3-35.もはや退路は非ず
エルギスははじめ、ベルベットの言葉をかみ砕くのに時間を要した。
悩みに悩んでしばらく後、顔を上げてこう聞く。
「冗談で言ってるんじゃないよな?」
「本気も本気」
「……双子のためか?」
「そう。なにもしなかったら、ヴィルはこれからもあの子達を狙うだろうから」
「いまとあの時じゃ状況が違う。ベルベットはもう立派な貴族で……」
護衛を雇えるし、身辺を守ることは可能だとエルギスは言いたかったのかもしれない。
しかし喉に声を詰まらせてしまうのは、既にその貴族達がヴィルヘルム達の毒牙にかかっていることを思いだしたからだ。
現に、その話が既に知れ渡っているからこそ、ベルベットも厳重な体制で守られているのだと言いたげに微笑んだ。
アリス達に聞かれていたので隠し通せなかったが、関係者には既に双子達の親がナシク教の関係者であるとバレている。そのためディヴィス家でも厳重な監視の下で見てもらっているが、ベルベットとしては、ほとぼりが冷めるまで双子にはヘディア公国に避難させたかったのが本当のところだ。
「隊長はぼかしたけど、もしかしたらあの子達を狙って、ヴィルが姿を現す可能性がある。わたしの弟達には囮としての役割があるんでしょ?」
「ギル達は子供だぞ? そんなことさせるわけがない」
「絶対にそうだって言い切れる? エドヴァルド殿下はまだ良識があるけど、子供の命程度でナシクに一泡吹かせられるなら、犠牲くらい厭わない人はいないって言い切れる?」
黙りこくるエルギスをベルベットは逃さない。
「囮の案、もう出てるんじゃないの。だからあの子達を避難させるとき、余所の国に逃がしたいって私の意見は殿下に受けいれてもらえなかった」
「離れ離れになると知ったら、ギル達自身が反対したはずだ。ただでさえリリアナが亡くなって間もない上に、ベルベットとも離れ離れの状況で傷ついてる。そんな簡単に決められるものじゃないだろ」
エルギスは否定するが、声は弱い。
ベルベットはすかさず口角をつり上げた。
「嘘ね。顔がそう言ってる」
双子はベルベットの弟。ハーナット、もといコルネイユ家の一員とはいえ、その出自が敵対国の、それも大司教格の子供であり、命を狙われるほどの存在となれば価値はつり上がる。皆がエルギスのように子供だから……と考えてくれないのを、ベルベットは嫌でも認めなくてはいけない。
「ハバキリ大司教って相当高位な人物なんでしょ。もし奴が殿下達が探っていた、本当の最高指導者なら、やっと出した尻尾を逃したいわけがない」
ナシクという宗教国家の指導者は教主であり、教主を支えているのは複数の大司教だが、大司教の中で唯一名前が判明していない人間がいる。エドヴァルド達はアリス達から聞いた話を鑑み、ハバキリなる人物がその人物だと考えた。どんな手がかりでも良いから欲しがり、いまはわざわざ十年以上前の事故の記録を辿り、双子の実母と思しき人間を特定しようとしている最中だ。
そんな人物の殺害をベルベット自身がわざわざ目論むのだから、エルギスは落ち着いていられない。まだ事件から間もなかったし、ベルベットを落ち着けようとしたのだが、ベルベットは足を組みながら不愉快そうに問うた。
「いいから協力するかしないか、はっきりして。貴方を引き込むにしたって、無理やり巻き込むわけにはいかないんだから」
「もし拒否したらどうする? いきなりさよならとか言うつもりじゃないだろうな」
ベルベットは肩をすくめる。
「いくらわたしが貴族の世界に疎いからっていっても、コルネイユがあんまりいい立場じゃないのはわかってるつもりだけど?」
贔屓目なしにベルベットは国王の覚えが良い……と言えるが、ヘディア公国前大公の娘といえど庶子だ。いまのところはディヴィス侯爵、エルギスの実家、ルーナの実家である伯爵家と好意的に見てくれる家があるおかげでサンラニア貴族社会へ穏便に入り込めたが、逆に言えばそれだけでしかない。ワケありのルーナは第二王子と恋仲にあるために、貴族社会の輪を乱すおそれがあるとして覚えがよくない。いままで平民だったのもネックになるだろうし、いくら好意的に見てくれる人がいても、すべてはベルベット自身にかかっている。
ベルベットの言いたいことを察したエルギスはため息を吐いた。
「僕が必要ならそう言えばいいだろ」
「嫌々手伝わせるのは嫌なんだってば」
「つまりエドヴァルド達とは別に、単身で何かをしでかすつもりなんだな」
否定も肯定もしない。
ただ答えを求めるベルベットに、エルギスはやがて諦め、そして彼女を睨んだ。
「嫌だと思ったらわざわざ実家に連れてくるもんか。この僕が、いまさらその程度のことで引くと思うか?」
「……そう言ってくれるかなとは思ってたんだけど念のためね」
