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3-33.貴族という仮面

 いくら現実から目を逸らそうとしても、現実は待ってくれない。

 ベルベットは潔く目の前の喪服の着用を決め、彼女の決意を待っていたかのように使用人達が着用を手伝ってくれる。促されるままに化粧を施してもらい、黒レースのヴェールを被ると、エルギスの兄姉が護衛する馬車に乗り込んだ。

 肘を突いて外を眺めるベルベットに付き添うのはエルギスで、この日ばかりは彼も魔道士よりも貴族としての装いに身を包んでいる。

 ベルベットはろくに彼を見ていなかったが、ぽつりと感想を漏らした。


「たまにはそういう格好も悪くないんじゃない?」

「そう思うのなら、たまには着替えてもいいかもな。どのみち、これからはベルベット共々着る機会が増えそうだし」

「わたしが?」

「そりゃそうだろ。これからはリノ達にも詰め襟を着せて、礼儀作法を学ばせる必要があるんだから」

「……考えてなかった」


 ベルベットがヘディア公国前大公の娘となった以上、連鎖的に弟妹達をコルネイユ家の人間とさせてしまった。これからは彼らにも貴族としての振る舞いを求められるのは必然なのだが、そこまで考えが及ばなかったのが本当のところだ。

 気付かなかった、と愕然とするベルベットへ、エルギスは淡々と告げる。


「そこまで考えていたら、コルネイユ姓を名乗るのに時間が掛かったはずだ。総合的な判断としちゃ間違っていなかった」

「でも」 

「礼儀作法なら、僕の母や義姉が生業としてるから力を貸してやれる。グロリア嬢やスティーグも助けてくれるだろうし、深く考える必要はないさ」


 家族のことを考えているようで、想像力が欠如していたベルベットを、彼はぶっきらぼうに慰める。ベルベットは項垂れながら額に手を当てた。


「……ごめん」

「雑事はこっちに投げてくれていい。そのくらいはどうってことないから」

「……から?」

「ちゃんと悲しんどけ。そうじゃないと、あんたはきっと立ち直れない」


 そう言われて、ベルベットは視線を落とす。

 悲しんでおけとは言われたが、まだ涙のひとつも流せていない。迷惑をかけた人々に礼と謝罪をしたくとも、エルギスが対応しておいたと言うばかりだ。

 実際、彼は母国に帰る前のガブリエルと話し、サンラニアにおけるコルネイユ家の代理人としての名目を手に入れている。名代になったことも含め、ベルベットには事後報告という形だが、実家と連携してよくやってくれている。各対応にしても紙に記録を残しておいてくれるし、頭が上がらないばかりだ。

 エルギスにばかり負担をかけるのを、ベルベットは良く思わない。だから彼に告げた。


「そっちに面倒をかけすぎてる。迷惑だったら言ってくれていいから」

「迷惑とは思ってないし、この件については僕なりに責任を感じてる」

「貴方の責任じゃない」

「助けるのが間に合わなかった」

「それこそ、貴方が背負う必要はないでしょう」


 言葉にはしないが、義手の機能を封印していたことや、ヴィルヘルム襲撃の際における、魔術の発動が遅かったことを言っているのだろう。彼がハーナット家の部屋の惨状を目の当たりにしたとき、唇を噛みしめながら、床に伏せて動かない少女を見つめていた姿を、ベルベットは目に焼き付けている。

 エルギスの責任ではないと告げたものの、彼自身は納得していないようだ。馬車内を沈黙が支配したが、次の会話に移る前に目的地に到着したため、会話はいったんお開きだ。

 到着したのは男爵家だが、その家の位に反し、弔問客は異様に多い。

 それもこれも若く非業の死を遂げた少女を弔うためであったが、ベルベットの到着に人々が注目したのは、その異様なざわめきと、彼女のために開かれた道のおかげですぐに知れた。

 ベルベットが知る貴族の屋敷は多くないが、少なくともディヴィス侯爵家とは違い、あたたかみのある家だ。広すぎない土地に、こぢんまりとした屋敷は強い風に晒されている。

 レースを揺らしながら入った建物で、ベルベットを真っ先に出迎えたのは男爵夫人である。

 彼女こそリリアナの母親だ。


「ようこそおいでくださいました、コルネイユ様」


 ベルベットが口を噤んだのは、疑ったせいだ。

 しかし逡巡は一瞬のうちにかなぐり捨て、事前に教わったとおりの貴婦人の礼の形を取る。


「男爵夫人におかれましては、お悔やみ申し上げます。わたくしの命の恩人であるリリアナを見送りに参りました」


 ベルベットの振る舞いは型通りの、しかし決して無理のない自然な振る舞いだ。場違いにも彼女の一挙一動を感嘆する声が耳に届くも、ベルベットの顔はレースで覆われている。

 喪服を選ぶ際に顔を隠せるようにと配慮したのはエルギスの案だった。

 ベルベット・コルネイユの挨拶を受け、夫人は頷く。

 

