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アッシュの目論見

 

「くたばれーっ!」

「死んじまえっ!」

「金返せーっ!」


 酒場の中を悠然と歩きだすアッシュをゼルティウス眺めていた。

 アッシュの向かう先は酒場の中央に設けられたリング。そのリングを取り囲む酒場の客たちは思いつく限りの罵声をアッシュに浴びせかけている。


「サンキュー、サンキュー、応援ありがとね」


 しかしアッシュはそれを声援のように扱い、自分に怒りを向けている客たちの声に応えるように手を振っている。それは周囲の感情に気づいていないからの行動というわけではなく、単に煽っているだけだ。


「まったく、よくやるものだ」


 ゼルティウスが知る限りではアッシュは他者の感情を読み取る能力に長けている。

 他人の心を見透かすと言っても良いだろう。しかし、人の心が分かっても、アッシュはそれに寄り添うということはできない。できることといったら、相手の心の内を見透かし、その感情を逆なでするくらいだ。


「あの野郎と知り合いなのか?」


 ゼルティウスがカウンター席に座ってアッシュを眺めていると、酒場の店主が話しかけてきた。


「まぁ、それなりには」


 そう答えると店主はゼルティウスに酒の入ったジョッキを差し出す。

 しかし、ゼルティウスは差し出された酒を押し返すのだった。


「一応、奴には儲けさせてもらってるからな、ウチの奢りだぞ?」


「すまないが、酒は控えているんだ」


 ゼルティウスも酒は飲めないわけではないが、好んで飲むほど好きではない。

 それに今は飲んでいても良い気分にはなれないだろうという予感があった。


「なら、いいけどよ」


 店主はそう言うとゼルティウスに奢ろうとした酒を自分で飲み始めた。

 ゼルティウスはそんな店主から視線を外すと、酒場の中央での騒ぎに眼を向ける。

 そこでは、アッシュが酒場の客に囲まれながら、煽るように声をあげている。


「ほらほら、今日も賭けろよ貧乏人共! 俺に賭けても良いし、俺の対戦相手に賭けても良いぜ? ま、勝つのは俺だから、賭けるなら俺が良いと思うけどさぁ!」


 どうやら自分の勝負を賭けの対象にしているようだとゼルティウスは理解する。


「死ねー!」

「くたばれ、ゴミィっ!」

「テメェのせいで、すっからかんなんだよ!」


 アッシュが盛り上げようとするに向けられる罵声は更に大きくなる。

 その声を受けてもアッシュは笑うだけだ。嘲笑うのではなく快活に笑って見せる。


「声援ありがとね。今日も頑張るぜ──っと。さぁ、それじゃあ今日、俺とりたいって奴はどいつだい?」


 アッシュの声に応えて、アッシュを取り囲む客の中から腰に剣を帯びた男が前に出て、アッシュと対峙する。ゼルティウスが見た限りではアッシュの相手はそれなりに腕の立ちそうな男だった。だが、それでもアッシュには遠く及ばないとゼルティウスにはハッキリと分かる。


「いつもああやって賭け試合をしてるんだよ。奴は」


 店主がそう説明する。


「店の中を使って賭け試合をしたいって言ったのと、店を借りる代金を払ったから許してやったんだがなぁ……」


 店主の口調には後悔が幾分か感じられた。

 その視線の先には自分の対戦相手に賭けの条件を告げるアッシュがいた。


「いつも通り、俺と戦うには剣神祭のコイン。で、俺が勝ったら、そのコインを貰い、キミが勝ったら、そっちが賭けた分のコインに応じた金を払う」


 こうやってアッシュはコインを集めているのかとゼルティウスは感心した。

 もっと、危うい方法で集めているのだろうと思っていたからだ。これも充分に過激ではあるが、アッシュを良く知るゼルティウスからすれば、かなり穏便な方法に思えた。


「金はいらない。代わりに私が勝ったら、貴様が我が流派の剣士たちから集めたコインを全て返してもらう」


 対戦相手の剣士は金を求めてアッシュに挑んでいるわけではなかった。

 どういうことかと思い、ゼルティウスは店主を見ると店主は大きく溜息を吐く。


「金だけ賭けてれば良かったんだけどな。アイツが剣神祭のコインを賭けたせいで、アイツに負けた奴らの所属している流派は面子が丸つぶれだ」


「アイツは只のチンピラだぞ?」


 チンピラに負けるのも流派の恥だが、その場合、アッシュを闇討ちでもすればいい。

 そう思うゼルティウスだったが、しかしゼルティウスの知らない所で事情は変わっており。


「俺もそう思ってるんだがな。けど、あの野郎はジルベイン流の師範代だって名乗ってるからなぁ」


 流派の名前を出したら、それはもう他流試合だ。

 そうなると、闇討ちをするわけにはいかない。むしろ、そうする方が恥になる以上、こういう公衆の面前で挑んで倒して流派の恥を雪ぐ他ない。


「アイツが流派に所属しているはずはないと思うが」


「誰も嘘だって思ってるよ。だって、見てみろよ」


 店主が視線をアッシュのいる方に向けると、アッシュは剣を抜いた相手に拳を構えていた。


「剣術道場の師範代なのに素手なんだぞ? 誰もジルベイン流の師範代なんて信じてないが、ジルベイン流の連中も否定していないからな」


 ゼルティウスが店主の話を聞きながらアッシュの様子を見ていると、ほどなくして賭け試合が始まる。

 始まる前に酒場の客はどちらが勝つか賭けていたが、その多くはアッシュが負けることを願っているようで、感情的にアッシュの対戦相手に金を賭けていた。そして試合が始まると──


