塔の外
アッシュと賢者の戦いが佳境を迎えた頃──
アッシュと別れたジュリアンはロミリアを背中に担いで賢聖塔を降りていた。
頼れる仲間はいないが背中に感じる愛しい人の重みだけを頼りにジュリアンは歩みを進める。
アッシュを信用していないわけではなかったが、アッシュが言ったとおり、塔内にいたジュリアンの敵となりえる存在はアッシュの方に向かっており、ジュリアンの方まで意識は向いていなかったため、ジュリアンは安全に塔を降りることができた。
その道のりは、塔に来るまでとは打って変わって穏やかなものであり、そのせいもあってかジュリアンの警戒心は緩まり、その結果──
「あ──」
警戒の意識が緩まっていたのが原因──というよりかは最初から罠を張られていたようで、ジュリアンがロミリアを背負って塔の一階の辿り着くと同時に待ち構えていた『抜け殻』が姿を現す。このことは完全にアッシュの読み違いであった。
『抜け殻』の数は十数人を超えている。アッシュやゼルティウスならば、その人数がいても「その程度の数」としか思わないが、その一人を倒すことがやっとのジュリアンにとっては絶望的な数だった。
引き返すべきだろうか……
ジュリアンの実力では一階の塔の出入り口付近で待ち構えている『抜け殻』を突破するのは不可能だ。
ロミリアが意識を取り戻しているのなら、自分が囮になってロミリアを逃がすということもジュリアンは厭わないのだが、そのロミリアは今もまだ意識を取り戻さず、ジュリアンに背負われたままだ。
自分が倒されれば、ロミリアが連れ戻されるだけだと分かっているジュリアンは危険を冒せないと思い、前へ進み、塔を出るのではなく、後ろに下がり塔の中に隠れてアッシュが賢者を倒すまで待つべきだと判断する。だが、しかし、来た道を戻り、塔を上に昇ろうとしたジュリアンの背後では──
「そんな……」
一階から上の階に戻ったジュリアンの眼に飛び込んできたのは生き残った『抜け殻』が何かを探す様子でフロアを徘徊する姿だった。ジュリアンはすぐさまロミリアを背負ったまま物陰に隠れる。
「全然、片付いていないじゃないか……」
アッシュは『抜け殻』を片付けておくから心配いらないということをジュリアンに言っていたと思うが、『抜け殻』は大量に残っている。
前に進むことも戻ることもできなくなったジュリアンはロミリアを背負って隠れる他なくなった。しかし、そうして隠れたとしても、この場所は相手の根城。隠れるジュリアンより、探す『抜け殻』たちの方が有利だ。
「どうしよう……」
背負ったロミリアは答えてくれない。
ジュリアンは『抜け殻』に見つからないようにフロアの中を物陰に隠れつつ警戒しながら歩き、そのうちに一つの部屋の中に逃げ込んだ。
そこは資料室らしき場所で、天井まで達する高さの棚が迷路の壁のように立ち並ぶ部屋だった。ジュリアンはここなら隠れられそうだと思い、部屋の中に入るとすぐに鍵を閉めて、棚の陰に隠れる。
そうして、状況が良くなるまでやり過ごそうと思ったのだが、その直後──
急に部屋の外から戦闘の戦闘の音が聞こえてきた。
この場所に辿り着くまでに散々聞いた、火球の魔術が着弾する音だ。
その音から部屋の外では戦闘が起こっているとジュリアンは察するのだが、同時に思うのは「誰が?」という疑問だった。
ゼルティウスやマークが救助に来てくれたと考えるのが自然だが、果たしてあの二人がここまで来れるのだろうかという疑問が二人の実力を完全に理解していないジュリアンにはあった。
二人の強さを知っているアッシュならジュリアンの疑問を笑い飛ばすだろうが、そのアッシュがこの場にいない状況では部屋の外で戦っているらしい存在に対してジュリアンは不安しか抱けない。
ほどなくして戦闘の音が消える。
そのまま、通り過ぎてくれればいいとジュリアンは願ったが、直後に聞こえてきた部屋の扉を開ける音で、その願いは簡単に崩れ去る。
どうすれば……
このまま隠れてやり過ごす?
それとも隙を見て逃げる?
思い切って不意打ちをする?
