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3-32.後始末

 今回において、ベルベットが目を背けたかった事案は主に二つだ。

 ひとつは自分の男のみる目のなさ。

 これまでも好きになった男は大概よろしくない方向に転んでいたが、それと自分は無関係だと思っていた。しかしながら、彼らが家庭内暴力で相手に逃げられていたり、泥棒で捕まったり、ギャンブルに嵌まって借金取りに追われていたりと、いい加減認めざるを得ないと痛感した。ただ、これに関しては今後気をつければ良いだけなので、自分に関しては問題ない。

 二つめは……こちらが最大の問題だ。

 目下のところ、彼女にとっては最悪の悩みだ。

 自分のせいで人が死んだ。

 祈るように涙を零す少女に手を伸ばそうとして、届かなかったベルベットが目を覚ます。飛び上がるように起き上がったとき、近くにいたのはエルギスだった。


「起きたか?」

「わたし、寝てた?」

「ああ。でもしばらくまともに寝てなかったし、寝れるなら寝ておいた方がいい。あと、拭いておけ」


 もしかしたら魘されていたのかもしれない。

 暑くもないのに気持ち悪いくらいの汗をかいている。投げられたタオルで汗を拭きながら右腕を動かすと、調整中だったはずの義手が元通りになっていた。手を閉じたり開いたりしていると、彼女の意志を反映し、腕の上に魔法陣のような防御壁が組み上がった。


「起こしてくれてよかったのに」

「まだ出かけるまで時間がある。グロリア嬢にも、ベルベットが寝ていないから、くれぐれも注意してくれと頼まれた」

「あの子は心配性なだけだから」

「生憎と、僕も同意見だ。夜も部屋から明かりが漏れてるって、使用人から報告が上がってる」


 寝転がっていたのは長椅子だ。

 彼女が起きてしばらく、エルギスがベルを鳴らすと入ってきたのは盆を持ったメイド服の使用人だ。机の前に並べられるのは飲み物を始めとした軽食で、サンドイッチや果物、シチューと様々並んでいる。

 使用人の所作は洗練されており、退室する最後まで背筋はピンと伸びている。彼らが退出し終えると、ベルベットは物言いたげにエルギスを見た。


「なんでこんなに用意がいいわけ」

「両親や兄貴達に言ってくれ。エドヴァルドのみならず陛下や妃殿下にまでくれぐれも、なんて頼まれたら張り切りもする。陛下達だってオーギュスト前大公に頼まれて……」

「ああ、わかったわかった。そういうことね」

「そういうことだよ。痩せてく一方なんだから、せめて心配されない程度には食べろ。グロリア嬢に泣かれたくはないだろ」


 エルギスにそう言われ、力ない手つきで目についたサンドイッチを口に運ぶ。しかし味わっているというよりは、あるから仕方なく食べる……といった雰囲気が見て取れる。向かいに座るエルギスもつられて葡萄を手に取ると、付き合いのように食べ始める。


「少しは僕の実家に慣れたか?」

「もう五日になるし、いい加減ね。保護するって言ったときは、まさか実家に連れて来られるとは思わなかったけど……」

「グロリア嬢が弟達を引き受けたのを考えれば、分散させた方がよかっただろ。ベルベットも、まだ心の整理がついてない」

「わたしは平気」

「リノと顔を合わせないようにしてたの、気付いてないと思ったか?」


 そう言われると、何も言えなくなってしまう。


 ヴィルヘルム・ルディーンのハーナット家襲撃事件から、現在七日。

 彼女は自宅から離れ、エルギスの実家に世話になっている。

 理由は安全上の観点からだ。

 すでに国中に周知されはじめているが、犯人であるヴィルヘルムは指名手配された。彼は聖ナシク教国の手先として正式に認知され、彼の生家であるルディーン家はもちろん、親しい繋がりがあった人物はすべて取り調べを受けている最中である。

 エルギスがぽつりと呟く。


「本当によかったのか?」

「よかったって、何が」

「自分の事だよ。ヘディア公国の前大公の娘だって、公にしたこと後悔してないのか」

「ああ、それ」

「他人事みたいに言うな」


 サンラニアがヴィルヘルム襲撃を公にし、ルディーン家の拘束や取り調べをおおっぴらにしたのはわけがある。

 これには無論、親善国の前大公や自国の王子が襲われたのもある。しかしオーギュストはお忍びで動いているから、あまり公にできないという問題があった。

 また、ヴィルヘルムがサンラニアの厳戒態勢だった警備をくぐり抜けられた理由もある。

 彼は何人もの兵を誰にも気付かれずに殺していたし、さらに問題なのは、近衛の中に彼の協力者がいたことだ。

 ナシクの手先を、よりによって近衛の中に飼っていたと公表するのは、下手を打てば内部分裂を引き起こす可能性がある。発表する内容は慎重に選びたいのが国側の本音であり、ゆえに本来は協議を重ねる案件らしいのだが、それらをまるっと飛び越え、サンラニアが面子をかけねばならなくなったのは、ベルベットが自分の身分を明らかにしたためだった。


