第9.5章 二学期 第282話 晩餐会後日談―⑥ ただいま、メイド服
《ロザレナ 視点》
十月七日。午後六時。
あたしは相も変わらず、玄関先で横たわっていた。
「あぅぅぅ~~今日もアネットが帰って来ないわ~~~!!」
フローリングの床に顔を埋めてシクシクと泣いていると、頭上から、声を掛けられる。
「貴方……いつまでそうしているんですのよ……。アネットさんが死んだと思ったら引きこもり、今度は生きていると分かったら一日中玄関先で芋虫になる。まったく、貴方はアネットさんがいないと廃人になるんですの?」
「アネット!?」
アネットという単語が聞こえてきたあたしは、即座に顔を上げる。
すると、後頭部に、誰かの顔が当たった。
「ぐふぉあっ!? こ、この、いきなり起き上がってくるんじゃないですわよ! 芋虫女!」
「って、何だ、ルナティエか~」
背後に視線を向けると、そこには痛そうに鼻を押さえたルナティエの姿があった。
ルナティエはあたしを睨み付けると、怒りの声を上げる。
「何だ、じゃないですわよ! このやり取りも二回目ですわよ!? まったくもう、王国の至宝たるこのわたくしの顔に頭突きをするだなんて!! 慰謝料請求しますわよ!! 没落寸前の貴方の御家に、トドメ刺してやりますわよ!!」
「ねぇ、ルナティエ。アネット……本当にもう帰って来ないのかな……。やっぱり、あたしのメイドをやるより、貴族の暮らしの方が良くなったのかな……」
「いつでも前向きのポジティブ女が、アネットさんがいないだけで、ここまでネガティブになるとは……ちょっと、ロザレナさん! どうしたんですのよ! いつものあたしは剣聖になる女よ!キリッはどこに行ったんですの!」
「あたしは、剣聖には……なれないわぁ……」
「末期! 末期ですわぁ!!!! 何処かにお医者様はいらっしゃいませんのぉ!! ゴリラを診ることができるお医者様はいらっしゃいませんの~~!!」
ルナティエが何やら騒いでいるけど……あたしはその場を動くことができなかった。
身体が重い。うーん。食欲が湧かな~い。やる気が出な~い。
「あーもう! せめて自分のベッドで寝なさいな、このメンタル雑魚雑魚女!!」
ルナティエがあたしの手を引っ張って移動させようとするが……あたしは動く気力が湧かなかった。
「んー! ちょ、重いですわぁー!!!! 自分で立ちなさいよこの芋虫~!!!!」
「誰が重いって~? あたしはそんな太ってないわよ~……」
「ツッコミもやる気が無さすぎですわよ!? ちょ、誰か、手伝ってくださいまし~!!」
ルナティエとそんな会話をしていた、その時。
ガチャリという音が聴こえて―――聞き覚えのある声が聴こえてきた。
「あの……お二人とも、いったい何をやっておられるのですか? というかそんなところで寝ていたら風邪を引きますよ、お嬢様」
「あー、ごめん~、アネット~、今退ける~……――――って、……ぇ?」
あたしは起き上がり、ルナティエと同時に背後を振り返る。
すると、そこには……メイド服を着て、鞄を手に持つ……見慣れたポニーテールのメイドの姿があった。
その光景に、あたしたちは驚きのあまり、思わず硬直してしまう。
そんなあたしたちの姿を見たメイドは、数度瞬きした後、キョトンとした顔で首を傾げ、こちらを見つめつつ、靴を脱いで玄関へと上がった。
「そんなに呆けたお顔をなさって……どうしたのですか、お嬢様、ルナティエ様?」
「あ………あ……っ!」
「あぁ……っ!」
あたしとルナティエは同時に顔を見合わせる。
そして……同時に、そのメイドの元へと飛び掛かった。
「アネットぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっっっ!!!!」
「アネット師匠ぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっっっ!!!!」