幾つかの思い付きが頭をよぎるが、ジュリアンは決定できない。
そうして悩んでいる間にも、部屋に入ってきた何者かの足音が近づく。
その足音は最初からジュリアンの居場所が分かっているかのように、真っ直ぐジュリアンの隠れている場所へと向かい、そして、その人物はジュリアンを見つけ──
「あら、人間じゃん」
場違いな明るい声を出した。
「え?」と思い、ジュリアンは部屋に入ってきた相手の顔を見ると、その顔は見覚えのある顔で──
「ガイ・ブラックウッド?」
「え? 俺のこと知ってるって、もしかして俺の知り合い?」
ジュリアンにとっては以前にアッシュに一度だけ紹介してもらった相手だ。
そのガイが何故この場にいるかは分からないが、アッシュの仲間であることは分かってるのでジュリアンは自分の味方であると判断し、ほっと胸を撫でおろす。しかし、ガイの方は若干、焦った様子で──
「えっと、背の低めの女の子? いや骨格は男の子か? それと、髪が長くて胸があるから女? その組み合わせは……あぁ、ジュリアンとロミリアか。うん、知ってる知ってる」
ガイの反応は奇妙だったが、安心しきったジュリアンはそこまで意識が向かず気付かなかった。
ガイの方も奇妙な反応は最初だけで、状況が分かると朗らかな調子で──
「いやぁ、大変だったね。ロミリアを攫われたから助けに来たんだろ? それで逃げる途中だったって感じ? うん、でも大丈夫、もう問題無いよ。この塔にいた連中は全部、始末したからさ」
人間の姿をしていても魂も何もない存在はガイにとって守るべき人間とはならないので加減などは全く無い。
「キミたちが帰るのを邪魔する連中はいないから安心して出て行くといい」
安心しきったジュリアンはガイの場違いに明るい調子に疑問を抱くことも無く、ただ感謝の気持ちしかなかった。
「ありがとう。でも、ガイさんは……?」
「俺はちょっとこの場所に用事があってね。キミたちがいたのは全くの偶然だったんだけど、いやぁ会えてよかったよ。二人の事を助けられてさ」
ガイは言いながら部屋の天井、その先にある塔の最上階を見上げる。
「助けたついでに言っておくけど、この近くに隠れるんなら、隠れてからは戦おうなんて気持ちは絶対に持っちゃ駄目だよ? せっかく助かった命、そんでもって俺が助けた命だからね。無駄にしないでね」
戦わずに隠れてろということだろうか?
言い方が若干、奇妙な気がしたがジュリアンは自分が戦うことでロミリアが危険に陥ることも理解しているのでガイの言葉に素直にうなずく。
「うん、偉いね。素直なのは良いことだと思う。それじゃあ、俺は行くよ。二人とも末永くお幸せに」
そう言ってガイはジュリアンに背を向けて部屋から立ち去った。
ジュリアンはロミリアと二人きりになった部屋で息を整えると、意識のないロミリアを背負って、塔から脱出するために部屋から飛び出した。
一方その頃、塔の周囲の魔導院では──
「悪い、遅くなった!」
学院内で『抜け殻』と学生及び賢者の側についた学院の教師と戦闘を繰り広げていたゼルティウスのもとにマークが合流する。
「……余計なものがついてきているようだが?」
ゼティは学院の校門でマークと合流したが、そのマークの隣には敵対していたはずのセレシアが立っていた。
マークがどう答えたものかと考えながら懐から煙草を取り出し、口に咥えるとマークの隣に立つセレシアが魔術で生み出した火で煙草に火を点ける。
「……勝ったら仲間になった」
「勝者に敗者が従うのは当然だろう?」
微妙な表情で言うマークに対し、セレシアは堂々と胸を張ってゼルティウスに答える。
「セレシア・サングティスだ。故あって、そちらにつくことにした」
「……まぁ、頭数が増えるのは歓迎だがな」
ゼルティウスは言いながら、マークとセレシアがやってきた方向を見ると──
「厄介なものまで連れて来られると感謝して良いのか分からないな」
マークがやって来た方向からはギースレインが率いるソーサリアのゴロツキ達とソーサリアを守る衛兵たちが大挙して学院の方へとやって来るのが見える。
マークとセレシアを追っての行動だろう。どうやら、ゴロツキと衛兵たちは目的が一致したようで当座は協力体制を取ることにしたようだ。
「こっちに文句をつけるなら、随分とノンビリやってるそっちにも文句をつけたくなるぜ」
マークがゼルティウスの背後の校舎を見ると、校舎の窓からはゼルティウスを狙ってると思しき学生達の姿が見えると共に、校舎を出て姿を現す学生達に加えて『抜け殻』もいた。
「言うまでもなく囲まれているが、どうする?」
セレシアが前と後ろ、そして周りを見ながらゼルティウスとマークに訊ねる。
「そりゃ勿論やるけどよ」
