【5】
翌朝。朝食を終えた後、フラスクエロはアウリスの執務室を訪れた。もちろん、アウリスは王太子なので警備は厳しいが、約束がある、と言えば割とあっさりと通してくれた。おそらく、アウリスが事前に話を通しておいてくれたのだろう。
彼の執務室にはすでに、リクハルドと、さらに王太子妃リューディアがいた。
「おはようございます、フラスクエロ殿下」
「おはようございます、リューディア殿」
笑顔で挨拶を交わす。リューディアは、下手をすればその辺の男よりもよっぽどハンサムである。振る舞いが颯爽としていて、会話もうまい。アウリスが彼女に惚れる理由は何となくわかるが、やはり、フラスクエロは少し頼りないくらいの、マリアンネのような女性の方が好みである。
「早速だが、カトゥカの流通ルートが割り出せるかもしれん」
「本当か?」
アウリスの言葉に、フラスクエロが身を乗り出す。アウリスはうなずく。
「ああ。コルホネン商会が、イグレシアとの交易で『空の小箱』を輸出している。もしかしたら」
「その中身が、カトゥカかもしれない、と」
「ああ」
からの箱の中に麻薬を入れる、と言う流通方法はこれまでもあった。ここまで気付かれなかったのであれば、相手は相当、闇取引になれているのだろう。
「……と言うか、コルホネン商会か……聞いたことがある気がするが」
「ああ。うちの父の愛人の実家がここだからね」
「……冗談だろ?」
「いや、マジだよ」
リクハルドはそう言って肩をすくめた。
リクハルドの父エルヴァスティ侯爵の愛人と言えば、侯爵の正妻、つまり、リクハルドとマリアンネ兄妹の母が亡くなった時、屋敷に勝手に乗り込んできて、勝手に住み着いているという女だ。挙句にマリアンネをいじめているらしいので、会ったこともないが、フラスクエロは彼女に悪い印象しかない。
「それで、うちの侯爵家も中継地点として使われてるんじゃないかってことで、家宅捜査が入るかな。ああ。僕は最後に愛人と会ったのは一週間くらい前だから、愛人については聞かれてもよくわからないよ」
リクハルドはにこっと笑ってそう言った。どうやら、エルヴァスティ兄妹は愛人との接触を最低限にしているらしい。リクハルドもそうだが、マリアンネも最近は宮殿内で泊まることの方が多いらしかった。
「それと、王立研究所の職員も関わっている、という噂があるから、ユハニの所に事情聴収に行く。一緒に行くか?」
アウリスが尋ねた。ユハニと言えば、カルナ王国の王立研究所の所長だ。すでに挨拶は済ませているが、不遜な態度の男であったことを覚えている。
とりあえず、侯爵家の方はリクハルドに任せるしかないので、フラスクエロはアウリス・リューディアの2人とともに王立研究所の敷地に向かったのだが、木々に囲まれた王立研究所ではちょっとした……いや、ちょっとではないが、かなりの騒ぎが起きていた。
「……意味が分からんな」
「あっ、王太子殿下!」
アウリスがもっともなつぶやきをしたのを聞きつけたのかわからないが、女性研究員がこちらに駆け寄ってきた。彼女によると、実験用のキメラが逃げ出し、現在、最後の一頭を討伐中なのだそうだ。
その女性研究員が別の研究員に呼ばれたのと入れ替わるように、剣を持ったユハニと、彼に手を引かれ、ふらふらと歩いてくるマリアンネがやってきた。
「おう、遅かったな。もうすべて討伐し終えた」
ユハニはさらっとそんなことを言ったが、従弟の姿を見て、アウリスが口元をひきつらせた。
「相変わらず仕事が早いな、ユハニ。と言うか、お前もマリアンネもどうした」
ユハニは明らかに返り血を浴びた様子で、服が血に染まっている。そんな彼が手を貸しているマリアンネは、せっかくのドレスが泥だらけで、しかも膝が笑っている。転んだのだろうか?
観察されるのがいたたまれなかったのか、マリアンネはユハニの後ろに隠れてしまった。フラスクエロは思わずユハニを睨み付けた。マリアンネに頼られる彼がうらやましかったのである。しかし、彼の後ろから少し顔を出すマリアンネと目が合うと、フラスクエロは笑みを浮かべた。
「マリィ、こっちにおいで。きれいにしよう」
泥だらけのマリアンネを見かねたらしく、リューディアがマリアンネを手招きしてそう言った。マリアンネはそろそろとユハニの後ろから出て歩いてくるのだが、足元が危なっかしかった。フラスクエロは手を伸ばし、「失礼しますね」と言ってマリアンネの体を抱き上げた。横抱きにされたマリアンネが悲鳴を上げ、落ちないようにフラスクエロにしがみついた。
「ああああ、あの、すみません」
「大丈夫ですよ。そのまま掴まっていてください」
フラスクエロが優しげに微笑むのを見て、彼の本性を知っているアウリスが引いた。
「お前……別人だな」
「うるさい」
マリアンネの前でだけ態度が違う自覚はあるフラスクエロは間髪入れずにそう言い返した。
マリアンネの服装をきれいにしようと、先に声をかけたのはリューディアだったが、彼女はあっさりとマリアンネをフラスクエロに丸投げした。なので、フラスクエロはマリアンネを横抱きにしたまま、宮殿への道を歩きはじめた。
「あの、フラス殿下……」
マリアンネが控えめに名を呼んだ。『フラス』と愛称で呼ばれた、ただそれだけのことに心が躍る。フラスクエロは機嫌よく尋ねた。
「どうかしましたか? どこか痛いところでも?」
「あの、おろしていただけませんか? 歩けるので……」
「ダメです」
「!? なんでですか?」
「私が心配だからです」
