おっさん、飛びます
とうとうアイリス達は壁際まで追い詰められていた。
目の前にはドラゴンの姿となったジーナが悠然と立ち、最早逃げ場など与えないとばかりに油断なく構えている。
「もう、鬼ごっこは終わりだ」
「……クピン、下ろしなさい」
「アイリス様……」
逃げることを諦めたのかアイリスは抱き上げていたチワワ男に自身を下ろすよう命じる。
チワワ男はそれに異論を挟むこともなく、静かにアイリスを地面に下ろす。
「命乞いなんてみっともない真似はしませんわ。抗っても無駄なことも理解しています。ですから一言……死んだら呪って差し上げます」
それが遺言だとばかりにアイリスは言い放つ。
ジーナはそれに答えるでもなく、ただただその腕をアイリスに向けて振り下ろした。
――アイリス様が死ぬ必要などありません
それはどこからか聞こえてきた声。
一体誰が……
そう思い辺りを見回そうとした瞬間、
「がぁっ!」
ジーナのうめき声とも叫び声ともとれる声が耳に届き、視線をジーナの方へと戻す。
そこにはおっさんが魔力波でぶっ飛ばしたはずの鎧の巨漢がいた。
しかし、彼の鎧はボロボロと言っても差し支えないくらいで、左腕の肩から先は破損してしまったらしく腕が剥き出しになっており、その腕も血に濡れ、肘から骨が突き出していた。
それ以外でも所々砕けている箇所は多々あり、フルフェイスの兜も右上の部分が失われ、彼の素顔をかいま見ることができる。
そこから覗く理知的な瞳は優しげにアイリスを見つめている。
「不肖ながらこのヤーコフ、帰ってまいりました」
鎧の巨漢、ヤーコフはジーナの腕を槍で貫き、強引にアイリスへの軌道をずらされた状態で止まっている。
「よく、生きてましたわね」
おっさんも同意見だ。
あれでよくも生きていられたものだ。
「はい」
「ならばここから反撃ですわ」
アイリスがかつての勢いを取り戻し、消えかかった蝋燭の火が再び燃え上がったかのような気概を見せる。
「申し訳ありませんが私もそう長くは戦えそうにありません。すぐに撤退を」
「どうして」
「左腕と肋骨が数本折れています。ですが、アイリス様が逃げるまでの時間稼ぎくらいならしてみせます。私が吹き飛ばされた穴を進めば洞窟から出られますから急いでください」
ヤーコフは視線で出口を指し示す。
「ですが」
「クピン、頼む」
「承知」
「あ、こらっクピン離しなさい」
チワワ男がアイリスを再び抱え上げ、ヤーコフが吹き飛ばされた穴へと走る。
「ぐっ、逃がさ、ん」
「あなたは私に付き合っていただきます」
「くそっ」
槍を引き抜いたヤーコフがジーナと向かい合いながら突きを繰り出す。
それをかわしながらジーナは逃げ去るアイリス達の背中を見る。
「そいつがドラゴン殺しの槍か?」
「ええ、魔槍ゲオルキングス。ドラゴンの最大の武器である魔力を喰らう正義の槍です」
「正義ねぇ……」
またチラリとジーナがアイリス達を見る。
そしてその表情を苦々しいものに変えたあと視線をヤーコフに戻そうとした時におっさんとジーナの視線がピタリと合う。
「豚、奴らを逃がすなっ!」
「あ、ああ」
「旦那、おれも行きます」
ジーナに言われはっとしたように動き出す。
ロリコンも追従するように後を追ってくるのだが、穴の位置はおっさんからかなり遠いため、このままでは間に合いそうもない。
「昆虫形態」
【昆虫形態のスキルが発動した】
クワガタ状態になって飛んだ方が速いと判断し、スキルを使う。
「あ、ずるいっ!?」
そう言ってロリコンがおっさんの脚に掴まる。
「脚もげるっ!」
「大丈夫です」
お前が言うなよな。
つーかなんでついて来てるんだよ!
