第10章 二学期 第294話 剣王試験編ー⑫ 剣王試験の始まり
《フレーチェル 視点》
十月二十八日。深夜午後十一時。
私、フレーチェルは、キッチンで一人、佇んでいた。
キョロキョロと辺りを見回した後、手に持っている紙片を開き、そこにある五枚の花弁―――ジュリアンお兄様から頂いた『呪いの蒼花』へと視線を向ける。
「……私は……お兄様のために、エステリアルを殺さなければいけない……」
私は、敬虔なセレーネ教徒。
セレーネ教の教えにも、殺人は最大の罪だと書いてある。
でも、エステリアルが生きていたら、ジュリアンお兄様が聖王になることはできない。だから、お兄様は私に暗殺を依頼したんだ。
エステリアルは、お父様やお母様を殺した憎き敵。
きっと、女神様もお許しになられるはず。
エステリアルを殺してやらなきゃ……どんなことをしてでも……!
私は紙片を折りたたむと、戸棚にあるティーポットへと視線を向ける。
エステリアルのお気に入りのこのポットの内側に、花弁を張り付かせておけば……あいつは明日、地獄の苦しみの中、死ぬことに―――!
今までよくも好き勝手してきましたわね!!
ざまぁみろですわ!! ざまぁ……みろ……………。
私はポットに腕を伸ばしたが……その途中で、手を下げてしまう。
「無理、です……だって私……誰かを死なせることが……怖い!! 怖くて仕方がない……!!」
瞳からボロボロと大粒の涙が零れ落ちる。
アネット・オフィアーヌの言う通り、私は、何も知らない無能な王女ですわ。
ジュリアンお兄様の操り人形として生きてきただけの、無知蒙昧な王女。
アネット・オフィアーヌを配下にするべく勧誘しに行ったことだって、ゾーランドの意見によるもの。
私は何も考えていない。最初から、自分の足で立ってすらいない。
(本当に……本当に、王国のためを思うのなら、ジュリアンお兄様のために動くことが正解なの? 血の繋がりがあると言って、お兄様に全幅の信頼を置いても良いの?)
アネット・オフィアーヌは言っていた。この王国には、『奈落の掃き溜め』という場所があると。何故、何のために、聖王国は、そのような場所を作ったのだろう?
私には……知らないことが多すぎる。
「ぐすっ、ひっぐ」
瞳から流れ落ちる涙を手で拭った、その時だった。
「……なんだ。君はやっぱり、僕を殺そうとはしないのか」
バタンと戸が閉まる音と共に聴こえてきたその声に、私は思わず背後を振り返る。
するとそこには、闇の中でも美しく輝く銀髪の美少女……エステリアルが立っていた。
本来であれば、彼女のその姿を見て、誰もが目を奪われ感激を覚えるだろう。
だけど私は……その美しさに、恐怖を覚えてしまった。
「……ごく」
唾を呑み込む。
彼女は、緊張した面持ちを浮かべる私を見つめると、妖しく微笑む。
その姿にビクリと肩を震わせてしまい、私は思わず、後ずさってしまった。
「な、何でここに、ネズミが……っ!」
「ネズミ、か。懐かしい呼び名だね。僕のことを未だにそう呼ぶのは、ジュリアンと君くらいのものだ。他の王子や貴族たちも影で言っているのかもしれないが……面と向かって言って来る者は、殆どいない」
そう言って、こちらに向かって歩いて来るエステリアル。
彼女はそのまま、続けて開口した。
「僕がジュリアンの行動を読めないとでも思っていたのかい? その『呪いの蒼花』で聖王を暗殺したことに気付かせたのは、わざとだよ。案の定、彼は妹を使って、僕に同じことをしようとしてきた。僕の計画では、君が暗殺の下準備をし終えた後、君を吊るし上げる算段だったんだけど……どうやら君は兄のために手を汚す気概すら無さそうだ。これではジュリアンも報われないね」
「あ、貴方! お兄様から聞きましたわよ! 貴方がお父様とお母様を殺したんでしょう!? そのようなことをして、許されませんわよ!! 貴方には確実に、天罰が降りますわ!!」
「いったい誰が、僕に罰を降すというんだい? フレーチェル」
「え? そ、それは、女神様が―――」
「信じれば神に救われる、かい? 残念ながらこの世界に神などいないよ。だが、もし女神アルテミスが本当にいるとするのなら……僕は……神を侮蔑する。だって、そうだろう? 僕は産まれるべきではない王女として、幼い頃から妾の母と共に塔へ幽閉されてきたんだ。闇の中で、腐った食べ物と泥水を啜って生きてきた。死していく母の亡骸を抱き、この世界に憎悪を抱いた。その時に思ったよ。神様はどうして、僕を助けてくれないのかと……ね」
