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とある侯爵令嬢の恋事情  作者: 雲居瑞香
マリアンネ
6/18

【6】






 なんだか妙なことになったなぁ、と思いつつ共同研究室の自分の机を片づけていると、アウリスが出したお迎えが来た。


「マリアンネ様、お時間です」

「わかりました。じゃあ、支度を……」

「いえ、支度は、私どもの方でさせていただきます」

「……はい?」


 マリアンネは自分で研究所の女性に手伝ってもらって晩餐会(他に呼びようがないのでそう呼ぶ)に行こうと思ったのが、迎えの女性はにっこり笑って言った。



「こちらでドレスなどの準備はしております。リクハルド様の許可もいただいております」



 勝手に許可を出さないでほしい。迎えの女性はリューディアの侍女だったと思う。つまり、王太子妃の命令だ。マリアンネは言い争うのはあきらめてうなずいた。


「わかりました……。あの、ユハニ様は?」

「俺は行かん。楽しんで来い」


 共同研究室で本と杖をそれぞれ左右の手に持ったユハニが言った。彼自身も研究者だから当たり前だが、ユハニも研究をする。この研究所の研究員は白衣を着ることが多い。彼もそうだ。


「……わかりました」


 マリアンネはやっぱりそうだよな、と思いつつうなずいた。ユハニはあまり堅苦しい場が好きではないのである。マリアンネもそうなのだが、研究所に入るとそうなるのだろうか。


 迎えの女性に連れられて宮殿に行く。王族の生活スペースの中の部屋に連れて行かれた。部屋の中にはリューディアとミルヴァ、それに侍女が三人いた。


「来たわね。いらっしゃい」


 にやっ、としか表現しようのない笑みを浮かべてミルヴァがマリアンネを手招きした。リューディアはマリアンネの手を引いて鏡面台の前の椅子に座らせる。マリアンネのアッシュブロンドの髪を持ち上げて言った。


「ちょっと髪が長すぎるよねぇ。切ってもいいかな」

「え? 髪を、切るんですか」

「髪を切るんですよ」


 リューディアはころころと笑ってマリアンネの言葉を繰り返した。マリアンネの了承を待たずに、リューディアは控えていた侍女に指示してマリアンネの髪を整えるように言った。


「わかりました! マリアンネ様、失礼します。動かないでくださいね!」


 はさみを持った侍女がためらいなくマリアンネの長すぎる前髪にはさみを入れた。ざく、と小気味よい音がしてマリアンネのアッシュブロンドの髪が短くなった。



 ひぃぃいいっ! 本当に切られた!



 マリアンネは心の中で悲鳴をあげた。しかし、動けば髪が変な風になってしまうので動けない。緊張して身をこわばらせるマリアンネの背後でリューディアとミルヴァがドレス選びを始めた。


「どの色がいいかしら。やっぱり緑?」

「残念ながら、今日の私のドレスが緑なんだ。ミルヴァは?」

「私は青。なら、それ以外の色……ピンクだと、幼すぎるわよね」

「いやいや、ローズピンクとか、紅梅色なら行けるんじゃないかな? マリィはまだ17歳だし」

「いっそのこと、赤にしてみる? 意外と似合うかも……」



 やめてください! マリアンネは心の中で絶叫する。口に出したら顔を動かしてしまいそうだったので口をつぐんだままだ。



 王女と王太子妃のドレス談義は続く。


「赤はちょっとやりすぎじゃない? そうね……淡い紫とか」

「あ、淡い色はいいかも。いっそ白っぽい色は?」

「それもいいね。じゃあ、その系統の色で」

「賛成。晩餐会だからイブニングドレスよね。個人的にはプリンセスラインを希望」

「私的にはベルラインが好みなんだけど。自分では着られないからね」

「あ、わかる」


 そう言うリューディアとミルヴァは長身なのだ。マリアンネは小柄ではないが、平均くらいの身長だ。肉付きはよいとは言えず、絶壁ではないが胸部のふくらみはささやか。あ、自分で言ってて悲しくなってきた……。


