【3】
フラスクエロ視点、第3話です。
翌日。午後からはエルヴァスティ侯爵など人に会う予定があったが、午前中はもともとカトゥカの件についての調査をしようと思って空けていた。
「気色悪いですよ、その顔」
従者のアニセトがフラスクエロのにやついた顔を見てツッコミを入れた。カルナ王国側から提供された資料を読んでいたフラスクエロはアニセトを睨む。
「私もちらっとお見かけしましたが、確かにおきれいな方でしたね、マリアンネ様」
「見るな。減る」
「何言ってるんですか、あなたは」
アニセトに呆れたようなツッコミを入れられたフラスクエロは報告書に目を戻した。
「やはり、カルナ王国の王都内でも流通しているのか」
「イグレシアに流れてきているようですね。カルナでも流通経路は探っているとのことでしたが……」
アニセトの眼光が鋭くなる。
「カルナが、カトゥカの売買人をかくまっている……と言うことはありませんかね?」
「……」
それを否定できないのがつらいところである。アウリスたちが麻薬売買人をかくまっているとは思えないが、それを否定できるだけの材料がないのだ。フラスクエロは報告書を机に置いた。
「ちょっと散歩に行ってくる」
「何故です?」
「気晴らしだよ」
カルナ王国の宮殿で堂々と他国の王子が襲われるとはないと思うが、アニセトはイグレシアから連れてきた騎士に護衛を命じた。かくして、護衛をひきつれてフラスクエロは散歩に出かけた。
「まあ、フラスクエロ殿下」
「どちらへお出かけですか? ご案内いたしますわ」
社交シーズンなので当たり前だが、カルナの王宮には多くの貴族の令嬢がいた。彼女らに笑みを向けつつスルーしながら、フラスクエロは庭にたどり着いた。
庭の噴水の近くのベンチで、マリアンネを発見した。これ幸いとフラスクエロは彼女に近づく。集中しているためか、マリアンネはフラスクエロの接近に気が付かなかった。名前も呼んでみたが、気づかれなかった。
「何の絵を描いているのですか?」
声をかけるだけでは気づかれないからと、フラスクエロはマリアンネの肩に手を置き、背後から耳元に囁いた。彼女はびくっとしてフラスクエロの方を振り返る。結局驚かせたようで申し訳ない。
覗き込むと、彼女は手元にスケッチブックを持ち、噴水を写生していた。これがかなりうまい。フラスクエロが見たマリアンネの絵は抽象画だったが、こういった写実的な絵も描けるようだ。
「驚かせてしまってすみません。呼びかけても反応がなかったもので……」
「あ……いえ、こちらこそすみません。わたくし、集中していると周りが眼に入らなくて……」
「……すごい集中力ですね。うらやましいです」
やはりすごい集中力だ。思わず、フラスクエロの笑みが強張る。ある意味、彼女はすごい少女だ。
「お隣、いいですか?」
フラスクエロが尋ねると、マリアンネは条件反射のように「あ、はい」とすぐにうなずいた。言質は取ったので、フラスクエロは遠慮なく彼女の隣に座る。
「それで、何の絵を描いているんですか?」
ちらっと彼女のスケッチブックを覗き込みながら尋ねる。彼女は少しはにかみながら答えた。
「えっと、風景画です」
「風景画、ですか。確か、私が見たあなたの絵は抽象画だった気がしますが……」
「本当は抽象画の方が好きなんですが、抽象画は色がないとうまく表現できなくて」
そう言いながら、マリアンネはフラスクエロに絵を見せてくれた。噴水の絵がよく描かれている。彼女の抽象画は心にずしっと来るが、風景画は素直に感動できる出来だ。
「そうなのですか。でも、風景画も上手ですね」
「……ありがとうございます」
心からの褒め言葉を贈ると、マリアンネははにかむように微笑んだ。フラスクエロはしばらくその可憐な笑みに見惚れた。
「やはり、笑った顔の方がかわいらしいですね」
心細そうな表情も庇護欲を誘うが、やはり笑顔がかわいらしい。しかも、ほめられたときの反応が最高である。頬を赤らめ、身を護るようにスケッチブックを抱きしめた。
少し視線をさまよわせたマリアンネは不意に尋ねてきた。
「あの。殿下がわたくしに求婚なさっている、と言うのは本当なのですか?」
フラスクエロは何度か瞬きをしてからニコリと笑みを浮かべて口を開いた。
「ああ、聞いたんですね。リクからですか?」
「鬼畜……いえ、上司のユハニ様から聞きました」
「鬼畜?」
「何でもありません忘れてください」
一息で言い切ったマリアンネだが、フラスクエロは『ユハニ』に覚えがあった。カトゥカの調査に来たのなら、世話になることもあるだろうと紹介されていた。
「ユハニは確か、魔法研究所の所長でしたね。マリアンネ嬢はそこの研究員だと聞いたけど?」
「はい。一応は」
カルナ王国王立魔法研究所所長のユハニ・マルヴァレフト公爵は目つきの鋭い男だった。年はフラスクエロとさほど変わらないくらいだったが、かなり頭がいいらしい。そして、変人であるという話だった。
「やはり、魔法研究ができなくなるのはさみしい?」
思わず尋ねると、彼女から「ええ」と言う返事が返ってきた。しかし。
「まあ……でも。研究するだけならどこでもできると思いますので」
意外と前向きな言葉に、フラスクエロは内心喜んだ。研究者は、研究場所が変わることを嫌がる人もいると言うが、マリアンネはその限りではないようだ。フラスクエロはうれしくなってさらに尋ねた。
「……もしかして、私と結婚することに関して前向きに考えてくれている?」
マリアンネは少し視線をさまよわせた。