 ベルベット・ハーナットの本名はベルベット・コルネイユであり、ヘディア公国前大公オーギュスト・ランベールの娘である。彼女はヘディア公国現大公の実姉だった。


 この話は、すでに国中に広まっている……らしい。

 エドヴァルドを通じ、サンラニアとヘディア公国の仲がナシクによって台無しにされるということ、国内にナシクの放った殺人鬼が入り込んでいると発表されている。

 ナシクを追い払いたいエドヴァルドが大義名分を得られるように口実を作ったベルベットは身の安全のため、現在は単身、宮廷魔道士エルギスの実家に厄介になっているわけだ。

 彼の実家は、意外な事に武人の家だ。

 ただし時折魔道士も輩出するようで、そちらの方面でも有名だ。

 独自の兵を有しているから貴人を守るにも最適だし、エルギスの家族は全員従軍経験がある。

 今回はベルベットの護衛のため、エルギスの兄弟姉妹は全員実家に揃っているのだが……挨拶の時の、彼らや彼らの配偶者はなかなか暑堅苦しかった。この唯一の異端者である友人を見ていると目が合った。


「なんだよ」

「お兄さん達と似てないなって思って」

「あいつら面倒だろ。正直、あんたを連れてくるんじゃなかったって後悔しているところだ」

「でも困ってるならうちで匿うぞって誘ったのはエルギスじゃない」

「言ったが、本当に来るとは思わなかったんだよ」

「だって王城よりはいいじゃない」


 エドヴァルドやスティーグからも住まいを提供すると言われたが、断ったのだ。理由は難しくない。


「あそこは顔見知りばっかりだし、この間まで軽口を叩いてた相手に、いきなり腰を低くされるなんて慣れてないの」


 ベルベットが住み慣れた土地を離れたのは、身を守りきれないためだ。

 また、ヴィルヘルム・ルディーンは脱出の際にハーナット家の一階と周辺の森を爆破していった。ベルベットの部屋、移動用の馬車にそれぞれ爆薬を仕込んだせいで、多数の死傷者が発生している。

 立地的に守るのが難しい場所なのもあったし、ベルベットの安全が保証されるまで、オーギュストが断固帰らないという意思を見せたために、今回の措置を取ったのだ。

 あの日、胸騒ぎを覚えたというオーギュストは、ベルベットと合流するためハーナット家に足を向けた。そこで家から逃げ出してきたアリス達を見て、ガブリエル達の制止も聞かずに家へ飛び込んだ。爆破で擦り傷を負ったが、傷ついたベルベットを発見すると、自ら抱えて外へ連れ出したのだ。

 ベルベットが身分を明かしたい……そう相談したときも、それで彼女や友人が動きやすくなるなら良いと快諾し、公国にいる妻子の説得や諸々のしがらみを解決してくると、数日前に船に乗って帰郷した。

 別れる最後までオーギュストは笑っていたし、ベルベットのやることなすことにも、嫌な顔一つせず快諾していた。こうなってくると迷惑をかけ通しで、申し訳なくなる一方だ。次彼がサンラニアに来たときには……むしろ、迷惑でなければ自分から訪問するべきかと悩みつつ、ベルベットは顔を上げる。


「頼んでたものって届いてる?」

「使用人を待機させてるから、いつでも支度できるって義姉からの伝言だ」

「そ、なにからなにまで準備させてごめん」

「これもうちの役目だから、気にするな。資金ももらってるし、むしろここまでするのは当然だよ」


 オーギュストとガブリエルは、持参してきた金塊と宝石をすべてベルベットのために置いて帰った。これらは殆どが念のため……だったらしいのだが、その「もしも」のためだけにしては、ベルベットに言わせれば「少々頭がおかしい量」である。

 これらは国王マティアスを通して正式に彼女の財産となるので、世話になるエルギスの実家に礼という形で贈与した。このあたり少し話はややこしいのだが、本来は名誉な役割ということで金を払う必要はないのだが、それでは気が引けるためだ。

 ただ、この手のものは相場がわからない。

 考える余裕もないため金塊を丸ごと渡したら、エルギスの実家にえらく張り切られてしまった……というのが、今回の状況に繋がっている。

 これに伴い、ディヴィス侯爵にも同じだけの金塊を渡しているのだが……。

 ディヴィス侯爵からあることを連想したせいで、ため息を隠せない。

 ここ数日、彼女はずっと暇なのに、まともに寝ていない。

 むしろ寝ても悪夢ばっかりで、心労がたまる一方だから目の下には隈ができているが、自分の顔を気にする余裕もなかった。

 本当は疲れているはずだ。

 いまも機能を回復させた義手の手入れをするだけだから……と言われて座っただけなのに、寝てしまったから間違いない。だというのに起きてしまったのは、向き合わねばならない瞬間が、間もなく訪れようとしているためだ。

 時間が刻一刻と迫っているのを確認すると、ベルベットは指定された部屋に向かった。

 彼女のために用意されていたのは、服を纏った衣装人形。

 喪服を目の前にすると、どうやっても解決できない胸のもやが、いっそう深まるのを実感せざるを得ず、ベルベットはわけもなく立ち尽くしていた。


2巻が発売されました

また、7月25日に早川書房(出版社1階のカフェ「サロン・クリスティ」)で夜カフェ読書クラブに参加します

イラストレーターのしろ46さんと一緒に「転生令嬢と数奇な人生」「悪女呪い」の裏話を交える予定です


2巻共々よろしくお願いします

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