第10章 二学期 第338話 剣王試験編ー終章 空を翔ける箒星⑨ 奈落に起きた混乱
《フレーチェル 視点》
その後。私はリーリヤさんとシェリーさんに連れられて、関所に向かうべく、奈落の街の中を歩いて行った。
奈落の掃き溜めという場所は、二人に聞いた通り、地獄のような場所だった。
ここに生きる人間には、希望は無い。
皆、諦念した様子で、濁った眼で、奈落の底にある世界を見つめている。
行き交う人々の間に流れるのは、どんよりとした空気とじめっとした不愉快な風。
通りで塞ぎ込む人々の足は木の根と化して地面に張り付いていた。
私が眉間に皺を寄せてその光景を見つめていると、前を歩くシェリーさんが、声を掛けてきた。
「その……さ。最初の、あんたを侮辱したこと、謝るよ」
「え?」
「あんた、さっき殴られていたあの子供を気に掛けていたでしょ? それに……自分に非があるわけでもないのに、あんたは謝っていた。貴族でもいるんだね、奈落の人間を気に掛ける奴って」
シェリーの言葉に、リーリヤはコクリと頷き、言葉を返した。
「私もそう思います。私も幼い頃、貴族様にお助けいただいたことがありました。その方は、恐ろしい顔をした、漆黒の鎧を身に纏った方でしたが……奈落に落ち、大怪我をした私を手当をしてくださいました。その方は泣きながら、しきりにこう仰っていたのを今でも覚えています。―――――『すまない』、と。ですから私は、身分階級で人を差別しません。奈落でも上層でも、良い人はいるし、悪い人はいると思います」
「へぇ。貴族でもそんな奴がいるんだね」
「私の初恋相手の方です。生きている間にもう一度会いたいと願っていますが、今後、奈落に来られる機会があるのかどうか……」
「生きている間に、か。まぁ、そうだよね。ここじゃ、いつ自分が死ぬか分からない世界だしね」
先導して前を歩いて、そんな会話をする二人に、私は小声で口を開く。
「……私は……私は、今まで何も知らずにのうのうと生きてきましたわ。まさかこの王国に、このような場所があるだなんて……。私、何も知らなかったから『悪くない』というのは、違うと思うのです。無知というのは罪だと思います。誰かの考えに頼りきり、知ろうとしないことというのは……罪です」
「でも、フレーチェルはただの貴族の娘でしょ? どうしようもないよ。だって、貴族っていうのは、バルトシュタイン家に牛耳られているって話だし。責任があるとしたら……ゴーヴェンを好き放題にさせている王族連中だって私は思うけど?」
「……」
そう―――――だからこそ、私には、責任があるのだと思う。
だって、私は、王族の一人なのだから。
この地獄を良しとしている連中の、仲間なのだから。
「……見えてきましたよ、二人とも。フレーチェルさん、あそこが、奈落で唯一、上層へと繋がっている場所……奈落の関所です」
リーリヤが指さす方向に目を向けてみると、そこには、堀の壁に建設されている巨大な関所の姿があった。
見上げてみると、関所の裏にある壁には、地上へと続く長い階段と、ロープで吊るされている昇降機の姿が見て取れる。
私は、今から聖騎士たちの荷物に紛れ込み……この奈落から地上に戻る。
バルトシュタイン家の騎士にバレれば、即、拘束されてもおかしくない。
いや……下手をしたら、その場で殺される可能性も十分あり得るでしょう。
歩きながら関所を見つめていると、突如、通りを歩いている人々が道を逸れて、端に寄って行った。
何事かと前方を見つめていると、そこには、列を成してこちらを歩いてくる聖騎士たちの姿があった。
「……やっば。端に寄るよ」
「え?」
「早く!」
シェリーさんは私の手首を掴むと、リーリヤさんと一緒に、端へと寄って行った。
目の前を、漆黒の鷲獅子の旗を揺らめかせて、歩いて行くバルトシュタイン家の騎士。
そう……王国の月と双剣の旗ではなく、彼らはバルトシュタイン家の家紋である鷲獅子の旗を掲げていた。
つまり、ここにいるのは、ゴーヴェンの私兵ということ。
彼らは足を止めると、私たちに声を掛けてきた。
リーリヤさんとシェリーさんは、私を庇うように前に立つ。
「お前たち、聞きたいことがある。つい最近、奈落に落ちてきた者を見なかったか? ドレスを着た十代半ばの女だ」
聖騎士の言葉に、私は思わずゴクリと唾を呑む。
