仕事のある男
学院の用務員であるゼルティウスの仕事は多岐に渡る。
朝、学院に誰よりも早く到着すると、前日の最後の見回り直後から校舎内に変化もしくは異常が無いかを見回り確認する。
また、見回りの最中に生徒が気持ちよく授業に取り組めるように簡単ながらも清掃すること忘れない。
見回りを終えるとゼルティウスは出勤してくる職員のために茶を淹れる準備をし、出勤してきた教師や学院の職員にすかさず、茶を出して出迎える。
そうして、学院の職員に一通り挨拶を終えると、今度は生徒を迎えるために、校門のそばに立ち、登校してくる生徒たちに向かって挨拶をする。
生徒たちが教室内に入り、授業が始まったらゼルティウスは本格的な仕事に取り掛かる。
備品の確認、校舎内の掃除、植木の手入れ、時には大工仕事も行い、校内環境の整備を欠かさない。
この日、ゼルティウスは先日あった学院内での戦いの爪痕を元通りにするという仕事に追われていた。
研究院へと入ることを認められるために学院の生徒たちが自分の実力を示そうと他の生徒に戦いを挑むという賢聖塔が現れた際の恒例行事。
その結果、校内の一部は荒れ果て、生徒の立ち入りも禁止される有様となっている。
「ここまで酷いことになった原因はアイツのせいだろうがな」
ゼルティウスは独り言を漏らしながら火の魔術の直撃によって焦げた壁を白い塗料で塗り潰し、戦闘の痕跡を消す。
様々な世界を旅した結果、ゼルティウスは日銭を稼ぐために様々な技能を身に着けている。
世界によっては……というか、だいたいの世界は剣だけで食べていくのは不可能であるので、生きていくためには手に職をつける他なかったためである。
「次は……」
壁を塗り終えたゼルティウスは次に教室の窓に目を向ける。
窓は窓枠周辺もゴッソリと削れており、修復は簡単ではなさそうだった。
それでも一応は用務員として雇われているのだから、その仕事はちゃんとするべきだとゼルティウスは思うので、手を抜くことは無く仕事に取り掛かる。
そうして、仕事に取り掛かろうとすると不意に窓の外の光景が目に入る。
窓の外、学院の庭では黒い制服を着た生徒たちが木陰に机を並べて勉学に励んでいる。
黒服の生徒たちの教室はゼルティウスが修復している教室であり、教室が立ち入り禁止の現在、黒服の学生達は使える教室が無いため、庭に机を並べて勉強していた。
他のクラスであれば代わりの教室が与えられたのだろうが、学院の落ちこぼれとして扱われる彼らにはそういった配慮されていないようだった。
ゼルティウスは不思議に思うのだが、この学院は劣等生と言われる学生ほど必死に勉学に励んでいる。
対してエリートである白服の学生などは勉学よりも魔術による戦闘訓練を重視する傾向があり机に向かっている時間は少ないようにゼルティウスには見えた。
「学校という感じではないな」
勉学に励んでる者より、戦う術を磨く者が尊ばれるというのは、研究機関としての性質を持っていると話に聞いた魔導院の姿としては歪であるようにゼルティウスは思う。
とはいえ、若者たちが自分の理想に向かって努力している姿は真実の物であり、その方向性が歪であろうとその努力を否定するべきではないとも思う。
「みんな、より良い自分になるために力を尽くしてる」
誰も彼もそうだと庭にいる生徒たちを見て思う。
ここが実際はどういう場所であろうと、ここに集まっている若者たちはここが自分たちを変えてくれると信じ努力している。
黒服の学生達は自分達が魔術士として大成しないということを理解しながら、それでも将来を模索して勉学に励み、他の学生達は魔術士として名を残すために研究院を目指し魔術の技量を高めようとしている。
その志はゼルティウスは素晴らしいと思うし、それぞれの願いが叶うと良いとも思っている。だが、そんな若者たちが自らの志を預けるのに果たして魔導院とは相応しいのだろうか。ゼルティウスはそんな疑問を抱かずにはいられなかった。
「余計な心配か……」
目標に向かって努力している若者を見ると過去の自分と重ね合わせて見てしまう傾向がゼルティウスにはあった。