きっぱりと言うと、マリアンネはあきらめたのか、何も言わずにフラスクエロの腕の中でおとなしくなった。フラスクエロは、周囲の視線をものともせずに歩いていたが、マリアンネは気になるらしく、フラスクエロの胸に顔を伏せていた。その様子がまたかわいらしいのである。
フラスクエロは自分が使っているゲストルームに着くと、部屋の掃除をしてくれているメイドたちに、マリアンネの姿を何とかするように頼んだ。メイドたちは嬉々として返事をする。基本的に下っ端である彼女らが、ご令嬢を着飾らせる機会などほとんどない。そのため、テンションが上がっていると思われる。大丈夫だろうか、と思ったが、恰好を整えられたマリアンネを見て、フラスクエロは微笑んだ。
「やっぱり、あなたは可愛らしいですね、マリィ」
向かい側に座らせたマリアンネが頬を赤くする。この純情そうな反応がたまらない。フラスクエロは手を伸ばし、マリアンネのすべらかな頬に触れる。
「聞いてもいいですか?」
「は、はい?」
フラスクエロは、そのやわらかな頬を少しつまんだ。
「あなたとユハニ殿は、いったいどんな関係なんですか?」
一瞬、質問の内容が理解できなかったのか、沈黙を挟んだ後、マリアンネは「上司と部下です」と答えた。しかし、それだけの関係ではないようにも見えた。
「……仲が良さそうでしたね」
「それは……もう、五年はお世話になっていますし。私にとっては、もう1人の兄みたいな存在です」
「……」
マリアンネはそう言うが、少なくともユハニの方はそれ以上の感情を持っているような気がした。だから、もう少し突っ込んで尋ねてみた。
「……そこには、愛は存在しないのですか?」
嫉妬していること丸わかりな言葉に、マリアンネは小首を傾けて口を開いた。
「そうですね……基本的に、わたくしはユハニ様を『鬼畜上司』と思っていますので、愛は存在しないのだと思います」
そのしっかりとした言葉に、フラスクエロはほっとしてマリアンネの頬から手を放した。マリアンネはしばらくフラスクエロを眺めていたが、メイドが持ってきたお茶とお茶菓子が目の前に置かれると、早速お茶菓子に手を付けた。幸せそうに食べるその表情を見て、フラスクエロは微笑んだ。
「とてもおいしそうに食べますね」
「あ、はい。おいしいです」
微妙に会話がかみ合っていない。しかし、このちょっとしたずれも、マリアンネのかわいらしいところである。フラスクエロは再び言った。
「……おいしそうですね」
同じ言葉が不思議だったのか、マリアンネが顔を上げた。フラスクエロはまっすぐに彼女の顔を見ながら言った。
「本当においしそうだ。だから、私は、あなたにキスをしてもいいですか?」
マリアンネが硬直した。しばらくフリーズしていたマリアンネは、顔を赤らめて勢いよく立ちあがった。その衝撃で、椅子が後ろに倒れる。
「ああああ、ああああの! わたくし、引き継ぎ書類を作らなければならないので、失礼します!」
「引継ぎ書類を制作しているということは、私とともに来てくれると言うことですか?」
「!?」
フラスクエロは彼女の動揺が面白く、そんな言葉をかけたのだが思ったより効果が大きかったので、フラスクエロも驚いた。赤くなって震えているマリアンネにあわてて謝る。
「すみません。からかいすぎました。あなたがあまりにもかわいらしいものですから……」
「い、いえ……わたくしも、取り乱してすみません」
マリアンネと和解が成立したところで、タイミング悪く彼女の兄リクハルドがやってきた。マリアンネはまだ立ったままで頬は赤いし、一目で何かあったとわかる状況である。
案の定、シスコンの男はフラスクエロの胸ぐらをつかみあげた。
「ちょ、お兄様っ」
驚いたマリアンネが制止の声をかけるが、それくらいでリクハルドは止まらない。
「フラス。お前、僕の妹に何をしたのかな?」
「お前、本当にシスコンだな……」
「とうに自覚済みだよ!」
「余計たちが悪いわ!」
「お兄様、フラス殿下!」
ああ、ついにフラスクエロまで怒られてしまった。しかし、マリアンネの様子は怒っていると言うよりも『やめて』と震えている小動物に見える。
リクハルドが相手をマリアンネに変えたところに、ちょうどミルヴァがやってきて、婚約者の頭に痛烈なツッコミを入れた。髪をひっつかむという王女らしくないやり方であるが、とりあえずリクハルドは止まった。互いに謝りあうフラスクエロとミルヴァを見て、ツッコミをいれようか迷っている風情だったマリアンネは、最終的に尋ねた。
「ええっと。それで、お兄様は何をしにいらっしゃったのですか?」
「ああ」
リクハルドがマリアンネの方を見て、研究所が落ち着いたことを告げた。マリアンネはうなずくと、こちらに向かってぺこっとお辞儀し、そのまま部屋を出ていこうとした。が。
何故か転んだ。あわてて駆け寄ったのだが、盛大にこけたわりにはマリアンネは無傷だった。もしかして、彼女は丈夫なのだろうか。
「送って行きましょうか?」
親切心から尋ねたのだが、マリアンネに断られてしまった。リクハルドはマリアンネにゆっくり歩くように忠告した。
今度はしっかりした足取りで出ていったマリアンネを見送った後、リクハルドはフラスクエロに資料を一部手渡した。
「追加情報。それほど真新しくはないけど、一応あげておくね」
「ああ、すまん」
先ほどまでとのテンションの違いに驚きつつ、フラスクエロはその資料を受け取った。
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