エステリアルは、私の元へとまた一歩、向かって来る。
私は反対に、一歩、後方へと下がった。
「僕と君で何が違うのだろうね、フレーチェル。僕と君は二つしか歳が変わらない王女だ。だけど、妾という産まれで、僕は地獄の中生きてきた。片や君は正妻の子というだけで、何不自由なく育ち、真っ当な価値観を持って生きてきた。もし、神がいるのだとしたら、そいつは相当、理不尽な世界が好きと見える。だから僕は神を侮蔑する。そして、僕と母を蔑ろにした王族に怒りを覚える。僕を産み出した世界に憎悪を抱く。僕は――――――聖王となり、この不条理な世界を破壊して、理想の世界を創り直す」
私はキッチンの最奥へと追い詰められ、壁に背を付いてしまう。
そんな私に、エステリアルは懐からナイフを取り出す。
それを見た時、刺されるのかと思った。だけどエステリアルは、その柄を私に向けて差し出してきたのだった。
「僕を殺してみろよ、フレーチェル。僕はお前にとって、両親の仇なのだろう? 愛しき兄の大敵なのだろう? 大義名分は十分だ。さぁ、やってみろ」
「ぇ……?」
「やってみろと言っているんだ……フレーチェルッッッ!!!!」
エステリアルは瞳孔を開く。その目は、深い憎悪を宿していた。
私はナイフを受け取ることもせず、そのままエステリアルを押しのけ、部屋を出入口へと向かって走った。
扉の横に、不気味な仮面の剣士がいたが……私は気にせず扉を開け、逃げ去った。
「……王女フレーチェルを暗殺犯として捕らえる計画は全てご破算だな。あの無能な王女は、兄のために動く操り人形にもなれなかったわけか。これで、ジュリアンへの一手をひとつ失うこととなった。どうする、エステル?」
「問題はないさ。既に他の策も考えてある」
そんな会話が聞こえてきたが、私はわけもわからず、廊下を走って行った。
「ゼェゼェ……」
一階キッチンから、四階のジュリアンお兄様のお部屋へと辿り着く。
私は荒くなった息を吐いた後、コンコンと目の前にある扉をノックした。
「お、お兄様、い、いらっしゃいますでしょうか!?」
「フレーチェルか? こんな夜更けにどうしたんだい?」
「お、お話したいことが……っ!」
「入りなさい」
「失礼します」と言って部屋に入ると、お兄様はいつものように優しい表情で、机の前に座っていた。
お兄様はペンをテーブルの上に置くと、立ち上がり、私の元へと向かって来る。
「あ、あの、お兄様、エステリアルの暗殺は、その……」
「どうしたんだ、落ち着きなさい」
「ごめんなさい……! 私じゃ、無理でした……! 毒薬を仕掛けることも、できませんでした……!」
そう言って、私は頭を下げる。
お優しいジュリアンお兄様のこと。
きっと頭を撫でてくださって、慰めてくださることでしょう。
しかし……頭上から聞こえてきたのは、呆れたため息だった。
「……何故、毒薬ひとつを仕込むことすらできないのだ、お前は」
「え……?」
顔を上げる。そこにあるのは、視線を横に逸らし、不機嫌そうな様子のジュリアンお兄様のお顔だった。
「良いか、フレーチェル。あの女は、父上と母上の仇なのだぞ? 何故、殺すことに躊躇をする?」
「で、ですが、セレーネ教の教えでは……人殺しは大罪で……」
「教えも何もない!! 良いか、フレーチェル!! あの女がいる限り、私は聖王になれないのだッッ!!!! まさか、お前は、私が聖王に相応しくないと言いたいのか!?」
「そ、そんなことは……! 滅相もございません……!」
「分かった。今度はお前、エステリアルの部屋の前に行って、そこで自殺して来い。朝起きてあの女の部屋の前に王女の死体があったら、流石に王宮内も、あの女を怪しむ声も多くなるだろう。これで、私にかけられた聖王暗殺の疑いを相殺することができる」
「な……え……? う、嘘ですよね、お兄様……?」
「どっちみち、巡礼の儀で生き残れなかった王子王女は王族の位を剥奪され、滅多なことがない限りは、次代の聖王に殺されることとなる。お前も、兄を聖王にするべく、その身を捧げるのだ。良いな?」
ポンと肩に手を置かれる。
私は思わず、その手を払いのけてしまった。
すると、ジュリアンお兄様は……その顔を、落胆の色で染め上げる。
「そうか。お前も私の敵となるのだな、フレーチェル」
「ち、ちが……」
腰の鞘から剣を抜く、ジュリアンお兄様。