まだ人間だった頃、そしてその若い時分に剣の道を信じて鍛錬に励んだ過去。そして結局、剣に道など無かったと気付いた青春の終わり、その時の自分の姿と学院の生徒の姿がゼルティウスの眼には重なっていた。
ゼルティウスはそのまま感傷的な気分でしばらく庭に机を並べて勉学に励む黒服の生徒たちを眺めていたのだが、そのうちに不意に二つの人影が黒服の生徒たちに近づいていくのが見えた。
「あれは……」
目を凝らしてみるまでも無くゼルティウスはその二つの人影が何者か分かった。
その二人はラスティーナとその侍女。言葉を交わしたことは無いが顔は知っていた。
ギースレインの屋敷で学院生が見つかったことについて事情を聞きに来るとゼルティウスは聞いていたので、ラスティーナがいることにもさしたる驚きはない。
ラスティーナは黒服の生徒たちに近づき話しかけると、生徒たちと二言三言、言葉を交わす。
何を言っているかまではゼルティウスは聞き取ることが出来なかったが、ラスティーナの雰囲気は勉学に励む生徒たちを、ねぎらう気配であるように感じ取れた。
生徒たちとラスティーナの年齢は変わらないくらいだと思うが、王族とただの学生では身に纏う雰囲気も違い、生徒たちは恐縮する様子であり、それほど実のある話ができた様子ではない。だが、ラスティーナは満足した様子で身分が下の学生達にも礼を尽くした態度で、その場を辞した。
その時である、校舎の窓からその姿を見ていたゼルティウスとラスティーナの眼があったのは──
不意に目が合うゼルティウスとラスティーナ。
ゼルティウスがラスティーナの顔を知っているようにラスティーナもゼルティウスの顔は知っている。
二人の間の距離は離れているが、ラスティーナは偶然目が合ったゼルティウスの瞳をしっかりと見据え、そして、声を出さず唇だけを動かし、自らの意思を伝える。その言葉は──
『許す』
たった、それだけだ。それだけを伝えラスティーナはゼルティウスから視線を外し立ち去る。
許す──その言葉の意味することはゼルティウスにも分かる。
分かるからこそ、敢えて繰り返すようなこともせず自分の心にしっかりと刻みつける。
王女のお墨付きは出た。ならば──と思うゼルティウス。
ちょうど、そのタイミングでゼルティウスに声をかける人影があった。
「あ、ゼルティウス先生」
声をかけたのはアッシュの担任をしているというジョニーという名の学院教師。
「学院長が呼んでるみたいです。学院長室に来るようにって」
ラスティーナが帰った直後に自分を呼びつけるかと、ゼルティウスは長い髭を蓄えた学院長の姿を思い浮かべる。見た目は好々爺という感じだったが、どんな話を切り出してくるやらと思いながらゼルティウスは学院長室へと向かう。
「失礼します」
どういう想いはあっても、現時点ではゼルティウスは学院の職員であるので立場が上の学院長に対して、最低限の礼儀まで失するようなことはないようにと気を遣いながら学院長室に入る。
「忙しい所、すまんのう」
白く長い髭を蓄えた老人──学院長が穏やかな笑みを浮かべながらゼルティウスを出迎える。
「いえ、それほど忙しいわけではないので」
「そうか、それは良かった。もしかすると少し長い話になるかもしれんからのう」
学院長はにこやかな表情でゼルティウスに椅子を勧める。
やはり雰囲気は好々爺そのものだが、ゼルティウスは逆にその雰囲気が信用ならなかった。
「どのような御用件でしょうか?」
ゼルティウスは勧められた椅子に座ることはせずに部屋の入り口付近を陣取ってそこに立ちながら話を進めることにした。
「うむ、先程、儂の所にアウルム王国のラスティーナ王女が来たことは知っておるか?」
「えぇ、ラスティーナ王女がお帰りになられるところを見ましたので」
ゼルティウスは隠すようなことはせずに正直に伝える。
腹芸などは性に合わないし、自分にはできないことを理解しているゼルティウスは最初から駆け引きを放棄していた。
