弱肉強食
「──戦う前に何て言ってたっけ?」
ガイが訊ねる相手はジオハルド。
そのジオハルドは血にまみれ全身の骨を砕かれた状態で召喚の儀式が行われた広間に倒れていた。
ガイは這いずってでも、その場から逃れようとするジオハルドの背中を踏みつけて、もう一度訊ねる。
「何て言ってたっけ?」
満身創痍のジオハルドは答えることができない。
するとガイは仕方ないといった様子で周囲を見て、ジオハルドの台詞を覚えている奴はいないかと見回すが、周囲にあるのは血塗れの肉塊ばかりで、話ができるような者は殆どいなかった。
そんな中でガイは──
「魔王ちゃんはこのカスがなんて言ったか覚えてる?」
ガイが視線を向けて訊ねた相手は部屋の隅で震える少女──魔王シエル・アルマローザ。
しかし、魔族の王であるはずのシエルも今はガイという存在に怯えるだけのただの少女となり果て、王たる威厳は消え失せていた。
「そんなに怖がらなくてもいいよ。オレはお前は殺さないからさ」
ガイはジオハルドを踏みつけていた足をどけてシエルの方に向かって歩き出す。
腰を抜かしていたシエルは立ち上がることもできずに尻餅をついた状態で後ずさるが、その背後は壁だった。
逃げる先も追い詰められたシエルの目の前にガイはしゃがみ込むと、優しい手つきで震えるシエルの手を取った。
「召喚者を殺すと帰る時に面倒になるんだよね」
だからガイはシエルを殺さない。
使徒は召喚した者の願いを最低一つ叶えるまでは帰れないし、召喚者も帰せない。
それに加えて使徒が召喚された世界から帰るためにも召喚者の存在は必要となる。
シエルを殺せばガイはこの世界から出ることは不可能になってしまうから、ガイはシエルを殺さない。もっとも、この世界は一度、入ってしまったら簡単に出られないようになっているのだが、ガイはそんなことは知る由も無かった。
「お互いのためにも、お前の望みを教えて欲しいな。どうしてオレを呼んだのか、オレに何をして欲しいのか、それを教えてもらえると、すごく助かる」
ガイはシエルの手を取って優しい口調で訊ねるが、恐怖に震えるシエルは上手く口を動かすことはできず、ガイの質問に答えることができない。その様子を見てガイは諦めたように肩を竦めると──
──シエルの指を噛み千切った。
ガイは手に取っていたシエルの手の小指に食らいつき、その指を根元から噛み千切ると、口に含んで咀嚼し呑み込んだ。
「っぎ──っ!?」
悲鳴をあげようとするシエルの口をガイは、もう片方の手でふさぎ、声を出せないようにしながらシエルの手を掴むと口へと運び、今度は薬指に食らいつく。
「教えてくれないと指がなくなっちゃうぜ?」
シエルの薬指を骨ごと噛み砕いて呑み込み、ガイはシエルに自分を呼んだ目的を再び訊ねる。
シエルは痛みと恐怖に怯えながらも、命の危険を察し、ガイの求める答えを口にしようとするが──
「教えてくれないと、お前だって困るよ? オレはお前らみたいな種族にはどこまでも酷いことができる奴だからさ」
シエルは答えようとするがガイに口を塞がれているので声が出せない。
ガイはそれを理解しているのか、楽し気な笑みを浮かべたまま、シエルの再びシエルの手を自分の口元に運び、そして、今度は中指に食らいつこうとした、その時だった──
「オォォォォッ!!」
ガイに倒されたはずのジオハルドがガイに背後から襲い掛かった。
拳を固め殴りかかるジオハルド。しかし、その拳は振るわれた時には、その場所には誰もいなかった。
「再生能力持ちかぁ」
どこからかガイの声が聞こえる。
ジオハルドは立ち上がれる程度まで回復した体を躍らせてガイの行方を探すが──
「まぁ、だから何だって感じだけど」
振り向いた先にガイの姿を見つけジオハルドが弾かれたような勢いでガイに襲い掛かる。
だが、そうして動きだした瞬間、ジオハルドの四肢が吹き飛び、手足を失ったジオハルドの巨体が床に転がる。
「達磨になっても治るのかな? 見ててやるよ」
「許さん! 許さんぞ、貴様!」
「喋る元気はあるみたいだね」
ガイは倒れたジオハルドのもとに近づくとその巨体の上に腰を下ろして座り込み、そしてシエルを見る。
シエルはその視線の意味を察し、怯えから弾かれたように口を開きガイの望む答えを口に出す。
震えている場合ではない、答えなければ死ぬのだから、死への恐怖がシエルに最も生存の可能性の高い行動を取らせた。
「わ、我々は、人界を侵略し、魔族の領土を増やそうと……」
そのためにガイを召喚したことを自分を召喚したシエルの口から直接伝えられるとガイは納得したように頷き──
「じゃあ、魔族の領土が増えれば良いってことね。とりあえず、どこでも良いから国なり土地を攻め落して少しでも魔族の領土を増やす。それができれば召喚の契約は全うされ、俺は自由になって帰れるってところかな?」
ガイが確認するとシエルは頷く。
「思ったより簡単そうで良かったよ。それじゃあ、お互いのために準備をしてくれると助かるね。ほら行きなよ。人界を侵略するんだろ? 遅れれば、それだけ長くオレはこの世界に居座ることになるんだぜ? ほら行けって」
ガイはジオハルドの背に座ったまま、シッシッと虫を払うように手を振ってシエルを部屋から追い出す。
これで部屋に残った中で生きているのはガイとジオハルドだけになった。
ガイは自分の椅子になっているがジオハルドに向けて話しかける。