私は逃げるべく、扉へと向かった。
だが、扉を開けて、ジュリアンお兄様の私兵が中へと入って来る。
退路を断たれてしまった私は、泣きそうな顔でお兄様に懇願するしかなかった。
「い、嫌です、お兄様! 私、死にたくありませんわ! 何でこんなことをするのです! 昔の優しいお兄様に戻って!」
「何を言っているんだ、フレーチェル。私は変わらないさ。私はただ、今まで聖王になるべく教育を受けてきた。父上の意志を引き継ぎ、この国を、セレーネ教の元に統治するために。私だけだ。私だけが、父上の後を託された。ならば、私が聖王にならなければいけないだろう? 既に……他の王子たちを殺す覚悟はできている」
「そ、そんな……!」
「私は謂わば、この国の意志。聖王とは、聖グレクシア王国の一部となり、人間性を捨て、ただ正しさだけを追求する者を差す。いかに実の妹であろうとも、正しさの前から逃げたお前は断罪すべき敵だ……! 何故、我らが両親の仇を討たなかった、フレーチェル! お前は、正しさのために人を殺す覚悟すら持てないというのか!」
エステリアルが目指すのは、憎悪と破壊、そして理想の国への再生。
ジュリアンお兄様が目指すのは、従来の国の在り方を存続させる正しき道
今になって、ようやく分かった。
私は――――――王族としての覚悟も、夢も、何も持っていない。
アネット・オフィアーヌの言う通り。私は世間知らずの、ただの御姫様だ。
「姫様ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッッ!!!!」
その時だった。ジュリアンお兄様の私兵を倒し、二人の騎士が姿を見せた。
ゾーランドとグリウスは、ジュリアンお兄様を睨み付け、剣を構える。
「ジュリアン殿下! フレーチェル姫に手を出すとは、正気ですか!」
「ゾーランドか。私は何も間違ったことをしたつもりはない。フレーチェルを、未来のために役立ててやろうと思っただけのことだ」
「殿下……お変わりになられましたね……」
「変わってなどいない。私の本質を誰も理解していなかっただけだ。そんなことよりも良いのか、そこで喋っていて」
騒ぎを聞きつけたのか、廊下の方から大勢の聖騎士がこちらに向かって来る。
その光景を見て、グリウスは、隣に立つ老騎士ゾーランドへと声を掛ける。
「旦那。早く姫さんと一緒にずらかった方が良さそうですぜ?」
「……そのようだな。最早王宮に、フレーチェル様の居場所はないだろう。姫様と共に逃げるぞ、グリウス!!」
そう言って、ゾーランドは私を脇に抱えて、グリウスと共に走り出す。
私は涙を流しながら、二人に声を掛けた。
「ゾーランド! グリウス! 逃げるって言ったって、何処に行くの!」
「ひとつしか、ありますまい……!」
「そうだな。嫌な顔されるかもしれねぇが、姫さんのことは、事情を知っている先代オフィアーヌ伯に託すしかねぇだろうな」
「で、でも、あの方には協力を断られて……!」
「先代オフィアーヌ伯は、策略を使い、ジュリアン派閥に付いていたアンリエッタを権力の座から引きずり降ろしました。加えて、エステリアルの派閥に付いたという話も聞かない……よって、確実に、彼女は姫様にとって安全な人物と言えるのです! 先代オフィアーヌ伯の元へ行き、これからどうするかは、姫様次第……うぐっ!」
「ゾーランド!?」
その時。白い剣閃が飛び、ゾーランドの肩から血が噴き出した。
よろめき、私を抱えながら、片方の手で剣を構えるゾーランド。
彼の目の前に立っていたのは……白銀の鎧を纏った、金髪の青年だった。
「……! 【剣王】ルクス・アークライト・メリリアナ……! まさか『聖剣』がここに現れるとは……!」
金髪の青年、ルクスと呼ばれた聖騎士は、ヒュンと剣をはらう。
「自分は、ジュリアン様に仕える身。王宮にいるのは当然だと思いますが? 元王宮近衛隊長殿? いえ……師とお呼びした方が早いでしょうか、ゾーランド先生」
「フランシアの分家の若造が……! 我が師【剣神】キュリエール様の技を使えるからと言って調子に乗るなよ!!」
「巡礼の儀を勝利されるのは、ジュリアン様です。そしてメリリアナ家は、これからフランシア本家となり、フランシアの名を奪取する。そのためならこの聖剣と女神アルテミスの名において、ジュリアン様の敵を屠りましょう」
カツカツと革靴を鳴らし、廊下の奥から歩いて来るルクス。
その姿を見て、グリウスはゾーランドに声を掛ける。