あたしとルナティエに抱き着かれたアネットは、顔を赤く染め、慌てふためいた。
「ちょ、お嬢様!? ルナティエ様!?」
「何でこんなに長く帰って来ないのよ~~!! 馬鹿ぁぁぁぁぁ~~!! あたし、貴方がこのままメイドを辞めて貴族になっちゃうのかと思ったじゃない~~!! 馬鹿ぁぁぁぁぁ~!!!!」
「連絡くらい寄越してくださいまし、師匠~~!! 帰って来ることは分かっていましたけど、わたくし、ちょっぴりセンチメンタルな気分になっていましたわよ~~~!!!!」
わんわんと泣き喚くあたしたち二人に、アネットは優しい表情を浮かべる。
そして彼女は床に鞄を置くと、子供をあやすように、あたしたち二人の頭をポンポンと撫でてきた。
「ごめんなさい。ちょっと、事後処理で帰るのが遅れてしまいました。もう、何処にも行きませんよ。私の帰るべき居場所はここですから。安心してください」
「アネット~~~っ!!!!」
「アネット師匠~~~っ!!!!」
アネットのその言葉にあたしたちが泣きじゃくっていた、その時。
玄関のドアが開き、外から、グレイレウスが帰って来た。
あたしとルナティエは振り返り、修行帰りの彼に向かって、声を掛ける。
「グレイレウス! アネットが! アネットが帰って来たわよ!」
「見なさい、グレイレウス! 師匠ですわよ!」
あたしたちの声に、グレイレウスはポカンとした表情を浮かべる。
そんな彼に、アネットは笑みを浮かべて、手を挙げた。
「よぉ、久しぶりだな、グレイ。ちゃんと修行してたか?」
「せ……」
俯き、身体をブルブルと震わせるグレイレウス。
そんな彼の姿を見て、アネットは首を傾げた。
「グレイ?」
「師匠――――――――――――ッッッ!!!!」
あたしたちと同じように、アネットに飛び掛かってくるグレイレウス。
その姿を見て、アネットは叫び声を上げた。
「ちょ、お前もかぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッッッ!!!!!!!!!!!!」
あたしとルナティエの間に割って入ってきたグレイレウスを、急いで抱き留めるアネット。
アネットは背中を反り返えさせて、何とかギリギリ、あたしたち3人を抱き留めていた。
「師匠! オレは、貴方がこの満月亭にご帰還される日をずっと待っておりました!!!! フハハハハハハハハハハハハハ!! 師匠だ!! 本物の師匠だぞ!! 我が師の凱旋だ!! 貴様ら、祝杯を上げろ!!!! 新たな世界の幕開けだ!!!! ひゃっほぅ!!!!」
「キャラ変わってますわよ、貴方!?」
「ちょ……アネットはあたしのメイドよ!? あんたたち二人は何処かに行きなさいよ!! まずは、あたしとアネットが再会を喜ぶべきでしょう!?」
がやがやと騒ぐあたしたち弟子三人。
そんなあたしたちを優しく抱きしめる、アネット。
その時。アネットの背後にある階段から、突如、ドタドタと何者かが忙しなく降りて来る音が聞こえてきた。
「師匠~~!! ついに帰って来たのか~~!!!! 妾は嬉しいぞ~~!!」
「は? え、ちょ!? 待て、お前は無理だッッ!!!!」
振り返ったアネットの制止の声を無視して、声の主は、階段から飛び降りる。
「とう!!」
両手を広げて滑空する、漆黒のゴスロリ服を着た少女。
アネットは顔を青ざめさせながら……そのゴスロリ女の頭突きを顔面に喰らい、よろめいた。
「いでっ!?」
「なのじゃ!?」
「わぁっ!?」
「ですわっ!?」
「何だと!?」
あたしたち四人はその場に、ドッシーンと、盛大に倒れ伏す。
あたしは、背中にルナティエを載せながら……地面に倒れ伏し、グルグルと目を回すアネットに声を掛けた。
「お、おかえりなさい、アネット」
「は、はい……ただいま戻りました、お嬢様……」
ムードも何もない、おかしな再会だった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
《アネット 視点》