騎士たちは続けて、口を開いた。
「その女を見つけた者には、報奨金を出す。―――――――金貨百枚だ」
その言葉に、二人は硬直した。
金貨百枚といえば……地上に戻ることのできるお金だからだ。
私は身体を震わせ、目の前の二人を見つめる。
もし、二人が、自分が地上に上がるために、私を売ろうとしたのなら、私は―――――――。
「知らないね。ねぇ、リーリヤ?」
「ええ。私たちは、そんな子、見ていません。……何故、バルトシュタイン家の聖騎士様方は、その少女を探しているのでしょうか? 奈落に人が落ちてくることなど、珍しくも何とも無いと思うのですが?」
「余計な詮索はするな。行くぞ」
そう言って、聖騎士たちは歩いて、その場から去って行った。
私は思わず、二人に声を掛ける。
「ど、どうして……見逃してくださったんですの……?」
そう口にすると、二人は顔を見合わせ、クスリと笑みを溢した。
「友達を売ってまで、上には行きたくないですもの。ねぇ、シェリー?」
「……まぁ、あんた何か事情ありそうなみたいだし。気まぐれってやつよ」
「まぁ、シェリーったら。照れちゃって」
「うっさい。照れてない」
この二人は……何て、心が綺麗なのだろう。
今思えば、王宮にいる人たちは、みんな、権力とお金に目が眩んでいる人たちばかりだった。
誰もが誰かの派閥につくことを考えて、誰もが自分の立ち位置を気にしていた。
あそこに……こんな心の根が綺麗な人は、いたのだろうか?
「さぁ、行きましょう、フレーチェルさん」
「はい。あの……本当にありがとうございました。お二人とも」
「いえいえ」
フフッと笑うリーリヤさんとそっぽを向くシェリーさんと共に、私は、関所へと歩いて行った。
関所の前に立つと、門番の聖騎士と、あまり王国では見ない着物という衣服を着用した女剣士が話をしていた。
髪を結んだ女剣士は「呪われた刀の話と、剣聖アーノイック・ブルシュトロームの出生地を知らないでござるか」と問いを投げるが、聖騎士の男は鬱陶しそうにシッシッと手を振って追い払った。
女剣士は短くため息を吐くと、踵を返し、私たちの方向へと歩いて来る。
そして彼女は私たちの横を通り過ぎ、去って行った。
「奈落でも見ない、珍しい恰好をした人ね。確か……大陸の端にある、東の国の人間が着る装束、でしたっけ? あの方、多分、地上の人よね? 何のためにここにいらしたのでしょう……」
「確か、『火の国』だったよね? 大陸三大国の、王国、帝国、共和国とあまり関わりたがらない、小さな島に引きこもっている弱小国だって噂を聞いたことがあるけど?」
「王国と同じく、剣士が権力を持つ、剣の国だって話を聞いたことがあるわ。でも、今はそんなことよりも……フレーチェルさん。ここから私たちは門番の注意を引き付けますから……中に入って、地上へと送る荷物を探してください」
リーリヤのその言葉に続いて、シェリーが笑みを浮かべて頷いた。
「まっ、頑張りなさいよ。多分、さっきバルトシュタインの私兵が出て行ったから、中は手薄だと思うわ。まぁ、いざとなったら身分を明かして、自分の身は自分で守りなさいよね。何かワケありっぽいけど、どうせ家出とかでしょ?」
「……はい。ここまでありがとうございましたわ、お二方……!」
私は二人に対して、深く頭を下げる。
すると、二人とも、私の肩に手を置いてくださった。
「また会いましょう……というのは、変な話かもしれませんが……いつか、私たちが奈落から出ることができたら、その時はお茶でもしましょうね、フレーチェルさん。もう、ここに来てはいけませんよ。貴方は地上の人なんですから」
「まっ、貴族様は私たち奈落の娼婦のことなんてすぐに忘れると思うけど? でも……あんたは他の貴族とは違うって分かったから、特別に、私は覚えていてあげる。せいぜい、地上生活を謳歌でもしていたら?」
「リーリヤさん……! シェリーさん……!」
ボロボロと、涙が零れ落ちる。
王宮でジュリアンお兄様のお荷物扱いされていた私を見てくれた人は、ゾーランドとグリウスだけでした。
でも、違いました。
世界を見てみれば、私を見てくれる人は他にもいたのですわね。
王宮にいるどんな衣服で着飾った王族や貴族たちなんかよりも……彼女たち二人の方が、美しい……!! 王宮にいる娼婦である彼女たちの方が、心が綺麗なんだ……!!