「はい。終わりましたよ。髪形はドレスを着てから考えましょう」


 髪を切ってくれた侍女に礼を言って、マリアンネは立ち上がった。それを待っていたようにミルヴァがマリアンネを手招きする。



「ちょっといらっしゃい。あなたに似合うのを選ぶわ」



 そう言って並べられたドレスを示した。マリアンネもそれを見たが、見覚えのない豪華なドレスばかりだ。自分のものではないと思う。だが、ミルヴァやリューディアのものでもないだろう。体格が違いすぎる。


 そんなマリアンネの疑問を読み取ったのか、リューディアは微笑んで言った。


「マリィに似合うデザインのものを作ってもらったの。既製品もあるけど、まあ、マリィなら着れるでしょう」


 マリアンネの体格は平均的だ。胸部がボリュームに欠けるが、そこは詰め物でもなんでもすればいい。そう言う意味なら、着れる。


「じゃあ、早速」


 ミルヴァがノリノリで自分が選んだドレスを差し出してきた。パールホワイトのプリンセスラインのドレスだった。


 ちなみに、リューディアが選んだのはライラックのベルラインのドレスだった。一応、マリアンネ自身の希望も聞かれたが、無難な褪せたような紫のドレスを示したら声をそろえて却下された。


 2着以外にもいろいろ試着してみた結果、最終的にミルヴァが初めに選んだパールホワイトのプリンセスラインのドレスが一番似合うだろうという結論になった。



「悔しいけど、よく似合ってる」



 ミルヴァが選んだドレスの方が似合っていたことが悔しいらしいリューディアが、そう言ってドレスを着たマリアンネをほめた。しかし、マリアンネは心もとなげに胸元で手を重ねた。イブニングドレスだから当たり前だが、このドレスは胸元が大きく開いている。胸元どころか肩までがっつり開いていた。



 胸がないことを強調してどうする……。



 そう思わないでもなかったが、マリアンネはあきらめた。鏡を見た結果、胸云々はともかく、似合っているのは事実だと判断したからだ。少なくとも、見苦しくはない。それに、首元の水晶のネックレスの方に視線が行くので、言うほどない胸が強調されていない。


 マリアンネが髪を結ってもらい、化粧をし直されている間にリューディアとミルヴァも着替えに行った。髪を結ってくれている侍女が楽しげに言う。


「やっぱり、マリアンネ様もリクハルド様の妹君ですね! とてもお美しいです。腕がなります!」

「あ、顔を動かさないでください!」


 口を開こうとしたら化粧をしてくれている侍女に叱られた。仕方がないので仕上がるまで黙っている。


「もういいですよ」


 化粧が先に仕上がった。目元にほんのり色を入れ、淡い色のルージュを引かれている。ほぼナチュラルメイクだった。


「お顔立ちが整っていらっしゃるので、素材を生かす方向でお化粧させていただきました」


 侍女がにこにこして言った。マリアンネはなんとなく釈然としないものを抱えつつ「ありがとう」と礼を言った。


 やや間をおいて髪も結い終わった。これまで経験したことがないくらい髪飾りをつけられた。淡い色合いの花の髪飾りが多いのは気のせいだろうか……。


「マリアンネ様。あの、お迎えの方がいらしたのですが……」


 困惑気味に侍女の1人が入ってきた。マリアンネは首をかしげる。


「誰? ミルヴァ様?」

「いえ……フラスクエロ殿下なのですが」

「……」


 やはりフラスクエロ王子も交えた晩餐会らしい。リューディアはアウリスが、ミルヴァはリクハルドがエスコートするだろうし、だとすれば、マリアンネをフラスクエロ王子がエスコートするのは自然な流れだ。