「よく分からないけど……アネットは、実はオフィアーヌ家の血を引いていたのね。それで、何かよく分からないけど、アンリエッタとかいうおばさんに命を狙われてしまって……それで、死を偽装しないといけなくなって……聖王やバルトシュタイン家を牽制をするために、一時的に当主にならなければならなかった、と。うん……よく分からないわ!」
食堂で席に座り、弟子4人に今までのことを話してみたのだが……一向に、お嬢様が理解してくれなかった。これ、説明するの三回目くらいなんだけどな……。
ルナティエとグレイレウスは、向かいの席から、俺の隣に座るロザレナにジト目を向ける。
「馬鹿ですの、この女は」
「馬鹿か、この女は」
「うるっさいわね。まぁ、もうこの際、アネットの出自はどうでもいいわ。アネットがあたしのもとに帰って来てくれたんだもの。うふふふふふ~!」
ロザレナが、俺の腕を抱いて、満面の笑みを浮かべる。
あの、お嬢様、当たっています。何がとは言いませんが、小高い山が当たっております。
「フッフッフッフ。これで、師匠の障害は無くなり、師弟全員が揃ったと言うことじゃな。めでたしめでたしじゃな」
そう言って、お誕生日席で片目に手を当て決めポーズをするフランエッテに、ロザレナ、ルナティエ、グレイレウスが真顔で視線を向ける。
「で、誰、この人。何でこいつが普通な顔してここにいるのよ」
「何でしれっと剣神フランエッテがここにいるんですの?」
「部外者は立ち去れ、ゴスロリ女。ここは師弟が再会を喜ぶ場だぞ」
「え゛。師匠ぁ、こやつらに妾のこと話しておらんかったのぉ?」
泣きそうな顔をしているフランエッテの視線に耐えられず、俺は視線を横に逸らす。
「……あの、ベルゼブブの一件から、オフィアーヌ家の騒動で、満月亭に戻る暇は無かったので……フランエッテのことは、みんなにはまだ、伝えていません……」
「妾、てっきりもうみんな知っているのかと思っておったぞ!? 師匠が満月亭に帰って来るって念話で教えてくれたから、妾も戻って来たのに、何なんじゃこの仕打ちは!? 何か浮いているなぁと思ったら、そういうことか!? 仲間面して登場した妾が馬鹿みたいじゃないか~~!! どういうことなんじゃ、これは~~!!」
フランエッテは俺の肩を掴み、ぶんぶんと揺らしてくる。
そんなフランエッテを見て、ロザレナとルナティエは、不思議そうに首を傾げた。
「何か……あたしたちが知っているフランエッテと、キャラ違わない?」
「ええ。この子、こんな、アホっぽい子でしたっけ?」
二人のその言葉に、フランエッテはビクリと肩を震わせると、俺から離れ……席から立ち上がり、決めポーズを取った。だから片目を抑えるのは何なんだ。目でも痛いのか。
「改めて――――――我が名は、フランエッテ・フォン・ブラックアリア。【剣神】の座を冠し、冥界の邪姫と呼ばれておる最強の吸血鬼じゃ。この度、アネット師匠の元で、剣を磨く、四番弟子となった。貴様らとは兄弟弟子となる。よろしく頼むぞ……フフフフフ」
フランエッテの自己紹介に、弟子たちは、驚きの声を溢す。
「は……はぁ!? 四番弟子ですってぇ!? この子がぁ!?」
「師匠、本当ですの!? フランエッテが……新しい弟子……!?」
「……【剣神】! そうか、こいつだったのか! 我が師の功績を掠め取りし盗人は!!!!」
グレイレウスは立ち上がると、剣を抜き……フランエッテに斬りかかった。
しかし、剣は、フランエッテの首元で止められていた。
グレイレウスはその光景を見て、「ほう」と、感嘆の息を溢す。
「瞬きひとつしないとはな。不遜にも師匠の弟子と名乗るくらいだ。盗人だとしても、【剣神】相当の実力があると見て良いのか?」
ダラダラと汗を流し、こちらに視線を向けてくるフランエッテ。
「こ゛、こ゛わ゛い゛。何なのじゃこのマフラー男……! 師匠、助けてなのじゃ~!」