「で、どうするよ、旦那。二人掛りであいつに勝てるのかい?」
「いや……ルクスは、【剣王】でも名うての剣士。その実力は【剣神】に近いとも言われている。勝つのは不可能だ。ここは、隙を見て逃げるぞ。私が一瞬の隙を作る。その隙に、お前が、姫様を逃がすのだ」
そう言って、ゾーランドは私を降ろすと、グリウスへと私の手を押し付ける。
「ま、待って、ゾーランド! 貴方、まさか、死ぬ気じゃ……!」
「良いか、グリウス。騎士の名にかけて姫様を頼むぞ」
「……死ぬんじゃねぇぞ、旦那」
「待って……待ちなさい、ゾーランド!!!!」
私の声を無視して、白銀の騎士に向かって走って行くゾーランド。
ゾーランドは、幼い頃から、私の親代わりのような存在だった。
お忙しい父上や兄上、早くに亡くなってしまった母上の代わりに、いつも私と遊んでくれたり、勉強を教えてくれた。
一緒に人形遊びをしてくれたことは、今でもよく覚えている。
強面で髭もたくさん生えているが、王宮で誰よりも私に優しかった。
「姫様。生きてください」
「ゾーランドぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!!」
私が叫び声を上げるのと同時に、廊下に、血しぶきが舞った。
「はぁはぁ……」
雨の中。血だらけになり肩に矢が刺さったグリウスが、私を背負い、城門前にある橋を渡って行く。
私は泣きながら、グリウスに声を掛けた。
「グリウス! もう、良いですから! 私を守る価値なんて、どこにも……!」
「姫さんよぉ。俺は、元はただの乞食でさぁ。ゾーランドの旦那に拾われて、その恩であんたの騎士になったんだ。だから……あんたには、忠義も何もない」
「だったら、何故、そこまでして……!」
「ゾーランドの旦那が、あんたを命がけで助けたんだ。だったら……あんたは自分に価値が無いなんて言ってはいけないだろ。俺と旦那が何のためにあんたを救ったのか、分からなくなる」
「……それは……そうかもしれないけれど……でも、私は、何も知らない無知蒙昧な王女ですわ! 貴方がたがそこまでして守る理由は……!」
「俺はね、あんたの、可愛いものだらけの王国を創るって夢、悪くないと思ったんですよ」
「……え?」
「このクソみてぇな世界で、誰かを笑顔にできたら、それだけで良いじゃないッスか。あんたは自分に聖王の資質が無いとか言いますが、俺や旦那は……」
その時。城門の方から矢が飛んできた。
グリウスは振り返り、咄嗟に剣を振って応戦するが……足の脛に、矢が突き刺さってしまう。
「くっ!?」
その瞬間、体勢を崩したグリウスの背中から、私は転げ落ち……橋の下へと、落ちて行った。
「え……?」
「姫さん――――――っっ!!!!」
グリウスが手を伸ばすが、その手を掴むことはできず。
私はそのまま……王都の堀の下、奈落へと落ちて行った。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
―――――十月二十九日。土曜日。剣王試験当日。早朝午前六時。
満月亭の玄関口に弟子三人を並べた後、俺はその前に立つ。
そしてコホンと咳払いをして、三人に向けて口を開いた。
「ついに、今日から剣王試験が始まります。私の課した課題をよくここまで頑張って乗り越えてきましたね。【剣王】になるための技術は全て叩き込みました。後は、皆さんの頑張り次第です。……大丈夫です。貴方たちは、強い。自分たちの実力を、世間に知らしめてやりなさい」
「ええ! 勿論よ! 好きに暴れてやるんだから!」
「はい、師匠! 仰せの通りに!」
「了解しましたわ、師匠! フランシアの名に懸けて、勝利をこの手にしてみせますわ!」
ロザレナはパシッと拳を手のひらに当て、不敵な笑みを浮かべる。
グレイは俺に向けて片膝を突き、頭を垂れる。
ルナティエは胸に手を当て、騎士の礼を取る。
三者三様の返事に笑みを浮かべていると、グレイが立ち上がり、口を開いた。
「師匠。今こそ、我ら流派・箒剣の名を、王国に知らしめる時です! 師範である師匠のお名前は勿論、伏せさせていただきますが、剣王試験に登録する時は正式に箒剣門下であることを記載してもよろしいでしょうか?」
「え? 剣王試験って、登録する時に流派も書かないといけないのですか?」