「娘のことは悔やんでも悔やみきれませんが、貴女様のような尊き御方を助けたことによって、娘の名誉は守られてございます。国王陛下やヘディア前大公閣下からもありがたく御言葉を賜っておりますゆえ、当家の誉れとなるでしょう」


 貴族をすごいな、と感じたのは、思ってもいないことをさも事実のように言える胆力だ。

 リリアナの母の声に抑揚は少なく、表情は何を考えているかわからない。だが娘を可愛がっていたことは、かつて故人から聞いていた話や態度からも明白だ。

 夫人はエルギスとの挨拶も済ませると、葬式会場へと案内するために背を向ける。

 夫人の後を追いながら、ベルベットは思った。


 ――罵倒でもしてくれた方が楽だったな。


 だが実際の夫人は、例え本心でなくてもリリアナの死を名誉と言っている。

 はじめはベルベットが身分を公表することが、男爵家にとって慰めになるのだとエルギスに言われたときは耳を疑ったが、こうして目の当たりにすれば、納得せざるを得ない。

 リリアナの身体が納められた棺がある広間には、様々な人々が集っていた。

 本来、ベルベットが守るはずだった少女の両親や祖父母、兄姉達の視線に晒されながら、男爵と挨拶を交わし、同じように弔問していたディヴィス侯爵と顔を合わせる。

 侯爵は人の良さそうな顔を苦悶に歪ませていた。


「ベルベット……」

「大丈夫です。心配ありがとう、侯爵。それよりグロリアは……」

「遅れてシモン達と来る予定だ。リリアナの好きだった花を持ってくるといって聞かなくてね。それより君は大丈夫かい?」

「わたしは平気です。それよりわたしと話してしまっては、奥様の目が……」

「妻は気にしないでくれ。いまの君と話してはならないなんて、誰も言えやしないから」


 現金な話だが、ベルベットとディヴィス侯爵が顔見知りであり、不仲でなかったことも、ベルベットの地位を裏付ける証拠のひとつとなった。

 本来は顔を合わせるのを避けるべきディヴィス侯爵夫人も在席していたが、いまとなっては彼女までも、ベルベットの前では無言で頭を垂れるのみだ。

 なんとも複雑な心地だが、そんな彼女に侯爵は苦笑する。


「慣れないかもしれないが、どうかもう少しだけ耐えてほしい。君の振るまいが、リリアナやミシェルの名誉にかかっているから」

「わかってます、大丈夫ですよ」

 

 公の場でベルベットが侯爵と対等に話せるのも、ヘディア前大公が彼女を実子だと認めた功績が大きい。ベルベット自身は何かを成した偉人ではないため尊大に振る舞うのは気が引けるが、こうしないとハーナット家で犠牲になったリリアナの死が報われない。平民を庇ったのと、たとえ庶子でも高い位の貴族を庇った死では、少女の死の価値が天と地ほど差があった。

 リリアナの祖父とて、孫の不幸に涙を流しながらも言ったのだ。


「孫の死は悔しいが、リリアナは我が家に偉大な名誉を授けてくれました。貴女様や侯爵殿の訪問が、あの子の名を後世まで残してくれるでしょう」


 今回の件で、オーギュストはサンラニアを通して男爵家に感謝状と多額の恩賜を包んだ。このおかげで男爵家は、相当先まで苦労する事はない……とエルギスに聞いている。

 ベルベットが穴に入りたくなってしまうのは、リリアナを助けられなかったことだけではない。実父に解決してもらってばかりの自分や、少女の死を金で繕ってしまったような感覚を拭えないせいだ。

 それでも、ここで男爵達に申し訳ないと頭を垂れ、許しを請いはできない。部屋の隅で涙を拭いながらも、ベルベットに文句をいうでもなく我慢しているリリアナの兄姉の矜持を傷つけてしまう行為になる。


 リリアナはヘディア公国の姫君を庇って命を散らした――。


 これがサンラニア王家と男爵家の間で取り交わされた約束だ。

 そういう話で纏まった以上、気高い存在である、と定義付けられたベルベットの個人的感情で段取りを壊すことは許されない。謝られては娘のことを責めてしまうと言っていた、男爵夫人を慮るエドヴァルドからの頼みだ。

 同じ貴族でありながら、まるで従順な従者のようにベルベットの傍を離れないエルギスへ小さく微笑むのだが……新たな弔問客の名が耳に飛び込んで、ベルベットは自然と視線を動かし、そして驚きに目を見張った。

 ディヴィス侯爵家のグロリアが訪問したと聞こえたはずだったが、本来居るはずのない人物が、グロリアに付き添っているのだ。

 沈痛な面持ちで佇んでいるのはリノ。

 男爵家から葬儀の参列を固辞されたはずの弟が、貴族の装いに身を包んでいた。

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