「あの……グレイ。剣を下ろしてやってくれ。そいつ、お前が思っているような奴じゃないから……。あと、ベルゼブブを倒した一件をこいつに擦り付けたのは、俺だ。だから、責めないでやってほしい」
「はっ! 分かりました、師匠!」
そう言って腰の鞘に刀を仕舞うと、グレイは、フランエッテに不敵な笑みを見せる。
「フン。命拾いしたな、ゴスロリ女。だが……剣神である以上、貴様は俺の獲物だ。フフフフフ……いつか貴様を倒し、その座にオレが君臨してやるぞ……フハハハハハハハハハハハハハ!!!!」
「イカれているのじゃ!! あのマフラー男は、間違いなくイカれておるのじゃ!! 妾、同じ弟子として仲良くなれる気がしない!! もっと和気藹々しているところだと思ったのじゃ!! あんな頭おかしい奴がいるとは思わなかったのじゃぁぁぁぁぁ!!」
フランエッテは、俺の背中に隠れてがくがくと震える。
ロザレナはそんな彼女の姿をじっと見つめた後、指を差し、俺に声を掛けてきた。
「ねぇ、アネット。こいつ、どうしちゃったの? というか……さっきも言ったけど、あたしが知っているフランエッテと全然キャラが違うんだけど。この女、もっと唯我独尊、お姫様~みたいなキャラしてなかったっけ?」
「え、ええ、その、話すと長くなるのですが……」
「――――もしかして……それが、フランエッテの本当の姿、なんですの?」
フランエッテの怯える姿を見て、ルナティエが、そう結論付ける。
流石はルナティエだな。理解力がずば抜けている。
俺は頷き、三人に、フランエッテのことを話した。
ベルゼブブ・クイーンの【掌握する心臓】で不老の存在になっていて、今まで、六十年近く歳を取らず生きていたこと。
元は旅芸人で、【剣王】の座に就いていたのは、実力ではなく、周囲に勘違いされ。【剣神】ジャストラムの功績を被せられていたこと。
ベルゼブブ・クイーンの正体が……六十年前に生き別れた彼女の親友であったこと。
全てを話し終えると、ルナティエは同情したのか、フランエッテに憐憫の目を向けていた。
だが、ロザレナは通常運転で、フランエッテに空気の読めない発言を発した。
「え、ということは、この子……相当なババアじゃない!!!!」
ロザレナの言葉が許せなかったのか、フランエッテは俺の背中から出てくると、両手でテーブルをバンと乱暴に叩いた。
「ババアとは何じゃ!! 妾は不老ゆえに、今までずっと精神年齢は変わらなかったのじゃ!! 肉体も精神もピチピチの十六歳のままじゃ!! 年寄り扱いするでない!!」
「待って? 六十年って……もしかして、今の剣聖、リトリシア・ブルシュトロームよりも、年上ってこと……?」
ロザレナの言葉に、フランエッテは恥ずかしそうに目を逸らし、前髪を撫でる。
「ね、年齢は、とっぷしーくれとじゃ。妾、大人気の旅芸人ゆえの」
「ババアじゃない!!!!」
「ババアじゃないのじゃ!!!!」
まぁ、そうだよな。フランエッテ、よくよく考えると結構年取ってるんだよな。
というか……リトリシアより年上ってことは……何気にこいつ、俺の弟子の中で一番のご年配ということか。流石に俺の実年齢よりは、年下だと思うが。
ロザレナとルナティエの言い合いを見て、ルナティエはため息を吐く。
「はぁ。年齢よりもまず先に、貴方、魔法剣士志望なのでしょう? この門下は、剛剣、速剣、オールラウンダーと……生憎、魔法剣を習得する者はおりませんわ。わたくしたちの師匠は、剛剣型と速剣型ですし。魔法剣を学びたいのなら、別の門下に師事した方が良いんじゃありませんの?」
「わ……妾は! エルルゥを解放してくれた、師匠の元で剣を学びたいのじゃ……!! 我が目的は、妾の演技を見て笑ってくれる者たちに……妾を本物の吸血鬼フランエッテだと思っている者たちに、笑顔を届けること……っ! 妾は、偽りのフランエッテではなく、本物のフランエッテになりたいのじゃ!! 妾は、師匠の剣に本物を見た! 偽りではない、本物の剣じゃ! 妾はこの方の元で本物の剣を学びたいのじゃ!!」