「そういえば思い出したんだけどさ。俺と戦う時にお前、弱肉強食だとか何とか言ってたよね?」
それはガイが儀式の間にいる魔族を殺すと宣言した直後の事であった。
「俺がどうして人界を侵略しようとしてるのか聞いた時、お前は弱肉強食の摂理に従っているだけとか言ってたよな? 強者である魔族が弱者である人間達から奪うことは当然の権利だとかさ。奪われる弱い方が悪い、強い側は何をやってもいいって感じなことも言ってた気がするね」
それは魔族にとっては一般的な思考だったためジオハルドの考え方が特別わけではない。
しかし、そんなことはガイにとっては関係はない。そもそもジオハルドがどういう考え方を持っていようとも、結局のガイのすることは変わらなかっただろう。
「俺は弱肉強食って思想は好きだよ? そういう考え方を持ってるってことは、それは自分より強い奴には何をされても良いってことだもんな。自分が食われる弱者の側に回ったとしても文句は言わないだろ? まさか自分が強者で食う側にいたから、言ってたってわけじゃないよな?」
ガイは訊ねるような口調だったがジオハルドの答えは求めてはいなかった。
ジオハルドが口を開き、何かを言おうとした瞬間、その頭を押さえつけて何も言わせない。
そしてガイは椅子にしていたジオハルドの背中から立ち上がり、今度はジオハルドの顔の前にしゃがみ込み、ジオハルドの顔を見つめ──
「喜べよ、今日からお前は奪われる側だ」
ガイは獅子の口の中に手を突っ込み、ジオハルドの牙をへし折った。
「これから先は食われる側なんだから、もう牙はいらないだろ?」
牙を折られ顔を歪めるジオハルド。
ガイはジオハルドの苦痛など気にも留めず、荷物を担ぐようにジオハルドの巨体を背負うと儀式の間を後にする。そして、その直後にガイが向かったのは──
「やめろ! やめてくれ!」
ガイがジオハルドを連れ出し向かった先はジオハルドの治める土地だった。
魔族の中でも有力者でジオハルドは領地を持ち、自分の城を持っている。だが、その城も今や炎に包まれ地獄と化した。
「やめろって何をだよ?」
絶望に染まったジオハルドの眼差しの先にいるのはガイ。
その手にはジオハルドの孫の首があり、そして、その周りにあるのはジオハルドの一族の者や部下たち。妻や子、そして孫。その全てが亡骸となって倒れていた。
「弱肉強食ってこういうことだろ? 強い奴は弱い奴から奪っても良い? そう思ってたんじゃないの? 自分が弱い側に回ったからって、文句を言うのはカッコが悪いと思うよ。こうやって俺に全てを奪われるのも望む所だったんじゃない? だって、弱肉強食の摂理に則った正しい結果じゃないか、強い俺に弱いお前が食われるってのはさ」
「なぜ、このようなことを……」
ジオハルドの心にあるのは、もはや絶望だけだった。
一族も部下も城も財産も全てを失った。
「なぜ? そんなもん、俺が魔族みたいな種族が嫌いだからだよ」
「我々が何をした! 貴様には何もしていないだろう!?」
ジオハルドの叫び、それを聞いたガイの顔に浮かぶのは怒りの表情だった。
「何もしてない? 人間に害をなそうとしてただろ?」
それだけでもガイはこの世界の魔族を許すことは出来ない。
ガイにとっては人間を守ることは唯一の生きる目的であるからだ。
「あと、お前って結構、人間を殺してたみたいだから、お前に殺された人達の代わりに復讐かな?」
ジオハルドはガイの言葉を聞くたびに後悔に襲われる。
何故こんな存在を呼び出してしまったのか。そもそも、どうして召喚の儀式を行うことに賛成してしまったのか。自分の行動の全てに対してジオハルドは後悔の念を抱き、それに心が押しつぶされそうになっていた。
「見ろよ、お前も人間たちをこんな目に遭わせようとしてたんだろ? じゃあ、お互い様じゃないか。自分達はやっても良くて、自分達がやられるのは悪いってのは通らないと思わないか?」
ガイは炎に包まれた周囲の景色、そして炎に包まれる魔族の姿をジオハルドに見せつける。
ジオハルドは炎に包まれた自分の城そして家族の亡骸を見て、自分が奪われる側になったことを心から理解する。
そして、そのことを理解したことで、自分がこれまで立っていた奪う側として、どれほど罪深いことをしていたのかもジオハルドは奪われる側となったことで初めて理解した。
100年以上の生の中で自分が奪ってきた人間たちの命。私利私欲のために奪ってきた同じ魔族の命。自分が多くの命を奪ってきたという過去がジオハルドの心を苛む。
「……殺せ、殺してくれ……」
全てを失い絶望に染まったジオハルドは死を願うがガイは──
「嫌だよ。もっと苦しんで欲しいからね」
殺すことを選ばなかった。
殺さずともジオハルドは既に死んでいる。
もう何もできずに絶望と後悔だけを背負って生きていく屍だ。
そうして、ずっと生きていく方が苦しみになるだろうとガイは思ったのでジオハルドを殺さない。
「じゃあ、さようなら。俺は二度と顔を見たくないから、消えてくれよ」
そうしてガイは炎に包まれた城の中にジオハルドを捨て置き、その場から立ち去った。
ジオハルドは炎に焼かれた程度では死に切れず、絶望のまま生きていくしかなかった。
それから数日の後、魔王の命による人界への侵攻が決定する。
それはガイという存在に対する恐怖と、ガイを一刻も早くこの世界から退去させるという願いに背中を押されての決定であり、本来の魔族の望みとは異なる形で人界への侵攻は始まったのだった。