私は、彼女たちのような美しい人間に、いつか、恩返しがしたい……!!
「馬鹿。いつまで泣いているのよ、泣き虫」
「いたっ」
シェリーさんにデコピンされた私は、額を撫でる。
そんな私にクスリと笑みを浮かべると、シェリーさんは前を歩いて行った。
「ほら、行くわよ、泣き虫お姫様」
「くすっ。確かにシェリーの言う通り、フレーチェルさんはご令嬢というよりは、お姫様の方がしっくりきますね? あ、悪い意味ではないのですよ? 貴方は、何処か、高貴な雰囲気がありますから」
「あ、あははは……」
私は額を擦りながら、二人の後をついて行った。
「ごめんください。聖騎士様に、お伝えしたいことがありまして。私、北区域の方に向かっていくドレスの少女を見たんですよ―――――」
リーリヤさんが、そう、門番の聖騎士へと声を掛ける。
すると、私を背中で隠しているシェリーさんが、私にあちらに行くように指を差した。
そこは、関所の扉横にある、開いた窓だった。
シェリーさんは前に出ると、私が騎士の視線に入らないように、注意を逸らした。
「そうそう。聞いてくださいよ、聖騎士様。あっちに、見慣れないドレスの少女の姿があって~」
「何だと!? いや、待て。お前ら……その恰好からして、娼婦だな? 娼婦は金のためならば平気で嘘を吐く奴らだからな。信用できるか……!」
「あら、よろしいんですか? 先ほどここを通って行ったのは、普段奈落にはおられない、バルトシュタイン家の私兵様ですよね? 見たところ、貴方様はいつも関所の門番を任されていらっしゃる聖騎士団所属の騎士様。もし、奈落の民から報告があって、それを無視してしまったら……大きなもめごとになるのではないでしょうか?」
「私たち、あんたが話を聞いてくれないのなら、さっき去って行った聖騎士様にご報告に行こうかな~~」
「ぐっ……! 仕方ない。詳しく話を聞こうか」
門番が二人の話を聞いている間に、私はこっそりと、窓から関所の中へと入った。
関所の中はとても薄暗く、照明器具は、各所に燭台が置かれているだけだった。
ギシギシと鳴る廊下を進むと……扉が開け放たれている部屋が目に入る。
壁に身を隠し中を確認してみると、そこには、テーブルに突っ伏して眠っている門番の聖騎士五人の姿があった。
私は出来る限り物音を立てずに、廊下を進んで行き――――廊下の最奥にあった、二階へと続く階段を上って行く。
そして、二階から三階、三階から四階へと登って行くと……屋上に出た。
屋上には、上層へと延々と続く階段と、手前に荷物が置かれた昇降機の姿があった。
あの荷物に紛れて上に行く、ということなのでしょうね。
階段を延々と登っていたら、いつ地上につくのか分かりませんし、この場に聖騎士たちがやってきたら、階段を上っている姿を見られてしまう可能性もあります。
やはり、荷物に紛れて昇降機に乗るしか……方法はない。
バレたら間違いなく、殺されてしまうでしょう。
私は、地上へと続く巨大な壁と階段、そしてその先に続く青い空を見上げ、静かに口を開く。
「……私は……地上に戻って、何をしたいんですの……」
空に飛んでいるのは、無数の鳩の群れ。
私がその光景をボーッと見つめていた、その時だった。
街の方から、突如、悲鳴の声が上がった。
「きゃあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」
私は振り返り、柵に手を載せて、街を見下ろしてみる。
すると、遠くの方から……数人の奈落の民が逃げてくる姿があった。
彼らの向かう先は、この関所の前。
突如、関所に押し寄せてきた民たちに、門番はリーリヤさんとシェリーさんとの会話を止めると、大声を張り上げて、カンと地面に槍の柄を叩きつけた。
「貴様ら! ここに何用だ! 止まれ!」
「せ、聖騎士様! お願いです! そこを通して、私たちを地上に行かせてください! このままじゃ、あいつらが……!」
「なんだ、あいつらとは? いったいお前たちは何を言って――――――」
「あぁぁぁ……」「うぁぁぁ……」「あがぁぁぁぁ……」
その時。逃げ惑う人々の背後から、ボタボタと肉を垂らす、アンデッドのような見た目の民たちが姿を現した。
ゆっくりと関所へと向かってくる彼らの姿を見た奈落の民たちは、甲高い悲鳴の声を上げる。
「ひぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!! き、来たぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
「お願いします、聖騎士様! 通してください! あのアンデッドたちに噛まれると、みんな、ああなってしまうんです!!」
「無理だ!! ここを通れるのは、通行許可証を持つ者だけだと決まっている!! 安心しろ。この奈落には、今、バルトシュタイン家の私兵団が……」
門番がそう口にした、その時。
アンデッドたちの群れに混じり、聖騎士の鎧を着込んだアンデッドの姿が、現れた。
あれは多分、さっきすれ違った……バルトシュタイン家の私兵たちだ……!