「巷で聞いた話によると、どうやらそのようです。無論、無所属でも参加できるようですが……オレは無所属ではなく、師匠の弟子として、剣王試験に臨みたいです。どうか、この願い、聞き届けては貰えないでしょうか?」
まぁ、名前を明かさなければ、俺の実力を開示することにもならない、か。
「分かりました。良いでしょう。許可します」
「ありがとうございます! 師匠!」
パァッと顔を輝かせるグレイに対して、ルナティエがジト目で口を開いた。
「グレイレウス。何故、貴方が勝手に名付けたその流派を、わたくしたちが受け入れなければなりませんの? 前々から思っていましたけど、なんなんですのよ、箒剣って」
「何を言っているんだ、貴様は。師匠はいつも箒を使って戦っておられるだろう。だから、流派・箒剣だ」
「箒を使って戦っているのは、師匠だけですわ。わたくしたちは別に、箒による剣術を学んでいるわけではなくってよ? というか、箒で戦えるのは、師匠にしかできない技でしょう? 箒剣と名乗るのはおかしいのではなくって?」
「おかしくなどない。師匠もこの名を気に入っていらっしゃるはずだ。そうですよね、師匠!」
キラキラとした目を向けてくるグレイに、俺は目を横に逸らす。
「えーっと……」
「師匠!?」
ガーンとした様子で顔を青ざめるグレイに「あはは」と乾いた笑みを溢していた、その時。背後にある満月亭の扉が開き、熊のぬいぐるみを抱く、パジャマを着たフランエッテが姿を現した。
「むにゃむにゃ……朝から何を騒いでおるのじゃ、お主らは……」
「何を騒いでるって……今日は剣王試験が始まる日だっていうのに、相変わらず能天気な奴ね、手品師は」
「て、手品師ではない! 妾は、真祖の吸血姫フランエッテ様じゃ!!」
怒った顔で俺の横に並ぶと、フランエッテはロザレナを睨み付ける。
そして、言い争いをするルナティエとグレイに目を向けた後、俺に顔を向けてきた。
「まぁ、今に始まったことではないが……何を喧嘩しておるのじゃ、あやつらは」
「流派の名前について争っているんですよ」
「名前? あぁ、確かに、妾たち門下には名前が付いていなかったのう」
「一応、グレイレウスの奴が『箒剣』って名前を付けていたけど、これ、あんたはどう思う? 手品師」
「どう思うと言われても……意味が分からんな。門下というよりは、『箒剣』は師匠の二つ名ではないかのう?」
フランエッテの言葉に、グレイが吠える。
「何を言っている! 他の流派は、師範の二つ名が流派そのものとなることが多いのだぞ!! ならば流派・箒剣も、ごく自然な流れといえるだろう!!」
「いや、それは他の流派なら問題ないかもしれぬが、師匠は、別に箒による剣術を教えているわけではなかろう? 他の名の方が良いのではないのか?」
「ということで、反対票三票ですわ。貴方の負けですわね、グレイレウス。オーホッホッホッホッホッ!」
「ぐぬぬぬぬ……!」
睨み合うグレイとルナティエ。
そんな中、ロザレナが感心した様子でフランエッテを見つめる。
「へぇ? いつもわけのわからないことを言っている手品師が、珍しく普通のことを言っているじゃない。年長者による、年の功というやつかしら?」
「誰が年寄りじゃ! 何回も言うておるが、精神年齢はお主らと変わらんと言うておるじゃろうが!」
「というか、あんた、すっぴんの方が素朴で可愛いと思うんだけど? 何でいっつも肌真っ白にして目の下にアイシャドウ塗ってんのよ。目の色も今は普通に黒目だし。何で毎回カラーコンタクトしてるの? 髪の色も脱色してるんでしょ、それ」
「グサグサグサッ!! うぐぅ……こ、この妾は、偽りの姿なのじゃ……妾は冥界から産まれし闇の姫、フランエッテ・フォン・ブラックアリアなのじゃ……」
ロザレナが意味が分からないと肩を竦める。
俺は騒ぐ弟子たち四人に対してパンと手を鳴らし、こちらに注目を集めた。
「分かりました。今から私が、この門下の流派名を決めます。私が決めたら、グレイも文句はないでしょう?」
「はい! 勿論です、師匠!」
みんな、横に並び、期待した様子で俺を見つめる。
俺は咳払いをして、口を開いた。
「そうですね……せっかくグレイが考えてくれた箒剣という名を、一部は使いたいですね……」
正直、俺は名前を考えることは苦手だ。
何か、良い、名前を付けるきっかけはないだろうか。
俺は周囲をキョロキョロと見回す。そこで、満月亭の屋根が目に入った。
(…………流れ星)
かつて俺たちはあそこで、空に浮かぶ流れ星を見つめていた。
