[4-1]川に落ちる夕日は空に溶ける
前回までのあらすじ:トラヴィニア王国はメイマス帝国、そして帝国に寝返ったフニャシア公国に戦争を仕掛けようとしていた。その理由を王都で推測し合うペリータ達。予知の力で未来を観た王が、何か別の理由があって戦争の準備をしようとしているのではないか、という結論に達した。ペリータは、故郷に帰った時に予知夢を観たことを思い出した。その予知夢では、王都が帝国に攻められて燃えている光景を、ペリータが眺めているというものであった。
トラヴィニア王国領のナトーネの町に、王国軍の兵と土魔法使い、水魔法使い、火魔法使いが集められた。
最も多いのは土魔法使いであり、町の外壁の外側にさらに土壁を造り上げている。
壁とともに作られているのは、攻めと守りの拠点となる砦だ。
「おおい<猪の牙>! お前も来てたのか」
赤茶色の短髪の男が、木材を運ぶ大男に近づき話しかけた。
大男は足を止め、木材を地面に下ろし男に振り返った。その顔は土で汚れ、汗でこびりついている。
額の汗を汚れた手で拭い、さらに顔に泥がついた。
「なんだ久しぶりじゃねえか! <石の弓>! 元気だったか!?」
<石の弓>と呼ばれた男は右腕を挙げた。が、その腕は肘から先がなかった。
「この通りだ。冒険者もすでに引退済みだ」
「それでこんなところにまで来たってか!」
「それはお互い様だろう」
<猪の牙>が右手を差し出し、<石の弓>は左手でごつんとそれにぶつけた。
「<猪の牙>は最近はどうだ?」
「農村の支援をしてたんだが、どうも人手が足りないってんでな。まあ王国の危機っていうんじゃしょうがねえ」
お互い平地の先の川の、さらに見えない向こうを見た。
西日が赤く輝くそこは、今は帝国の領地だ。
「しかし本当に帝国は攻めてくるのか? フニャシア公国も領主が変わったばかりだろう」
「さあな。あるいは王国から仕掛けるかもよ。元々同じ国の者を攻めるのは忍びねえが」
「そうか? 俺は気にしないぞ。あそこはいろんな種族が争ってた土地だしな。そこを平定していただけで王国ではない」
辺境の冒険者として活動してた<石の弓>の感覚はそんなものか、と<猪の牙>は土で汚れた自分の手を見た。
冒険者としては、主に街で活動しており愛国心のある<猪の牙>の方こそ珍しい方だろう。
そんな彼は、街での奉仕活動が長く、他人からも本名のゲオルゲの名で呼ばれる事が多く、名乗る時も多い。
今や、二つ名の<猪の牙>で呼ぶ者は、昔の仲間だけだ。
作業場に鐘が鳴り響く。
「よし! 酒場へ行くか! 久々の再会だ奢るぞ!」
「ああ、しかしその泥まみれで行くのか?」
「水魔法使いに洗って貰うさ。ほらあそこのちっこいの」
身体と服の泥を落とし、二人は酒場へ向かった。
同じような流れの作業者で、席はほとんど埋まっている。
その中で二席を開けて貰い、二人は隣に座った。
エールで乾杯し、塩辛い肉をつまむ。
<石の弓>が冒険の話しをした。
森で狼の魔物を倒した話し。
山でヤギの魔物を倒した話し。
遺跡を見つけ軽く探索をしたら、罠にかかり右手を失った話し。
仲間の助けられ街に戻ったが、一人パーティーから抜けて王国へ帰った話し。
いわゆる冒険者らしい冒険者の話しだ。
一方<猪の牙>の話しは街が中心の話しだ。
他愛もない悪漢を退治した話し。
新人冒険者に剣を教える話し。
依頼で向かった村で家の中の溺死体を埋めた話し。
冒険という冒険の話しではない。
「羨ましいよお前が。俺はそんな街中で生きていくような器用な人間じゃなかったからな……逆に言うとお前が冒険者な事が不思議なくらいだ」
「俺は冒険の話しができるお前がうらやま……いや右手を失った者に言うような事じゃねえか。冒険者と言っても俺は街の自警団みたいなもんよ」
「そうやって街の人から信頼される立場になれるのがおかしいっての。そんな立派なあごひげを蓄えてさ」
<猪の牙>は自分の整ったあごひげを恥ずかしそうに触った。