「……それは、まあ、悪い話ではありませんし……お兄様のご友人なら、いい人だと思いますし、あとは、父の考え次第かと」
「……妥協か」
思わず、つぶやいてしまった。そのまま思考モードに突入する。
『悪い話ではない』と言うことは、特にいい話でもないということである。フラスクエロは第二王子であるため、王位を継承する可能性は低い。しかし、王子であることに変わりはない。王子に嫁ぐことを『悪い話ではない』で片づけられるとは正直思わなかった。
何より、マリアンネは『兄と父がいいって言ったら、いってもいいかな』くらいの感覚だ。つまり、自分から嫁ぎたい、と思ってくれているわけではないのだ。
ふと気が付くと、マリアンネはスケッチブックを見て、うーん、とうなっていた。その目がスケッチブックとフラスクエロをちらちら見比べている気がして、フラスクエロは尋ねた。
「……もしかして、私ですか?」
「あ、はい」
フラスクエロはさらに尋ねる。
「少し見せてもらってもいいですか?」
「えと、ど、どうぞ」
少々挙動不審ながらもスケッチブックを差し出してくれたマリアンネに微笑みつつ、フラスクエロは彼女が描いたスケッチを見て行った。
さすがに上手い。陰影や距離感がうまく表現されているからだろうか。鉛筆一本で、よくここまで描けるものだ。
ここまで来ると、もっと大きな絵を見てみたいものである。そう伝えると、マリアンネは複雑そうな表情になり、それは難しいと言われた。フラスクエロは微笑み、彼女に言った。
「私の所に来れば、好きなだけカンバスに絵が描けますよ」
そのささやきに、マリアンネはごくりと唾をのみ込んだ。研究も好きだが、やはり絵を描くことも楽しいのだろう。彼女は数秒間フラスクエロを見つめると、「い、いいかもしれませんね……」と返答した。どうやら、この誘いでは脈ありのようだ。
だが、楽しい時間はすぐに終わりを告げるもので、アニセトがフラスクエロを呼んだ。どうやら、エルヴァスティ侯爵がやってきたらしい。フラスクエロはマリアンネにスケッチブックを返し、彼女の手を取った。
「では、またお会いしましょう、マリアンネ嬢」
フラスクエロはマリアンネを熱っぽく見つめ、その指にキスをする。マリアンネの唖然としたような顔を少し名残惜しそうに見てから、彼はアニセトとともに宮殿内に戻った。
「エルヴァスティ侯爵がお待ちです」
アニセトが客間の前でそう言って扉を開けた。中にはエルヴァスティ侯爵オラヴィ、その息子のリクハルド、この国の王太子アウリスがすでに待っていた。フラスクエロはあわてずに中に入る。
「遅れましたね。申し訳ありません」
「いや。時間通りだ。気にするな」
アウリスが鷹揚にそう言った。冷たい印象の怜悧な顔立ちをした彼だが、彼の妻に言わせると、アウリスは『残念な美形』なのだそうだ。王太子である彼の妻は、逆にハンサムな女性だった。
アウリスの隣には、彼の学友であり側近のリクハルドがいる。彼は絶世の美女と言われた母親に似たらしく、かなり華やかな美形だ。妹のマリアンネは彼ほど母親に似なかったらしく、かわいらしい系の顔立ちをしていた。
そして、エルヴァスティ侯爵オラヴィ。すでに50近い年齢の彼だが、若いころはそれなりに整った顔立ちをしていたのだと思われる容姿をしていた。しかし、さすがにリクハルドと並ぶと見劣りがした。と言うか、リクハルドは驚くほど父親に似ていない。父親の遺伝子はどこに行ったのだろうか。
そして、何より、エルヴァスティ侯爵はやる気のなさそうな表情をしていた。フラスクエロが「マリアンネ嬢をいただきたいのですが」と直接的に告げても、マリアンネのことはリクハルドに任せている、との返答が返ってきた。それでいいのか、父親……。
リクハルドからはすでに、マリアンネの意志を尊重するように言われているので、マリアンネがその気になってくれれば、すぐに縁談がまとまるということだ。
だが、フラスクエロは自分の結婚相手の為だけにカルナ王国に来たわけではない。麻薬の流通ルートを探し、イグレシアへの流出を止めるために来たのだ。アウリスはまず謝罪を口にした。
「すまん。まだ、カトゥカの流通源は見つかっていない。いくつか製造工場は発見し、つぶしたのだが、そこで製造された麻薬がどこに行ったのかわからん」
「イグレシアに流入してるってことは、関所を通っているはずなんだけど、引っかからなくて。どこかの商家の商品の中に紛れ込んだりしてるのかも」
そこで、リクハルドはちらっと自分の父親を見た。フラスクエロは、ああ、リクハルドは自分の父親を疑っているのか、と思った。しかし、エルヴァスティ侯爵は相変わらずやる気のない表情である。ある意味、表情が読めない。
「まあでも、今は大掛かりに捜査をしてるから、そうかからないで流通元は見つかると思う。情報提供を行ってくれた人には賞金が出ることになってるし」
どうやら、さすがのカルナ王国も手段を選ばなくなってきたようだ。フラスクエロは多少情報を更新された報告書を受け取り、微笑んだ。
「ありがとう。すまん。せかすようなまねをして」
「いや。いつまでも決定打を打てなかったこちらにも非はある。お前が帰る期限までには何とかする」
アウリスもリクハルドも優秀だ。何とかすると言ったら、確実にやるだろう。
何か分かったら知らせてほしい、と頼み、その場はお開きとなった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。