「言っていることが、分かるような、分からないような……? まぁ、決めるのは師匠ですわ。師匠は本気で……この魔法剣士志望のゴスロリ女に剣を教える気なんですの?」
ルナティエのジト目に、俺は指を合わせて、つんつんする。
「う、うん。約束しちゃったし……」
「約束しちゃったし……じゃないですわよ、師匠! 貴方、魔法剣殆ど使えないでしょうが!! 責任取れないなら、元あった場所に戻して来なさい!!」
「ちゃんとお世話するから! ね! 結構面白おかしいから、この子! 許して、ね! ルナティエママ!」
「良い歳したオッサンがママ呼びしてんじゃないですわよーっ!!」
ルナティエのツッコミに、グレイとロザレナが怪訝な顔をする。
「「オッサン?」」
「あ……何でもないですわ。コホン。……はぁ、まぁ、もう何でも良いですわ。師匠が責任をもってこの子の面倒見てくださいましよ。わたくしはこの子のお世話はしませんわよ。ゴリラとマフラーで既に手一杯ですわ」
「え、ルナティエ、魔法剣使えるから、ちょっと稽古を手伝ってもらおうと思ってたんだけど」
「他力本願!? この師匠、本当にどうしようもないですわね!!!!」
俺とルナティエの言い争いを聞いて、フランエッテがぼそりと口を開く。
「いや……妾は捨て猫なのか?」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
午後七時。俺はいつものようにキッチンで、料理を作る。
チラリとカウンターの向こうにある食堂に視線を向けると、そこには、和気藹々と会話をする弟子四人の姿があった。
なんだかんだ言って、フランエッテの奴も、みんなの輪の中に入れている……のかな? ロザレナとルナティエがいつものように喧嘩していて、グレイレウスがフランエッテを睨んでいて……端でゴスロリちゃんがガクガクと震えているが……うんうん。フランエッテちゃんがみんなの輪に入れて良かったです。うんうんうん(無理矢理)
俺は鍋のスープをレードルで掬い、味見をする。
少し……塩気が足りないかな。
塩の入ったビンを取り、スープに一振りする。
すると、ちょうどその時。食堂に、ある人物が姿を見せた。
「くんくん……良い匂い。ルナティエちゃん、お夕食作ってるんですか? お手伝いしますよ~? って…………え?」
食堂にやってきたのは、オリヴィアだった。
彼女は俺と目が合うと、唖然として、硬直する。
俺は塩のビンを置いた後、そんなオリヴィアに笑みを浮かべた。
「ただいま戻りました、オリヴィア。お元気でしたか?」
「え……え?」
声を掛けると、オリヴィアの瞳からブワッと涙が零れ落ちる。
「……アネットちゃん……っ! アネットちゃん~……っ!!!!」
オリヴィアはこちらに駆け寄って来ると、俺を抱きしめてくる。
その瞬間、俺は、うめき声を上げてしまった。
「うぐっ!?」
か……【怪力の加護】が発動しているんですけど……ッ!?
めちゃくちゃ背骨とかバキバキいってるんですけど……ッ!?
「おかえりなさい、アネットちゃん! お姉ちゃん……ずっと心配だったんですよ~!! うわぁぁぁぁぁぁぁぁん!! 良かった~アネットちゃんが生きていて本当に良かった~!!」
「いだだだだだ……いだだだだだだだっっ!!!! オリヴィア!? 加護の力を……加護の力をセーブしてください!! 台所でそれは色々と危ないです!!」
【怪力の加護】は闘気を貫通してくるから、普通に俺にもダメージが入る。
シュゼットの抱擁もなかなかに怖いものだったが……いやはや、こっちの姉(自称)もなかなかに……恐ろしいな……。
「え? アネット!? 帰って来てたの!? 心配したんだよ~!!」
「はっはー! メイドの姫君、帰って来ていたのか! 晩餐会での活躍はすごかったな! 流石は俺が見初めた女性だ!!」
ジェシカとマイスも、食堂に現れる。
これで、満月亭の仲間たちが全員揃ったな。
いや……ジークハルトが、いないか?