煙草の煙を吐き出しながらマークは自然な動きで周囲の敵を迎え撃つ位置に立つ。
「……さきほど何回か殺してたと思うんだが、そんな相手と手を組むのに抵抗はないのか?」
ゼルティウスはマークの背後をかばうような位置に立ちながらセレシアに訊ねる。
セレシアは二人の動きに合わせ、互いの背後を守れるような位置に立つ。
「私は斬った斬られたを恨みに思うような生き方はしていないので何も思わないな」
「それならいいんだがな」
「そもそも死んだと言っても、一回で死なないのなら掠り傷のようなものだろう? 掠り傷でゴチャゴチャ言うような女だと思われたくない」
ゼルティウス、マーク、セレシアは三人で三角形の隊形を取り、お互いの背後をカバーし迎え撃つ構えを取る。
周囲の敵は三人に対して、四方八方を取り囲みジリジリとその包囲を狭めていく。
そうして包囲が完成すると、その包囲の中から人波をかき分けてゼルティウス達の前に立つ者が一人。
「良いザマだなぁ!」
姿を見せたのはギースレイン。
ギースレインは勝ち誇った表情でゼルティウスを見ていた。
「この数で一斉に襲い掛かればテメェらだって一溜りもねぇだろう? テメェに斬り落とされた腕の復讐だ。全身切り刻んでやるよ」
ゼルティウスはギースレインが自分に話しかけているのだと悟ったが、しかし──
「すまない。誰だか分からん。俺に斬られた奴か? 両腕を失っているように見えるが俺が斬ったのはどちらの腕だ?」
ゼルティウスはギースレインの右腕を奪ったことを完全に忘れていた。
そのことにギースレインは当然ともいえる怒りを覚え──
「コイツらを殺せッ!」
ギースレインの命令に従い
ギースレインの指揮下に無い者たちも、その動きを切っ掛けにゼルティウス達に襲い掛かろうとする。
攻撃に移る周囲の敵に対し、ゼルティウスとセレシアは迎え撃とうとするが、そんな中マークだけが、呆けた様子で賢聖塔の方に顔を向けていた。だが、その表情は次の瞬間、一変し──
「アスラが展開する気だ!」
切羽詰まった様子でゼティが叫ぶと同時にゼルティウスの意識は周囲の敵ではなく塔にいるアッシュ──アスラカーズの方へと向かう。
「何処を見ている!」
その隙を見逃さずギースレインがゼルティウスに飛び掛かるが──
「邪魔だ!」
ゼルティウスに襲い掛かろうとしたギースレインはマークの放った炎の魔術によって火達磨にされ、全身を炎で焼かれたギースレインはのたうち回りながら、近くの水路に転げ落ちる。
自分が焼き払った相手をマークは一瞥もせず、ゼルティウスに向かって叫ぶ。
「殺せ、ゼティ! 発動される前にアスラを殺せ!」
業術、その第三段階である『展開』。
アスラカーズのそれは危険すぎる。
「なんだ、何かマズいことが起きるのか?」
セレシアは業術について知らないので危険性は分からない。
マークは状況が切羽詰まってる中でも危険性を訴える。
「俺達がヤバいんだよ!」
危険というのは使徒にとって危険だということだ。
もちろん、使徒以外にも被害は生じるが、そんなことは気にしていられないほど、自分達に危険があることをマークもゼティも理解している。
だからこそ、マークはゼティに塔の最上階付近にいるアスラカーズを殺してでも『展開』の発動をとめさせようとした。しかしゼティは──
「位置が悪い──っ!」
賢聖塔にいるアスラカーズを殺そうとするゼルティウス。
全力の技を使えば、学院の校門付近から塔の頂上付近を断ち切ることはできるのだが、それをした場合、攻撃範囲の中に学院が入り、技を放てば学院の中に隠れている平和主義の学生達も巻き込むことになる。それゆえにゼルティウスは塔への攻撃ができなかった。
移動し、学院を巻き込まずに済む位置に移動しようとしても、周囲は敵に囲まれている。
「クソがっ!」
ゼルティウスが手をこまねいているのを見て、業術の完成を覚悟したマークが悪態をついた瞬間、アスラカーズの業術が『展開』される。
深紅の光が塔から円の範囲に広がり、魔導院をすっぽり覆う範囲まで拡散されると、光の終点を境に深紅の光の壁で内と外が隔てられる。
光の壁の内、その中は深紅の光の粒子が火の粉のように宙を舞い散り漂う空間。その中に中心の塔から学院に至るまで、その空間の中にいた全ての人が閉じ込められた。
ゼルティウスの周りにいる敵たちは何が起きたか分からず、困惑し辺りを見回す。対して、その中で何が起きているか理解しているマークは諦めた顔で呟く。
「覚悟しろよ、クソども。地獄の始まりだぞ」
「本当に地獄を味わうのは俺達なんだがな」
地獄というマークの呟きに同意しつつ、ゼルティウスはアスラカーズの業術が『展開』された空間でウンザリとした顔を浮かべるしか出来なかった━━