みんなで、あそこでお互いの夢を誓い合った。
未だにその夢を追い続ける者もいれば、成長することで、その夢を大きく変えた者もいる。
闇の中を駆ける一筋の光。
だがそれはいくつも並ぶことで、流星群となり、大地を眩く照らす光となる。
その中でも、一際輝く青い星がある。それが、彗星。
俺の弟子たちには、この暗い世界を輝かせる、光の星であって欲しい。
たとえ最後に塵と成り果てようとも。夢に目掛け、太陽に目掛け、輝いて行け。
「――――――流派・箒星」
俺がぼそっと呟いた言葉に、弟子全員が、笑みを浮かべる。
「箒星、か。良いんじゃない? あたしは気に入ったわ」
「あぁ……! 素晴らしいです、師匠! オレたちは今日から、『流派・箒星』です! 輝ける彗星となってみせましょう!」
「ええ! あの時、皆で見た流れ星のように。わたくしたちも剣士として、輝いてみせますわ! オーホッホッホッホッホッ!!」
「え? え? あの時、皆で見た流れ星って何のことじゃ!? 妾、置いてけぼりになっていないかのう!? お主ら、詳しく説明するのじゃ~~!!」
がやがやと騒ぎ始める弟子たち。
俺はそんな皆に向けて、微笑みを浮かべる。
「私の門下になった皆さんには、いつか、この暗い世界を照らす流れ星となって欲しいです。これは、私の師から受け取った大事な言葉ですが、今、貴方たちに送ります。 ――――――力は正しく使うこと。強大な力は、使う人によって正義の英雄にも邪悪な魔王にもなり得る。だから、強き者はけっして闇に堕ちてはいけない」
これは、俺がアレスに『覇王剣』の名を授けられた時に言われたもの。
幼少の頃、ジェネディクトと戦っていた時も、思い返したもの。
この言葉を伝えて、流派に名を付けて、ようやく……俺はこいつらの真の師となれた気がする。
俺は、チラリと、ロザレナに視線を向ける。
幼少の頃の荒れていた俺と同じく、今のロザレナは危うい。
彼女は善にも悪にも転ずる可能性がある。
グレイやルナティエ、フランエッテは心配していないが、ロザレナは……力を誤った方向に使う可能性もある。俺が、傍で見ていてやらないとな。
「力は正しく使うこと。この言葉を、肝に銘じておくように」
「わかったわ!」
「仰せの通りに!」
「分かりましたわ!」
「了解したのじゃ!」
全員、片膝を地面に付き、俺に笑みを浮かべる。
俺はみんなにニコリと笑みを浮かべた後、お嬢様に視線を向けて、口を開いた。
「お嬢様。私も、剣王試験には参加致します。お嬢様をお傍でお見守りしないといけませんので」
「は?」
「「……えぇぇぇぇぇぇぇ!?」」
ロザレナは呆けた表情を浮かべ、グレイとルナティエが驚きの声を上げる。
「せ、師匠! 剣王の枠は、四枠しかないという話ですよ!? 師匠が参加されては、確定でその枠が埋まってしまいます!!」
「そうですわよ、師匠! 師匠が挑むのなら、剣王ではなく、剣聖の方でしょう!? わたくしたちの出世の芽を摘まないでくださいまし!!」
「落ち着いてください、二人とも。先に言っておきますが、私は、剣王試験を本気で受ける気はありません。皆さんも知っての通り、私は表に実力を出す気がありませんので。途中までお嬢様が粗相をしないよう、お傍で見守るだけです。そうですね……心配でしたら、枷を付けましょう。私は、剣王試験で、魔法剣以外の剣は使いません。これでどうでしょう?」
「魔法剣に絞る、ですか。なるほど……」
「ま、まぁ、それなら……」
グレイとルナティエは、お互いに目を合わせる。
そんな最中、ロザレナは何故かフグのように頬を膨らませ、不機嫌な顔を見せた。
「ぶーっ」
「お、お嬢様? どうしました? お顔が不細工ですよ?」
「誰が不細工よ!! もう、何が心配なのか分からないけれど、保護者みたいなことはやめてよ!! あたしだって、剣王試験を一人で受けることくらい、できるんだから!!」
「ですがお嬢様。先月、ジェシカさんの一件で闇属性魔法を発現してしまったじゃないですか。また暴走するとも限りませんよ? あの魔法を、衆目の前で使用するのは、避けなければ。だから私がお傍で―――」
「闇属性魔法は、もう暴走しないわ。大丈夫」
ロザレナのその言葉に、俺は目を細める。
「何故……断言できるのでしょうか?」
「うぐ、それは……」
目を逸らすロザレナ。何かを隠しているのは明らかだ。
特別任務の最中、俺が居ない間にやはり何かあったのか……?