「学院長のもとを訪れたのは、街の犯罪組織に学院の生徒が拉致監禁されていたことについて事情を聞きにきたためではないですか?」
質問のような口振りだが、ゼルティウスは確信を持って言っている。
「そこまで理解しているのなら話は早い」
そう口にした学院長の表情が一変し、笑みが消え鋭い眼差しでゼルティウスを見る。
「儂が聞いた話では生徒たちを見つけた場にはアッシュもおったそうではないか」
「アッシュ・カラーズという生徒の名が出てくる理由が理解できませんが」
「とぼけるでない。おぬしがあやつと仲間であることなど学院はとうに掴んでおる」
隠しているつもりも無かったので把握されていても不思議はないだろうとゼルティウスは思う。
「そして、おぬしもまた学院の生徒を救出する場にいたこともこちらは把握しておる」
「そうですか。……それで? そのことで何かあるんですか?」
何か文句があるなら言えば良い。
だが、学院の生徒を人攫いから助けて文句を言われる筋合いはないとゼルティウスは思う。
「ふぅ、そう邪険にせんでほしいのう。別に取って食うような真似はせん」
学院長は再び表情を変え、ゼルティウスに懇願するような眼差しを向けると──
「おそらくラスティーナ王女はおぬしにも話を聞きに来るであろう。その際に学院の不利になるような発言は控えてもらいたいのじゃ」
どうやら学院長は自分とラスティーナが知り合いであることを把握していないようだとゼルティウスは気付く。もっとも、それを利用して学院長をやり込めるような方法は思い付きはしないが。
「おぬしはアッシュとは違い、何のトラブルも起こさずに学院に溶け込んでおる。おぬしにとっても、この学院での生活は心地よいであろう? 学院を守り、今のおぬしの生活を守るためにも少し儂らに協力して欲しいのじゃが、どうかのう?」
学院長は懇願するような眼差しを向けつつ、媚びるような口調で取引を持ち掛ける。
学院での生活に満足しており、今の生活を守りたいなら、ラスティーナに事情を聞かれた際、学院の不利益になるような情報は漏らすなと学院長は持ちかけている。
「具体的には何をすれば?」
「生徒を助け出したと思ったが、アレらは既に学院を辞めた者たちであり、学院とは何の関係も無いとでも言ってくれればそれでよい。それが難しければ、少しの間ソーサリアから離れてくれているだけでもよい」
揉み消すつもりかとゼルティウスは思う。
おそらくは今と同じような状況を何度も経験しており、こういった状況に対処するマニュアルがあるのだろう。学院長は自分のやろうとしていることも良くあるトラブルの処理の一つと考えており、罪悪感など全く抱いていない様子だった。
「……侮られたものだ」
ゼルティウスは呆れた思いを抱きながら呟く。
「なにか言ったかのう?」
聞き取れなかったのか、それとも聞こえていたが確認のためなのか学院長はゼルティウスに問う。
それに対してゼルティウスはというと──
「なるほど、生徒を助け出したという場には俺以外にもアッシュがいたというのに、アッシュに持ち掛けず俺に真っ先に取引を持ち掛けたのは俺が与しやすいと思ったからか?」
確かに自分の方が話を持ち掛けやすいだろうとゼルティウスは思う。
なにせ、好き勝手やっていたアッシュに対してゼルティウスの方は真面目に用務員を務め、学院に馴染んでいるのだから今の立場を守りたいと見られても仕方ない。だが、実際はというと──
「随分と俺を甘く見ているな」
不正を自分が見逃すわけがない。悪を自分が許すわけがない。
日々の仕事を真面目にこなしているだけで現状を守ろうと保身に走る人間だと思われているのがゼルティウスは我慢ならない。
「言っておく、俺は|アッシュ(奴)ほど優しくはないぞ」
そう宣言し、ゼルティウスはそれまで被っていた学院の職員という仮面を脱ぎ捨てる。
急な雰囲気の変化に学院長が戸惑っているとゼルティウスは学院長に指を突きつけ──
「王女が事情を聞きに来る? 違うな、話があるのは俺の方だ」
そしてゼルティウスは学院長を見据え──
「お前には俺の知りたいことを全て話してもらうぞ」




