[新都近代魔法学園・魔法学]色別魔力体系書
ほんわかした魔法の設定とかそういう読まなくていいやつです。
この本の原著は悪魔城眠都で150年ほど前に発見された。
原著の作者はペリシャと呼ばれる人物である。
原著の発見場所から王宮魔術師であったのではないかと推測されている。
しかし他に名前は残されてなく、限りなく謎が多い人物とされている。
残された書はこれしか見つかっていないが、漠然とした魔法とその性質に区別を付けた人物として現代魔術では高く評価されている。
学者の中では彼女は魔法の原始を伝えに地上にこの一冊をもたらした天使などと呼称される。
これは原著の「魔力の色と輝きと性質の覚書」を現代語、現代魔術と合わせ再編成したものである。
ペリシャなる人物は魔法や魔力の性質を色に分類した。
ここでは大まかな色と性質を記す。
【青紫】
占術や冷気の扱いに長ける。
過去の多くの王宮魔法使いはこれに分類し、名前に残っている魔法使いの多くはこの分類とされる。
占術による予知や冷気による保存の魔法は都市の機能に適しているためだ。
新都歴99年のノストムダヌスによる眠都崩壊予言が有名である。
【青】
水や探知に長ける。
名前に残るものは少ないが、地方の農村で伝説として語り継がれるような無名の魔法使いはこの分類が多いとされる。
水を取り扱うために、農作物の収穫が安定し、村の発展の英雄とされたようだ。
魔法使いとしてではなく、町の名前として残っている事が多い。
(原著では青紫が暗殺者のような裏稼業をする人物に適すると書かれているが現代では青とされている)
【青緑】
特になし。(青と緑の両特性を持つとされる。)
原著のペリシャがこれに当たるとされている。
そのため特別に記載されているが、特出した性質はないため現代では中間色として使われることは少ない。
農村の発展貢献者は正確には青ではなく青緑とされていることを記す時のみ使われる。
しかし青緑を含めて大まかに青とされている。
【緑】
土に長ける。
帝国のノール大街道など土木事業で多大な活躍したものはこの体系とされる。
また一般的には農業の成功者に多く見られる。
魔力の強い緑の魔法使いは多くない。黄の体系に近く、怪力魔法と両立して持つものが多いためと思われる。
そのため緑の魔法使いは準怪力者であると思われいる事が多いがそれは正確な分類としては【黄緑】である。
【黄】
怪力に長ける。
通称では怪力者と呼ばれている。
怪力は魔法が使えないものだけが持つ特性とし、過去の魔法体系では無能魔力者とされていた。
著者のペリシャの妻に当たる人物がこれに該当するようで、原著には多くの記載がされている。
彼が妻を黄金の天使と称していることから、現代では特に力の強いものは黄金と呼ばれる。
【赤】
熱や炎に長ける。
炎による攻撃魔法の使い手として軍に配属される事が多い。
また、炎魔法と準怪力者に当たる中間色の橙の色を持つものは魔法騎士として大成することが多い。
一般的には鍛冶の成功者に多く見られる。
【赤紫】
精神魔法に長ける。
アトラル大陸には数少ない非常に珍しい魔力とされている。
ペリシャの研究によると北国の一地方の種族を原点に持つと考えていた。
それによると、極寒の地により口を開くことなく意思疎通を図るために赤紫の魔法が使われていたとされている。
現代魔法でも研究中であるが、精神を司る魔法であるため研究対象を捕らえることは難しいとされている。
【白】
白または無色とされている。
現代でもその存在は確認されていない。
原著では一度だけ確認されたと書かれている。
魔力吸収の性質を持つとされているが、吸収の性質が発動をするとその色が混じるため、存在はまずありえないとされている。
どのように白を確認したかは書かれておらず、現代魔法では懐疑的である。
そもそも性質のない魔法は無魔法ということになり、現代魔法では魔法体系とみなされていない。
原著派である白有派と、現代魔法派の白無派で分かれており、白無派が優勢である。
【黒】
こちらは後天的に存在するとされている。
原著では破壊の性質を持つと書かれている。
現代魔術でも黒は可能性として在るとされている。
病気や魔物が発生する地域は黒の魔力が体積されているとされており、魔物が多く発生するオーク地方が有名とされている。
人としての存在は見つかっておらず、黒の魔力を持つものは全て人らしき魔物とされている。
【魔力の強さ、輝度】
魔力の強さは輝度で違いがあるとされている。
魔力の強さを感じる能力を持つものは、魔力の高い部分を輝くものとして視覚的に捉える事が可能である。