あいつは、特別任務後は、満月亭を出て行くと言っていたからな。もう、ここにはいないのかもしれない。
俺はオリヴィアを宥めて彼女の手から逃れた後、ケホケホと咳き込みながら、マイスに声を掛ける。
「マイス先輩。ジークハルト様は、もう寮を出て行かれたのですか?」
「ん? ジークか? 奴は、まだ満月亭に在籍しているが……俺がここにいると、奴はいつも外でメシを食うからな。今頃、何処かで外食でもしているのだろう」
「相変わらず、彼に嫌われているんですね……マイス先輩……」
そう声を掛けると、マイスはやれやれと肩を竦めた。
「はっはー。まったく、いつまでも反抗期が終わらない愚弟で、困ったものだよ」
やれやれと肩を竦めるマイス。
俺はそんな彼から視線を外すと、両手に鍋掴みを嵌め、鍋を持ち、食堂へと移動した。
「はいはい、オリヴィア、道を開けてくださいね。夕食の準備をしますので」
「あ、でしたら私も手伝いますよ~。そうだ! アネットちゃんのおかえりを祝して、私が、何か一品でも―――」
「それは駄目よ!」「それは駄目ですわ!」
お嬢様コンビに同時にそう突っ込まれ、オリヴィアは「あらあら~」と困った笑みを浮かべる。
「アネット、貴方がいない間、あたしとルナティエが食事当番をしていたんだけど……オリヴィアさんは隙を見ては手伝うと言って、あたしたちの料理をグロテスクな料理に変えていったの! オリヴィアさんをキッチンに入れるのは危険よ!!」
「そうですわ。そこのダークマター製造機は、アネットさんがいないと制御できないということを思い知りましたわ……! というか……ロザレナさん、貴方、まるで自分も食事当番をしていたような口ぶりですけど、貴方、お野菜やお肉をぶつ切りにしていただけでしょうが!! 何、自分を料理できる風に見せていますの!!」
「う、うるっさいわねぇ!! 手伝ってあげたじゃない!!」
「ちょっとアシスタントしたくらいで良い気になってんじゃないですわよ!! 殆ど一日中、芋虫モードだったくせに!!」
「何よ!!」「何ですの!!」
いつものように、手を掴み合い、取っ組み合いを始めるダブルお嬢様。
そんな二人を見て、グレイレウスはフンと鼻を鳴らす。
「相変わらずの馬鹿どもだ。師匠の料理の腕を受け継いでいるのは、どうやらオレだけのようだな。フッ、フフフフフ」
「グレイレウス! 何であんたは普通に料理が上手いのよ!! というか、ルナティエよりも上手いのは何でなのよ!? ルナティエのは、ザ普通って感じの味だけど、あんたの結構美味いの腹立つわ!! 普通、こういうのって女の子の方が上手いもんでしょうがぁ!?」
「さりげなくわたくしをディスってんじゃないですわよ!! このゴリラ女~!!」
揉める三人を見て、オリヴィアが、泣きそうな顔で隣に立つジェシカに声を掛ける。
「ジェシカちゃん……も、もしかして、この寮で一番お料理が下手なのって……私なの? 私、ロザレナちゃんよりも、下手なの?」
「え、あーいや、ど、どうなんだろう……ロザレナ、不器用だから、野菜とか切ると全部ぶっといけど、流石にグロテスク化はしないかな……うん……というか、オリヴィア先輩、何気にロザレナのことを下に見てたんだね……あははは……」
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁん!! いつの間にかライバルのグレイくんに抜かされているし~~!! 料理の勉強、もっともっと頑張らなきゃ~~!! ……というわけで、そこで我関せずな様子のマイスくん。今度実験台になってください。ね?」
「はっはー! バルトシュタインの姫君、人には適材適所があるのだ! そんなに気を落とさないでくれたまえ! あと、料理に実験台という言葉を使うのは間違っているぞ! はっはー!」