その光景を見て、門番の男は、あんぐりと口を開ける。
「そ、そんな、馬鹿なことが……低級アンデッド『ゾンビ』ごときに、彼らがやられるなんて……! 彼らはアンデッドの弱点である、信仰系魔法を使用できる聖騎士だぞ!? そ、それが、何故……!!」
門番がそう驚きの声を上げている内に、どんどん、街中から奈落の民たちが関所に押し寄せてきた。
「関所の門を開けてくれぇぇぇぇぇ!!!!」
「助けてぇぇぇ!! 地上に行かせてぇぇぇ!!」
その光景に門番が戸惑っていると、関所の中に待機していた五人の騎士が外に出てきた。
「何の騒ぎだ!」
「お前ら! ここは奈落の民が近寄って良い場所じゃない! 向こうへ行け! ……って、なんだ、あれは……!? アンデッド、だと……!?」
「か、数が多すぎる! いったい全体、これは、どういうことだ……!? アンデッドというのは、自然発生でも、あんなには産まれない魔物だが……!?」
混乱する門番の騎士たち。
そんな彼らの隙をついて、ひとりの少年が関所の中へと入ろうとした。
その瞬間、聖騎士は容赦なく少年の背中を槍で貫いた。
「貴様! 勝手に入ることは許さんぞ!」
「いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
騎士が少年を殺したことにより、奈落の民たちはさらに恐慌に陥る。
そんな彼らに対して、聖騎士は声を張り上げた。
「良いか! 一歩でもここに入ろうと近付いた者は、容赦なく処刑していく! 貴様ら奈落の民に、人権などはないからな!」
「ひ、人殺しぃ!!」
「これは人殺しではない! ここに、人はいないのだからな!!」
「ふざけやがって! みんな、全員で関所に入るぞ!」
「ふん。やってみろ。我らの半径五メートル以内に入れば……」
一歩前へと踏み出した男の腕が、弧を描いて振られた槍によって切断され、ボロリと地面へと落ちる。
「う、腕がぁぁぁぁぁぁぁ! お、俺の腕がぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
「こうなる、というわけだ。もう一度言う。通行許可証を持たない者に、地上に上がる権利はないッ!!」
私は柵から身を乗り出し、叫び声を上げた。
「や、やめてください!!!!」
だけど、声は届かなかった。
人々は前にも行けず、後ろにも行けず、混乱するが……徐々に迫って来ているアンデッドを見て、「ヒィィィ」と悲鳴を上げて、徐々に関所へと近付いて行った。
そんな彼らに押され、リーリヤさんとシェリーさんも、前に押し出される。
「お、押さないでください!」
「ちょ、ちょっと! 押さないで……!」
聖騎士たちは、周囲五メートル以内に入った者を、容赦なく槍で斬り裂いていく。
―――――――――その時。リーリヤさんの肩が切り裂かれた。
「リ、リーリヤぁぁぁぁぁ!! お前ぇぇぇ!! 何やってんのよぉぉぉぉぉ!!」
肩を押さえて倒れるリーリヤさんを見て、シェリーさんは門番の聖騎士たちに対して激昂する。
その光景を見て、私は、シェリーさんに向けて手を伸ばした。
「シ、シェリーさん、駄目ですわ!!」
「ほう? お前も反抗的だな。ふん、娼婦など死んでも誰も悲しむまい。串刺しにしてくれる」
「やめて……やめてくださぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁい!!!!!!!」
私がそう叫び声を上げた瞬間、シェリーさんに向けて、槍が……振るわれた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「フフフ……フハハハハハハハハ!! そうだ、我が血を与えし死人ども……我輩の代わりに血を集めよ……貴様らが人間を襲うのと同時に、我輩の肉体は回復していく。あとは、夜にさえなれば、我輩は無敵となれる。それまでに、身体を治癒させなければ……!」
上半身だけとなったアルザードは、路地をズルズルと這っていく。
すると彼の頭上……遥か上空を、鳩の群れが飛んで行った。
その光景を見て、アルザードは、眉間に皺を寄せる。