くっそー、振り落としてやる。
「旦那旦那、ヤバいよ……」
「あん?」
慌てたようなロリコンの声に浮かんだ考えを振り払いながら前方へと目を向けると、アイリスがこっちを見ていた。
その口は何やらパクパクと動いていて――
「お姫様、魔法の詠唱してる」
「何!? 何の魔法か分かるか?」
「いや、わかんね」
使えないなー。
そう思っているといきなり目の前に炎で出来た壁が現れる。
「危なっ!」
このままだと壁に突っ込んでしまう。
だが、おっさんはある程度の高さまでしか飛べないので急上昇してかわすのは無理。
また、ロリコンが掴まってるせいで横にかわすような小回りのきいたことも出来ない。
選択肢は止まるの一択しかなかったのだが、車が急に止まれないようにおっさんも急には止まれない。
「旦那、達者で」
危機を感じ取ったのかロリコンはいち早く手を離して離脱する。
そしておっさんは翅の動きを止めたのだが、慣性の法則に従い、炎の中に飛び込んでしまった。
めちゃくちゃな熱さの中を再び翅を動かすことでくぐり抜けるともうそこにはアイリスを抱えたチワワ男の姿はなかった。
「くそ、逃がした」
だがまだ間に合うかもしれない。
急いで穴の中を追いかけようとした時
「ぬぅおりゃあああ」
「きゃっ」
気合いの入った野太い声が聞こえ、次いでジーナのものと思われる声が耳に届く。
声のした方を見ればジーナが首から血を吹き出している姿が目に入った。
「このっ!」
血を流しながらもジーナが腕を振るうが、それはあまりにも単調な攻撃であり、あっさりとヤーコフはかわしてしまい、目の前を通過する腕を槍の穂先で切りつける。
「くぅっ……」
「ドラゴン自慢の回復力や多彩な魔法もこの槍で傷を負えば形無しだなゴフッ、ゲホッ……もう時間はかけられないか」
ヤーコフは苦しそうに咳込むと視線を鋭くさせてジーナを睨む。
「時間稼ぎの役目は果たした。あとは己への挑戦としてドラゴンに挑むのみ」
「舐めるな人間っ!」
ジーナとヤーコフの戦いはヤーコフ優勢のまま進む。
ジーナの腕や尾による攻撃はかわされ、ヤーコフの攻撃はジーナの体に確実に傷を与える。
だが、一方的なように見えてその実、ヤーコフは内心冷や汗ものだろう。
なぜならばジーナの攻撃は一撃一撃が人にとって必殺の威力を持ち、今のヤーコフの体では掠っただけでも致命傷と成りうる。
そうでなくても槍を一回振る度にヤーコフの体力はガリガリと物凄い勢いで削れていっている。
このまま時間さえ経てばジーナの勝ちは揺るがない。
だが、なぜか妙な胸騒ぎがする。
気付けばおっさんは穴へと向かわず、ジーナ達の方へと飛んでいた。
言い知れぬ不安、まるでジーナが死んでしまうというような嫌な予感。
その予感は決して間違いではなかった。
「はあっ!」
ジーナが腕を囮に噛み付くために口を大きく開く。
しかし、その瞬間こそヤーコフがずっと待ち望んでいたものだったのだ。
「外は鱗に覆われて致命傷を与えられずとも中まではそうであるまい!