「や、それ、全然慰めになってないよ、マイス先輩! トドメ刺しちゃってるよ!」
がやがやと騒ぐ満月亭の仲間たち。
そんな彼らを見つめながら、新参者のフランエッテは両手に持ったスプーンとフォークをテーブルに叩き、突っ伏しながら口を開く。
「夕餉はまだかのう~! 妾はもう腹ペコじゃ!」
「貴様、師匠が御作りになられた料理を迎えるマナーがなっていないぞ、新参者! 背筋を伸ばせ、新参者!」
「うびゃあ!? このマフラー男、妾に対して何か当たりが強いのじゃ! 怖いのじゃ~~!! 新人いびりという奴なのじゃ~~!!」
俺はそんな変わらず険悪な二人の姿を見て呆れた笑みを浮かべつつ、鍋を、食堂へと運んで行く。
すると、その途中。マイスが近寄り、声を掛けてきた。
「はっはー! 相変わらず美しいな、メイドの姫君は! どうかね、夕食後、俺の部屋で共にティータイムでもしないかね?」
「はいはい、マイスくん~アネットちゃんへのナンパはやめましょうね~」
鍋を運ぶ俺に、いつものようにナンパしてくるマイス。そんな彼に対して、オリヴィアはマイスの顔を右手で掴むと、ずるずると奥へ引きずって行った。マイスの顔が潰れかかっていたが……俺は気にせず歩みを進めた。
「はい、皆さん、スープですよ。今から他の料理も持ってきますので、各自、取り皿に自分の分を分けてくださいね」
テーブルの上にスープの入った鍋を置くと、みんな席に座り、笑顔を見せた。
「わぁ! とっても美味しそうね! 流石はアネットだわ!」
「久しぶりのアネットさんの料理、楽しみですわ!」
「む、師匠。オフィアーヌで新たな料理の技術を身に付けられたのではないですか? こちらのスープ、今までと異なる香りがします。……フフ、フハハハハハハハ!! また、舌で師匠の味を盗まなければ!! メモだ! メモが欲しい! おい、お団子頭!! オレのメモはどこだ!! よこせ!!」
「わ、私が知るわけないでしょ、グレイレウス先輩! 何で私に聞くの!?」
「あ……顎が……バルトシュタインの姫君、俺の顎、割れていないかね? 俺の端正で美しい顔が、歪んでいないかね?」
「え~? いつもと変わらないハンサム顔ですよ、マイスくん~?」
「美味そうなのじゃ~!! 妾、いつも召喚獣たち(鳩、猫)とだけでご飯食べていたから、こんなに大勢でご飯を食べるのは久しぶりで……ぐすっ、こんなに人に囲まれたのは、旅一座の仲間たちが亡くなって以来なのじゃ~~……嬉しいのじゃ~~~~!! 妾、もう一人じゃないのじゃ~~!!」
「黙っていろ、のじゃゴスロリ! 師匠の料理の前だぞ!」
「相変わらずマフラー男の妾への当たりが強いのじゃが!? 感慨に耽ることも許されないのじゃが!?」
新たなにフランエッテというメンバーを追加した――――普段と変わらない満月亭での日常。
俺は、そんな見慣れた光景を見て……思わず、微笑みを浮かべてしまった。
ここが……ここが、俺が帰ってくるべき、本当の居場所。
転生した俺が手に入れた――――――大事な仲間たちとの食卓だ。
そんな彼らを見つめていた、その時。
全員、テーブルの前に立っている俺に、顔を向けて来る。
そしてみんなで顔を見合わせた後……同時に俺に笑顔を見せて、同時に声を掛けてきた。
「おかえりなさい、アネット!」
「おかえりなさいですわ、アネットさん!」
「ご帰還、誠に嬉しく思います、師匠!」
「おかえりなのじゃ~!」
「おかえりなさい、アネットちゃん!」
「おかえりだよ! アネット!」
「おかえりだ、メイドの姫君」
全員からそう言われた俺は、目の端に溜まった涙を指で拭き取り、笑みを返した。
「はい……! ただいま……!」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