声にはせずとも、その笑みからは微かに安堵が漏れている。
ベルベットは椅子に背中を預けると視線を彷徨わせるのだが、その目には罪悪感が満ちている。
「あのさ」
と、迷いながら言った。
「本当は司祭様に告白するべきなんだろうけど、時間がないから言っちゃっていい?」
エルギスは無言で水を注ぎ、グラスをベルベットの前へ差し出す。
この行動を肯定と受け取ったベルベットは自嘲気味に笑った。
「リリアナの葬儀ではさ、わたしずっと申し訳ない気持ちでいっぱいだったの。いままで安全だからって家の防犯を怠ってたり、少し変だと思ってたのに、追及もせず問題を後回しにしたり、そういう積み重ねが原因だったから」
ベルベットの視線はエルギスではなく、その背後の壁にある。
エルギスが黙っているのは、きっとその心中を慮っているからだろう。「そんなことはない」と言ってやるのは簡単だが、そんなもので心に刺さったナイフは抜けない。
ベルベットは乾いた笑いを零すと、上体を曲げながら前髪を掻き上げる。
「でも棺の前でこうも思った。人質になったのがうちの子達じゃなくてよかったって」
だから本当はもっと話すべき相手であるグロリアと、ベルベットは本心から向き合えていない。このことがさらに自分を追い詰めているのだと自覚している。
ベルベットの顔がエルギスは見えないし、自分も見て欲しくない。
よりによって葬儀の場で、リリアナの死を悼むよりも家族の無事にほっとしていたのだから、いっそう自分の薄情さに穴があったら入りたくなる。グロリアと合わせる顔がないし、部屋に籠もって現実を遮断したくなるが、失われた命は還ってこない。
だからベルベットにできる贖罪は仇討ちだけだ。二度と同じ事を繰り返させないよう、元凶である人物を葬るしか、リリアナへのケジメはつけられない。
それに、とベルベットは言う。
「ハバキリってやつは多分母さんについて何か知ってる。祖国を出奔した原因とかをね」
この発言、エルギスは耳を疑ったに違いない。
ベルベット自身、誰にも話していなかった推察だから当たり前だが、魔道士はぎょっと目を丸くしながら口をはさむ。
「おい待て、流石にそれはぶっ飛びすぎだろ。ナシクの大司教が憎いのはわかるが、いくらなんでも突拍子がなさすぎる」
「これがそうでもないんだ」
確信めいた様子で断言するベルベットに、エルギスは勘を働かせた。
「何を知ってる?」
「知ってるというか、ふと母さんの言葉を思い出しただけなんだけどね」
ヴィルヘルムに一度殺されたときだ。
あの時ベルベットは死んだはずだったが、ミシェルが残した形見が本来の効果を発揮し、ベルベットの身代わりとなったことで蘇生した。おかげで形見の鍵はひしゃげ、水晶はバラバラに砕け散り、二度と使い物にならなくなった。国宝級の宝を壊してしまったが、死の淵に至ることによって、埋もれていた記憶と現在が繋がったのだ。
だがその話や、この世界の「設定」を作ったと思われるハバキリとの因縁を説明するならば、彼に教えておかねばならない。
「エルギス。これから……ものっっ凄い荒唐無稽な話をするけど、信じてくれる?」
「荒唐無稽?」
「他の人に話したら正気を疑われるし、それこそ教会にとって背信行為になるかもしれない考え」
もしバラされたらグロリアやカルラを危険に晒す行為だが、協力を仰ぐ以上は隠し通すのは難しい。エルギスなら黙って受け入れてくれるだろうが、それはベルベットが許せない。
この問いにエルギスは、けっして茶化そうとも、ふざけようともせず即答する。
「ベルベットの言葉ならなんだって信じるさ」
「……馬鹿だなぁ」
迷いもしないのがエルギスらしい。
もっと早くこの誠意を受け入れていれば、あんな結末はなかったろうに……と後悔が胸に押し寄せるが、過去に潰される前にベルベットは呟く。
これがいま、落ち込む前に取り組むべき課題だ。
「ヴィルと決着をつけることをリリアナへの謝罪として、家族のために真実を知りたい。だからそのために、ナシクに潜って内情を探る」
それこそが大事なグロリアと再び向き合うために必要な儀式だ。
ベルベットは心中で「ごめん」と妹や親友に謝る。
相談なしに勝手に話すのは気が引けるが、人死にが出た以上、もはや引き返すのは不可能だ。
愚かだった恋に決着をつける。
エルギスにすべてを教えるため、ベルベットはゆっくり息を吸い、言の葉を紡ぎ出した。
これで三章は終わりとなりますが、一旦「元転生令嬢と数奇な人生」の方に連載を集中させていただきます。
書籍では細部をかなり修正し加筆する予定です。
次の章を始めるのは少しだけお待たせしますが、次で物語自体は完結しますので、よろしくお付き合いください。