この能力は自覚の違いや差異はあるものの、かなりの人数が持っているものとされている。
また能力は魔法の才とは別とされている。
輝度は魔法を使う際により輝くとされている。
ペリシャは魔力の強さは魔力の密度としていた。
また魔力は増減するものではなく、魔力は大きい方から小さい方へ流れるだけの流動の力でしかないとされている。
大きな魔力を留めているのは「留力」と新しい別の魔力の力で考えられていた。
またその考えにより大魔法を使った際に昏睡の症状が出る魔力酔いは魔力の過剰流入が原因と書かれている。
そもそも魔力は増減するものではなく、ただ事象を起こすだけの物とされていた。
これには未だに論争があり、現代魔術では魔力酔いの直接的な原因は魔力の枯渇自体がが原因とされる事が多い。
【魔法の発現】
ペリシャは魔法を「理想を叶えるもの」と抽象的に表現していた。
この部分は現代魔術では否定派が多く、原著の「魔力の色と輝きと性質の覚書」を現代では偽書とする者が多い原因である。
筆者もこの部分については懐疑的な点が多いが、原著を支持し現代魔術における論や筆者の考えも含み記したいと思う。
原著では魔法を「理想を叶えるもの」や「願いを達成するもの」等、ロマンチストに書かれている。
現代魔術では魔法とは魔力を事象に変換し、観測できるだけの力を発生させるものとされている。
ペリシャがなぜ魔法を夢物語のように表現したのかを真面目に取り扱ったものは少ない。
筆者はそれが意図的な表現だったのではないかと考えている。
ペリシャは一般人の事象を起こせない程度の魔力による力も魔法としていた。
例えば、鍛冶屋の火を扱う能力。船乗りの風を詠む能力。狩人の動物を追跡する能力。
本人や周囲が意識や認識をしていないだけでそれは魔法を発現していると考えていた。
そしてそれは現代魔法の考えに置いては魔法とされておらず、個人の経験と能力とされている。
ペリシャは観測できない力も魔法と考えているため、上記のように魔法を表現していたのではないかと、筆者は考えている。
その考えによると全ての人物が何かしらの魔法を扱っているということになり、現代魔法における魔法の発現とは異なるものになるので、そちらについても記載しようと思う。
現代魔法ではまず魔法が使える者と使えない者で区分される。
青魔法では水が出せるもの、赤魔法では火が出せるものを魔法使いとする。
水が扱えるとしても極微量な力、例えば水の表面にさざなみを起こせるもの、火を青くさせるものなどは魔法使いとされない。
魔法使いと認定されるには体系別のテストにクリアする必要がある。
魔法使いは魔法が使えない者たちのための力であり存在であるとしているため、魔法使いを詐称するものは重罪とされる。
魔法を扱うには生まれ持った才が必要とされる。
それ以上の技術は本人の努力により向上するが、発現自体は教育によって後天的に魔法ができるようになったものは記録上には存在しない。
【魔力とは】
原著では現代魔術でも最大の謎であり問いでもある「魔力とは」についても書かれている。
現代魔術では魔力とは生命エネルギーとされている。
教会においては全て太陽神による力とされている。
ペリシャは魔力を「人の願いの力」と考えていた。また、魂の力とも書かれている。
後者は現代魔術の考えに近い。前者については眉唾とされている。
【混沌】
魔法の色体系は魔法使いには広く知られているが、現代魔法における混沌の考えをペリシャが提唱したということを知っている者は少ない。
現代魔術では禁忌とされる部分に触れる部分が多く、詳細は省いて解説をする。
ペリシャは魔力の混沌を、魔力の飽和と魔力の溜力が釣り合った状態であると考えた。
魔力の飽和とは、魔力許容量の限界値である。
魔道具が過剰な魔力によって自損する現象の限界点を指す。
また溜力はペリシャが提唱した魔力の力の一つで、魔力が留まる力を示す。
例えるならばパンパンな破裂寸前の牛の胃袋のような状態だ。
原著では現代魔術でも謎の一つとされている魔力溜まりの解消や眠都の呪いの原因と書かれていた。
混沌とはその事象でもあり、存在でもあるとペリシャは考えていた。
現代魔術論ではどちらも確認はできておらず否定されているが、その研究は禁忌の一つともされている。
――題名:「色別魔力体系書」 一部抜粋 著者:フニャディ・ラヨシュ
――原著:「魔力の色と輝きと性質の覚書」 著者:ペリシャ
数少ない読者の中に設定好きの方がいらっしゃるかもしれないので上げてみました。
内容は変わる可能性が多々あります。
漢字に()をつけると勝手にルビになることに気づきました。浪漫