夕食を終え、午後十時。
パジャマに着替えた俺は、壁に掛けてあるメイド服に視線を向ける。
そしてその後、見慣れた満月亭の自室をキョロキョロと見渡した。
オフィアーヌ家の自室に比べて、小さすぎる部屋だ。
だけど、何でだろう。やっぱり、こっちの方が何だか安心する。
「やっと、帰って来れたんだな」
俺はそう言って、メイド服の下、壁に立て掛けてあった箒丸に目を向けた。
何とか……何とか、アンリエッタを退き、この場所に戻って来ることができた。
だけど、その代償に、俺は表舞台へと引きずり出されてしまった。
別に、周囲に実力を開示したわけではない。
単に、オフィアーヌ家の血族であることを世間に明かしただけだ。
だけど……王位継承権を持つ王子たちにとって、四大騎士公の末裔は、重要な存在であるはず。
これから先、王子たちが、俺に対して何らかの接触をしてくるかもしれない。
俺は今のところ、表だってどこかの王子の派閥に付くつもりはない。
わざわざ俺の元に王子が勧誘しに来ても、断るつもりだ。
心の内では、ミレーナとヴィンセントを応援してはいるが……直接的に彼らに手を貸すことは控えようと思っている。
これ以上、争いごとに巻き込まれたくないからな。
俺は、お嬢様や弟子たちと一緒に、平和に過ごせたらそれで良い。
しかし……ひとつ、不安の種がある。
それは、ゴーヴェンの存在だ。
父の日記帳で知った。ゴーヴェンは、俺を転生させた元凶だった。
そして、ゴーヴェンは晩餐会の日に、ひとつ、俺にあることを言ってきた。
それは―――――――12月に、俺が、愛する人を守るためにゴーヴェンと取引を行うという話だ。
俺の愛する人、それは、ロザレナお嬢様のことに他ならないだろう。
お嬢様に、何かあるとでもいうのだろうか?
ゴーヴェンは、あの時、確かこんな変なことも言っていた。
最早、【強欲】の目覚めは止められない、と。
胸の内に沸いた不安が、大きくなっていく。
ここから先……俺とお嬢様の間に、何かが立ち塞がるのではないのかと……俺はそう、嫌な予感を覚えてしまった。
この時の俺は――――――――想像していなかった。
この先に待ち受ける、残酷な運命を。
運命の12月に、いったい何が、待ち受けているかを。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
――――――12月。
聖騎士養成学校・学園長の部屋。
そこに訪れたアネットを見て、机に座るゴーヴェンは手を組み、笑みを浮かべた。
「……待っていたぞ。さて、取引を始めようか……アネット・イークウェス」
読んでくださって、ありがとうございました。
区切りが良いので、剣聖メイドという作品を綺麗に終わらせて欲しい方は……ここで完結という形にしていただけたらと思います。
ここから先は、一応、書くつもりではありますが、もしかしたら途中でその後のあらすじを挟んで終了する可能性があります。ご容赦いただけたらと思います(書籍の売り上げ的にも、完全打ち切りとなると、書く意欲が無くなりますので……ごめんなさい。打ち切りになった作品を書き続けられるメンタルが自分にはありません( ;∀;))
なので、ここからはコミックが出た時の販促もとい、完全に自分のプライドと趣味の範囲内で、どこまで続けられるか勝負、という感じになります。
一応、ハッピーエンドで終わる予定ですが、この先かなりのシリアス展開が待っていますので、そういった展開が苦手だという方は、申し訳ございません。
コミックスが発売して続巻するか打ち切り確定になるか判別するまでは、やれるところまで書こうと思っています。
最後の頼みの綱がコミックスです。売れて欲しい~ ( ;∀;)
本当、1巻だけでも良いので、作品継続のために書籍の購入もお願い致します~。