「あの偽物め……! まさか、我輩と同じく、身体を別の生物に変えられる術を持っているは……! 自身を別の生物に変えるには、生と死の境界線を超え、己の精神性を世界と切り離す者しかできないというのに……! 認めたくはないが……あの偽物女、既に吸血鬼の領域へと足を踏み入れている……ということか? あり得ぬ!! そんなことが許されて良いはずがない! 許し難しィ! 許し難しィ!」
そう叫んで地面に何度も頭突きした後、アルザードは、ゼェゼェと荒く息を吐いて、再度、開口した。
「いずれにしても……今の我輩は……奴に見つからずに、アンデッドどもに血を吸わせ、回復するしか手はないな。糞。あの偽物から逃げ回るなど許し難しィ行ィだが……仕方……あるまい……」
そう言って、アルザードはズルズルと這いつくばりながら、路地を進んで行った。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
《アネット 視点》
「―――――――やられた」
背後を走っていたラピスが、そう言って目を押さえて、苦悶の表情を浮かべる。
俺はそんな彼女に、声を掛けた。
「どうしたのですか?」
「いや、えっと……まぁ、こっちの話。どうやら会場に置いた幻体が、キリシュタットに潰されてたみたい。はぁ……甘く見たかなー。前からキリシュタットだけは警戒してたんだけどねー。彼は剣王たちの中では一番、頭が良いから」
「では、今、試験会場の様子は分からない、と?」
「うん。感覚的に、幻体が潰されたのは、結構前みたい。もう既に新しい剣王が決まっているかもね」
「そうですか……」
「気になる?」
「……いえ。今は、他にやることがありますから」
「で、そのやることって何なの?」
「秘密です」
まったく……ラピスもなかなかにしつこいな。
何処かで撒こうかとも思っていたが、周囲に人の目が多いため、その機会に恵まれない。
いったい何が目的で、俺の後をついてきているのだか。
俺は大通りを抜けると、聖騎士駐屯区へと続く橋へと辿り着く。
街の人の話では、フランエッテの奴はこっちの方向に来たという話だった。
アルザードとフランエッテが来た場所には、必ず戦いの痕跡があった。
俺は、聖騎士駐屯区の方へと目を向けて見る。
生憎、そこには、煙や建物が損壊した形跡は見て取れない。
ということは、あっちには行っていない、ということか?
次に、俺は地面を見て回る。
「これは……」
しゃがみ込むと、地面に点々と続く血の跡のようなものを発見した。
血の跡は……二つ。ひとつは、青い血の跡のようなものと、赤い人の血の跡だった。
その二つはどちらとも路地裏から伸びており、柵の前で消えている。
「まさか……『奈落の掃き溜め』に、落ちたのか……!?」
俺は柵から身を乗り出すと、下に広がる暗い堀の底を見つめる。
ここからじゃ、下がどうなっているのかは、よく見えない。
ただ、懐かしい故郷の異臭が漂うばかりだ。
「……ラピスさん。奈落の掃き溜めに行くには、どうすれば良いのでしょうか?」
「え? えぇぇぇ!? な、奈落の掃き溜め!? そ、そりゃあ、関所を通るしかない……と、思うけど?」
「……やはり、現代も、関所しか……あそこに行くルートはないのですね」
上からこの下に行くには、堀の下に落ちるという方法もあるにはあるが……運よくゴミ山の上にでも落ちない限り、ほぼ間違いなく落下死するだろう。
まぁ、俺は足に闘気を纏って、落下時に【旋風剣】で舞い上がれば……死ぬことは無いと思うが……下に人がいる可能性がある以上、それも難しい、か。
「と、というか、何で!? 何であんなとこ行こうとしているの!?」
「助けなければならない人が、いるんです」
俺は橋から出て、関所へと向かって、走って行く。
するとラピスが、「あーもう」と言って、追い駆けてきた。
「多分、【剣王】なら顔パスで行けると思うから、私も行ってあげる!」
「ラピスさん?」
「奈落の掃き溜めは……私たち夢魔族にも関わりが深い土地だから……いつか行ってみたいと思っていたの。あそこは、夢魔族の災厄級が……産まれた場所でもあるから、ね……」
「え……?」
ラピスの言葉に、俺は、驚きの声を溢してしまった。