俺の考えに気付いたのか、ルナティエも俺を見つめてコクリと頷く。
今回、ルナティエとロザレナは敵同士。一緒にいることはできないだろう。
ルナティエにロザレナの監視は任せられない。だとしたら、やっぱり試験中も、俺が出来る限りお嬢様の傍にいるしかないな。
「……ロザレナさん。受け入れなさい。師匠の言葉ですわ」
「ここのところあたしに対してまともに口を開かなかったルナティエが、珍しいじゃない。何、あたしには保護者が付いていないとダメだって、喧嘩でも売りたいわけ?」
「そう受け取るのならそう受け取って貰っても結構ですわ。まぁ、保護者いようとなかろうと、わたくしの勝利は揺るぎませんから」
「何ですって!」
ロザレナとルナティエはお互いに至近距離で近付き、睨み合う。
ルナティエはロザレナから視線を外すと、俺に顔を向けてきた。
「再度、確認致しますが、師匠は魔法剣以外の実力を表に出さないのですわよね?」
「はい」
「勿論、ロザレナさんに肩入れすることはないですわよね? 試験中、知恵を貸したりすることも、ないですわよね?」
「はい。約束しましょう。私はただ、お嬢様を見ているだけです。どんなにボロボロになろうとも、本人がリタイアを望まない限り、手は貸しません。もし弟子3人が戦うことになったとしても……互いを殺すような動きを取らない限りは、仲裁しません。見守り続けます」
「分かりましたわ」
そう言ってルナティエは、ロザレナから離れる。
ギスギスとした空気が流れ始めたが、俺はそれを気にせず、全員に向けて口を開いた。
「それでは―――流派・箒星の門下生一同、剣王を目指して、励むこと! 解散!」
「「「はい!!!!」」」
「妾は別に剣王試験は受けないのじゃが!? 何かさっきから置いてけぼり感あるのじゃが!?」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
朝食を食べ終わり、皿を片した後。
俺はお嬢様のお部屋へと向かい、扉をコンコンとノックする。
「お嬢様、ご支度は済みましたでしょうか?」
「アネット? 入って来て良いわよ」
「失礼します」と言って部屋の中に入ると、そこには、騎士候補生の制服を着込んだお嬢様の姿があった。
お嬢様は指ぬきグローブを手に嵌めると、窓際に置いてある鞘に入った大剣――『黒炎龍の大牙』を手に持ち、慣れた手つきで背中に装備した。
そしてこちらに顔を向けると、彼女はニコリと笑みを浮かべる。
「いよいよ……剣王試験が始まるわね。まぁ、保護者付きなのは納得いかないけど、アネットの意志は否定しないわ。好きに見ていてちょうだい」
「ご理解いただけて、何よりです。……おや?」
俺は、スカートから出ている、ロザレナの足に付けられているベルトを見て、首を傾げる。
するとロザレナが顔を真っ赤にして、唇を尖らせた。
「何、じーっと足を見てるのよ。えっち」
「いや、そういう意味で見ていませんから! まだ闘気石を外していないんだなと、驚いただけです!」
「あぁ、そっちのことね」
ロザレナは納得した様子を見せた後、腕を組む。その両腕にも、ベルトが取り付けられていた。
「あたし、何とかギリギリでノルマを達成することはできたけど……奥底にある闘気をもっと引き出せるような気がするのよね。生憎、闘気石を身に付けたままでも、以前のように生活することができるようになったし、疲労を感じることは少なくなったわ。だから……剣王試験も、本気を出す時以外はこのベルトは外さずに、行こうかなって。ちょうど良い延長線上の訓練にもなるしね」
「ですが、お嬢様。剣王試験で全力を出さずに挑んで、もし、落ちてしまったら……」
「問題ないと思うわ。アネット、ちょっと見ていて」
そう言ってロザレナは両手を広げると、拳を握り、目を閉じる。
そして……カッと目を見開くと、咆哮を上げた。
「たぁぁぁぁぁぁぁぁッッッ!!!!」
その瞬間、ロザレナから白いオーラが舞い上がり、メラメラと炎のように彼女の身体を覆い始めた。
ゴゴゴゴと部屋が揺れ、窓がバタバタと音を立て始める。
俺はその闘気を見て、思わず驚きの表情を浮かべてしまった。
何たって、彼女は―――闘気石を身に付けながらも、訓練前と変わらない闘気の量を見せていたからだ。
「お嬢様……もしかしてこのことを、ずっと、秘密にしていらしたのですか?」
「ええ、そうよ。当日に驚かせようと思って。どうかしら、アネット。あたしの成長ぶりは」
「素晴らしいです……正直、予想していたよりも、ずっとお嬢様は成長していらっしゃいます」
何より、剣王試験までも自分の訓練にしようとしているところが、恐ろしい。
まぁ、お嬢様が真に目指すのは変わらず【剣聖】の座。恐らくいつも通り、剣王試験すらもお嬢様にとって通過点にしか過ぎないのだろう。