「俺の場合は偶然さ、偶然。拠点の街が荒れていた時期に、治安を守っていただけだ」
「ははっ。それが冒険者らしくないって話しだ」
<石の弓>は楽しそうに笑った。
無い右手で<猪の牙>の肩を叩こうとして、すかして、恥ずかしそうにまた笑った。
「これでも、命があって良かったと思っている。左手があれば魔法は使えるし、生活もできる。まあそりゃ不便だが、仕事もできる。土魔法は攻撃魔法が主だったから、土木は苦手だけどな」
「それなら俺が支援に行っていた農村を紹介するぞ。農村と言ってもでっけえ村だ。そこには水魔法使いが居て、畑がやられちまった周りの村の奴らがそこに集まって、でかい町みたいになってるぜ」
「ほうそりゃ凄い。水の加護のある村か」
<石の弓>が旅をしてきた村の中でも、そのような野良魔法使いが村を維持している場所はいくつか見かけた。それでも町ほどに大きくなっている場所はなかった。
「さっき身体を洗った時にちんちくりんの水魔法使いが居ただろ。アレがその村の出身だ。あとで紹介してやるぜ」
「そうだな。それまでに王国が残ってたらいいんだが」
宿酒場には、立ち呑みが出るほどまで人が集まっていた。
兵だけでなく、王国中の暇な冒険者がこの町に集まってきている。
<石の弓>のように職がない者。
<猪の牙>のように世話焼きの者。
そして、水魔法を作業員の身体を洗うために使うような献身する者。
それらは戦争に好き好んで参加しているわけではない。
戦争で仕事ができたから、やってきただけだ。
王国軍が負けたら、帝国軍は攻め込んでくるだろう。
ただの冒険者の集まりにはそれに抵抗するような力はない。
散り散りになり、またどこかで酒を呑むだけだ。
それは、次は帝国領の酒場かもしれない。
「ところで、だ。こんな噂を聞いてるか? もしかしたらそれでお前がこの町に来たのかと思ったのだが――」
そう言って、<猪の牙>はそのでかい声量を落とした。
「なんでも傷を治す〈黄金の天使〉がこの町に現れたという噂だ。話しによるとフニャシア公国の領主を生き返らせたとか言うぜ」
「はぁ?」
と言いつつ、思わず<石の弓>は自分の右手を見た。
「それを聞いてこの町に来たのかと思ったが、どうやらその様子だと知らなかったか」
「その噂は本当なのか?」
「どうかな。この町では有名だが、それは生成り色の髪の少女だそうだ」
<石の弓>は酒場を見回した。
そのような少女は見かけない。そもそもが店内は男だらけだ。
もしそんな少女がいれば騒ぎになるだろう。
「しかし、フニャシア公国の領主……ラディウスだっけ? それを生き返らせたなら王国にはもういないだろう」
「それがよ、〈黄金の天使〉は公国から王国へ渡ってきたと聞く。今でも王国内にいるかもしれん。まあ本当だったらすでに捕まって王都の城にいるだろうがな」
一介の冒険者の<猪の牙>が知るような噂だ。
そんな話しは当然のように王都へ伝わっているだろうし、本当ならすでに見つかっているだろう。
それがないということは、居ないということだ。
「戦争時によくある眉唾話しか。公国が混乱させるために流した流布だろ」
<石の弓>は木製のジョッキをあおって空にした。
「それが本当ならこの戦争はただの戦争では無くなるだろうしな。黄金の天使の昔話みたいになっちまう」
「なんだ? それは」
「うん? 知らないか。ここらや川向うの言い伝えだ。大昔に治癒魔法使いの奪い合いでいくつもの国が滅んだせいで、ここらは英雄エルシュが統一するまで長く紛争地域にだった、というやつだ」
「ははっ。だとすると〈黄金の天使〉とやらが居たら王国も公国も無くなるってことか」
「そしたら帝国の一人勝ちってーことになるな。急いでこの町の砦を造らねーとな」
<猪の牙>は二の腕をムキッとポージングを取った。
そこへピンク髪を揺らし近づく背の小さい少女がいた。
少女は<猪の牙>に声をかけた。
「やあゲオルゲ。ちょっと相談があるんだが――」