スキル発動、神槍」
それはただの突き。
だがしかし、愚直に突きの修練を繰り返し続けた者だけが辿り着くことができる人の限界を超えた神速の突きだ。
それがジーナの口腔へと迫る。
だけど
「間に合った」
ほんの一瞬だけおっさんが間に入る方が早かった。
「なっ!?」
「え?」
槍はクワガタ化したおっさんの腹を貫通し、そこで止まる。
今まででもっとも強烈な激痛とも言えるものを感じながら、おっさんの心の内はジーナを守れたことに対する満足感の方が強かった。
だけど、まだ終わってない。
この、ジーナを害する『武具』など存在させてはいけない。
「壊れてしまえ」
「しまっ……!」
【武具破壊のスキルが発動した】
崩壊し、ボロボロと崩れ去るドラゴン殺しの銀の槍。
そう、これでジーナの勝利は揺るがない。
おっさんの体は翅に力が入らず地面に落下するが、まだ意識は保っていた。
「今」
ただ一言ジーナにそう告げる。
「■■■■■」
ドラゴンの咆哮とともに振るわれたジーナの腕がヤーコフの体をボールのように吹き飛ばす。
そして淡い光に包まれたジーナの体が段々と人の姿へと戻っていく。
だが、問題はそこじゃない。
人の姿に戻ったジーナが体に何ひとつ身につけていないのが一番の問題だ。
「大丈夫っ!? 死んでない!?」
ジーナが近付いてきているというのに声はどこか遠くから聞こえてくるような気がする。
視界も霞んでいく。
だが、目の前には桃源郷がある。
おっさんは心の録画ボタンを押して、最期の時を焼き付ける。
初めてジーナの生まれたままの姿を見るのだが、透き通るような白い肌に美味しそうなメロンが二つ。
ああ……この体が動くのなら飛びつきたい。
「なんで私を庇って……」
声がまた遠くなる。
お別れの時間が近いのかもしれない。
出来ることなら笑って終わりたい。
「ただの勘だよ。でも、これがホントの虫の知らせって奴だね。おっさんが虫人だけに……」
……四十五点くらいか。
もう少し捻りが欲しかった。
そんなことを思いながらおっさんの意識は黒に染まっていった。
「う、うぅ……」
最早指一本動かない状態ではあるが、ヤーコフはまだ生きていた。
だが、それはほんの僅かな時間であることはヤーコフ自身にもわかっていた。
そんなヤーコフの顔の傍に何者かが立つ。
「ありゃ、ヤーコフの旦那ってばまだ生きてんだ。しぶといね」
「ザラ……」
その何者かの名前をヤーコフは掠れた声で呟く。
「逃げ、なかったの、か……」
「うーん、どうしようか悩んだんだけど今更お姫様達と同じ立ち位置に立つのもなんなんで」
「どう、いう……」
「ヤーコフの旦那。おれね、あんたの主を裏切ったんだ」
その言葉にヤーコフは己の瞳を見開いてザラの姿を捉える。
ザラは主であるアイリスがいきなり連れてきた者であったが、剣の腕が立ち、言われたことにも従う素直な男だ。
少し性癖がおかしい点に目を瞑れば、欠点というものが思いつかないような好青年だ。
ヤーコフの見解としては裏切るような真似をする男ではなかった。
「理由はお姫様には適当に言ったけど、本当はちょっと違うんだ。冥途の土産に教えてやるけど実はおれさ、――――――――なんだ」
その言葉に見開からたヤーコフの目がさらに開く。
「だからあの緑の旦那に興味が出た。旦那ならもしかしたら――――になるかもしれない」
「あ、れは……もう、死ぬ」
「死なないよ」
ザラは地面に倒れ伏したエメラルドグリーンのやたら大きいクワガタとそれに寄り添う白い髪の女を見つめながら、やけに確信を持った様子で言う。
「もし、生き、ていても、お前が、ドラゴ、ンに殺さ、れる……」
「そこは秘策があるからね」
そう言ってザラは懐から青い小さな瓶を取り出す。
それは、死に行くヤーコフには喉から手が出るほど欲しいもの。
「私に、くれっ……」
「ヤーコフの旦那、あんたはやれないな〜。代わりにこいつをプレゼント」
ザラはそう言うと腰の剣を引き抜き、ヤーコフの首筋を切り裂いた。
生暖かく、赤黒い血が吹き出るのを避けながらザラが呟く。
「さよなら、ヤーコフの旦那」
そう言って視線をクワガタの方へと向けて、そちらへと向かって走り出した。
「旦那ー、大丈夫ですかー」
その手に先ほどの青い小瓶を持ちながら――
一応の収束です。
あ、リリーが全然出てこない……