 エスコート役としてユハニを引っ張ってくればよかった、と思いつつ、マリアンネは部屋から出た。


「こんばんは、フラスクエロ殿下」

「こんばんは、マリアンネ嬢。今日は私がエスコート役を務めさせてもらおうと思って来たんですが……」


 フラスクエロ王子はマリアンネの姿を見て微笑んだ。


「よく似合っていますね」


 彼に微笑んでそう言われた瞬間、頬が熱くなった。心臓がバクバクと心拍数を速め、落ち着かない。



 どうしたんだろう、わたくし……。



「どうかしましたか?」


 1人でうろたえているマリアンネに、フラスクエロ王子が顔を覗き込むようにして尋ねた。マリアンネはあわてて首を左右に振る。


「いえ、なんでもないです。あの……ありがとう、ございます」


 はにかむように微笑めば、フラスクエロ王子も笑顔を向けてくれる、それがとてもうれしかった。


「では行きましょうか、お嬢様」

「あ、はい」


 マリアンネはうなずいて差し出されたフラスクエロ王子の腕に掴まった。


 案内役の侍従に連れて行かれたのは、宮殿の中では小規模の晩餐会用の部屋だった。すでにリクハルドとミルヴァが座って待っている。


「やあ、フラス、マリィ。マリィ、その格好、よく似合ってるよ」

「私が選んだのよ。当然じゃない」


 ミルヴァが胸を張るのを見ながら(ミルヴァは張れるだけの胸がある)、マリアンネは「ありがとうございます」とほめてくれた礼を言った。


 部屋の中にいた給仕に指定された席はフラスクエロ王子と並びの席だった。それはいいのだが、これでは兄のリクハルドが末席になってしまう。そもそも客人であるフラスクエロ王子が上座でないことがおかしいが、マリアンネは兄を気にした。


「お兄様。わたくしが末席につきましょうか?」

「ああ、いや。気にしなくていいよ。マリィはそのままその席に座ってなさい」


 リクハルドにそう言われ、マリアンネはこくりとうなずいた。正面を見ると、向かい側の席のミルヴァににっこり微笑まれた。マリアンネもつられて引きつり気味の笑みを浮かべた時、少々遅れて王太子と王太子妃が入ってきた。


「少し遅かったか。すまん」


 アウリスの謝罪は、客人であるフラスクエロ王子に対するものだろう。彼は「そんなに待ってないから安心しろ」と笑った。


 食前の祈りをささげ、料理が並べられる。最高級の食材を使ったおいしそうな料理はともかく、マリアンネは用意された飲み物を見てぐぐっとなる。当たり前だが、ワインが出されたのだ。


 もちろん、マリアンネも飲めないわけではないが、この中で唯一の10代、最年少17歳の彼女はワインが苦手だった。果汁などで割れば飲めるのだが。


 とはいえ、マリアンネは文句も言わずに(言えないだけだが)ワインを少し舐めるように飲んだ。飲めなくはないし、果実水も用意されているから大丈夫だろう。


 そう思ってマリアンネは前菜のあとに出てきたメインディッシュにナイフとフォークを入れた。ちなみに、メインは柔らかい肉だった。


 マリアンネ以外の皆さんは何やらお話しされているが、相変わらず彼女は聞き役だった。しかし、唐突にリューディアに名前を呼ばれてびくっとなった。


「そう言えば、フラスクエロ殿下から頂いた菓子ですが、ミルヴァとマリィと一緒にいただきました。とてもおいしかったです」


 話をふられたのではないことにほっとした。そう言えば、あとでフラスクエロ王子にお礼を言おうと思っていて忘れていたことも一緒に思い出す。


「それはよかった。実はあの菓子は祭日に食べるものなのですが、わが国でも人気がありまして。お気に召されたのなら内緒で持ってきたかいがありました」


 おどけるような口調でフラスクエロ王子は言った。みんなが思わず笑みを浮かべる。マリアンネもつられて笑うと、フラスクエロ王子と目が合った。甘い笑みを向けられてマリアンネは赤くなって顔を逸らした。


 その様子を微笑ましげに見守る周囲。しかし、リクハルドだけは腹黒そうな笑みを浮かべた。


「フラス。やっぱり後で話があるんだけど」

「構わないが……お前、そのシスコン、何とかした方がいいと思うぞ……」


 少々呆れた様子のフラスクエロ王子がそう言った。おそらく、マリアンネも話の中心になっているのだろうが、気にせずに運ばれてきたばかりのデザートをほおばる。あまり甘くないアップルパイだ。おいしいが、ちょっと物足りない……。


「やはり、もう少し甘い方がよかったか」


 アウリスがつぶやいたが、だれに言った言葉かわからなかったので、だれからも返答はなかった。







ここまでお読みいただき、ありがとうございます。

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