えないのにも関わらず、その立ち姿を見ただけで、堂々としたガレウスの構えの欠点が自然と浮かび上がる。
ガレウスが未熟なわけでは決してない。しかし、ゼルティウスの方が遥かに高みにあり、その姿は完璧な見本として並び立つ相手の至らぬ点を明らかにする。
闘技場を訪れていた剣士たちはゼルティウスの姿を食い入るように見つめ、そこから何かを学ぼうとし、観客は純粋に至高の剣士の試合の始まりを待ち望んでいた。
「何か事情があるように見えるが?」
ゼルティウスは問うが、さして興味はない。
アッシュであれば、他人の事情に果てしなく首を突っ込むのだろうが、ゼルティウスにそういう趣味は無い。
「貴殿に語る必要が?」
「無いな」と口にすることは無く、ゼルティウスはガレウスを見据え、そして──
「──始め!」
審判が試合開始の合図を出す。
その声が聞こえたと同時にガレウスはゼルティウスに向けて駆け出し、必殺の気合いを込めて長剣を振るう。だが──
「未熟だな」
ゼルティウスはガレウスの斬撃を完全に見切っていた。
半歩下がって長剣を躱すと、ゼルティウスは自身の剣を何の力も込めずに振って、ガレウスが振り抜いた長剣に当てる。すると、ガレウスの剣は自らの斬撃の勢いを利用され、ガレウスの手から弾き飛ばされた。
ガレウスの長剣は宙を舞い、そしてすぐに地面へと落ちる。
ゼルティウスは丸腰となったガレウスの喉元にの長剣を突きつけ──
「勝負があったようだな」
たった一度の攻防。
それだけで、ゼルティウスはガレウスに圧倒的な差を叩きつけた。
完全に太刀筋を見切られ、剣を弾き飛ばされたのだから、ガレウスはぐうの音も出ない。
本来のガレウスは潔い人間である。だから、闘技場にいた観客たちはガレウスが敗北を認めると思い、ゼルティウスを讃える準備に入っていた。
ガレウスであれば、太刀筋を見切られ、剣を飛ばされ、喉元に刃を突きつけられるという状況であれば負けを認めないわけがないとイグナシスの住人は思い込んでいた。しかし、その思い込みに反しガレウスは──
「まだだ!」
ガレウスは喉元に突きつけられた刃を手で払いのけて、弾き飛ばされて転がっている自分の剣の方へと駆け出す。そして、転がるような勢いで剣を拾い上げるとゼルティウスの方を振り向き長剣を構える。
「我が流派のため、我が子のため、私は負けるわけにはいかない」
「そうか」
冷めた表情でゼルティウスはスッと距離を詰める。
『抜き』と呼ばれる、意識の隙間をすり抜ける技法。それによって、ガレウスの反応の隙を突いて距離を詰めたゼルティウスは再び、刃を軽く振るいガレウスの長剣を弾き飛ばす。
「首を刎ねなければ止まらないか?」
ガレウスが反応するより早く、ゼルティウスの長剣の刃がガレウスの首筋に当たる。
「殺すには勿体ない技量だ」
生かしておいてやるから負けを認めろとゼルティウスは暗に伝える。
だが、ガレウスはゼルティウスの態度からゼルティウスが自分を殺すことは無いと見極めると、再度、弾き飛ばされた自分の長剣を拾い上げる。
「私は負けるわけにはいかんのだ!」
「そちらの事情は知らないし、興味もない」
ゼルティウスは冷たく言うと、ガレウスとの距離を詰めるために歩き出す。
勘違いされがちだが、ゼルティウスは情に篤い方ではない。情に訴えるのであれば、ゼルティウスよりもアッシュの方がマシだが、そんなことはガレウスには知る由もない。
「悪人ではないようだから、命まで奪うつもりは無いが、手足の一本か二本は覚悟してもらうことになるぞ」
「そのつもりならば、こちらにもやりようはある」
ガレウスは再度ゼルティウスに斬りかかる。
殺すつもりが無いのならば、自分自身の命を盾にすれば良い。
そう思い、捨て身でガレウスは突進する。だが──
「未熟」
ゼルティウスの剣が三度、ガレウスの剣を弾き飛ばす。
力業ではない。太刀筋を見切り、相手が剣を振り抜き、力を出し切った瞬間に合わせて、自分の剣を相手の剣に当て、ゼルティウスはガレウスの剣を弾き飛ばしていた。
「覚悟ではなく技量を見せろ。俺は貴様の覚悟に価値を見出さない」
ほんの少し前まで歓声に包まれていたはずの闘技場は、あまりに隔絶したゼルティウスの技量を見て静まり返っていた。ゼルティウスとガレウスの剣士としての差に人々は息を呑む。
