【10】
「……どうしろっていうのよ」
帰宅して早々、嫌がらせで異母姉に地下の倉庫に閉じ込められてしまったマリアンネのつぶやきである。魔術は使えるから、魔術で扉を吹き飛ばしてしまえばいいのだろうか。しかし、どうしてこうなった。
基本的に、異母姉のふるまいに意味はないので、どうして、と聞くだけ無駄である。たぶん、彼女らもマリアンネを殺したいわけではないから、明日の朝になれば出してくれるだろう。たぶん、覚えていれば。
閉じ込めればマリアンネが泣き叫ぶとでも思ったのだろうか。小さい頃なら泣いたかもしれないが、マリアンネは魔法を使うことができる。魔法で光源を発生させ、周囲を見渡した。
「埃が積もってる。あまり使っていない倉庫なのね……」
さすがにさみしいので声を出してみる。余計むなしくなっただけだった。
何か布団になるようなものはないかと探してみると、一つだけ最近使用したような木箱を見つけた。鍵はかかっていなかったので、開けてみる。中にはまた木箱が詰まっていた。大きさはマリアンネの手に乗るくらいで、それほど大きくない。それも手に取って開けてみる。
中には、岩塩のような、何か粉を固めたようなものが入っていた。何だろう。しばらく見つめて、はっとした。
父の愛人であるヨハンナの実家の商家が、カトゥカをカルナ王国内で売りさばいているという話を聞いたばかりだ。マリアンネは、実物を一度だけ見たことがある。魔法の研究をしていると、そう言うものにどうしてもぶち当たるのだ。もちろん、使ったことはないし、使おうとも思わない。
マリアンネはそれを丁寧に箱の中に戻し、蓋を閉め、大きな木箱の中に戻した。少し粉のついた手を軽く払う。
さて、どうするべきか。ドアを無理やり開いて、宮殿に行くべきだろうか。ユハニなら、まだ起きているかもしれない。しかし、マリアンネがここにいたということは、関与が疑われる可能性がある。さすがに冤罪で罪に問われたくはなかった。
だとすれば、やることは決まった。
マリアンネは魔法の光を消し、倉庫の入り口付近に戻ると、その場にうずくまった。
「あら。さすがのあなたも怖かったのかしら。ただでさえ貧相な顔が余計に見苦しくなっているわよ」
翌朝。そんなことを言いながらも上の異母姉であるマイユはマリアンネを倉庫から外に出した。普段使われない倉庫でうずくまっていたせいで、ドレスが埃をかぶっている。眠れなかったので、マイユの言うように顔もひどいことになっているだろう。
「あれで泣き叫ばないなんて、相変わらずかわいくないわね」
下の異母姉であるファンニがそう吐き捨てた。マリアンネはうつむきがちに異母姉たちの嫌味を聞き、それから屋敷の中の自分の部屋に戻り、風呂に入った。軽く食事をしてから、少し眠る。そのため、マリアンネが宮殿に上がったのはお昼を過ぎてからだった。
「えぇっ?」
研究所に向かおうとしたところでリューディアに捕まったマリアンネはあわてて両手で口をふさいだ。いつも微笑んでいるリューディアも真剣な表情をしており、状況の悪さがうかがえる。
「ユハニ様が捕まったんですか? と言うかあの人、捕まるんですか?」
「君も大概だよね。そう。捕まったんだよ。もちろん冤罪でね」
「ですよね」
ユハニは確かに鬼畜発言をするが、本気で手を出すような人ではない。言葉で人を殺せるのなら別だが、彼が法に触れるようなことをするとは思えない。
研究者たる者、法に触れるぎりぎりのことはするかもしれないが、一線を越えることはないはずだ。……たぶん。
「よ、容疑は何なんですか?」
「カトゥカの不法所持」
「……」
なんだか、タイミングが良すぎだろう。大体、組み合わせが悪い。ユハニがカトゥカを使用するなんてありえない。彼を知るものならだれでもそう思う。
「知的好奇心をおさえきれずに使用して、それであんな性格になった、と言うのが原告側の訴えだね」
「……」
なるほど。そう言う考え方もあるのか。納得してしまったマリアンネである。
「……えっと。この場合は、どうなるんですか?」
「そうだね……ユハニは王族だから、処刑はされないと思うけど。でも、身分剥奪は免れないね」
「……そうですか」
ユハニが身分を剥奪されることに頓着するとは思えないが、研究所のみんなは困るだろう。ユハニは、なんだかんだ言って、いい所長だった。研究員たちの好きにさせてくれたし、困っていたら絶対に助けてくれる。研究員の八割が、一度は殺意を覚えたことがあるらしいが、研究員の九割が彼を尊敬している。
「たぶん、ユハニに有罪判決が出れば、マリィはフラスクエロ王子に嫁げなくなるね」
リューディアにそう言われて、マリアンネは彼女を見上げた。リューディアは苦笑する。
「心配しなくても、ユハニが有罪になることはないよ。なんたって冤罪だからね」
そう言って王太子妃はマリアンネの頭をなでた。マリアンネは周囲を見渡して誰もいないことを確認すると、リューディアのドレスを少し引っ張った。
「あの、ちょっと聞いていただけますか」
「ん、君からそう言ってくるのは珍しいね。何だい?」
リューディアが少し身をかがめる。マリアンネの背が低いのではなく、リューディアが長身なのだ。
「あの、ですね。昨夜、屋敷に帰ったら異母姉に地下の倉庫に閉じ込められたんですけど」
「帰らないようにって言わなかったっけ?」
「す、すみません……それで、その倉庫、あまり使われていない様子で埃をかぶっていたんですが、一つだけきれいな木箱があったんで、開けてみたんです」