「──よいしょっと」


 開始から数秒でアッシュの拳が対戦相手の顎先を打ち抜き、意識を刈り取った。

 そして崩れ落ちた対戦相手に一瞥もくれることなく、アッシュは周囲を見回すと──


「俺の勝ちぃ! さぁ、次に俺とりたい奴は?」


 次の対戦相手を求める。その求めに応じて、また別の剣士が客の中から出てアッシュの前に立つ。


「ああやって、一晩に何人もの剣士と戦うんだ。アイツがここで賭け試合を始めて、まだ一週間も経ってないが、奴にやられた剣士は数えきれないくらいいる」


 となると、そうとうな枚数のコインを集めていることになるだろうとゼルティウスは理解する。

 そんなことを考えていると酒場の店主は急に大きな溜息を吐いた。それを聞いたゼルティウスは店主の方を見ると、店主はアッシュに向けて何とも言えない表情をしていた。


「俺は儲けさせてもらってるが、奴のせいでイグナシスは滅茶苦茶だよ」


「どういうことだ?」


 ゼルティウスは疑問を隠さず訊ねる。

 イグナシスの街が滅茶苦茶という話とアッシュが賭け試合に勝つことのつながりが分からなかったからだ。


「アイツがコインを賭け金にした勝負に勝ちまくるせいで、有名どころの流派はともかく、そこそこの流派はアイツとの賭けのせいでコインが無くなってるんだよ」


 いまいち理解できていないゼルティウスの様子を察したのか店主は続ける。


「アイツは剣神祭のコイン以外では勝負は受け付けない。だから、それぞれの流派がアイツを倒して面子を守るためにはコインを更に出さなきゃいけないが、それでもアイツには勝てない。負けを取り返そうとコインを賭けて奴と戦うたびに、各流派はコインを失う。その結果、各流派はコインが無くなりつつある」


「コインが無くなって困るというなら稼げば良いだろう?」


「そうは言うけど、そんなに簡単に稼げねぇよ。冒険者連中から金を払って買うにしても、今は教会が値を吊り上げてるから、そこら辺の剣術道場の出す額じゃ冒険者はコインを売らない」


 状況が悪くなってるということはゼルティウスにも分かる。

 だが、事態はゼルティウスに完全に理解できるほど簡単なものではなかった。


「その結果、各流派が何を始めたか。アイツと同じだよ。他の流派に対してコインを賭けた試合を挑み始めた。その上で、ジルベイン流の連中が面子だとか気にせずに路上で他の流派に喧嘩を吹っ掛けて、コインを奪うことなんかを始めたせいで、他の流派もその方法を真似しだしたからな。もう、流派同士の抗争だ」


 ゼルティウスはあまり周囲を気にしてはいなかったので、そんなことになってるとは思いもしなかった。


「街はそんな様子は見えなかったが」


「まだ、表立ってないだけだ。そのうち大っぴらにやり出すだろうよ。そうなら際限なく流派同士の抗争になる」


 概ねイグナシスの現状は理解できた。ただ、ゼルティウスが理解できなかったのは、どうして各流派がそれほどコインを求めるのかという、その理由だ。


 これに関してはゼルティウスが知る由も無いが、これまでに店主が言っていたように面子の問題である。

 剣神祭には出場ができなくとも、集めたコインの枚数はイグナシスに存在する剣術流派の地位ステータスに繋がるという暗黙の了解がイグナシスにはある。だから、それぞれの流派や道場は必死でコインを集めるのだ。


「いつもなら、もうこの時期は出場する流派は決まってるんだが、今の状況だとどうなるか分からんぞ」


 今の時点ではアッシュとジルベイン流は、それなりの流派しか標的にしていないが、それが剣神祭に出場するような有名流派に変わってくれば話は変わってくる。切っ掛次第で、この騒ぎが剣神祭に出場する流派にまで飛び火する可能性が出てくる。

 アッシュの狙いはそこだった。現状、出場が確定しているような流派はそれぞれに結託し、コインの流出を防いでいるが、アッシュはそれを崩すことを狙っている。そして一度、ヒビさえ入れられれば何とでもなるという確信があった。各流派同士の抗争は拡大化し、そしてその先は──


 ゼルティウスはアッシュを見る。

 アッシュは新たな挑戦者に向かって拳を叩き込んでいた。そして、崩れ落ち敗北した対戦相手を見ることなく次の相手を募る。

 その姿からは先のことなど全く考えている様子はなく、ただ無軌道に戦いを求めているようにしか見えなかった。



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