「貴様は何のために剣を振るっている? 剣術の大家であるのならば、公の場において私情で剣を振るうべきではない。私心を捨て、その剣の技の冴えだけを人に見せるべきだ」
ゼルティウスは失望したような眼差しをガレウスに向ける。
最初の剣撃には見るべきものがあったが、覚悟を決めてからの太刀筋には見るべきものがないとゼルティウスは思う。そこに技はなく、勝つという執念が宿る我武者羅さしかなかったからだ。
「──っ私には守るべきものがある。取り戻さなければならないものがあるのだ!」
ガレウスは剣を拾うことを諦め、ゼルティウスに組み付こうとするが、ゼルティウスはガレウスの手をすり抜ける。
「優勝すれば、赤神に願いを叶えて貰えるという話か」
ゼルティウスは伸ばされたガレウスの腕を剣の腹で強かに打ち、へし折る。
しかし、苦悶の表情を浮かべながらもガレウスは脚を止めようとはせず、無事な手をゼルティウスに伸ばす。
「赤神に願い、自分の子を甦らせでもらおうとでも思っているのか」
ゼルティウスはガレウスのもう一本の腕も同じようにへし折る。
「俺は赤神にそんな力があるとは思えないがな」
ゼルティウスの勘では赤神の能力の方向性はアスラカーズと同じだ。
作る、治すより、壊す方を得意としている神だろうとゼルティウスは考えており、ガレウスの子を生き返らせるのは不可能だとも思っている。
「神に縋るのはほどほどにしておいた方が良い」
ゼルティウスの言葉を受けたガレウスは鋭い目でゼルティウスを睨みつける。
だが、ゼルティウスはそんな眼差しなど一向に気にしない。
「神とは気まぐれで勝手な存在だ。そんなものに一縷の望みをかけた結果、残っていたもの全てを失った人間を俺は山ほど見てきた」
おまえも同じ結末を迎えることになるとゼルティウスは言い、剣を振り上げる。
「諦めて違う答えを出せ。それが、最良だ」
ゼルティウスはそう決めつけ、ガレウスの意識を刈り取るために長剣の腹で打ち据えるように剣を振り下ろす。だが、その時だった──
『──我の庭で勝手は許さん』
ゼルティウスの脳内に響く声、ゼルティウスは直感でこれが赤神の声だと理解する。
そして、その声が聞こえたと同時にガレウスにも変化が生じる。
「なるほど、力を与えて強化したか」
ガレウスの肉体から膨大な量の内力が迸る。
ゼルティウスは振り下ろそうとした剣を止め、飛び退いてガレウスから距離を取った。
「だが、そんな無茶をすれば、そいつは耐えられんぞ?」
『そんなことは知った事ではない。我が庭に入り込んだ虫を駆除できるのならば些末なこと』
「そうか。それほど俺に優勝されると困るということか」
膨大な力を無理矢理、注ぎ込まれた衝撃でガレウスは自我を失っているようだった。
しかし、自我が無いながらも、ガレウスはゆらりと立ち上がり、ゼルティウスへと殺気を向ける。
ゼルティウスの優勝を阻むための赤神の策が今のガレウスだ。
「俺が優勝すれば、貴様は俺と会わなければならないからな。それを阻止するためには手段も選ばないか。なるほど──」
一人で納得した様子のゼルティウスはガレウスの方を見ていない。
そこを隙と本能で判断したガレウスが動く。だが──
「──貴様の底は見えた」
疾風のように駆け出したガレウス。
しかし、その動きよりも素早くゼルティウスはガレウスの鳩尾に剣の柄頭を叩き込んだ。
そして、続けざまに柄頭で顎先を殴りつけ、トドメにガレウスの側頭部を長剣の腹で殴りつけて意識を刈り取った。
「自分の保身のためならば、剣士の魂すらも踏みにじるような輩が剣を司る神を気取るなど、おこがましいにもほどがある」
『貴様っ──!』
「吠えるな、堕神。今からその首を刎ねに行ってやろう。俺への罵詈雑言はその時に聞いてやる」
脳内に語り掛けられる声に向かって吐き捨てるように言うゼルティウス。
そして、その直後──
「──勝者ゼルティウス!」
ガレウスが意識を失ったことを確認した審判がゼルティウスの勝利を宣言し、闘技場が歓声に包まれる。だが、ゼルティウスは歓声に応えることもなく、倒れたガレウスに背を向けると、剣神祭の優勝者のみが通ることを許される赤神の元へと続く門へと歩き出すのだった。