「ですが、お嬢様、いくら強くなられたといっても油断されないように。本気を出さずに闘気石を身に付けたまま敗北したとなったら、私は許しませんからね」
「分かっているわ。剣王試験のレベルがどれくらいなのか確認して、難しそうだったら絶対に闘気石は外すから。これで【剣王】になれなかったら本末転倒だものね」
「分かっているのなら良いです。あと、いつものように闇属性魔法は―――」
「それも分かってる。闇属性魔法は、衆目の前じゃ絶対に使用しないわ」
そう言って闘気の放出を止めると、お嬢様はふぅと息を吐く。
闘気石を身に付けて尚、体力を消耗していない。
ということは……お嬢様の内包する闘気は、四肢に結び付けてある四つの闘気石では吸収しきれなくなったということか。これは……審査員もびっくりするんじゃねぇかな。師である俺でも驚きだ。お嬢様の成長速度は、群を抜いている。
「それじゃあ、行きましょうか、アネット」
「はい」
俺はショルダーバッグを肩に背負い、箒丸を手に持って、お嬢様と共に外へと出る。
「にしても、また箒を持っていくわけ?」
「はい。私は今回、お嬢様の付き添いのメイドという体で参加させていただこうと思います。どのみちメイドが参加していたら浮くでしょうし、箒を持って、明らかな戦力外の存在として臨もうかと。まぁ、お嬢様のお近くにいればただのメイドだと思われることでしょうしね」
「なるほどね」
「今のところ、試験内容が不透明なのが気になるところですが……当面は上手く立ち回って、中間試験でさりげなく敗退しようかなと考えています。恐らく、最終試験は観客席くらいはあるでしょう。もし無かったら関係者権限を使って、お嬢様たちの勇姿をできる限り近くで見たいと思っています」
「魔法剣だけで戦うって言っていたわよね? もし、試験内容が単純な一対一のトーナメント式だったらどうするの?」
「その時は……潔く途中で敗退します。流石に一対一で戦い続けては、ボロが出る可能性もゼロではありませんので」
剣王クラスに俺の実力を見破る奴がいるとは思えないが、念のためだ。
それに、フランエッテの話だと、最終試験には剣神たちも顔を出すらしい。
最終試験まで生き残るつもりはないが、もし元剣神のハインラインが来たら、下手に動くことは悪手だと思われる。あのエロジジイは、以前、冒険者ギルドで俺の動きを見ただけで速剣型の才能があると見抜いてきた。ヴィンセントも、俺の実力を看破した実績がある。流石に剣神相手に自分の能力を明かすわけにはいかない。
(……っても、剣神の中で俺の実力を知っているのは、ジェネディクトに、ヴィンセント、フランエッテ……あれ、今考えると大多数の剣神たちには俺の能力を知られているのか? あとはジャストラムと、剣神代行面していそうなエロジジイくらいか……なるほどな)
まさか、俺の能力を知らない剣神が、残るは旧友たちだけになるとは。
正直、ハインラインとジャストラムには俺の力と正体を打ち明けても大丈夫だと思う節もある。だが……ゴーヴェンが何のために俺を復活させたのか分かっていない以上、まだ、下手な行動は止めておいた方が良いだろう。
下手をしたら、ハインラインやジャストラムにも被害が及ぶ可能性があるからだ。
アレスから聞いたこの国の闇、聖女の暗躍。
そして、オフィアーヌ家で知ったゴーヴェンの謎の行動。
正直、現段階だと分からないことが多い。けれどひとつ分かることは、ゴーヴェンと聖女には、俺の正体を知られてはいけないということだ。この国を支配する連中のことだ、何をしてくるか定かではない。俺の正体は、諸刃の剣とも言える情報だ。信頼でき頭の回るルナティエにしか教えていない。
「アネット? どうしたのよ? ボーッとして?」
廊下を歩いていると、ふいに、前を歩くロザレナが振り返り、そう声を掛けてくる。
俺はそんな彼女に向けて首を横に振り、口を開いた。
「いえ、大丈夫です。剣王試験に行きましょうか、お嬢様」
「ええ!」
寮を出ると、弟子二人が待機していた。
グレイは、最近見ていなかった、姉の形見であるマフラーを首に撒き、見慣れた騎士候補生の制服、左右の腰に小太刀『霧雨鬼影』を装備している。
ルナティエは、戦闘の時にいつもする、髪をツインテールに結び、騎士候補生の制服の上に天馬の紋章が書かれたフランシア家の青いマントを羽織り、腰には水色の細剣『水流神のレイピア』を装備している。
俺たちの姿を確認した二人は、ニコリと、笑みを浮かべた。
「師匠、ロザレナ。それでは、行きましょうか」
「行きますわよ、師匠」
「はい。再びここに戻って来る時、三人が【剣王】になっていることを祈っています。行きましょう、剣王試験へ!」
本日、コミカライズ版二話公開予定です。
https://comic-gardo.com/episode/2551460909653450001