「うん。何となく話は見えたけど、何が入っていたのか聞いてみようか」
「その中には、さらに小さい箱が入っていて、それを開けると、岩塩みたいな、粉の塊が入っていたんです。私は植物関係にはあまり詳しくないのですが、たぶん、カトゥカの粉末かな、と……」
「……ふぅん。だれかがエルヴァスティ侯爵家に持ち込んだってことか。それ、アウリスに話してもいいかな?」
「あ、はい。できれば、兄の耳にも入れていただけると」
「大丈夫だよ。リクはアウリスの側近だからね。それで、今研究所は閉鎖中だから、君はミルヴァに預けるけど、いいかな?」
マリアンネはこくりとうなずく。リューディアはマリアンネと手をつないで宮殿の中に入って行った。
リューディアはマリアンネをミルヴァに預けると、そのままアウリスのもとに向かった。ミルヴァは「大変なことになったわねぇ」とマリアンネの頬を引っ張る。
「まあ、お兄様が動いてるから、ユハニの容疑はすぐに晴れるわ。研究所はすぐに閉鎖が解かれるわよ。まあ」
ミルヴァはマリアンネを見てにっこり笑った。
「あなたは研究所に戻らないのかもしれないけど」
これは嫌味ではなく、マリアンネがフラスクエロ王子と結婚することを示唆しているのだろう。いい加減慣れてきたマリアンネは少し首を傾けただけだった。
時間がちょうどよかったので、ミルヴァとお茶を楽しむことにした。上司が捕まっているのに、のんきである。まあ、ユハニがおとなしく掴まっているとは思えない。
ためしに、彼はどうしているのか尋ねると、ミルヴァは突然笑い出した。
「いやー、面白かったわよ。ユハニにカトゥカの所持疑惑が浮上したって聞いたから、研究所まで見に行ったのよ。そしたら、ちょうど警備軍がユハニを捕まえるところでねぇ」
ユハニは、自分を捕まえに来た警備軍に怒りの笑みを浮かべたそうだ。その笑顔に警備軍たちはドン引きしたらしい。挙句に。
『俺を捕まえるとはいい度胸だな。よほど命が惜しくないと見える。ほら、捕まえるんだろ。早く連れていけ』
と、自分から連れて行かれたという。背筋が寒くなったのはマリアンネだけではないだろう。ミルヴァはやはり楽しげに笑う。
「警備軍、顔が真っ青だったわ」
でしょうね。本当に投獄されても余裕で脱獄してきそうだし、無罪だった場合の報復が怖い。
そう言えば、何故ユハニに麻薬所持の疑いがかかったのだろうか。その辺を聞いてみると、何と、研究所内、正確には所長の研究室からカトゥカの粉末が見つかったのだそうだ。研究所の研究員も取り調べを受けたらしい。
「……わたくしは取り調べを受けなくていいんですか?」
「だって、あなたの研究室、きれいに片付いてたじゃない。探しても何も出てこないし。そもそも、あなたは理論系の研究員でしょう? 研究員と言っても、全員取り調べを受けたわけじゃないのよ。薬物、生物系研究員が主に取り調べを受けたわ」
「ユハニ様は工学系研究者なんですが……」
「どちらにしろ、彼は所長だもの。研究員を統括しきれなかった、と言うことで訴えられるわ」
「……」
思わずミルヴァから論理的な返答が返ってきて驚くマリアンネである。確かに、研究員の失敗は所長の失敗、研究員の罪は所長の罪だ。
しかし、カトゥカの粉末が所長の研究室から発見されたということは、誰かが忍び込んでユハニの研究室に忍び込んだということか? そんな命知らずな。
昨日、マリアンネは所長室でユハニ、アウリス、リューディアと会っている。研究室は所長室の隣だ。研究室に入るには所長室を通らなければならない。まあ、窓から忍び込めば別だが。
だが、よく考えれば、昨日の朝はキメラの脱走騒動でユハニは忙しかったはずだ。彼は自らキメラを討伐していたし、もしかしたら、忍び込む隙はあったかもしれない。キメラの脱走も、ユハニに罪を着せた人物の計画の一部なのかもしれない。
その罪を着せた人物が父の愛人かもしれない。だからと言って、何かするわけではないが。
不意にミルヴァが顔を上げた。マリアンネは首を傾ける。
「どうしたんですか?」
「んー……廊下が騒がしいなって」
「廊下、ですか?」
マリアンネは廊下に続く扉に目をやった。マリアンネはミルヴァほど直感が優れていない。魔法を使えば遠隔透視魔法が使えるが、そこまでしなくても実際に開けてみてみればいい。
ミルヴァの侍女もそう思った様子で、扉を開けようとした。
「ああ、待ちなさい。私が開けるから」
「え。ですが、姫様に任せるわけには」
「いいから。マリィ、攻撃魔法を準備しておいて」
「あ、はい」
剣を持ったミルヴァに続き、マリアンネは立ち上がって威力の弱い攻撃魔法を用意した。
ミルヴァは剣を鞘から引き抜くと、それを構え、そっと扉を開けて廊下を見た。特に危険はなかったようでミルヴァはそのまま廊下に出る。
「ん。1階下だわ」
ミルヴァの私室は宮殿の3階。2階には何があっただろうか。
「ちょっと様子を見に行くわ」
「あ、じゃあ、一緒に行きます」
「離れないようにね」
「わかりました」
マリアンネは自分の身体能力に不安があることはわかっているので、攻撃魔法を用意したままミルヴァについて行った。
「なんなのかしらねー。乱闘かしら」
少々物騒なことを呟きながら、ミルヴァは一番近い階段を降りて行った。マリアンネもそれに続く。
「マリアンネ様」
背後から呼ばれた気がして、マリアンネは振り返った。
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